ビエンチャンOL日記☆

ビエンチャンで国際協力と言われている仕事に携わったOL時代の日記です。下のお好きなカテゴリーからご覧ください♪

はっとする一言

2006年04月10日 | 国際協力のこと


 今月はまた、仕事でビエンチャン市の郊外(遠いところは車で3時間)へ
通っています。同じビエンチャン市内と言っても街中とは別世界で、
雨季には川になってしまうようなデコボコの赤土の道を、今にも落ちそうな
橋を越えてたどり着くような、電気も水道も無い村がたくさんあります。
そこの村人との会話から、生活の苦労は伺えますが、それ以上に、
羨ましいなぁ・・・という気持に、いつもなってしまいます。村全体が
大家族のようで(犬、猫も)、誰かに必ず見守られて生きている。自分の
目の前で育った野菜、果物、動物の肉を食べ、太陽の光と、土と緑の匂い
に囲まれている・・・それらが全て無い私の生活は、直感的に異常だ!
と、村から帰ってきた日は、いつも思うのです。
 さて、村訪問は、そのように自分の生活を客観的に振り返ることも
出来る、とても貴重な体験なのですが、村の皆さんとの会話からも、
はっとさせられる事が多々あります。
 先日、ある村の村長さんは、
‘教育(健康教育)に終わりは無い。忘れないためにも、
新しいことを学ぶためにも、ずっと続けていくものだ’
と、話され、ドキッとさせられたのでした。
 明日も村へ行きます。どんな方々と出会うことが出来るのだろう・・・

(写真:郊外の橋。渡れるかな?)

Lao-Japan Communication Plaza(JICafe) オープン!

2006年04月01日 | 国際協力のこと
 
 
  ここ数ヶ月、ラオスでの国際協力活動に関心がある方に、
たくさん出会う機会がありました。大学生だったり、NGOの
職員だったり・・・目を輝かせて話をされる姿から、日々仕事
に追われて忘れがちな‘初心’を思い出させていただきました。
そして私がラオスにはじめてやって来た頃、既にラオスで活動
をされていた方からのアドバイスは、とても貴重なものでした。

 NGO、JICA、UNの職員など、ラオスで既に国際協力活動に
携わっている人々は、このように新しく興味を持たれた皆さん
から声が掛かれば、出来る限りのお話をしたい気持ちはあると
思うのですが、莫大な仕事を抱え、それをこなすことに精一杯で
充分対応できていないのが現実です。

 ・・・そこで、実は昨日、ビエンチャンに面白い場所がOPEN
しました。人と人、情報と情報を繋げて、ラオスでの国際協力活動
や、ラオスと日本の交流を推進していく‘触媒’のような場所を
目指しています。
(数ヶ月間は試運転のような状態です。今後より良い場所に
なっていくように、是非足を運んでご意見・ご感想を下さい☆)

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Lao-Japan Communication Plaza(JICafe) オープン!のお知らせ
 
 ラオスでのODA事業やNGO活動の情報提供、 本邦NGOやJICA
プロジェクトを中心とした各種催しの開催、 またラオスで出版した
図書や紙布織などの販売等々、 役立つ情報から楽しいイベントまで
随時ご提供していきます。
 カフェ風に寛げるスペースもご用意しましたので、みなさま、
ぜひ一度足を運んでみてください。 専属コーデイネーターの優しい
笑顔がお迎えします。

オープン時間: (火)~(金)10:00~18:00 (土)10:00~13:00
日曜・月曜・祝日休み

*6月半ばまでは、日本人コーデイネーターは平日13:00~18:00の
時間帯のみ応対させていたき、 その他の時間帯及び土曜日は、
基本的にラオス人アシスタントコーデイネーターが応対いたします。

【道順】
*メコン河沿いから
インターホテルの角をセタティラート通りに向かって入る。
ワット・チャンサウナ、イタリアンレストラン・ゴンドラを過ぎて
すぐ左手にある3階建て、 ピンク系の建物です。
*セタティラート通りから
ワットインペンとワットオントウの間の通りを入って右手にあります。

ホームページはこちら↓
http://www.jica.go.jp/laos/japan/japandesk/index.html
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(写真:JICafe入り口)

See you on the moon♪

2006年03月26日 | ラオス・OL
 先日、短期の仕事で来ていた日本人が一人帰国しました。
帰国の前々日、ラオス人の職員(女性)が彼女に英語で
ニッコリと一言・・・

‘See you on the moonねっ!’

 ラオスの歌で『遠く離れた場所にいる恋しい人に、見上げた
同じ月の上で会いましょう・・・』という歌詞があるそうです。
洋楽にもあったかしら・・・?

 日本から、簡単には帰ってこられない距離。そんなラオス
に今、ラオス人の仲間がいて、親友がいて、居場所があって・・・
ふと思い出すと、不思議な感じがしますね。

 10年後、私はどこで月を眺めて、誰と月面での再会を
楽しんでいるのだろうかな、なーんて。

サプライズ・パーティー☆

2006年03月19日 | ラオス・OL

  先週、私は2?才の誕生日を迎えました。ビエンチャンの人
たちも、日本人と同じように、バースデーパーティーを開いて、
友人同僚と一緒に美味しいご飯やケーキを食べますが、通常、
誕生日を迎えた人がみんなにご馳走をします。私はと言いますと、
仕事もちょうどドタバタしていた時期でしたので、実は何も
用意していませんでした・・・。

 さて誕生日の朝、普通に通勤して普通に仕事をして、いつものよう
に、お昼ご飯を食べようと1階に下りていくと、何だかラオス人の
みんながニヤニヤしています・・・?呼び止められて、少し世間話
をしていたら、両手一杯にご馳走を抱えたラオス人のお姉さんが、
外から帰ってきました!そして満面の笑みで
‘サプライズパーティーよ!’ と。

 私の誕生会兼、短期の仕事できていた日本人のお姉さんの送別会
を、こっそり計画していたとのことです。しばらくすると、離れた
オフィスにいるラオス人の副局長さんも、大きなバラとユリの花束を
2つ持って登場。・・・ハッピーバースデーの歌をみんなが歌って
くれて、私は涙がポロポロ、、、みんなの中で生きていることが、
本当に嬉しいです。

そして、私を生んでくれたお母さんお父さん、ありがとう☆☆☆

(写真:ラオス・バースデーケーキ♪)

女性の日

2006年03月13日 | ラオス・OL
  3月8日は‘女性の日’でした。ビエンチャンの人々は、
女性に限らず、職場の仲間や友人家族と一緒にパーティーを
楽しんだり、郊外の自然の美しい場所へピクニックに行ったり
します。(ラオスの場合ピクニックとは通常、自然の中を歩く
ことではなく、景色のよい場所でご飯を食べながらゆったりと
過ごすことを言います♪)

 私たちの職場でも、3月7日に川辺にピクニックへ行きまし
た。(そして8日の祝日は、みんなしっかりと休みました:笑)
同事務所内のメンバーのみではなく、局全体の人が行きました
ので、100人は超えていたでしょうか。魚を焼き、青いパパイヤ
のサラダをつまみ、お酒が回り、踊り乱れてグルグル回り、
普段、事務所での真面目な顔はどこへやら・・・?(笑)
さながら、大家族です。

 さて翌朝8日、‘誰だと思う~~?’という、陽気な、怪し
い電話がかかってきました。少し警戒しながら話していると、
相手はラオス人の副局長さんではありませんか!昨日、仕事
のため途中で帰ってしまったことのお詫びと
‘女性の日おめでとう!’
の一言を告げるために、電話を下さったのです。私以外の、
3人の日本人スタッフにも電話をされたとのことです・・・

 ここの職場で働き始めて3ヶ月、大家族の一員になって
きていることを感じる、ひと時でした。

ビエンチャンっ子は

2006年03月05日 | ラオス・不思議
 最近、ビエンチャンの高校生の間に徐々に広まっている
のは、アディダスのスーパースターを真似たスニーカー。
紐の色をピンクや黄緑など、好きな色に変えて楽しんでます。
ズボンを腰ではき、少しフェミニンなTシャツを着たり
した、中々のオシャレ君も見かけます。

 市場に売られている服は、日本で流行っている形と同じもの
が、数ヶ月遅れで入ってきているように思います。3ヶ月前
ビエンチャンに戻ってきた頃、市場ではボレロ風の、ショート丈
の女性服がいっぱい売られていました。

 ここビエンチャンではお隣の国タイのTVが見られまして、
(ラオス語タイ語はほぼ同じです)、日本や韓国のドラマが
たくさん放送されています。ビエンチャンっ子は日本の芸能人も
大好きで、貸し本屋で、タイで発行されている日本の芸能情報誌
(Myojyoみたいな雰囲気)を借りてきて、読んだりもしています。
貸し本屋には、同じくタイ語に訳された、日本のあらゆるジャンルの
漫画が並べられています。男女共に人気なのは‘スラムダンク’
かしら・・・。

 550万人いるラオス人の中で、このような生活をしている若者
は、ほんの一部に過ぎません。山奥でも東京の子と同じスタイルで
生活している日本の若者に見慣れてきたので、同じ国内に、全く
違う外見、中身の生活をしいる若者がいることに、少し戸惑って
しまいます。ただ、日本と同じことは、都会暮らしになれば問題が
全て無くなる訳ではなく、街には街の危険が若者の周りにいっぱい
あるということです・・・。

ネールアート☆

2006年02月25日 | ラオス・OL


 昼休みも終わり頃、隣の部屋のラオス人のお姉さんが、大きめの
ポーチを抱えてニコニコとやってきました。ポーチ中には、カラフル
なマニキュアがいっぱい詰まっていました!

 先月頃から、お姉さんの爪には毎日かわいらしい花が描かれてい
ます。どこで描いたのか聞いたところ、自分でやっているとのこと。
‘うわ~っ’と、私たち日本人が羨ましそうに見たことを、覚えていて
くれたのでしょう。事務所内に、プ~ンとマニキュア独特のにおいが
広がり、日本人のお姉さんの爪は、クリームピンクの下地に白の花の、
何とも美味しそうな柄に仕上がりました。。。
 
 ラオス人のお姉さんは、友達がやっているのを見て覚えたそう。
ポーチにたくさん入っていたマニキュアも、友達と共同で買って、
一緒に使っているとのことです。

 ずっと以前から、オシャレなラオス人女性はマニキュアを塗って
いますが、絵を描くようになったのは、ここ1~2年だと思います。
ちょうど1年半程前に、職業訓練などを行っている日本のNGOが、
コースの1つとして、ビエンチャンでネールアート教室をやった頃、
爆発的に増えたように覚えています。コースで習っていない人も、
友達の爪や雑誌を見たりして、見よう見まねで始めていったので
しょう。マニキュアは、ここビエンチャンでは1本2,000~3,000Kip
(=約30円)、子供のお小遣いでも買えるぐらいの値段です。

 話は飛びますが、実は、ビエンチャンにはサルサ教室があります。
5~6年前、仕事でラオスに来ていた外国人がアフター5で教え始め、
彼らが帰国した後も、やめたくなかったラオス人生徒数名が、自ら
インターネットやビデオ等で技を学び、今は先生となって、楽しく
教えています。以前教えていた外国人の先生よりも、上手なんです!

 ・・・一方、国際協力のプロジェクトは、外国人が帰った後に
活動が持続しないという話をよく聞きます。本当に必要とされている
もので、条件さえ揃っていれば、本来は勝手に続いていくはずなの
では・・・?

 外国人が帰国した後、活動がブッツリと途切れてしまうのを、
相手のせいにすることは簡単ですが、今一度、自分のやってきた
ことを振り返りたな、と。

(写真:市場に山積み・マニキュア)

忙しい日々

2006年02月19日 | ラオス・OL
 朝、重たい書類カバンを抱え、ある事務所へ小走りで
向かう途中、国立博物館前の歩道に、チャンパーの花が
たくさん散っていました。花びらは白く、中央はハッとする
ような黄色のとても可憐な花です。ラオスの国花なの
ですが、日本語名は何だったかしら・・・?
 今月に入り、ボ~っとできる時間があまり無い日々を
過ごしています。日々何かに追われ、周囲の様子がだんだん
見えなくなってしまっています・・・
 そんなことを、はっと気付かせてくれた、かわいい
かわいいチャンパーでした。
 日本の桜、何年も見てないなぁ・・

お勧めブログ・HP②

2006年02月10日 | ☆お勧めブログ・HP
今日はまたひとつ、ラオスに関するHPを
ご紹介します。先日、はじめて覗いてみたのですが、
全文、一気に読んでしまいました・・・
仕事で時々地方へ行くことはあるのですが、
表面をチラッと見ているだけなんだなぁ、、、と。
ビエンチャンの都会?ライフは、ラオス全体から見たら、
本当に、ほんの一部なんですね。↓

★『Little Letter form Laos…』
http://members.at.infoseek.co.jp/kengchang/

・・・‘モン族の少女’の文章には、特に胸が
ギュッとなりました。

*オーナーの了解も得ています。

足音

2006年02月05日 | ラオス・OL
 先ほど、下の階に住んでいる日本人のご夫妻から、こんな話を
聞きました。

 今日、私が階段を下りたところですれ違ったラオス人の女の子が
そのご夫妻に‘今日は彼女、お仕事じゃないのね’と、話したそう。
今日は日曜日なので当然です。何故そんなこと聞くのかな?と思い、
女の子に尋ねたところ‘ゆっくり降りてきたから’・・・と、答えた
そう。

 話をご夫妻から聞いたとき、思わず笑ってしまいました。
そういえば私、ここに住み始めてから、ゆっくり階段を下りた日は
どれぐらいあったのかしら、な~んて。

私って、貧しかったの!?

2006年01月31日 | 国際協力のこと
ビエンチャン中心地では通勤は車かバイクが中心です。なので、
車で涼しげに走り去る人を横目に、赤土を全身に浴びながら息を
荒げて自転車通勤するのは、実は、毎日ちょこっと恥ずかしいで
す。。。

自分に色々と利点を言い聞かせながら、自転車をいそいそと走ら
せていた時、ふと大学時代に読んだ、『ルサンチマンの哲学』という
本を思い出しました。

お腹をすかせたキツネが葡萄を見つける。取ろうとしたが、どうして
も届かない。立ち去りぎわに一言、「あの葡萄は、まだ熟れていないん
だ!」と。・・・ここまではイソップ物語ですが、「甘いものを食べない
生き方こそ善い生き方だから、自分は正しい行為をした。あの葡萄を
取って食べた奴は悪だ!」と、自分に言い聞かせること、・・・価値を
作り変えることで自分を正当化し、ひそかに勝利をかすめとる方法を
ルサンチマンと呼ぶのだとか。

・・・しかし、どんなにがんばっても、葡萄の魅力に勝る価値を
見出せない場合(葡萄があまりにも魅力的)は、どうなるのでしょうか。

 ラオス在住の外国人の多くは‘国際協力’の畑で働いていると思う
のですが、自分が美味しそうな葡萄を、日々、ここの国の人々に見せて
いること、どれだけ意識しているでしょうか。同じプロジェクト
の中でも、ラオス人公務員のお給料は30$、外国の団体が直接
雇ったラオス人職員のお給料は300$で、私たち外国人は3,000$
のお給料をもらっているということは、よくある話です。もちろん、
ラオス人公務員には他に福利厚生があったり、私たち外国人は、国に
帰ったときに物価の差があるので、この金額の差がそのまま、格差の大きさ
を表しているとは言えませんが、大きな差を感じさせている事は確かです。
正当な理由があるのでこのような状態を継続している(変えると別の不平等
が生まれる)と思うのですが、それならばせめて、私たちはもうちょっと葡萄
を隠すことはできないのかしら・・・?

 通勤ですれ違う車の多くは、外国人運転の素敵なもの、ビエンチャンの
街中は、外国人が集まる素敵なレストランやお土産屋で溢れている・・・
現状は変えられなくても、なんだかおかしいゾ・・・という感覚、いつまでも
キープしていたいのです。

 自転車通勤の恥ずかしさ→価値転換→ひそかな勝利!の構図が許される
私は、まだまだとても幸せなレベルです。

☆エナジャイザー(活力剤)

2006年01月25日 | ラオス・不思議
これまで、ラオス人が開催する教育や保健医療関係の
研修を、何度か見学させていただいたことがあります。
どの研修でも、始まる時や休み時間の後などに必ず
あったのは、‘サーンバンニャカード’・・・日本語に
直訳すると、‘雰囲気作り’という感じでしょうか。

みんなが席についたら‘さあさあ、今日は誰が歌おうか?’
‘おーい、誰か話してよ~’と、ワイワイ話し出します。
選ばれた人の歌に合わせてみんなで手拍子したり踊った
り、面白い持ちネタを落語家のように話してくれる人が
いたりしまして、場の雰囲気が、ぶわっと盛り上がるの
です。誰が指名されても断ることはほとんどなく、即興
でみんなを上手に盛り上げます・・・凄い。

 朝や昼食後など,まぶたの重い時間帯にお堅い(?)
研修をそのまま受けては、内容の吸収は難しいですよね。
だから、先にワイワイ盛り上がって、脳ミソと心を活発に
しておくこのやり方は、賢いですよね。

 このように、アイスブレーキングとか、エナジャイザー
とか言われているようなことを、当然のように毎回やって
いるラオス人、一体このルーツはどこからなのかしら・・・?
どなたか知らないですか?

ほっとかないラオス人

2006年01月21日 | ラオス・不思議
今週は風邪でダウン・・・水曜日、はじめてお休みを
いただきました。

 部屋で一人寂しく寝ていたら、夕方、同僚の日本人の
お姉さんから電話が掛かってきました。ラオス人スタッフ
みんながお見舞いに行きたいと話しているとのこと。1人
暮らしなら尚更、弱っているときに1人にはさせられないわ、
と。寝巻き姿で髪の毛ボサボサ、頭フラフラの状態で
何のおもてなしも出来ないのでお断りしたのですが、電話の後、
何だか嬉しくて笑ってしまいました。その後、日本人のお姉さんは、
彼女からの差し入れと一緒に、ラオス人スタッフみんなからの
お見舞い、私の大好きな甘いお菓子を届けてくれました・・・

 日本人の友人が熱を出した時も同じです。大丈夫だと言っても、
ラオス人の友達は1人にさせられないわと、部屋から絶対に
離れようとしませんでした。日本人的には、かえって気を使わ
せてしまうので休ませてあげましょう、となるのでしょうが(笑)
彼女も苦笑いしながら、なんだか嬉しそうでした。。。

 薬を飲んで一人寂しく寝ているよりも、友達に囲まれ、
気は使いながらも気は紛れ、笑いながらいるほうが回復
は早いのかも?・・・かしら。

ピンクの名刺

2006年01月16日 | ラオス・OL
 あるラオスの行政機関の課長さんから頂いた名刺は、
薄ピンクの光沢紙に青い文字、そして、ほんのりと良い
香りがしました・・・!?
しかし、実はこれは、あまり珍しいことではないの
です。ラオス人の名刺は、時々(頻繁に?)良い香り
がしまして、しかも、薄ピンク、水色など、それは
それは、綺麗な色の紙を好んで使います。はじめの頃は、
本当に驚きました。

 ラオス人は一般的に、明るく鮮やかな色、そして、
たくさん色を使うことを好みます。街中のコンクリート
の家は時々、リカちゃんハウスのようなパステル
カラーでかわいくペンキが塗られています。

 街中でも田舎でも、女性はよくシン(伝統的巻き
スカート)をはいていますが、様々な色の糸で織られて
いることが多く、艶やかで綺麗です。。。
 これまで観察してきたところ、日本からやってきた
ばかりの日本人女性が初めに買うシンは、2色ぐらい
しか使っていない機械織りのシンプルな柄のものが多い
です。・・・が、不思議なことに、ラオスに長く滞在して
いるうちに、はじめは抵抗があった、色のたくさん使わ
れた、織りの細かい派手目のシンが、好きになっていく
のです。先日も日本人の友人と、ラオスに来たばかりの
頃に買ったシンは、恥ずかしくてはけないのよね~、と
話しました。。。

 落ち着いた色が好みの日本人の私としては、ラオス
滞在が3年以上過ぎた今でも、時々笑ってしまう事があり
ますが、その度に、色自体に元々価値があるのではなく、
相手に心地良く感じてもらうことに価値があるのだなぁ、と、
しみじみ感じるのでした。

 数ヵ月後には、私もピンクの名刺を作っている
かしら・・・!?

外部者は痛くない?

2006年01月11日 | 国際協力のこと
 今回ラオスに戻る前に、ある本を読みました。1970年代
初頭、アメリカ陸軍グリン・ベレーにいた日本人の筆者が
参加した、当時のラオス共産勢力のリーダーの一人、
スパヌヴォン殿下暗殺計画の全貌をつづった、ノンフィク
ションの小説です。(実際にどこまでノンフィクションで
あるかは疑問が残りますが・・・)
森の中での共産軍との戦い様子など、暗殺計画準備から
実行までの様子が、とてもリアルに書かれていました。
正直、読んだ時は嫌悪感がありました。

 軍人だからこそ、それを考えてはいけないのでしょうが、
殺した相手1人1人の人生は、全くお構い無しです。また、
その時代にラオス中に撒かれた地雷や爆弾は、30年経った今も、
多くの村人の命を奪っています。先日もルアンパバーンで、
山に入った子供を含む村人が不発弾の爆発により、8人死亡
したと新聞に書かれていました。

‘国際協力’と言われる仕事に携わっている私とは、全く
別世界のことだと思ったのですが、奇妙な共通点に、実は
ゾクッとしたのです・・・。

 1つ目は、筆者が作戦に参加した心情的動機です。以下
のように述べています。
‘私は今いるラオス王国が気にいっていた。気候は少し
暑いが、ゆったり流れるメコンを眺めていると、日常生活
に追われた東京時代が信じられなかった。引退したらこの
地に住みたいと思い始めていたところである。それだけに
この国家が崩壊して欲しくなかった。だからどうしたら
その事態を防げるか、真剣に考えを巡らせていた。’
・・・筆者も、ラオスが‘より良い国’になることを願って
いるのです。

 2つ目は、筆者も私も、例え計画が失敗しても、日本に
帰ってしまえば自分自身は痛くも痒くもない‘外部者’
であるということです。それにも関わらず、この国の人々
の将来を左右するような事に(私はそんなに大きいこと
はやっていませんが)首を突っ込む事に、何の疑問も
持っていないこと・・・

 実は、見習うべきだと感じた点もありました。
例えば、計画段階において、開始後考えられる最悪パターン
を全て洗い出し、対処方法を先に考え、更にそれでも予測
不能な悪い事態が起こりうるということを、常に念頭に
置いている点です。ありとあらゆる情報を集め、自らの肉体
も鍛え、論理的に判断し計画を進めている彼等でさえ、
目標達成には非常に苦労し、命を落とした仲間もいます。
それに比べ、国際協力のプロジェクトは・・・?
命をかけている彼らと比べたら、情報収集や最悪パターン
の把握は甘いものでしょう。目標が達成できなかった時、
私たちは誰かのせいにすることができますが、戦場だった
ら、命を落としかねます。

 当時の筆者は30代前半、今ラオスでは、同じ世代の
のたくさんの日本人が‘国際協力活動’で汗を流して
います。