2013年1月7日(月)から4日間の、『夢二郷土美術館(岡山)訪問と、城崎温泉の夢二の足跡を訪ねる旅』をしました。
毎度の「青春18きっぷ」による、普通、快速列車のみを乗り継いでの旅です。途中いろんな方とお会いできて、いろんなものを見て回ることができて、今回も実り多い旅となりました。
訪問先は以下のとおり。
【姫路・太陽公園】ドイツ・ノイシュヴァンシュタイン城の実物大(たぶん)復元の中にトリックアートの作品多数。および、世界中の巨石の造形物レプリカがずらり。
【鳴門・大塚国際美術館】世界の名画のレプリカ、1000点。画集やTVでよく見る名画を実物大で、陶板に焼き付けてあるもの。モナリザ、最期の晩餐の修復前と修復後、ゲルニカ・・・・・・・・。
【夢二郷土美術館】岡山市在住夢二研究家、荒木瑞子さんにお目にかかり、さらには学芸員の小嶋ひろみさんにもお目にかかり、いろんなお話を聞かせていただきました。
【姫路・好古園】20年ほど前に作られた、江戸時代風さまざまな落ち着いた日本庭園。
【兵庫・城崎温泉】1917(T6)年2月に夢二と次男・不二彦が泊まった、今は無き旅館「はし本屋」を探しに行く。
【兵庫・餘部鉄橋】雪が激しく、断念。
《旅の始まり》
1月7日(月)JR森本駅(金沢市)朝6時半発、姫路までまっしぐら。と言っても、「青春18きっぷ」での普通と快速だけの乗車なので、7時間もかかります。距離は360kmなので、自動車で移動してもそんな時間はかかるのです。これで、一日乗り放題で2300円ですから、無銭旅行には持って来いです。
【姫路・太陽公園】
ここは、表道路沿いに「石のエリア」と、数分歩いて「城のエリア」に別れています。
「城のエリア」では、ドイツ南部バイエルン地方の山の頂にそびえる名城「ノイシュヴァンシュタイン城」の実物大(たぶん)復元が、ここ姫路市郊外の山の上に建っています。遠くからも見られて圧巻です。
外見は本当にそっくりで、とても、とても、素晴らしいものです。中は展示場になっていますので、本物のお城の作りとは違っている様ですが。
その中に、トリックアートの作品が多数展示されています。撮影自由なので、とっても素敵な、トリックアートに入り込んだ写真が撮れます。ご親切に、撮影位置と撮影手順も説明されています。
もう一つの「石のエリア」では、世界中の巨石の造形物レプリカがずらり。「パリ凱旋門」「モアイ」「マチュピチュ」「兵馬俑1000体」「万里の長城」「ピラミッド」「スフィンクス」「磨崖仏」「天安門広場」「日本のお寺」「韓国鐘楼」など、見応え十分でした。
【鳴門・大塚国際美術館】
大塚国際美術館は今年3月で開館15年。大塚製薬の関連会社・大塚オーミ陶業(信楽工場)で開発した、陶板に高精細写真を焼き付ける技術を使い、世界中の名画1000点の、実物大レプリカを展示しています。画集やTVでよく見る名画が実物大で展示されているので、居ながらにして世界の美術館巡りをした様な気分になれます。
入場料は何と3,150円。
陶板は最大1m×3mのフリーサイズ。大きな絵は何枚かで構成し、繋ぎ目が見えますが、絵の感動が先に有り、そんなもの気になりません。2000年色褪せることなく保存できるとも書いてあります。
一度は見たかった絵が、実物大で、目の前に有ります、触れます、撮影自由です。
美術館に入ったら直ぐに、「システィーナ礼拝堂」(実物大ですよ)が有って圧巻です。「真珠の耳飾りの少女」「モナリザ」「夜警」ダビンチの「最後の晩餐」の修復前と修復後「ヴィーナスの誕生」「ゲルニカ」・・・。
開館時間の朝9時半に入って、とうとう閉館時間の17時まで、丸一日鑑賞しておりました。もうちょっと時間が欲しかった。
【夢二郷土美術館】 岡山後楽園の隣
岡山市在住夢二研究家・荒木瑞子さんに昨年お目にかかるチャンスが有ったものですから、今度岡山へ伺いますとご連絡しました。・・・ではご一緒しますとありがたいお言葉に甘えて、郷土美術館に伺いました。
そして、荒木さんにご紹介いただいて、学芸員の小嶋ひろみさんにもお目にかかる事ができて、いろんなお話を聞かせていただき、大変貴重な体験となりました。
また、私が昨年の夏と年末に、長野県内に有る2枚の、夢二が描いた大きな屏風絵を見て来たお話なども申し上げ、大変興味を引いていただき、嬉しく思った次第です。
このすてきな2枚は、あまり世の中に知られていません。
1枚は戸倉上山田温泉の酒造コレクションに有る『青山河』と記した6曲6尺2間の山の絵です。もう1枚は松本市の老舗割烹に残る金屏風に描いた『山河相聞』と記した、戸倉と同サイズのものです。《山河》とは《山》=彦乃、《河》=夢二のことで、亡くなった彦乃に会えない寂しさを表わすと私は理解しています。《青》は限りない寂しさ、《相聞》(そうもん)は男女が恋の詩を交わすと言う意味でしょう。描かれた当時は彦乃が亡くなって10年経っています。
また、夢二のモデルを経験された方で唯一ご存命の「笠島しず」さんの事も話題にのぼりました。しずさんは、東京の方ですが、お子様ご家族と同居され、岡山在住でした。数年前、お子様は定年退職で信州暮らしをなさるとのことで、ご一緒に引っ越されました。何とそこは、夢二が亡くなった高原療養所のあった富士見町でした。過日富士見町の方に私が確認した所、お元気でお過ごしと伺いました。100歳前後になって居られるはずです。・・・荒木さんも、小嶋さんも、しずさんを良くご存知で、この話題でも話に花が咲いた次第です。
【姫路・好古園】姫路城の隣
江戸時代風の、さまざまな趣のある9種類の日本庭園を姫路市が20年ほど前に作りました。姫路城の隣です。
元々そこに有った、武家屋敷等の地割を活かして作られており、木々の向こうには姫路城が借景されます。築山、竹林、滝、池、太鼓橋の様な渡り廊下、邸宅、茶室、季節折々の草木や花も素敵な様ですが、一月なので枯れ木の造形だけ楽しみました。
【兵庫・城崎温泉】
夢二は、96年前の1917(T6)年2月に、不二彦を伴って日本海側の城崎温泉へ行きます。旅館から手紙を出しており「はし本屋」旅館とあります。
どんなところに泊まったのだろうと興味が有って、事前に調べて見ましたが、「はし本」「橋本」と言う旅館は有りません。
そこへ、ある方から指令が来て、「城崎へ行くのなら《はし本屋》を調査せよ」との事で、ヒントになる、その前後の夢二の動静を記した資料もいただきました。
さて、城崎の宿へ着いたのは20時前。まず夕食を済まして、有名な「城崎温泉外湯めぐり」に出る。7つ有るのですが、曜日によってお休みのところもあります。時間の関係もあって、宿お勧めの2つだけ入って戻ります。平日と言う事もあって、温泉街をそぞろ歩く人はわずかです。時間が遅かった事、雪がパラついていて寒かったた事などもその理由かも知れません。
さて翌朝は雪が数㎝積っています。歩きにくい。まずはJR城崎駅前の温泉協同組合・案内所へ。受付の有本さんに伺う。
《はし本屋》は昔あったが、廃業して、縁者も判らない。その場所は今は、別経営の土産物屋になっている。以前その土産物屋さんに夢二の絵が掛けてあったとのこと。
その場所は?と聞くと、古い「城崎温泉略絵図」を見せていただき、ここだと聞く。何とそこには《はし本や》と書かれています。・・・やったーーーと言う感じでした。
旅館「はし本や」跡は、城崎の写真で一番有名な外湯・一の湯の斜め向かいに有りました。3階建の旅館の建物(たぶん大正期のものからは建て替えられている)はそのままで、1階部分のみ土産物屋「花兆庵」(かちょうあん)となっています。
恐る恐る「昔ここに有ったと言う《はし本や》さんの事、昔そこに泊まった《竹久夢二》の事など情報有りませんか」と聞く。それなら社長が夢二ファンなので読んできますと、驚きの展開。社長の「森貞淳一」(もりさだじゅんいち)さんは城崎商工会の会長さんです。ご親切にいろいろ教えていただきました。地元の文化・文芸の発掘にも尽力されている方で、夢二も好きで多数の版画作品を集めて居られるとか。以前は店の2階で夢二資料館をされていましたが、今は全部しまいこんでしまったとの事でした(残念)。
「花兆庵」さんの扱い品は、地元の特産品が中心ですが、何と幅一間の『夢二みやげコーナー』が有るのです。「大正6年、夢二が泊まったのは、この場所に有った旅館橋本屋です」と説明がしてあります。
また悪い癖が出てしまいまして、「来年2014年は、夢二生誕130年、没後80年となるので、ぜひとも城崎夢二展を検討しては如何でしょうか」と申し上げました。
そして、近くにある「そふと工房」(ソフトクリーム屋さん)は娘さんが経営されており、10点近く夢二の版画作品を展示しているとも伺い、そちらも拝見してきました。「女十題」の何点かと「立田姫」でした。
その後「城崎文芸館」(城崎を訪れた文人墨客は大変多く、その方々の資料をまとめた展示館)へ行って、何がしか他の夢二情報は無いものかと訪ねて見ました。
何と、「花兆庵」さんの向かいの民芸品店「みなとや」(えっ!)さんに、夢二が城崎滞在時に描いた絵が展示されているとの事。そこには『秋ざれの図』と言う、縦1mくらいの縦長の、きもの姿の女性の絵が有りました。軸装されていました。
夢二が、別れた妻・たまきの経済的な自立のために開いた、今で言う夢二のブランドショップの名は「港屋絵草紙店」。その名称の関連性は判りませんでした(若い女の店員さんしかいなくて)。
実はこの日は、餘部鉄橋(あまるべ てっきょう)見物を計画していたのですが、雪が激しくなってきて、断念したのです。
その分、夢二情報収集に時間が割けたのでした。
コラム【夢二の、城崎行きと室津港行き】
夢二は前年末から京都に住んでいました。用事で数日間東京へ行って、彦乃と会ったりします。2月11日の寝台列車で東京を発って翌朝京都へ着いたのですが、ひっそりとした京都の家に帰るのが何となく嫌で、そのまま「城崎」まで足を伸ばしたのです。2~3泊して帰ろうとしたところ、大雪で山陰線が動きません。
仕方なく別の路線で姫路に出ます。今度は、子供のころから伝え聞いていた、「室津港」の看板を見て、そちらへ行ってみたいと思います。良い所だったらしく、その後『室津xx』と言う作品が多く生れます。
この旅はずっと、次男・不二彦(ふじひこ)が一緒でした。 おわり
あとがき
今回の旅は、年末の青春18きっぷでの「長野から東京への旅」で残ったきっぷの消化のものでした。
10年前から行きたいと思っていた「大塚国際美術館」へ行くことが主目的で、それは大いに達成できました。
それ以上に、岡山の夢二郷土美術館での研究者の方との会談や、城崎での夢二の滞在先の情報が判った事が大きな成果でした。
お目にかかった皆さんありがとうございました。
毎度の「青春18きっぷ」による、普通、快速列車のみを乗り継いでの旅です。途中いろんな方とお会いできて、いろんなものを見て回ることができて、今回も実り多い旅となりました。
訪問先は以下のとおり。
【姫路・太陽公園】ドイツ・ノイシュヴァンシュタイン城の実物大(たぶん)復元の中にトリックアートの作品多数。および、世界中の巨石の造形物レプリカがずらり。
【鳴門・大塚国際美術館】世界の名画のレプリカ、1000点。画集やTVでよく見る名画を実物大で、陶板に焼き付けてあるもの。モナリザ、最期の晩餐の修復前と修復後、ゲルニカ・・・・・・・・。
【夢二郷土美術館】岡山市在住夢二研究家、荒木瑞子さんにお目にかかり、さらには学芸員の小嶋ひろみさんにもお目にかかり、いろんなお話を聞かせていただきました。
【姫路・好古園】20年ほど前に作られた、江戸時代風さまざまな落ち着いた日本庭園。
【兵庫・城崎温泉】1917(T6)年2月に夢二と次男・不二彦が泊まった、今は無き旅館「はし本屋」を探しに行く。
【兵庫・餘部鉄橋】雪が激しく、断念。
《旅の始まり》
1月7日(月)JR森本駅(金沢市)朝6時半発、姫路までまっしぐら。と言っても、「青春18きっぷ」での普通と快速だけの乗車なので、7時間もかかります。距離は360kmなので、自動車で移動してもそんな時間はかかるのです。これで、一日乗り放題で2300円ですから、無銭旅行には持って来いです。
【姫路・太陽公園】
ここは、表道路沿いに「石のエリア」と、数分歩いて「城のエリア」に別れています。
「城のエリア」では、ドイツ南部バイエルン地方の山の頂にそびえる名城「ノイシュヴァンシュタイン城」の実物大(たぶん)復元が、ここ姫路市郊外の山の上に建っています。遠くからも見られて圧巻です。
外見は本当にそっくりで、とても、とても、素晴らしいものです。中は展示場になっていますので、本物のお城の作りとは違っている様ですが。
その中に、トリックアートの作品が多数展示されています。撮影自由なので、とっても素敵な、トリックアートに入り込んだ写真が撮れます。ご親切に、撮影位置と撮影手順も説明されています。
もう一つの「石のエリア」では、世界中の巨石の造形物レプリカがずらり。「パリ凱旋門」「モアイ」「マチュピチュ」「兵馬俑1000体」「万里の長城」「ピラミッド」「スフィンクス」「磨崖仏」「天安門広場」「日本のお寺」「韓国鐘楼」など、見応え十分でした。
【鳴門・大塚国際美術館】
大塚国際美術館は今年3月で開館15年。大塚製薬の関連会社・大塚オーミ陶業(信楽工場)で開発した、陶板に高精細写真を焼き付ける技術を使い、世界中の名画1000点の、実物大レプリカを展示しています。画集やTVでよく見る名画が実物大で展示されているので、居ながらにして世界の美術館巡りをした様な気分になれます。
入場料は何と3,150円。
陶板は最大1m×3mのフリーサイズ。大きな絵は何枚かで構成し、繋ぎ目が見えますが、絵の感動が先に有り、そんなもの気になりません。2000年色褪せることなく保存できるとも書いてあります。
一度は見たかった絵が、実物大で、目の前に有ります、触れます、撮影自由です。
美術館に入ったら直ぐに、「システィーナ礼拝堂」(実物大ですよ)が有って圧巻です。「真珠の耳飾りの少女」「モナリザ」「夜警」ダビンチの「最後の晩餐」の修復前と修復後「ヴィーナスの誕生」「ゲルニカ」・・・。
開館時間の朝9時半に入って、とうとう閉館時間の17時まで、丸一日鑑賞しておりました。もうちょっと時間が欲しかった。
【夢二郷土美術館】 岡山後楽園の隣
岡山市在住夢二研究家・荒木瑞子さんに昨年お目にかかるチャンスが有ったものですから、今度岡山へ伺いますとご連絡しました。・・・ではご一緒しますとありがたいお言葉に甘えて、郷土美術館に伺いました。
そして、荒木さんにご紹介いただいて、学芸員の小嶋ひろみさんにもお目にかかる事ができて、いろんなお話を聞かせていただき、大変貴重な体験となりました。
また、私が昨年の夏と年末に、長野県内に有る2枚の、夢二が描いた大きな屏風絵を見て来たお話なども申し上げ、大変興味を引いていただき、嬉しく思った次第です。
このすてきな2枚は、あまり世の中に知られていません。
1枚は戸倉上山田温泉の酒造コレクションに有る『青山河』と記した6曲6尺2間の山の絵です。もう1枚は松本市の老舗割烹に残る金屏風に描いた『山河相聞』と記した、戸倉と同サイズのものです。《山河》とは《山》=彦乃、《河》=夢二のことで、亡くなった彦乃に会えない寂しさを表わすと私は理解しています。《青》は限りない寂しさ、《相聞》(そうもん)は男女が恋の詩を交わすと言う意味でしょう。描かれた当時は彦乃が亡くなって10年経っています。
また、夢二のモデルを経験された方で唯一ご存命の「笠島しず」さんの事も話題にのぼりました。しずさんは、東京の方ですが、お子様ご家族と同居され、岡山在住でした。数年前、お子様は定年退職で信州暮らしをなさるとのことで、ご一緒に引っ越されました。何とそこは、夢二が亡くなった高原療養所のあった富士見町でした。過日富士見町の方に私が確認した所、お元気でお過ごしと伺いました。100歳前後になって居られるはずです。・・・荒木さんも、小嶋さんも、しずさんを良くご存知で、この話題でも話に花が咲いた次第です。
【姫路・好古園】姫路城の隣
江戸時代風の、さまざまな趣のある9種類の日本庭園を姫路市が20年ほど前に作りました。姫路城の隣です。
元々そこに有った、武家屋敷等の地割を活かして作られており、木々の向こうには姫路城が借景されます。築山、竹林、滝、池、太鼓橋の様な渡り廊下、邸宅、茶室、季節折々の草木や花も素敵な様ですが、一月なので枯れ木の造形だけ楽しみました。
【兵庫・城崎温泉】
夢二は、96年前の1917(T6)年2月に、不二彦を伴って日本海側の城崎温泉へ行きます。旅館から手紙を出しており「はし本屋」旅館とあります。
どんなところに泊まったのだろうと興味が有って、事前に調べて見ましたが、「はし本」「橋本」と言う旅館は有りません。
そこへ、ある方から指令が来て、「城崎へ行くのなら《はし本屋》を調査せよ」との事で、ヒントになる、その前後の夢二の動静を記した資料もいただきました。
さて、城崎の宿へ着いたのは20時前。まず夕食を済まして、有名な「城崎温泉外湯めぐり」に出る。7つ有るのですが、曜日によってお休みのところもあります。時間の関係もあって、宿お勧めの2つだけ入って戻ります。平日と言う事もあって、温泉街をそぞろ歩く人はわずかです。時間が遅かった事、雪がパラついていて寒かったた事などもその理由かも知れません。
さて翌朝は雪が数㎝積っています。歩きにくい。まずはJR城崎駅前の温泉協同組合・案内所へ。受付の有本さんに伺う。
《はし本屋》は昔あったが、廃業して、縁者も判らない。その場所は今は、別経営の土産物屋になっている。以前その土産物屋さんに夢二の絵が掛けてあったとのこと。
その場所は?と聞くと、古い「城崎温泉略絵図」を見せていただき、ここだと聞く。何とそこには《はし本や》と書かれています。・・・やったーーーと言う感じでした。
旅館「はし本や」跡は、城崎の写真で一番有名な外湯・一の湯の斜め向かいに有りました。3階建の旅館の建物(たぶん大正期のものからは建て替えられている)はそのままで、1階部分のみ土産物屋「花兆庵」(かちょうあん)となっています。
恐る恐る「昔ここに有ったと言う《はし本や》さんの事、昔そこに泊まった《竹久夢二》の事など情報有りませんか」と聞く。それなら社長が夢二ファンなので読んできますと、驚きの展開。社長の「森貞淳一」(もりさだじゅんいち)さんは城崎商工会の会長さんです。ご親切にいろいろ教えていただきました。地元の文化・文芸の発掘にも尽力されている方で、夢二も好きで多数の版画作品を集めて居られるとか。以前は店の2階で夢二資料館をされていましたが、今は全部しまいこんでしまったとの事でした(残念)。
「花兆庵」さんの扱い品は、地元の特産品が中心ですが、何と幅一間の『夢二みやげコーナー』が有るのです。「大正6年、夢二が泊まったのは、この場所に有った旅館橋本屋です」と説明がしてあります。
また悪い癖が出てしまいまして、「来年2014年は、夢二生誕130年、没後80年となるので、ぜひとも城崎夢二展を検討しては如何でしょうか」と申し上げました。
そして、近くにある「そふと工房」(ソフトクリーム屋さん)は娘さんが経営されており、10点近く夢二の版画作品を展示しているとも伺い、そちらも拝見してきました。「女十題」の何点かと「立田姫」でした。
その後「城崎文芸館」(城崎を訪れた文人墨客は大変多く、その方々の資料をまとめた展示館)へ行って、何がしか他の夢二情報は無いものかと訪ねて見ました。
何と、「花兆庵」さんの向かいの民芸品店「みなとや」(えっ!)さんに、夢二が城崎滞在時に描いた絵が展示されているとの事。そこには『秋ざれの図』と言う、縦1mくらいの縦長の、きもの姿の女性の絵が有りました。軸装されていました。
夢二が、別れた妻・たまきの経済的な自立のために開いた、今で言う夢二のブランドショップの名は「港屋絵草紙店」。その名称の関連性は判りませんでした(若い女の店員さんしかいなくて)。
実はこの日は、餘部鉄橋(あまるべ てっきょう)見物を計画していたのですが、雪が激しくなってきて、断念したのです。
その分、夢二情報収集に時間が割けたのでした。
コラム【夢二の、城崎行きと室津港行き】
夢二は前年末から京都に住んでいました。用事で数日間東京へ行って、彦乃と会ったりします。2月11日の寝台列車で東京を発って翌朝京都へ着いたのですが、ひっそりとした京都の家に帰るのが何となく嫌で、そのまま「城崎」まで足を伸ばしたのです。2~3泊して帰ろうとしたところ、大雪で山陰線が動きません。
仕方なく別の路線で姫路に出ます。今度は、子供のころから伝え聞いていた、「室津港」の看板を見て、そちらへ行ってみたいと思います。良い所だったらしく、その後『室津xx』と言う作品が多く生れます。
この旅はずっと、次男・不二彦(ふじひこ)が一緒でした。 おわり
あとがき
今回の旅は、年末の青春18きっぷでの「長野から東京への旅」で残ったきっぷの消化のものでした。
10年前から行きたいと思っていた「大塚国際美術館」へ行くことが主目的で、それは大いに達成できました。
それ以上に、岡山の夢二郷土美術館での研究者の方との会談や、城崎での夢二の滞在先の情報が判った事が大きな成果でした。
お目にかかった皆さんありがとうございました。
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