ぬーさんの見聞録

沖縄見聞録を改め、ぬーさんの見聞録です。 沖縄に移住して見聞きしたことや、仕事・趣味の旅行の日記帳です。 

今日は帰れるはず。

2009年02月22日 12時14分24秒 | ひとりごと
昨日は上越新幹線での人身事故の影響で沖縄へ帰ることが出来ませんでした。それはそれとして、実家ですごせたので良いのですが、一体どのくらいの遅れで出発し、東京に何時についたのか気になるところです。長岡駅でもらった遅延証明書によればMaxとき334は72分遅れ(定刻16:07発)で出発し116分遅れ(定刻18:00着)で東京駅に到着とありました。20時の沖縄便にはどう考えても間に合わなかったので、イライラしながら東京へ行かず、実家でのんびりできたのは幸いです。余計な出費も抑えることも出来ました。心配なのは東京の花粉の飛散状況だけです。この時期首都圏に来ることは避けて来ましたから・・・。何はともあれ、沖縄へ戻ったら「沖縄そば」が食べたいですね。
(・_・)

今日は帰れませんでした。

2009年02月21日 19時46分12秒 | ひとりごと
一昨日、長岡に戻り、昨日は小千谷市役所、新潟市役所へ先日亡くなった母親の謄本を取りに行きました。今日は20時の便で沖縄へ帰るつもりでしたが、上越新幹線の大宮・熊谷間の人身事故の影響で帰ることを断念しました。これは、独り身になった父親を案じた母親が、今晩私を長岡に引き留めたのだということにして、今は父親の晩酌に付き合っています。これはこれとして良かったと思います。
(・_・)

かわいい天使になりました。

2009年02月15日 00時57分25秒 | ひとりごと
先日の12日午前4時前に私の母親が亡くなりました。壮絶な癌との闘病生活でしたが、最期は私の父親、私、私の妻、私の姉、母親の姉と弟に看取られながら、苦しむことなく安らかに息を引き取りました。声にならない口の動きでしたが我々に何度も「ありがとうを」繰り返しながらやさしく微笑んで息を引き取りましたが、傍にいてあげることが出来て私は本当に幸せでした。友引の関係でお通夜は昨日の14日、葬儀は本日の15日になります。私はお線香を絶やさない使命があるのでひとり祭壇の前にいます。棺の中に母親の好きなPaul Kleeの作品の天使のポストカードを頭の近くに入れてあげました。母親はヨーロッパのアートが好きでしたので、ミロ等の絵はがきも入れちゃいました。今朝、お通夜に先立ち「納棺」の儀式に立ち上げましたが、とても厳粛な雰囲気の中、執り行われました。闘病の苦しみから解放され湯灌(身体を拭いたり、頭にシャンプーしてあげたり)やお化粧を施されている母親はとても気持ちよさそうでした。私は母親
の身体を拭いてあげながら、入院中の点滴の痛々しい跡を見ると涙が止めどなく流れてしまいました。さぞかし辛かっただろうと・・・。本日、母親の亡骸は荼毘にふされます。それまでの時間を出来るだけ母親の傍にいてあげるつもりです。長男である私の勤めですから・・・。母親はいつまでも私と私の妻のことを見守ってくれることでしょう。(・_・)

いのちのつよさ

2009年02月11日 10時20分50秒 | ひとりごと
昨晩、母親の担当医は「今晩が山ですかね。」と言われました。空には綺麗な満月が出ていました。満月の時に亡くなる人が多いという話を度々聞きます。私も昨晩、とうとう母にもお迎えか来てしまうのかと覚悟をしました。しかし、お迎えが来ることはありませんでした。母親はこれまで幾度も持ち直し出来ました。現在も母親のいのちの灯火は私を始め家族・親戚一同の手で静かに見守っています。いのちの尊さと家族の素晴らしさを改めて実感しています。
(・_・)

聖母子像

2009年02月08日 22時12分29秒 | ひとりごと
病院の待合室の片隅に箱に入った聖母子像がありました。誰かが置き忘れたのでしょうか?母親の入院している階層は婦人病棟で中央のエレベーターを境に周産期病棟と婦人一般病棟に分かれいます。私の母親に残された時間はもう僅かしかありません。その一方で毎日新しい命の産声が聞こえて来ます。聖母子像を見て微笑ましくも、この病棟には生と死が同居していることに目頭が熱くなりました。
(・_・)