1980年代、南アフリカのヨハネスブルクに突如巨大な宇宙船が現れる。異星人の襲来、はたまた友好的コンタクトかと大騒ぎする人類に見せられたのは、船内で飢餓状態の膨大な数の異星人たちだった。彼らは宇宙船の下に収容する場を与えられ、そこは『第9地区』と呼ばれるようになる。
それから20年余、まったくの厄介者として国の税金を食いつぶし、周辺地域をスラム化させた彼らは、その醜悪で似た外見から“エビ”と呼ばれて蔑まれていた。
2010年どんどん数を増す彼らを、『第10地区』と呼ぶ郊外に移送する決定が下される。多国籍連合MNUが移送業務を請け負い、重役のスミットの娘婿であるヴィカス(シャルト・コプリー)が計画の責任者に抜擢される。
部下と軍部とで第9地区に赴いたヴィカスは、エビ達に移動の了承サインをさせるために奔走するが、そこで一人のエビが作った液体をうっかり浴びてしまう。
その液体には人間も“エビ化”してしまう作用があり、ヴィカスの変容が始まってしまい…
実際、面白かった
が、実際、軽く女性にお勧めはできない(^_^;)
そもそもこういったSF物、とくに気持ちの良くない(柔らかめな言い方)クリ―チャ―物は見てこなかったし、範疇ともしていなかった。
今回なんでこれを見ようかと思ったかと言えば、ひとえにプロ―デュースbyピーター・ジャクソンだからで、キモチワルイ以外に何かを見せてくれるんじゃないかという予感があったからだ。
そのカンはやはり間違いではなかった。
監督は、PJの薫陶を受けたニール・ブロムカンプ。大したオタク監督がまた誕生したみたいだ(笑)
どうしたって映画自体はコアな男子向け。女性でも好きな人もいるだろうし、私も大丈夫で面白く見れたけれど、B級SFファンな男性には相当大手で受け入れられてるようだ。
その人たちが引き合いに出す映画は、名前からしてさっぱりだし、ここはあの映画の踏襲、ここはどれそれのオマージュだ、等々の話もさっぱりなんだけど、ひとつ、映画じゃなくカフカの『変身』もあげられてたのは納得。そしてそこからクローネンバーグ監督の『ザ・フライ』もあげてる人がいたな。クローネンバーグ作品は、近年のヴィゴが出演したクライム物2本しか見ていないんで、往年のそこらあたりのキッツいのはやはり知らない。
主人公のヴィカスが“エビ”化していく様はかなりグロテスクなのだが、それ以前にも嘔吐シーンやエビ達の酷い生活、彼らを“駆逐”する様子や“手違い”で人間が腕をもぎ取られるシーンなどグロいのが多いので、そこだけ嫌悪感を抱くわけじゃない。
そして、その“嫌悪感”というのが問題なのだ。
まずエビ達の外見が非常に気味悪い。生理的嫌悪感をもようすようにできている。こういうのが好きな人はまた別だが。
ところが、その“彼ら”をまさしく虫けらのごとくに扱う人間側がより一層醜悪なのだ。
宇宙船が来た当初は、畏敬を持ってそれなりに接していただろうが、20年以上にも及ぶ『不法滞在』で既に厄介者でしかない。遠い宇宙からやってこれる技術力がありながら、侵略でも友好でもなく単なる占拠でしかないのは、高知能を持つ統率側の種族は死に絶えてしまい、宇宙船の運航に使用されていたいわば働き蜂のエビどもだけが生き残ったのではという推察の設定だから。
なのでエビ達は、さほどの知能があるように見えず、実際会話はできてても揃って反逆してくるなどの統制力もない。うとまれ馬鹿にされ嫌悪される存在でしかないのだ。
映画は中盤までドキュメンタリーの様相で進んでいる。ヴィカスに起きたこと、しでかしたことを後から関係者がコメントしている形だ。宇宙船の到来からすでに年月が流れた今の、周囲に居住する人々のインタビューで、さっさと出て行けよと言い捨てているのがほとんど有色人種なのが皮肉なところ。狙ってのことだろう。舞台はアパルトヘイトがあった南アフリカだ。差別されていた側が、差別する。人間はそういった生き物なのだと。
けれど、自分たちの税金が膨大に使われてしかも一帯がスラム化してるのだから、その感情も反応も当然でもある。宇宙人の“人権”を保護するよう呼びかけ騒ぎ立てる団体や集団もいるが、それも蚊帳の外だからこそできること。
だがそれ以上にエビ達に対するMNUの扱いは酷くて、明らかに脅したり殺傷したりするのを楽しんでいる。ヴィカスもマスコミや“擁護団体”の手前上、また移送任務の遂行上穏便に進ませるために、部下や実動部隊を諫めたりはするけれど、基本姿勢は同じなのだ。
彼らの“卵”の繁殖場を見つけて引っ張り出し、栄養源を切断して「中絶だ」と笑いながら解説する。取材のカメラ前ということで、終始“受け”を狙っていてライトにしかも自分のエキスパートぶりを誇示して、未知の生物の生態をお見せします番組のように振舞っている様子はムカつく。
ヴィカスは大して有能でも冴えてもいないが、真面目で人がいい凡庸な男という設定だ。そして馬鹿がつくほど愛妻家で、自分を抜擢してくれた義父の娘ーいわば逆玉なんだろうが、を伏し拝むほど愛してるだけの男。
そんな人が好いだけの男も、エビ達への態度はそんなもの。つまりは昆虫扱いなのだ。
映画には脇役以外にはほぼ女性は出てこなくて、メインではヴィカスの妻くらいなのだが影が薄い。今はどんなハードな現場にも女性が進出している時代、とくに西洋社会では当然になっているけれど、ここでは出てこない。
でもそれは、女性にはこんな現場は務まらないという蔑視でも、女性はこんな残虐な仕事はしないというフェミニズムっぽい逆蔑視でも、そうじゃなくこの種の映画には女性の存在は不要としたとか、そういったことではない気がした。
たぶん、シャレにならないからだ。
エビ達に対する人間側の態度は、まさに虫やトカゲをバラバラにして見せに来る男の子の感覚がある。女の子たちは、「そんな可哀相なことやめなさいよ」と言うものの、本当に哀れんでいる子はほとんどいない。男子の子供っぽい残虐さを諫めるのは私たちという感覚と、そんな気持ち悪い物見せに来ないでよ!という嫌悪感。その“女の子側”に観客は当初立たされてる。それは男性も同じだ。
女の子でも虫をバラバラにする子もいるし、男の子でもそんなことはしない子もいる。ここで見せているのは単に分類されてる『側』である。
映画で女性までがエビいじめをしてるシーンがあると、ほんとに人間側に言い訳がきかなくなる。
あくまで、男の子が虫や爬虫類で遊んでいるー感覚があるので、観客はヒト側を責めきれないし、実際宇宙人たちが気色悪いだけでなく感情があるかわからないので気の毒に思えないのだ。
ところが話が進むにつれ、それが覆されてくる。
ヴィカスの次に、もう一人のメインキャラクターとして登場するエビの“クリストファー・ジョンソン”。もちろん名前は地球人が識別のため勝手につけたものだ。だいたいが彼らに固有の名前があるかも疑わしいのだが。でもこのクリストファー、他のエビ達と違い賢い。そして多分に人間的なのだ。彼が秘かに計画し、進めていた母船に乗り込むための連絡船の運転。そのために集めていた液体エネルギーのようなものを浴びて、ヴィカスはエビ化してしまう。
ヴィカスと部下たちが彼にも第10地区への移動のサインを求めにやってきた時も、非常に大人しく理知的に対応する。24時間の考慮猶予があるはずですがまで言う。ヴィカスもさすがに伊達に長いこと彼らと付き合ってはおらず、クリストファーが他の個体よりもはるかに知能も高く侮れないことを読んで対応するのだが。
クリストファーには息子がいる。彼らに雄雌の区別があるのか、女性のエビらしきものが出てこないし、卵は沢山発見され日々増殖し続けてるのが問題になってるが、子供もクリストファーの息子以外は見当たらない。たぶん両性具有で単体繁殖なんだろうとどこかにも書かれてた。
ヴィカスは子供のエビの対応にも慣れている。でもこのクリストファーJrもまた、父親と同様なかなかに賢い。
どんな生き物も、子供は可愛いものだというけれど、この息子もやっぱり可愛いのだ。
でもそれは外見のことじゃない。外見は全くエビのミニチュア版でしかなく、気色悪い触角や口らしきものもそのままだ。Jrじゃなくて、リトルだと書かれてたのもうなずける。
けれど外見は、大きいけれどひとつの要素でしかない。
リトル・クリストファーは、まぎれもない子供、小さな男の子のキャラクターなのだ。
好奇心が大盛で、親のやってることを手伝いたがり、半身が変身してきたヴィカスの腕と自分の腕を比べて『おんなじだよ』と懐く。ヴィカスが嫌悪感もあらわに邪険にしても、めげずにまとわりつく。子供が後半活躍するのも定石だが小気味良い。そしてこの“少年”の存在が、ヴィカスの価値観やそれまでの行動の変化を促すきっかけにもなる。
始めはクリストファーに、自分の体を治せる方法があると聞き、それを求めただけだった。利用するというよりも自分の不運な状況を嘆き恐怖する以外の余裕はないのだ。それは凡人じゃなくたって同じだろう。彼の身勝手なエゴが見ていて嫌だという感想も見たけれど、ヴィカスはヒーローじゃないのでまあ当然な振舞いなのだ。
けれど、父親に『故郷の星に帰るの?』と聞いた息子に、『もう星には帰れない。第10地区に行くんだよ』と答えてパンフレットを見せるクリストファー。親子の様子を見て初めてヴィカスに彼らに対する罪悪感が浮かぶ。20年かけて集めたエネルギーを浴びてしまい、さらにはそれを押収させてしまったので、もう母船に行くチャンスを失わせたのはヴィカス自身だ。そして彼は責任者であったくらいだから、第10地区がさらに酷い場所であることを知り尽くしているのだ。
そのあと、クリストファー親子とヴィカスが協力して、本部にエネルギー奪還に乗り出すところからは、男性陣大喜びのアクション展開。逆切れ状態のヴィカスの反撃は痛快でもあるけれど、PG12指定じゃ無理だろってくらい人体が木っ端微塵に吹っ飛び血しぶきだらけの残虐さ。そういうところがB級SFテイストの醍醐味なんだろうが、さすがにここら辺は好みとは言えない。でも『アイアンマン』化するところは笑ったが。
通常の女性の見方では、私はやはりクリストファー親子とヴィカスの交流に重点を置いての見方になる。
クリストファーはきっと、働き蜂のエビ達の中でも、部隊をまとめる隊長的な存在だったんだろう。他のエビが物をあさり、略奪や喧嘩や事件を起こしている間、こつこつと20年以上も母船に帰る方法を模索して実行しているあたり、アタマだけでなく忍耐力も相当なものだ。
彼自身もまた、始めは気持ち悪い昆虫擬人のひとつでしか見えないのに、話が進むにつれ可愛いというか同情してしまうのが大したもの(笑) 要因のひとつは彼の着ているオレンジ系のベストというか、むしろチョッキ。ハッキリ言って日本でおじいちゃんが着てる袖なしの半テンみたいな物も相当一役買っている。他のエビも変な服着てたり、中にはブラをしてたのもいた。でも女だからしてたんじゃなく、盗んだか何かして単に着てるだけっぽかった。雄雌はないのだと思うので。
でもクリストファーのハンテンは、似合ってる(笑) 彼のキャラクターに合って見えてくるのだ。
そして、親子の会話がいい。ホノグラムのようなもので故郷の太陽系を映してるのをリトルが飽きもせず見ているのを、もういい加減片付けなさい的に諫めるのは全く人間の親子間の会話だ。
また、ヴィカスとMNU内に突入し、ヴィカスが警備員を吹き飛ばしてしまうのに、殺しはしないと言ったのにと、まるで立場が逆。そして同胞の実験体にされた無残な姿を見て茫然自失する。
表情がわからないのに(それくらい顔の中の色々がうごめいている)、うなだれ、立ちすくむところで彼は自失してるんだとわかる。この絶妙さは、クリ―チャ―大好きPJやWETA工房、そして監督の作り方はすごいもんがあると思った。
攻撃されても動かないクリストファーに、「死ぬ気か! 坊やのことを考えろ!」と叫んでしまうヴィカスも、それを聞いてハッと我に返るクリストファーも、もはや種族を超えている。
異種族を越えた友情がテーマなわけではないと思うが、相手を“同類”とみなすことが歩み寄る一歩だとはでている。ヴィカスとクリストファーは利害の一致で協力するのだが、ヒトが相手を同族と思うのは、実は種族とか血族とか、同じ土地で育ったとか以上に、苦難を共に乗り越えた時に、相手を自分と繋がるものとして認識するのではないか。
ヴィカスは決して勇者じゃないし、小物だ。ラスト近くにはクリストファーを見捨てるそぶりもする。けれどそれを責めもせずに行かせるクリスに、ヴィカスの良心がうずく。
人間側の方がはるかに残酷で、半エビ化した彼を既に人間扱いせず実験する化学者や、高値で内臓のすべてに到るまで取引しようとするMNUのトップたち。その最たるが自分の舅なのだが、実の両親や友人もすでに彼を「亡きもの」として扱い、唯一の希望である妻もまた…
ここらへんはまさに、『変身』のザムザそのものだ。
卵から孵化する虫けらとしか思っていなかったエビにも、親子の情や郷愁、哀しむ心があると知り、縁者すべてから見捨てられ追われる者になったヴィカス。
それでも、同じ人間同士でも我が身が一番可愛い、他人はどうでもいいとなるのが人だから、クリストファーを見捨てようともする。
ヴィカスはまだ子供を授かっていなかったが、愛妻との間にできた子供がいたらさぞかし溺愛しただろう。それはもう、どんなことがあってもかなわない。人に戻れたとしても、一生研究され実験されるか、殺されるか。家族も知り合いも彼を受け入れないだろう。
そしてヴィカスは決心する。ラストのヴィカスはへタレなりに、男気を見せる。自分にできなかった子供の分も、クリストファー親子を助けようとする感じが泣かせる。
でも友情とか家族愛とかいうことなど見なくても、男子の喜ぶB級SFアクション大作として充分楽しめる。グロシーンを除けば、なかなかに痛快でもあるのだ。ブラックユーモアや突っ込みどころも多い。エビ達の大好物がキャットフード缶というのも笑える。
その缶詰めを買うために、周辺の人間や店を襲うエビ達。彼らに高額で売りつけ、さらには人間の娼婦まで斡旋する(! 描写はないです)ギャング団。騒ぎのあるところ必ず現れる強欲で醜悪で、でもしたたかに生きる人間も登場させているのも上手いと思う。そして、「苦難を共に乗り越え」ていない他のエビたちも、ヴィカスを同類とみなすあたりの皮肉さも効いている。
異種族間の交流と、主人公が向こう側についてしまう展開で、大ヒット作『アバター』とかぶっているという話は聞いた。『アバター』は見なかったが、それでもわかる“ポカポンタス”風の設定と、魚類に似た異種族は、『第9地区』に比べ見やすいけれど、おきれいごとで植民地支配贖罪的な話感が漂う。
こちらは遥かに醜悪な異星人、地球人のエゴを見せながらも、エビ達すべてではなくもクリストファー親子には同情するし、卑小なへタレ主役のヴィカスのラスト近辺の頑張りを見せるところも、作品としては上なんじゃないかと思った。
ラストは結構意外。展開としてもだが、そのシーンで終わりなの!?という感じ。
ヴィカスとクリストファー親子がどうなったかは、見に行って下さい(笑)
冒頭ちゃんと符線があった。ちょっとじんわりした。
やはり男性客が多かったが、金曜の最終回ということで、会社帰りに待ち合わせたカップルらしい男女も何組もいた。
でもこれをデートムービーにするのは間違ってるよ(^_^;) 彼女が大丈夫なタイプならいいけど。
そうでない人、怒らなかったかな。
そういうわけで、女性にお勧めと言うわけにはいかないですが。でも見る価値は十二分にあると思う。
美しい男たちも、素敵なヒロインもおらず、萌えもない(笑)(クリ―チャ―萌えの人はある)
けれど、すごく視点が変わる。人としてもだが、映画の常套的な見方じゃないものがある。
宇宙人が侵略でなく、人間が上から目線で支配してる世界。
見め麗しいもの以外に、大切なものはあるんだと感じれれば、外見の美しいものもさらに一層綺麗に見えると思うよ。
それから20年余、まったくの厄介者として国の税金を食いつぶし、周辺地域をスラム化させた彼らは、その醜悪で似た外見から“エビ”と呼ばれて蔑まれていた。
2010年どんどん数を増す彼らを、『第10地区』と呼ぶ郊外に移送する決定が下される。多国籍連合MNUが移送業務を請け負い、重役のスミットの娘婿であるヴィカス(シャルト・コプリー)が計画の責任者に抜擢される。
部下と軍部とで第9地区に赴いたヴィカスは、エビ達に移動の了承サインをさせるために奔走するが、そこで一人のエビが作った液体をうっかり浴びてしまう。
その液体には人間も“エビ化”してしまう作用があり、ヴィカスの変容が始まってしまい…
実際、面白かった
が、実際、軽く女性にお勧めはできない(^_^;)
そもそもこういったSF物、とくに気持ちの良くない(柔らかめな言い方)クリ―チャ―物は見てこなかったし、範疇ともしていなかった。
今回なんでこれを見ようかと思ったかと言えば、ひとえにプロ―デュースbyピーター・ジャクソンだからで、キモチワルイ以外に何かを見せてくれるんじゃないかという予感があったからだ。
そのカンはやはり間違いではなかった。
監督は、PJの薫陶を受けたニール・ブロムカンプ。大したオタク監督がまた誕生したみたいだ(笑)
どうしたって映画自体はコアな男子向け。女性でも好きな人もいるだろうし、私も大丈夫で面白く見れたけれど、B級SFファンな男性には相当大手で受け入れられてるようだ。
その人たちが引き合いに出す映画は、名前からしてさっぱりだし、ここはあの映画の踏襲、ここはどれそれのオマージュだ、等々の話もさっぱりなんだけど、ひとつ、映画じゃなくカフカの『変身』もあげられてたのは納得。そしてそこからクローネンバーグ監督の『ザ・フライ』もあげてる人がいたな。クローネンバーグ作品は、近年のヴィゴが出演したクライム物2本しか見ていないんで、往年のそこらあたりのキッツいのはやはり知らない。
主人公のヴィカスが“エビ”化していく様はかなりグロテスクなのだが、それ以前にも嘔吐シーンやエビ達の酷い生活、彼らを“駆逐”する様子や“手違い”で人間が腕をもぎ取られるシーンなどグロいのが多いので、そこだけ嫌悪感を抱くわけじゃない。
そして、その“嫌悪感”というのが問題なのだ。
まずエビ達の外見が非常に気味悪い。生理的嫌悪感をもようすようにできている。こういうのが好きな人はまた別だが。
ところが、その“彼ら”をまさしく虫けらのごとくに扱う人間側がより一層醜悪なのだ。
宇宙船が来た当初は、畏敬を持ってそれなりに接していただろうが、20年以上にも及ぶ『不法滞在』で既に厄介者でしかない。遠い宇宙からやってこれる技術力がありながら、侵略でも友好でもなく単なる占拠でしかないのは、高知能を持つ統率側の種族は死に絶えてしまい、宇宙船の運航に使用されていたいわば働き蜂のエビどもだけが生き残ったのではという推察の設定だから。
なのでエビ達は、さほどの知能があるように見えず、実際会話はできてても揃って反逆してくるなどの統制力もない。うとまれ馬鹿にされ嫌悪される存在でしかないのだ。
映画は中盤までドキュメンタリーの様相で進んでいる。ヴィカスに起きたこと、しでかしたことを後から関係者がコメントしている形だ。宇宙船の到来からすでに年月が流れた今の、周囲に居住する人々のインタビューで、さっさと出て行けよと言い捨てているのがほとんど有色人種なのが皮肉なところ。狙ってのことだろう。舞台はアパルトヘイトがあった南アフリカだ。差別されていた側が、差別する。人間はそういった生き物なのだと。
けれど、自分たちの税金が膨大に使われてしかも一帯がスラム化してるのだから、その感情も反応も当然でもある。宇宙人の“人権”を保護するよう呼びかけ騒ぎ立てる団体や集団もいるが、それも蚊帳の外だからこそできること。
だがそれ以上にエビ達に対するMNUの扱いは酷くて、明らかに脅したり殺傷したりするのを楽しんでいる。ヴィカスもマスコミや“擁護団体”の手前上、また移送任務の遂行上穏便に進ませるために、部下や実動部隊を諫めたりはするけれど、基本姿勢は同じなのだ。
彼らの“卵”の繁殖場を見つけて引っ張り出し、栄養源を切断して「中絶だ」と笑いながら解説する。取材のカメラ前ということで、終始“受け”を狙っていてライトにしかも自分のエキスパートぶりを誇示して、未知の生物の生態をお見せします番組のように振舞っている様子はムカつく。
ヴィカスは大して有能でも冴えてもいないが、真面目で人がいい凡庸な男という設定だ。そして馬鹿がつくほど愛妻家で、自分を抜擢してくれた義父の娘ーいわば逆玉なんだろうが、を伏し拝むほど愛してるだけの男。
そんな人が好いだけの男も、エビ達への態度はそんなもの。つまりは昆虫扱いなのだ。
映画には脇役以外にはほぼ女性は出てこなくて、メインではヴィカスの妻くらいなのだが影が薄い。今はどんなハードな現場にも女性が進出している時代、とくに西洋社会では当然になっているけれど、ここでは出てこない。
でもそれは、女性にはこんな現場は務まらないという蔑視でも、女性はこんな残虐な仕事はしないというフェミニズムっぽい逆蔑視でも、そうじゃなくこの種の映画には女性の存在は不要としたとか、そういったことではない気がした。
たぶん、シャレにならないからだ。
エビ達に対する人間側の態度は、まさに虫やトカゲをバラバラにして見せに来る男の子の感覚がある。女の子たちは、「そんな可哀相なことやめなさいよ」と言うものの、本当に哀れんでいる子はほとんどいない。男子の子供っぽい残虐さを諫めるのは私たちという感覚と、そんな気持ち悪い物見せに来ないでよ!という嫌悪感。その“女の子側”に観客は当初立たされてる。それは男性も同じだ。
女の子でも虫をバラバラにする子もいるし、男の子でもそんなことはしない子もいる。ここで見せているのは単に分類されてる『側』である。
映画で女性までがエビいじめをしてるシーンがあると、ほんとに人間側に言い訳がきかなくなる。
あくまで、男の子が虫や爬虫類で遊んでいるー感覚があるので、観客はヒト側を責めきれないし、実際宇宙人たちが気色悪いだけでなく感情があるかわからないので気の毒に思えないのだ。
ところが話が進むにつれ、それが覆されてくる。
ヴィカスの次に、もう一人のメインキャラクターとして登場するエビの“クリストファー・ジョンソン”。もちろん名前は地球人が識別のため勝手につけたものだ。だいたいが彼らに固有の名前があるかも疑わしいのだが。でもこのクリストファー、他のエビ達と違い賢い。そして多分に人間的なのだ。彼が秘かに計画し、進めていた母船に乗り込むための連絡船の運転。そのために集めていた液体エネルギーのようなものを浴びて、ヴィカスはエビ化してしまう。
ヴィカスと部下たちが彼にも第10地区への移動のサインを求めにやってきた時も、非常に大人しく理知的に対応する。24時間の考慮猶予があるはずですがまで言う。ヴィカスもさすがに伊達に長いこと彼らと付き合ってはおらず、クリストファーが他の個体よりもはるかに知能も高く侮れないことを読んで対応するのだが。
クリストファーには息子がいる。彼らに雄雌の区別があるのか、女性のエビらしきものが出てこないし、卵は沢山発見され日々増殖し続けてるのが問題になってるが、子供もクリストファーの息子以外は見当たらない。たぶん両性具有で単体繁殖なんだろうとどこかにも書かれてた。
ヴィカスは子供のエビの対応にも慣れている。でもこのクリストファーJrもまた、父親と同様なかなかに賢い。
どんな生き物も、子供は可愛いものだというけれど、この息子もやっぱり可愛いのだ。
でもそれは外見のことじゃない。外見は全くエビのミニチュア版でしかなく、気色悪い触角や口らしきものもそのままだ。Jrじゃなくて、リトルだと書かれてたのもうなずける。
けれど外見は、大きいけれどひとつの要素でしかない。
リトル・クリストファーは、まぎれもない子供、小さな男の子のキャラクターなのだ。
好奇心が大盛で、親のやってることを手伝いたがり、半身が変身してきたヴィカスの腕と自分の腕を比べて『おんなじだよ』と懐く。ヴィカスが嫌悪感もあらわに邪険にしても、めげずにまとわりつく。子供が後半活躍するのも定石だが小気味良い。そしてこの“少年”の存在が、ヴィカスの価値観やそれまでの行動の変化を促すきっかけにもなる。
始めはクリストファーに、自分の体を治せる方法があると聞き、それを求めただけだった。利用するというよりも自分の不運な状況を嘆き恐怖する以外の余裕はないのだ。それは凡人じゃなくたって同じだろう。彼の身勝手なエゴが見ていて嫌だという感想も見たけれど、ヴィカスはヒーローじゃないのでまあ当然な振舞いなのだ。
けれど、父親に『故郷の星に帰るの?』と聞いた息子に、『もう星には帰れない。第10地区に行くんだよ』と答えてパンフレットを見せるクリストファー。親子の様子を見て初めてヴィカスに彼らに対する罪悪感が浮かぶ。20年かけて集めたエネルギーを浴びてしまい、さらにはそれを押収させてしまったので、もう母船に行くチャンスを失わせたのはヴィカス自身だ。そして彼は責任者であったくらいだから、第10地区がさらに酷い場所であることを知り尽くしているのだ。
そのあと、クリストファー親子とヴィカスが協力して、本部にエネルギー奪還に乗り出すところからは、男性陣大喜びのアクション展開。逆切れ状態のヴィカスの反撃は痛快でもあるけれど、PG12指定じゃ無理だろってくらい人体が木っ端微塵に吹っ飛び血しぶきだらけの残虐さ。そういうところがB級SFテイストの醍醐味なんだろうが、さすがにここら辺は好みとは言えない。でも『アイアンマン』化するところは笑ったが。
通常の女性の見方では、私はやはりクリストファー親子とヴィカスの交流に重点を置いての見方になる。
クリストファーはきっと、働き蜂のエビ達の中でも、部隊をまとめる隊長的な存在だったんだろう。他のエビが物をあさり、略奪や喧嘩や事件を起こしている間、こつこつと20年以上も母船に帰る方法を模索して実行しているあたり、アタマだけでなく忍耐力も相当なものだ。
彼自身もまた、始めは気持ち悪い昆虫擬人のひとつでしか見えないのに、話が進むにつれ可愛いというか同情してしまうのが大したもの(笑) 要因のひとつは彼の着ているオレンジ系のベストというか、むしろチョッキ。ハッキリ言って日本でおじいちゃんが着てる袖なしの半テンみたいな物も相当一役買っている。他のエビも変な服着てたり、中にはブラをしてたのもいた。でも女だからしてたんじゃなく、盗んだか何かして単に着てるだけっぽかった。雄雌はないのだと思うので。
でもクリストファーのハンテンは、似合ってる(笑) 彼のキャラクターに合って見えてくるのだ。
そして、親子の会話がいい。ホノグラムのようなもので故郷の太陽系を映してるのをリトルが飽きもせず見ているのを、もういい加減片付けなさい的に諫めるのは全く人間の親子間の会話だ。
また、ヴィカスとMNU内に突入し、ヴィカスが警備員を吹き飛ばしてしまうのに、殺しはしないと言ったのにと、まるで立場が逆。そして同胞の実験体にされた無残な姿を見て茫然自失する。
表情がわからないのに(それくらい顔の中の色々がうごめいている)、うなだれ、立ちすくむところで彼は自失してるんだとわかる。この絶妙さは、クリ―チャ―大好きPJやWETA工房、そして監督の作り方はすごいもんがあると思った。
攻撃されても動かないクリストファーに、「死ぬ気か! 坊やのことを考えろ!」と叫んでしまうヴィカスも、それを聞いてハッと我に返るクリストファーも、もはや種族を超えている。
異種族を越えた友情がテーマなわけではないと思うが、相手を“同類”とみなすことが歩み寄る一歩だとはでている。ヴィカスとクリストファーは利害の一致で協力するのだが、ヒトが相手を同族と思うのは、実は種族とか血族とか、同じ土地で育ったとか以上に、苦難を共に乗り越えた時に、相手を自分と繋がるものとして認識するのではないか。
ヴィカスは決して勇者じゃないし、小物だ。ラスト近くにはクリストファーを見捨てるそぶりもする。けれどそれを責めもせずに行かせるクリスに、ヴィカスの良心がうずく。
人間側の方がはるかに残酷で、半エビ化した彼を既に人間扱いせず実験する化学者や、高値で内臓のすべてに到るまで取引しようとするMNUのトップたち。その最たるが自分の舅なのだが、実の両親や友人もすでに彼を「亡きもの」として扱い、唯一の希望である妻もまた…
ここらへんはまさに、『変身』のザムザそのものだ。
卵から孵化する虫けらとしか思っていなかったエビにも、親子の情や郷愁、哀しむ心があると知り、縁者すべてから見捨てられ追われる者になったヴィカス。
それでも、同じ人間同士でも我が身が一番可愛い、他人はどうでもいいとなるのが人だから、クリストファーを見捨てようともする。
ヴィカスはまだ子供を授かっていなかったが、愛妻との間にできた子供がいたらさぞかし溺愛しただろう。それはもう、どんなことがあってもかなわない。人に戻れたとしても、一生研究され実験されるか、殺されるか。家族も知り合いも彼を受け入れないだろう。
そしてヴィカスは決心する。ラストのヴィカスはへタレなりに、男気を見せる。自分にできなかった子供の分も、クリストファー親子を助けようとする感じが泣かせる。
でも友情とか家族愛とかいうことなど見なくても、男子の喜ぶB級SFアクション大作として充分楽しめる。グロシーンを除けば、なかなかに痛快でもあるのだ。ブラックユーモアや突っ込みどころも多い。エビ達の大好物がキャットフード缶というのも笑える。
その缶詰めを買うために、周辺の人間や店を襲うエビ達。彼らに高額で売りつけ、さらには人間の娼婦まで斡旋する(! 描写はないです)ギャング団。騒ぎのあるところ必ず現れる強欲で醜悪で、でもしたたかに生きる人間も登場させているのも上手いと思う。そして、「苦難を共に乗り越え」ていない他のエビたちも、ヴィカスを同類とみなすあたりの皮肉さも効いている。
異種族間の交流と、主人公が向こう側についてしまう展開で、大ヒット作『アバター』とかぶっているという話は聞いた。『アバター』は見なかったが、それでもわかる“ポカポンタス”風の設定と、魚類に似た異種族は、『第9地区』に比べ見やすいけれど、おきれいごとで植民地支配贖罪的な話感が漂う。
こちらは遥かに醜悪な異星人、地球人のエゴを見せながらも、エビ達すべてではなくもクリストファー親子には同情するし、卑小なへタレ主役のヴィカスのラスト近辺の頑張りを見せるところも、作品としては上なんじゃないかと思った。
ラストは結構意外。展開としてもだが、そのシーンで終わりなの!?という感じ。
ヴィカスとクリストファー親子がどうなったかは、見に行って下さい(笑)
冒頭ちゃんと符線があった。ちょっとじんわりした。
やはり男性客が多かったが、金曜の最終回ということで、会社帰りに待ち合わせたカップルらしい男女も何組もいた。
でもこれをデートムービーにするのは間違ってるよ(^_^;) 彼女が大丈夫なタイプならいいけど。
そうでない人、怒らなかったかな。
そういうわけで、女性にお勧めと言うわけにはいかないですが。でも見る価値は十二分にあると思う。
美しい男たちも、素敵なヒロインもおらず、萌えもない(笑)(クリ―チャ―萌えの人はある)
けれど、すごく視点が変わる。人としてもだが、映画の常套的な見方じゃないものがある。
宇宙人が侵略でなく、人間が上から目線で支配してる世界。
見め麗しいもの以外に、大切なものはあるんだと感じれれば、外見の美しいものもさらに一層綺麗に見えると思うよ。
はじめ、山吹さまはエビって何個書いたんだろう?と、真面目に指をおって数えていましたが15個めで、エビになりかけの男の人と子供のエビのことが心配になり数えてる場合じゃないことにやっと気ずきました。顔の表情がいろんな動きがばらばらに動いて悲しいのかどうかわからないのに悲しくみえるというわけのわからないその表情が特にみてみたいです。宇宙人なのに、人間より頭がいいはずなのに(私のイメージ)人間にひどいことされる、エビがかわいそう。男の子がジュースの缶に蛙を入れて爆竹で吹っ飛ばす光景を思い出しました。かわいそうだったけど、やるならみえないとこでやってくれ。その気持ちを思い出してすごい嫌な気持ちになりました。自分のそれをもっとちゃんと引き出したいです。
好物がキャットフードには吹きだしました(笑)ドックフードじゃなくて、猫なんだ(笑)エビー!
山吹さま起きてますか?私は白目を剥いて起きています(気絶寸前)眠気がとれない時のアドバイスは「いいから寝ろ」です。勉強がんばってください!
蔑称だというのに。
そんだけ脳が疲れております。いくつになっても学習は脳を活性化させるなんて、ありゃ大嘘だな!
わたしゃできる限り萌え以外は、団子でも食って横になっていたい。うっかり八兵衛レベル。
時間ができたら〈彼ら〉とか三人称に直しますよ(^_^;)
グロいの平気なら、話は面白いですよ。義父さんクロネン見れるんだよね。あっちの方がグロさより芸術的に殺らかしますが、むしろおっとろしい。
第9はB級テイストのグロです。
ジュース缶に蛙(笑) うちの父は五木鰤(音読み)にライターで火をつけて「燃えろォ~」などとやってましたな。なんの捌け口だったんだ親父さんよ。
机に向かうと白目どころか目が黄色です。黄疸ではなくスパナチュに出てくるアクマさん。
山吹さんの気になる映画が観にいけなくて、な~んも教えてあげられないけど、私が気になってたこの映画行ってきた!
おもしろかった~!最近の3Dより画期的なんでないの?もっと騒いでいい映画だと思うんだけど、世間様は3Dに持ってかれてるのか!
あのとんでもなく高度なテクを持った異星人のビジュは合理的なんだろか?子供はどの種も愛らしいもんだな~(笑)でも、主人公が典型的な俗な男であるのと、実録風撮りでリアリティがあった。あの音楽もなにかのオマージュなんだろな。 主人公、クリべが演ってもおもしろかった気がする。
3D好きじゃないんですよ。メガネがうっとおしい。『カールじいさん』でかけたんですが、じいさん近くに見てもな(笑)
視覚的臨場感より、心理的臨場感を求める山吹ですv
クリストファー親子と他のエビさん達の知能の差は突っ込みますね、ええ(笑) しかしそのごまんとある突っ込みどころをもってしても、結構な面白さだと思うんですがねー。
クリべじゃカッコよすぎっしょ! でも『マシニスト』とかを見ると、いけそうだよな。
変容していくところが逆に真に迫り過ぎて笑いは無い気がする(^_^;) クリスはコメディに向いてないから(笑) リアルカフカだ。
今は指揮者祭りじゃないんですか(笑)
ロシアのおじさんが指揮者の『オーケストラ!』に行けるチャンスが来そうなんです。おごりで。これ楽しみ。