goo blog サービス終了のお知らせ 

働いて食って寝るだけの窓@函館

不況のドン底に叩き込まれた函館で暮らすワーキングプアなプロレタリアートが取るに足らない日常をいい加減に綴る! 

彼女に喝采を

2013-06-12 10:01:27 | Weblog
デルズのマーヴィン・ジュニアが5月29日に死去したと知ったのは6月に入ってしばらく経ってからだった。おそらく、俺は彼の命日を絶対に忘れない。
それほどデルズに傾倒していたから?
いや、デルズは好きなグループだがそこまでには至らなく、ではなぜかといえば同じ日にジュリーという我が家の猫が死んだからだ。

今日で2週間が経つ。

いま、このブログと並行してやっているアメブロ(基本的に音楽専門)でジュリーとの追憶を書いている。

① http://ameblo.jp/toukonsoul/entry-11540603413.html
② http://ameblo.jp/toukonsoul/entry-11540947054.html
③ http://ameblo.jp/toukonsoul/entry-11541070253.html
④ http://ameblo.jp/toukonsoul/entry-11541258147.html
⑤ http://ameblo.jp/toukonsoul/entry-11541318409.html
⑥ http://ameblo.jp/toukonsoul/entry-11541881159.html
⑦ http://ameblo.jp/toukonsoul/entry-11542287854.html
⑧ http://ameblo.jp/toukonsoul/entry-11549584041.html
⑨ http://ameblo.jp/toukonsoul/entry-11549599008.html
⑩ http://ameblo.jp/toukonsoul/entry-11549792886.html

①で記しているが、ジュリーと出会ったのは2004年の1月か2月で、恐らくGの帰りだったはずだ。父親が死んだのもその頃だが、正直、肉親の死よりも今回のほうがつらい。想像を上回る悲しさだ。

ジュリーを火葬したあとで、娘をつれてジュリーと出会った函館信金松風支店前まで行ってみたのだった。あのあたり一帯はほとんどなにもなくなってしまい、更地が目立つというよりはわずかに残った建物のほうが目を引く。路地が消滅してしまって、浅草通りなどなくなってしまった。そういえば昔、浅草通りにあった怪しい飲み屋で・・・いや、これについては別の機会に書こう。

函信の松風支店があったのはどこだっただろうか?
恐らくアーケードが途切れているあたりだったと思うが、本当に無常だ。
交差点のキングベーク跡から角の美容室があったところまで、一軒を遺してものの見事に消滅してしまっている。なにかに生まれ変わりさえしないし、そんな気配はない。つい数年前まで、シャッターが降りつつも建物は普通に並んでいたのだ。
ジュリーを失ったこともそうだが、あたりまえにあったものが姿かたちをなくしてしまったとき、終わってしまってから怒涛のように後悔や喪失感が押し寄せる。



誰よりも勇敢な漢

2013-06-10 15:51:59 | Weblog
大門のGに行ってきた。30年ほど営業している老舗の音楽バーだ。

数年ぶりのことだ。以前はよく通っていたが、ここ数年は財務や育児上の都合で、飲みに出かけるという選択肢がほぼ完全に消滅していた。

もっとも、クルマで足を運んだから飲んだわけではない。コーヒーだ。
マスターは相変わらずだった。数年ぶりだからバツが悪い思いをするかと危ぶんでいたが、いざ顔を合わせてみると気まずさも懐かしさも沸かず、お互いに先週来たのと変わらないような態度で、いつものようなことを話した。

ただ、しばらく会わなかった年月をまったく感じなかったといえば嘘だ。共通の知人の消息について話題になると、毎日が同じくりかえしのようでいて、しかし確実に数年なりの年月が重なっているのだということを痛感させられた。あんまりいい話はない。つぶれた話やなくなった話、食い詰めていなくなった話ばかりだ。

途中から、マスターは去年出たボビー・ウーマックの「The Bravest Man In The Universe」をかけた。
なぜか、大門といえばボビー・ウーマックやオーティス・クレイが似合うような気がしている。この店のせいだろうか? でもオーティス・クレイはあんまりかけないよな。


俺は去年、スカパーで放送した来日ライブのことを話した。
介助なしでステージを昇降できないほど老いさらばえた姿が衝撃だったこと、しかしそんな姿からは信じられないほど声は出ていたこと。

『The Bravest Man In The Universe』のリリース数ヶ月前から、ボビーの公式サイトで「Please Forgive My Heart」のmp3が無料で配布されていた。あの1曲を聴いたときにはソロモン・バークのラスト・アルバムである『Nothing Impossible』を思い出した。
つくづく俺はソロモン・バークが幸福なソウル・シンガーだと思っているが、それというのも最後にあのようなアルバムを遺すことが出来たからだ。ウィルソン・ピケットにはそれがなかった。

実際に届いた『Bravest Man~』は悪くはなかったが、ソロモン・バークの『Nothing~』に相当するかといえば否である。ボビー・ウーマックは、完璧なソウル・シンガーであるために最後の最後に最上の一枚を遺さなければならない。去年は来日後に癌の手術もしたし、冬には進行しているアルハイマーへの不安を告白していた。それでもラスト・ソウルマンゆえボビーは極上のアルバムを作らなければならない。

今年もボビーは来日した。中継がなかったので実際には確認していないが、webなどから入る情報ではどうも体調は芳しくなさそうだ。しかし出来はよかったという。ならば、と今後の作品に期待してしまうのはファンならではの幻想からか、それとも他人ゆえの無責任さだろうか。

普段はあんまり出来ない話題で、やっぱり楽しかったな。
また遊びに行きます。
今度は酒を。

大門を買い占めよう

2013-06-09 12:10:15 | Weblog
恥を忍んで記すが、このところえらく仕事が暇だ。理由はわからない。いや、ほんとうはわかっているかも知れないが、それは何かに責任転嫁するだけか、あるいは現実以上に自分を責め立てることにしかならないから、考えあぐねても詮無い。
いずれにせよ、ここしばらくの状況は精神的にも、経済的にも、とてもつらい。

放置しておいたログを見ると、この5年で函館を含めたさまざまなものがかなり変わってしまったことを痛感させられる。辛辣なことを書いた清志郎は亡くなった。引退試合を褒めた新田明臣とは、たった一度だけだが縁あって一緒に仕事することが出来た。全日本キックはなくなり、「大人に媚びるガキ」呼ばわりしたヒロヤは現役であるものの恐らく大成しそうにない。29万人を割ったばかりだったはずの人口は27万5千まで減少した。

そして大門。あまりの寂れ具合に足を運ぶと頭にくると感じたあそこは、もう腹さえ立たない。きのう、暇の挙句に足を運んで徘徊してみた。泣きたくなる。5月29日に猫が死んだ。電車通り沿いの函館信金の前で拾ったのだが、すでに函館信金は跡地すらない。そこはもうほとんど壊滅的だ。更地が増えた、という表現はもう通り越して、更地しかない。旅行者が見たら罹災地に見えるのでないだろうか。

祇園通りも元あおい寿司から市役所側は、やはり絶望的なまでに更地。たまに裏道として自動車で通りかかることがあるけれど、歩いてみると余計に生々しく映る。
裏通りを歩くとスナック跡地が解体中。多くのガラにまぎれて、鹿の首の剥製が表に放り出されていた。この鹿に見守られて飲んでいた人たちはいまなにをしているのだろうか?いずれにせよ、俺が東京から引き上げた時点で既に廃墟同然だった物件だ。


グリーンベルト沿いを歩くと松園ビルの解体があらかた終わりつつあった。「ニューシネマパラダイス」の、パラダイス座が取り壊されるシーンを想起せずにいられなかった。明らかな終焉を眼前に呆然と立ち尽くすしかない己。隣の赤ちょうちん跡地はいつまで建物が残されるのだろう。


チルという猫を拾ってきた柳小路もうろついてみた。代名詞の連なっていた柳の木は、最早杉の子の前にしか残っていない。
「これしかなかったっけ?」と嫁さんにいうと、通りすがりのおじいさんが話しかけてきた。余りにも大きくなりすぎたため、代わりに若い樹を植え替えたのだそうだ。元の柳の木はおじいさんが子供の頃、60年以上も前に植えられたのだという。
「その頃は賑やかで・・・いまじゃ面影もねえけどな」


柳小路では猫を見なかった。あれほどたくさん住み着いていたのに。ウチの大吉のルーツと思しきハチワレの猫なんか、うんざりするほどたくさんいたのに!

ちっきしょー、金さえあるなら俺が大門を買い占めて30年前、いや、せめて10年前ぐらいまで戻してやりたいよ。生きていることすらようやくなのに、一瞬本気で考えてしまう。あのあちこちに散らばる広大な更地は函館の恥で、俺たちの屈辱だ。



久しぶりに会った人

2013-06-08 23:16:32 | Weblog
「函館 大門」で検索したら、見たことがあるようなブログがヒットした。デジャブ。って、当然すぎるぜずっと昔の俺のブログだもの。
2008年だって。5年以上前に放置していたんだな。いいや、これもなにかの縁だ。いい機会だからブログ再開するよ。

今日、6,7年ぶりのある人を訪ねた。Yさんとしておく。半月ほど前にふとした場所である人と偶然に再会し、Yさんの話題になったのだ。Yさんとは子供がうまれてからは一度も会っていない。
仕事でYさんの仕事場の周囲に行くことがままあり、立ち寄ろうとも思ってはみたが、なんとなく疎遠になってからはバツが悪くて足を向けられないでいた。

唐突に姿を現した俺を見て、Yさんは喜んでくれた。
本人が認めているように白髪が増えたけれど、相変わらずのキャラクターでよく喋った。いまは朝にアルバイトをしているというが、久しぶりに人に使われて気づいたことが多いという前向きな観点には俺も勉強になった。パワフルな人だ。Yさんを訪ねてよかった。本当にありがとうございました。
今度、絶対に飲みましょう。

気合forガルシア・マルケス

2008-02-28 00:30:48 | Weblog
今日は格通・ゴン格・テレビ雑誌を購入。
低気圧がもたらした悪天候の影響で、土曜発売の雑誌が本日発売になった。
通常、函館は東京よりも2日遅れて書籍が入荷する。
10代の頃はその事実が許せなかった。
サブカルチャーの情報が活字の中にしかなかった時代だ。
今回のように四日遅れという事態に遭遇していたら、数日間ずっとド田舎に生まれ育った身の上を呪い続けていただろう。

月曜日はしょうがなくガルシア・マルケスの「コレラの時代の愛」を購入した。
小説を購入するのは久しぶりだし、身を入れて読書に取り組むこともしばらくなかった。
まだ感想は述べない。読了には最短でも一週間を要するだろう。
かつてよりも文章を読むスピード&理解力が落ちている。何より集中力。

インターネットをはじめてからというもの、ただでさえくだらない自分がますますどうしようもなくなった。
もっと本を読んで、映画を見て、外で遊んで、酔っ払っておネエちゃんをからかおうと思う。
ネットをやるようになる前の方が日常が刺激に満ちていた。
本の中に、映画に、音楽に、外に、酒場に楽しみは溢れていた。
いや、そうでなくてはならない。
もっと気合を入れてマルケスを読もう。

こんなんじゃいけない。



ボロックス

2008-02-17 00:22:04 | Weblog
函館の生活保護受給者は2万人に達していると聞いた。
人口数が29万だから、15人に1人以上が生活保護?
いくら何でもホントかよ!? そう驚くが、反射的に嘘だと全否定出来ないのが函館。検索してみると2004年の時点で生活保護受給者は1万1千人弱。どっちにしろ29人に1人が生活保護ということになる。
それ以降、不景気はとどまることを知らないから、2万人は大袈裟にしろそれなりに世界保護受給者の数は増えているのだろう・・・と記してから、生活保護の申請を市に断られ自殺した人がいた事件を思い出した。2006年のことだ。ろくに調査もしないで、不正受給に等しい輩に生活保護をポンポン払って切実に求めている人を死なせる。これもまた函館という街の体質だ。

それまで長く市長を勤めていた井上前市長を圧倒的な大差で落として、西尾新市長が誕生したのは昨年のことだ。あれ? 一昨年かな? どうでもいいや。とにかく記憶にあるのは、当確が出た瞬間にマイクを向けられた西尾氏が「働きやすい役所を・・・」などと役所のことばかりに重きを置いた発言をくり返していたことだった。実際には役所云々は発言の一つだったかも知れないが、市民よりも役所が大事なのかと俺は苦笑せずにいられなかった。西尾氏は市の助役だった。

スカパーでピストルズのドキュメントを見た。
既にDVDで持っているのだが、見る度に打ちのめされる。
何度も見た映像、聞いた楽曲、知っているエピソード。にもかかわらず見るにつれて別の角度から打ちつけて来る。ピストルズは特別なバンドだ。
ピストルズはあらゆる意味で最高のロックバンドであり、『勝手にしやがれ』は最高のロックアルバムであり、そしてピストルズのエピソードは最高の物語だったと思う。

「俺の道化は笑えないが、このアルバムは笑える。笑えるってことは価値があるってことだ」

冒頭でジョン・ライドンが言った。この瞬間に俺はまたしても顎を引いてブラウン管を凝視するしかなくなる。函館は笑えない。何の価値もない。








大人に媚びるガキは嫌いだ

2008-02-15 01:00:00 | Weblog
さ、さ、さ、さ、寒い&どうしようもなくヒマだ。
今月の支払いなど諸々を考えると頭が痛い。

今日はバレンタインだが嫁はチョコをくれない。
というよりも、俺は嫁からチョコをもらった記憶がない。
いくらなんでも一度ももらわなかったことはないはずだが、要するに世間一般の風習を重視する価値観を我が夫婦は持たないのである。クリスマスも、誕生日も例外ではない。
俺は25歳を過ぎてから誕生日などどうでもよくなった。祝われても迷惑だとさえ思っている。オッサンになるのが嬉しいわけがない。従って、嫁も誕生日などが嬉しいわけがないと勝手に決め付けている。俺は嫁の誕生日に何かを買ってやったことがない(わけがないが、具体的に何を買ったか記憶にない)。嫁も俺の誕生日に何かを買ってくれたことがない(単に覚えていないだけだが)。

既に風化しかかっているが、昨年8月に起こった函館リンチ殺人事件の公判が報じられたのは昨日の朝刊だった。
「警察に話されたらやばい。死んでくれたら助かるね」と仲間に話していたとガキが法廷で述べたと報道されている。
警察などを恐れるならはじめからしなければいい。
俺の子どもがやがて大きくなり、暴力という形で晴らすしかない鬱屈を抱えたなら、自分よりも弱い相手と大勢で寄って集って攻撃するいじめなどという形で晴らすならば、俺を刺せと思う。俺や、俺のような大人を殺せばいい。
これは極論というよりも暴論だが、権力とか、地位とか、金とか、そういったものを振りかざす大人を殺せばいいと思っている。ダサくて弱いものを蔑む心理は理解出来るが、共感は出来ない。権力、地位、名誉、経済力、そうしたものへ対する反感や敵意を抱くのは理解も共感も出来る。ガキの敵はガキじゃない。大人だ。いいオッサンになった今でも、俺は未だに本能的に直感している。ガキどもは大人の築いた悉くを憎み、嫌い、壊すべきだ。

大人に媚びへつらうガキは嫌いだ。
先日のK-1でHIROYAを見たとき、不快だと思ったのは彼が典型的な大人に媚びるガキだからだ。昔の立嶋篤史や船木誠勝が何だかんだで気になったのは、大人に媚びないガキだったからだ。あらゆる分野で、その子がそこに立っているだけで前人の偉業を全否定しているかの如き革命的なオーラを持った若い才能が出てこなくなって久いように感じる。大人に気に入られることに必死なアンちゃんは腐るほど出てきているけど。

UFC80のBJペンVSジョー・スティーブンスの試合を見た。
改めてペンは化け物だと思う。正直、両者にそれほど差はないと展望していたのだが何から何まで違いすぎた。同じ階級の日本人は絶対に誰も勝てないだろうな。




全日本キック テレビ観戦

2008-02-12 14:02:29 | Weblog
GAORAで全日本キックをテレビ観戦。1月の後楽園大会。
石川VS原田は、ファイヤーの悪いところだけが出たような試合。石川の完全な横綱相撲。
原田は次が正念場だね。嫌いじゃないけど、過大評価&人気先行の現実が露見しちゃったな。

真弘VS水落だけど、公開リンチに等しい試合展開。
どこかの観戦記で相当水落が奮闘したかのように紹介されていたけど、単なる贔屓の引き倒しだったね。まぁ、生で見ると頑張っていたように見えたんだろうけど・・・
そもそも挑戦者決定戦で負けた水落が挑戦者としてタイトルマッチに挑むというのはどうなのよ? これだったら上松の復帰が決まるまでタイトルマッチを延期すべきだったような。何のサプライズもない山本真弘ショー。それだけ。
正直、真弘はもうあからさまな格下の日本人とやらなくていいんじゃないかな。打倒ムエタイで行ってほしい。

70キロトーナメントは、優勝した望月は2試合連続で理想的な勝ち方をしたと思う。
決勝戦&準決勝第2試合はその感想がすべてで、文句のつけようがない。
準決勝第1試合の山内VS白虎は、2人とも悪いところが出たような試合だったというのが印象。打ち合いの熱戦だったからライブで見るとエキサイトしたんだろうけど。

ところで小林の解説って必要なのかね?
あんなのいらねぇよ。

大門へ行くと頭に来る

2008-02-12 01:57:39 | Weblog
嫁が子どもを連れて実家へ行ったので、一人で大門へ晩メシを食いに出かけた。
一応、説明しておくと大門とは函館駅前の繁華街の差して呼ばれる通称だ(本当は一部の遊郭だった地域を特定するのだが)。
ただし函館市民にとって大門は決して現役の繁華街として認識されてはいない。ずっと昔、函館が活気に溢れていた時代に栄えていたところのスクラップだと多くの人たちは思っている。10年も昔、いや、20年も昔からそうだった。ディスコがネクタイ着用がマストで、スニーカー禁止がデフォだった中学生時代、ディスコの象徴とも言えるマハラジャは本町(いわゆる五稜郭地区の繁華街のこと)にあった。その本町も既にバリバリの繁華街と呼べなくなってきている。

大門へ行くと侘しくなるという声は多い。俺はむしろ怒りさえ覚える。
この数年で俺の好きな店の大半は姿を消した。
柳小路のあたりなんかこの一年でめっきりと風景が変わった。
空き地だらけの通りには杉の子とワンさんぐらいしか店がない。
立ちんぼのババァも、一発1万3千円の娼婦たちも、そんな女たちにたかるヤクザ者も、美味いとんかつ屋も、ブツブツと独り言を呟いている酔っ払いのジジィも、ヒマそうに誰も歩かない通りを店の中から覗く居酒屋のおかみも、そんなヒマな居酒屋の軒先に置かれた野良猫のための水と餌の皿も、昔の栄華を忍ばせる廃屋も、そしてあれだけたくさんいた野良猫たちもみんないなくなった。俺の好きな胡散臭くて、場末っぽくて、昭和というよりも終戦後と形容した方がふさわしくて、猫がたくさんうろついているステキな大門はぶっ壊れちまった。

ちっきしょう。矛先がわからないけど本当にイライラする。昔の中華料理屋のあたりに建設中のホテルのせいかよと短絡的に責任をなすりつけたくなる。予言しておく。新幹線なんか来ても何も変わらない。それを当てこんでこの数年で雨後の筍のようにホテルが新築されているけれど、むしろ新幹線は本来函館に泊まるはずだった人たちを日帰りで連れ戻すに決まっている。どうしても泊まる観光客たちは大野から送迎バスで湯の川まで直行してしまい、味気ないビジネスホテルなんて目もくれないに決まっているのだ。呑み屋の廃墟のあとは、ホテルの廃墟があちこちに出来るだけのことだ。

帰宅してから数日までに届いたシュートボクシングのビデオを二本鑑賞。
本来、マジメなレビューを記すつもりだったけれど余りのクソな編集に怒り心頭でそれどころじゃない。
トーナメントなのに決勝戦の1~5Rがダイジェストってどういうことだよ。
そりゃシムソンとオワリじゃ地味な顔合わせだし、試合展開も率直につまらなかったけど、そんなもんじゃねえだろうが!
ふざけるんじゃねえよ!
畜生、買うんじゃなかった! マジで後悔。これだったらベスト版に入っている編集された映像を見て、「クッソー、完全版の映像見てー」と思っている方がよっぽどマシだった。
SB広報の森谷さん、もし見ていたらディレクターズカット盤を再発してくれ! まぁ、見るわけないけど。

とにかく今日は何から何まで気に入らない。






そう遠くないうちに函館でイカが獲れなくなるらしい

2008-02-11 00:51:33 | Weblog
時津風親方逮捕に関する報道をテレビで見ると、岐阜には雪が降っている。
昨夜行われた全日本キック新宿FACE大会の結果を知ろうとネットにアクセスすると、東京もまた雪が降っているらしい。
北海道の函館に雪が降らないというのに。

今日話をした人によれば、ある大学の調査ではそう遠くないうちに函館でイカが獲れなくなるのだとか。温暖化に起因する海流の変化が原因だそうだ。確かにいくつかの兆しを容易に思い浮かばせることが出来る。北海道では珍しい南方系の魚が獲れたという報道が新聞の紙面を飾ることは珍事でさえなくなりつつあるし、今年は真冬だというのにマイカが出回っている。
昨日のブログで自分の子どもが中学生ぐらいになった頃には人口20万人を割っているかもと記したけれど、それどころか函館そのものが水没してなくなっている可能性さえあるかもと大袈裟に危惧する。
仮に海面上昇である程度陸地が浸食されてしまったら、確実に俺の家は水没するだろうな。

温暖化はヤバいと言いつつ、雪が少ないからって喜んでいるから俺も民度が低いんだけどね。