1930年代まで刺繍は、生計を立てる重要な仕事でした。
小さい農家、手工業者、日雇いの家庭では、
夫人や娘が“Naherinnen”(お針子)として働きました。
彼女たちは、服やリネン類を縫うのと同時に、“上縫い“をしました。
これは、出来上がったものに刺繍を施すことを意味しています。
シュバルムの女性たちは、縫い子であるのと同時に刺繍指しでもあったのです。
縫い子のほとんどは、0.25~4haの土地を所有する家庭の婦女子でした。
農業だけで家計を支えることがままならず、女性の労働力は必要不可欠でした。
当時の女性にとって、裁縫以外に職の可能性はほとんどありません。
縫い子は裕福な農家から仕事を請負、服・リネン類を縫い上げ、
婚礼用の装飾などを施しました。
農閑期には本職として、または夜なべ仕事として
こういった裁縫仕事をして収入を得ました。
縫い子になる為に訓練をするということはありません。
裁縫や刺繍に興味がある若い娘たちは、寒い季節に熟練した縫い子の仕事を見て、
分からない事は聞き、忍耐強く練習を重ね、やがて一人前として仕事をします。
必要な道具は、刺繍針、3種類の大きさの刺繍枠、指貫、縫い針、はさみです。
最終的には、ミシン(手押しもしくは足踏みミシン)も必要となっていきますが。
製作時間は状況によって色々です。
良い作業環境で、熟練した縫い子が作業をするとします。
日照時間の長い夏に、週6から7日。
朝6時もしくは7時から夜10時もしくは11時まで。
食事などの短い休憩を挟んで約16時間。
冬は、日照時間が短くなるので、製作時間も短くなります。
刺繍には天然光が利用され、石油光で他の縫い仕事が行っていました。
副業としての縫い子の作業時間は他の仕事次第でした。
刺繍と縫い物の催しのための、豪華に刺繍を施した男性用のシャツに
4~6週間を費やしていたという1950年代の記述が残っています。
幅広の刺繍を施した女性用のコルセットにも
同程度の時間を費やしたとありました。
試しに、ベッドカバーを刺し上げるのにどれくらいかかるのか
概算を試みた人がいます。
コルセット両袖の縁飾り刺繍は合わせて60センチの長さがあります。
そして、ベッドカバーは480センチで8倍の長さになります。
60センチに5週間かかるとすると、480センチには40週必要です。
ベッドカバーのへり飾りはコルセットより大概広幅に刺繍されているので、
40週以上にわたる仕事が必要ということになります。
1853年に作成された男性シャツ。
画像が小さくて見づらいですが、
開き部分、衿に豪華な刺繍が施されています。
刺繍刺しの仕事は時間給ではなく刺し給(歩合制)で、
現金もしくは現物支給でした。
その当時の刺繍刺しの女性の言葉があります。
「時間給で算出すれば、稼ぎは悪くないでしょう。
もちろんそんなことはありえないけれど。」
「時間をかけて刺すと、大して稼げません。
手早く刺せば、少しはまともに稼げます。」
「小さなソーセージや干し肉のかパン、
またはわずかばかりのバターかスモモのジャム
または穀物などが、仕事の対価として渡されます。」
今日、刺繍刺しの多くは、誰にも邪魔されず楽しみながら刺繍を
満喫することができます。
シュバルム民族博物館に展示してある1930年代以前の刺繍作品は
どれもオリジナル性が高く、刺繍へのひたむきな情熱と愛情にあふれています。
時間に追われ生活に苦しみながら刺したという、現在とは逆の条件にも関わらず、
それらの昔の名も無い刺繍刺しの作品には時代を超越した手仕事の美が宿っています。