おつとめに使用される九つの鳴物
其々が人間の九つの道具に対応している…
という話がある^^
諸井政一氏の備忘録では
笛 ⇒ 口
拍子木 ⇒ 目
チャンポン ⇒ 耳
太鼓 ⇒ 左足
摺り鉦 ⇒ 左手
小鼓 ⇒ 一の道具
琴 ⇒ 右足
三味線 ⇒ 右手
胡弓 ⇒ 鼻
ところが、困った事だが(汗)!
別の説がある
笛 ⇒ 口
拍子木 ⇒ 右手
チャンポン ⇒ 左手
太鼓 ⇒ 右足
摺り鉦 ⇒ 左足
小鼓 ⇒ 一の道具
琴 ⇒ 目
三味線 ⇒ 耳
胡弓 ⇒ 鼻
これは宗教心理学者・松本氏の悟りだ
しょせん個人の悟りであるから無視しても良いのであるが
無視できないネームバリューのあるお方の説なのだ^^
では、どちらを信者さんに教えるべきか?
もちろん教えるべきは、備忘録の方である
実は、それには確たる理由がある
口伝を記録した備忘録
高弟が聞き間違えたかもしれないという不安もある
だが、教祖の話にはひとつの法則がある
それは教えをイメージで伝えようとしたという事だ
教祖はどんな教え方をされたのであろう
想像してみよう
考えてみれば、胡弓は鼻の形をしているではないか
チャンポンは確かに両耳の形には違いない
笛を下方から見れば、口の形である
拍子木だって、見方によっては両目に見える
小鼓を持って打つ姿は男女一の道具を連想させる^^
太目の足と、細めの手…それぞれが残りの鳴物だとは考えられないか^^
もちろん、右は女性(琴、三味線)で左(太鼓、摺鉦)が男性となる
太鼓のバチは左足
摺鉦のバチは左手
三味線のバチの形は確かに手の形^^右手だ
残りの琴が大根足の形で右足だ
なんとまあ、分かり易いことか
これなら誰にでも、無学文盲の者でも理解できる
一度聞いたら忘れない
教祖の教え方は常にそうであったと思う
周りにいた人々は無学文盲の人ばかりだった
そんな人々に教えを説かれた
元の理の話もそうであるように
月よみのみことがシャチではなくシャチホコとして説かれたように
教えをイメージで説かれたのは間違いない
こふき本の「天体見立て」でも同様の事が行われている
個人の悟りが定説となっては大問題だと思う
松本茂氏個人の悟りだとハッキリと言っておく必要がある
こふき話に慣れ親しんでいれば、決してこのような悟り違い起こらない
現在では、こふき話は別席話に昇華されてしまい、誰にも読まれくなってしまった
だが、こふき話の原本に常に親しんでおく事
それは正しく教理を理解するためには極めて重要な事なのである
其々が人間の九つの道具に対応している…
という話がある^^
諸井政一氏の備忘録では
笛 ⇒ 口
拍子木 ⇒ 目
チャンポン ⇒ 耳
太鼓 ⇒ 左足
摺り鉦 ⇒ 左手
小鼓 ⇒ 一の道具
琴 ⇒ 右足
三味線 ⇒ 右手
胡弓 ⇒ 鼻
ところが、困った事だが(汗)!
別の説がある
笛 ⇒ 口
拍子木 ⇒ 右手
チャンポン ⇒ 左手
太鼓 ⇒ 右足
摺り鉦 ⇒ 左足
小鼓 ⇒ 一の道具
琴 ⇒ 目
三味線 ⇒ 耳
胡弓 ⇒ 鼻
これは宗教心理学者・松本氏の悟りだ
しょせん個人の悟りであるから無視しても良いのであるが
無視できないネームバリューのあるお方の説なのだ^^
では、どちらを信者さんに教えるべきか?
もちろん教えるべきは、備忘録の方である
実は、それには確たる理由がある
口伝を記録した備忘録
高弟が聞き間違えたかもしれないという不安もある
だが、教祖の話にはひとつの法則がある
それは教えをイメージで伝えようとしたという事だ
教祖はどんな教え方をされたのであろう
想像してみよう
考えてみれば、胡弓は鼻の形をしているではないか
チャンポンは確かに両耳の形には違いない
笛を下方から見れば、口の形である
拍子木だって、見方によっては両目に見える
小鼓を持って打つ姿は男女一の道具を連想させる^^
太目の足と、細めの手…それぞれが残りの鳴物だとは考えられないか^^
もちろん、右は女性(琴、三味線)で左(太鼓、摺鉦)が男性となる
太鼓のバチは左足
摺鉦のバチは左手
三味線のバチの形は確かに手の形^^右手だ
残りの琴が大根足の形で右足だ
なんとまあ、分かり易いことか
これなら誰にでも、無学文盲の者でも理解できる
一度聞いたら忘れない
教祖の教え方は常にそうであったと思う
周りにいた人々は無学文盲の人ばかりだった
そんな人々に教えを説かれた
元の理の話もそうであるように
月よみのみことがシャチではなくシャチホコとして説かれたように
教えをイメージで説かれたのは間違いない
こふき本の「天体見立て」でも同様の事が行われている
個人の悟りが定説となっては大問題だと思う
松本茂氏個人の悟りだとハッキリと言っておく必要がある
こふき話に慣れ親しんでいれば、決してこのような悟り違い起こらない
現在では、こふき話は別席話に昇華されてしまい、誰にも読まれくなってしまった
だが、こふき話の原本に常に親しんでおく事
それは正しく教理を理解するためには極めて重要な事なのである
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