Django (Prestige)・THE MODERN JAZZ QUARTET
「夢でですよ。すごくいい曲が浮かんでるんです。ああ、忘れないうちにメモしとかなくちゃと、これも夢のなかで思いながら眠っちゃったんです。目覚めた瞬間にすっかりそのメロディー忘れていて、まったく出てこないんだ。夢の中で聴いた時は本当にいい曲だったんだけどなぁ。なんか損しちゃった気分ですよ」
カラヤンはしきりに口惜しそうな表情を見せた。
自分で作曲もするカラヤンだが、仕事としてではないらしい。夏原はそれ以上詳しいことは知らなかった。自らもプライベートな部分は喋ろうとはしなかった。唐沢という苗字は聞いていた。元々クラシック好きだと言うので、スミちゃんが洒落っ気をだしてカラヤンと言ったのが受けて、皆にそう呼ばれるようになった。
夏原はもちろん、客同士の間でもカラヤンとは店以外での接点はなく、謎につつまれたと言っては大袈裟だがそんなつき合い方をしていた。
「この季節は『ニューヨークの秋』が聴きたくなるもんですね」
「そうだね。どの『ニューヨークの秋』がいい」
「ときたら、やはりMJQの『ジャンゴ』かな」
「やはりね」
クラシック好きのカラヤンが、MJQを贔屓にしているのは頷けた。夏原は予想通りだという顔をして、レコード棚から『ジャンゴ』を引き抜いて来た。
MJQは、典雅なヨーロピアン・スタイルでジャズ界において独自の地位を築いた。やはり夏原も客が不在の時、MJQの『ニューヨークの秋』を聴きたいと思って、すでに一度かけていた。誰しもが同じ思いの季節には間々あることだ。
『ジャンゴ』などは二回目でもすんなり受け入れられるが、中にはアレルギー反応を起こすような再リクエストもあるにはある。
ミルト・ジャクソンのヴァイブが絶妙なイントロを奏で、ニューヨークの秋に誘ってくれる。聴きすすむにつれ、セントラル・パークの色づいた樹々が醸すフィトンチッドが、身体いっぱいに満たされていく感覚だ。清澄感溢れる『ニューヨークの秋』だ。
MJQの室内楽的なサウンドは、この曲がよく似合う。
「行ってみたいですね」
「秋のニューヨークはボクも知らないんだ。いいだろうね」
「この前、たまたま道で出会った時、ヒゲ村君が行くって言っていましたけど」
「あれはあてにならないよ」
口ばっかりでレコード買いを控えようとせず、遅々として行く気配がないのを承知している夏原は、笑いながら言った。
「行くんだったら絶対秋がいいって。その時手にしていたジョー・スタッフォードの『ニューヨークの秋』を見せてくれて、これを聴いたら他の季節には行きたくなくなったって」
「ヒゲ村らしい言い訳だね」
「ニューヨークに行くんだったら、レコード屋に行かないようにしなくっちゃ」
カラヤンの皮肉を込めた言葉に夏原も笑って頷いた。
「スミちゃんをはじめ皆に言われてるんだけど、なかなかね」
「何か他にお薦めの『ニューヨークの秋』はありませんか」
「そうだね」
暫くレコード棚の前で思案していた夏原は、バディ・デフランコの『ミスター・クラリネット』を出してきた。
「この『ニューヨークの秋』もなかなかいいよ」
「クラリネットですね。お願いします」
この曲はA面最後に収められている。夏原が針を落とした時だ。
1曲目の『バディーズ・ブルース』がかかり、数小節聴いたカラヤンが複雑な顔をして、不思議そうに虚空を見つめた。
「似てるんだ。この曲を聴いた途端、急に思い出しました。最初に話していた、夢の中で聴いた曲と本当によく似てるんだ」
夏原は呆気にとられカラヤンをただ見つめているしかなかった。
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