35キロになるとゴールが見え始めるのかみなだらだらと歩いていた人とたちが一斉に走り始めるように。
こればかりは足が上がらないため追い付けず二度めの多くの人に抜かれる苦痛を味わうことに。
自分もゴールが見えてきたので頑張ってましたが
その代わり関門封鎖の音も近づいてました。
40キロ
最後の関門封鎖を四分で切り抜けあとはゴールを目指すだけ、身の回りにはもはや絞りカスまで出しきって残った方々と言う感じ。ここで同じく膝を痛めた大学生と出会う、
またしても話を聞くと就職で引っ越すため思い出作りのため走ってみたものの足を壊して世間の厳しさを知ったようだ。
それならなんとしてもゴールしなきゃね、頑張れ!と伝たえ先をいくことに。残り時間が少ないことを知りそこからは膝の痛みを我慢しなんとかゴールまで走りギリギリで完走できました。
ゴールすると声を掛け合った小太りの男性とタイミングが同じだったらしく
「ゴールできたんですね!!!」
と声をかけてくれた。
正直走る前は絶対に泣かないだろうと思ってたし、ゴールした時もなんの感情もなかった。
ただ共に声をかけ、励まし合った仲間と喜びを分かち合えたことで
思わず感情的になりうるっとした。
涙をこらえて熱い握手をし、彼は
「僕、奈良から来たんです!」
と言って去っていった。
その後友達と合流し、お疲れの挨拶をする。
先ほどの大学生が近づいてきて、お疲れさまでした。ゴールできました。と声をかけてくれた。よかったね!おめでとう!とこれまた感動を分かち合えた。
マラソンをゴールするためには多くのランナーを抜かなければならないと思っていた。
しかし今回体験したマラソンは速く走ることでは味わえることができない助け合いと感動があった。
これは本当になによりも素晴らしい思い出となった。
実は膝が痛まなければもっと走れたと思っている。今現在さほど疲れている部位がない。自分が練習で手に入れた実力を出しきれていない。
もし膝の調子が今後改善されるならまたマラソンに出たい。
ただ鳥取マラソン以外で笑
大阪マラソンにでも出れれば。
以上。
ありがとうございました。
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