もりんの日々是迷い人

もりん。50代主婦。
×あり。子あり。
良い職場と幸せを探し求める日々。

涙を流す遺影。プロローグ

2024-05-12 09:25:00 | 家族
元夫を胆管癌で亡くしました。
離婚はしていても、私には大切な家族でした。


娘が。
最後の入院に行った日のことを、日記のように書いてくれていた。
感情など含まない…事実だけを淡々と書いた文書が、私にはかなりリアルに感じました。

私が最後に生きた『あの人』を見たのは日曜日。
最後の病院に行ったのは火曜日。
自分で車を運転して行ったそう。

最後の日曜日にも言っていた。
「運転出来なくなったら終わりだ」と。
あの人の仕事はドライバーで。
運転が好きで…
最後の最後まで『終わり』じゃなかったよ。

近くに借りている駐車場は、ちょっとした坂になっていて。
坂と言えないくらいの、ほんの30cmくらいの高さなのに。
あの日。あの人は転んで。立てなくて。
娘が後ろから押してようやく立って、車に乗り込んだのだそう。

腕は擦りむけて血が出ていたけど、本人は大丈夫だと言って、病院に向かった。

病院に着いて。採血の時に、看護士さんが手当てしてくれたけど、服にも付くくらいの出血だったので、入院の時に娘が服を持ち帰った。
だから。亡くなったあの日、最期に着せる服がその場になかったのだ。

本当は。「死んだら着せて欲しい」と、本人が白いジャージを買っていた。
昔からアディダスが大好きで、よくジャージは着てたけど。白を買ったのは初めて見た。
死装束のつもりだったのだと思う。

でも。手元になくて。
結局最期に着せたのは、病院のコンビニで買った浴衣で。
白いジャージは、棺桶には入れたけれど…それだけは本当に申し訳なかったと思う。


亡くなったのは、水曜日の夕方。
朝からもう意識はなかったらしい。

綺麗にして浴衣に着替えた遺体は。
一度霊安室に運ばれて。
ふたりの病院関係者が、手を合わせてくれた。
あの人が。生前から葬儀屋を決めていたので。そのあとすぐに葬儀場に運ばれた。

事務員の女性に病院の出口まで案内されて。
その日は解散。
娘は自転車。息子と私は電車。

私の手には…
日曜日にあの人に貸した杖。
持ち物は持ち帰ってと、看護士さんに渡された。

あの人は。
医師に入院と言われて、車イスに乗せられても。
杖は持って行くと言ったのだそう。

歩くつもりだったの?
もう排泄すら自分で出来ないくらいの状態だったのに?

あの人は、きっと『生きる』つもりだったのだと思う。

その思いが伝わるようで…
どんなに無念だったろう…
電車の中で杖を抱き締めて帰った。

電車の中は普通で。
大きな声でお喋りするおばさんたち。
仕事帰りのサラリーマン。
その普通が、たまらなく悲しくもあった。

あの人がどんなに無念でも。
私がどんなにショックでも。
世間は笑ってて…
誰も一緒に悲しんではくれないのだと知った。

その日の夜。
不思議な体験をした。

つづく。








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