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▲9代家重と大岡忠光、平賀源内(『影の軍団Ⅱ』、『逃亡者おりん』、『殿さま風来坊隠れ旅』)




吉宗は1745年に将軍職を長男・家重に譲った。

池波正太郎原作『仕掛人藤枝梅安』のさいとう・たかを作画による漫画版「梅安荒梅雨」では、この享保の改革の終わりから松平定信の寛政の改革終了までの歴史が描かれている。

吉宗は大奥で美女とされる女たちに暇を出したとされるが、「梅安荒梅雨」では松平定信がやったことになっている。
1745年、『鬼平犯科帳』の主人公と想われる長谷川平蔵が誕生している。

吉宗は1751年に没し、あとを追うように大岡越前守忠相も他界した。この1751年に『おろしや国酔夢譚』大黒屋光太夫が誕生している。「光太夫(くわうだいふ)」は「幸太夫(かうだいふ)」とも呼ばれていた。江戸時代にはすでに、「クワウ」と「カウ」の發音の差が曖昧になっていたようだ。

1755年、あのマリー・アントワネットオスカルが誕生。漫画『ベルサイユのばら』と映画『マリー・アントワネット』で描かれた時代に入る。
翌年、音楽家のモーツァルトが生まれた。モーツァルトの生涯は映画『アマデウス』で描かれている。
1758年(または1759年)、松平定信誕生。

大岡忠光(~ただみつ)失脚の陰に平賀源内が?
将軍家重の時代は『逃亡者(のがれもの)おりん』でも描かれるが、家重は言語不明瞭で、大岡忠光だけがこれを理解した。エカテリーナⅡは夫が国王として無能だと追放して自ら即位したが、日本では将軍家重が力量不足でも、奥方が将軍にはならなかったようだ。一部では「家重は女だった」という説もある(『超歴史ミステリーロマン』)。
www.tv-tokyo.co.jp/orin/
www.tv-tokyo.co.jp/oooku/

結果として側用人の大岡忠光が実権を持つようになった。そして、大岡忠光は時代劇では評判が悪い。

『影の軍団Ⅱ』で忠光は相当な悪党で、伊賀忍者から恨みを買い、柘植新八(つげしんぱち)が率いる影の軍団から命を奪われていた。
この影の軍団の背後に平賀源内がいたらしい。平賀源内は当時、石綿を作っていたが、石綿は今となっては有害な物質で、アスベスト問題における平賀源内の責任問題を考えるべきではないだろうか。

そして、「影の軍団」は相当、犠牲者を出しながら、最終的に大岡忠光を暗殺した。
1760年に大岡忠光が没すると、徳川家重も将軍の座から退き、翌1761年、家重自らも没した。1760年には、あの葛飾北斎が生まれている。

平賀源内のエレキテルは産業革命?
家重に続いて10代将軍は徳川家治
『殿さま風来坊隠れ旅』によると、この将軍交代の時期、紀州大納言・徳川治貞(~はるさだ)と尾張大納言・徳川宗睦(~むねちか)が次期将軍職を拒否し、それぞれ浪人と商人に化けて旅をしていた。行く先々で人を斬りまくったようで、どれだけの人命が失われたかわからない。治貞を年配の家臣が追いかけるがつかまらず、なぜか、平賀源内も治貞と宗睦に同行しており、影の軍団と一緒のときより若返っていた。また、家治も治貞と宗睦をサポートする隠密を派遣していた。

余談ながら、「徳川治済」と書いて「~はるさだ」と読む名前の人物もいた。当時の人は混乱したのではなかろうか。

将軍・家治の側用人が田沼意次で、田中政治ならぬ田沼政治の時代に入る。

池田理代子の四コマ漫画『ベルばらKids』では、エカテリーナⅡがアントワネットと会う場面がある。エカテリーナⅡのほうが26歳年上で、母とむすめのようなものか。両者は何語で話したのだろう。フランス語、ロシア語、あるいはドイツ語だった可能性もある。
アンリ・トロワイヤ(Henri Troyat)原作、池田理代子作画の劇画『女帝エカテリーナ』によると、エカテリーナⅡは「トルコ国境バル」での反露運動を鎮圧して「ポーランドの秩序を回復する」ことを理由にしたもの。これをルイ15世の時代のフランスでは「侵略」と見なし、トルコをけしかけて戦争をさせた。エカテリーナⅡはこれでトルコを攻撃する理由ができたということで、トルコからの宣戦布告を「待ってました」という気分だった。露佛関係が気になるが、とにかく、戦争において、どちらが始めたかは重要ではない。相手を挑發して攻撃してくるのを待つという手もある。日本が中国やアメリカとやった戦争も、そのように考えた方がいい。

ロシア語の辞書第1号?
エカテリーナⅡの時代、ダーシュコヴァ(Dashkova)夫人がいたロシアのアカデミーでは世界初のロシア語の辞書を作っていたらしい。すると、それ以前はロシア語辞典がなかったことになる。のちに大黒屋光太夫は自分でことばをメモして手製の辞書を作ったらしい。金田一京助もアイヌ語研究でやったらしい。言語学者の仕事の第一歩である。

露土戦争の最中、女帝はダーシュコヴァとの会話で、世界中から美術品を買い集めて美術館を作り、
「エルミタージュ(Hermitage→Ermitazh=隠れ家)」と名づける意向を話した。
1772年8月5日、第一次ポーランド分割(『女帝エカテリーナ』)。

『陽炎の辻』の原作は『居眠り磐音・江戸双紙(いねむりいわね・えどぞうし←ゐねむりいはね・えどざうし)』
舞台は1772年(明和9年)の話。

1773年、エメリアン・プガチョフ(Emelyan Pugachёv)の乱。この反乱軍も略奪、殺傷、放火をして、プガチョフは1775年に処刑された。
劇画『女帝エカテリーナ』では、プガチョフ処刑後、
酒場で「グリゴーリー・オルローフ(Grigory Orlov)公爵」を名乗った人物が当時のロシア人を心の中で評論。今の日本人を含めた現代人にも一部、当てはまる。
「この捉え難く矛盾に満ちたロシアの民……!彼らときたら神の威光を恐れるかと思うと迷信にふりまわされる。肉体の隷属はやすやすと受け入れるくせに魂は自由だと主張する。温厚で従順なくせに、特には狂ったように残酷になる。戦争は嫌だと叫びながら、ひとたび闘えば常軌を逸した勇敢さを見せる。そして貴族を恨みながら主人なしではいられない……!」
エカテリーナⅡも、ロシアがまだ、改革を必要とするほど熟しておらず、何も動かさないことが大事だと考える。
確かに、21世紀に入った日本の大衆も日ごろ、「国」を批判しながら、「国」の存在意義がなくなろうとすると、それを拒否し、不平を言いながらも從順で、大きな変化を望まない。

平賀源内と志穂美悦子の奇妙な縁
1776年、平賀源内がエレキテルを發明(復元?)した。
『キカイダー01』によると、20世紀の時代からシャドウというグループがタイムトンネルでやってきて、源内を誘拐しようと謀った。このたくらみは、シャドウを追ってきたキカイダー01とビジンダーという二台の人造人間(ロボット)によって阻止された。源内がいきなり、人造人間やタイムトンネルという先進文明の存在を知ったらどう想ったか。
『01』の前作『人造人間キカイダー』に出てきた探偵・服部半平は自称・服部半蔵の子孫で、平賀源内は伊賀忍者と縁がある。
また、志穂美悦子は『影の軍団Ⅱ』と『キカイダー01』の両方に出ており、平賀源内と縁がある俳優だ。
この1776年はアメリカが独立宣言をした年でもある。平賀源内の試みは日本版「産業革命」だったかも知れない。

平賀源内は1780年ごろに没したはずだが、どういうわけか、天保時代(下注釋)にも出現していることが『仕事人アヘン戦争へ行く』『必殺仕切人』(「もしも鳥人間大会で優勝したら」)で記録されている。天保時代の源内は気球を作ったり、飛行コンテストの審査員を勤めたりしていた。時代的に1728年から80年までに生存した源内とは別人であり、同名の子孫、弟子かも知れない。

鳥人間といえば、浮田幸吉が飛行実験をしたのは1785年で、平賀源内が没して5年たっていた。

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関連語句
家重 田沼 仕切人 源内

注釋
天保時代

1983年放送の『仕事人 アヘン戦争へ行く』の劇中の時代は1842年(天保13年)。放送当時から141年前であった。『必殺仕切人』の「鳥人間大会」の話にも源内が登場したが、このシリーズの時代設定はいつか。
江戸のクロねこ」のHPでは『仕切人』の「占いブーム」が辛亥の年に起きたとしており、HPでは1791年(寛政3年)と推定。しかし1851年(嘉永4年)である可能性もある。

参照
徳川吉宗と大岡忠相、平賀源内
9代家重と大岡忠光、平賀源内
大黒屋光太夫、寛政の改革、アントワネット、エカテリーナの時代
フランス革命は正しかったか
『おろしや国酔夢譚』『ラ・セーヌの星』『ダントン』
【時代劇の時代設定】影の軍団II~江戸の鷹~陽炎の辻~源内~おりん~殿さま風来坊~剣客商売~隠密秘帖

AmebaBlog>〔時代劇「必殺シリーズ」の時代設定(江戸のクロねこ氏のHP等参照)〕
2018-09-15 06:13:15
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