琴似をブラブラと歩いていて、ビックリしてしまった。
なんと、カワイ音楽教室!
え?!ずっとここにあったの!
昔と同じ場所じゃない?もしかして?!
と、個人的に非常に懐かしい琴似の河合音楽教室。
私はまだ幼稚園にも入るずっと前に通っていたところ。
1階は今はブックオフだが、当時は「でんきのコーヨー」か「そうご電器」(どちらにしても北海道民には懐かしすぎる)だったはず。
この30数年の間に様変わりはしているが、もしかして同じ場所で今もやっているのか?!
なにせ30数年前で、
こちらもまだ物心つく前なので記憶らしい記憶もないが、
最初はじゅうたん敷きの広い部屋で、今で言うリトミックみたいなことをやっていたと思う。
その後、上級クラスでエレクトーン(カワイなのでドリマトーンと言うべきか?)のレッスンをやるようになり、俺はこの時
「聞いてないよ~」
と思った記憶がある。
みんなでやんやと遊んでるだけのはずだったのに、急にエレクトーン教室になるなんて。。とがっかりしてしまった。
リトミックみたいなことをやっていた時代は、なんか同じぐらいの歳の男の子と取っ組み合いで戦って遊んでいた記憶がある。
今にも増して大人しい性格だった私だが、体だけは大きかったので、先生かうちの親が、戦いごっこをしている連中に混ざって遊ぶようにけしかけた時、すごくメンドーっつうか、嫌っつうか、なんかそういう感情だったのも覚えている。
結局、体がでかかったので「なんだこいつ、強ぇぞっ!」ってなって、一斉に襲いかかってこられて、一人ずつ投げたり倒したりしたけど、なんか本意ではなかったので切ない気がしていた。
周りの大人は楽しく遊んでいると思って見ていたと思う。
自宅からバスで30分ぐらいの不慣れな街で、よくわからない人の集団で遊ぶのも、なんか自分は嫌だなと思っていたが、そういう経験がなかったら、今もっと集団が苦手だったのだろうか。今でも苦手だけどね。
リトミック的なクラスから、エレクトーンのレッスンに移ると、今までの手前側の広い部屋から、ひとつ奥の狭い部屋に移動した。
エレクトーンがズラッと並んだ部屋の後ろは全面大きな窓で、夕暮れの琴似の繁華街がよく見えた。
写真を見ると窓も一緒じゃないか。
そこでどんな曲をやったとか、どんなことをやったかの記憶はほとんどないが、
最後に「さよなら」の歌を歌う時に、
毎回悲しくて大号泣していたのはよく覚えている。
いやぁ、切ない歌だなぁ。泣かせるわぁ。
とか思いながら。
しばらくして慣れた頃、さよならの歌を歌っても泣かなかった時があり、その時、
「今日は泣かなかったから「スパイダーマン」の本買って」
と図々しい要求を母親にしたのを覚えている。
当時テレビでやっていた八手三郎の日本版「スパイダーマン」が大好きだった。
(ちなみに八手三郎は実在しない)
「チェンジ、レオパルドン!」って言うやつ。
当時はなんて言ってるのかもちろんわからなかった。
ちなみに私は主題歌の7インチと、レオパルドンのオモチャも持っていた(このオモチャは従兄弟にうっかり壊されてしまう)。
Japanese Spider Man + 60´s Comics + National Kid - Compare the openings!
結局しょうがないわねえ、泣かないのが普通なのよ、とか母親がいいながら、帰りのバス停まで歩く途中の小さな本屋で「スパイダーマン」の本を買ってもらった。
今でもその本は持っている。
その後しばらくして、家の近所のヤマハ音楽教室に移籍し、中学に入るまでそこへ通った。
それにしても、懐かしいっすね。