ぎょうりやま

かいちょうさんの日記

関根豊松語録Ⅴ

2018年06月20日 | 日記
徳とは人の前にあるのではない。
人の見ていない陰にある。
人の見てない陰こそ誠をしておけ。     
すると人のできない働きをする。
人の見ていない処こそ自分がよく知っている。
自分の知っている事こそ神がしっている。     
お陰様という言葉をよくきく。そのとおりである。 

陰が正しく通ってあれば人間は何ひとつ困るということがおきてこない。 
陰で物を大事にしている人は物のお与えがある。  
陰でお金を大事にしている人はお金が集まってくる。
陰で人を助けた人は大事な時に人に助けられる。  

陰で天理を全うしている人のいうことはこわい。  
物事がそのとおりになってくる。 
だから言う通りに守らないと理が出てくる。

人間はかげと共に歩き、かげはどこまでもその人について働く。
人間はどういう道を通ってきたか。
日々人の見ていないところでどういう通り方をしているか。
それがその人の財産だ。
だからお道は陰で天理を全うすることを教えるのだ。
徳と呼ぶものは、その人の陰の力のことである。



※ここで言う「陰」とは、文字通り「人の見ていない処」という意味でもありますが、それだけではありません。人間の心は誰の目にも見えることはありません。つまり心で思った事を言葉に出したり、態度で示したりする事なく、黙々と身に行う事を「陰」という言葉で表現されていると思います。陰で物を大事にするとは、常に「もったいない」という心で物に接する事でありますし、陰でお金を大事にするとは、お金の使い道を間違えない事、つまり自分の身に付ける事ばかりに使うのではなく、人様が喜ぶところ、神様の御用に使わせて頂く事を示しています。また人を助けるとは、どんな人にも親心を持って接するという事を教えているのだと思います。毎日の生活の中で、不平不満を言わずに黙々と神様の教えを実行する事を教えて下さっている言葉だと思います。
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徳のバロメータ

2018年06月18日 | 日記
あの人は徳がある
あの人は徳がない
などという場合がある

運の良い人 徳がある人だと言われる
運の悪い人 徳が無い人だと言われる

目には見えない徳
それを図るバロメータ

それは人だと思う
人に恵まれる

学校の担任の先生
友達
先輩
会社の上司
……

徳のある人は必ず人に恵まれると思う
徳のひとつのバロメータ
それは人だと思う

そして
徳人の行きつく所
それは
誰からも愛され
ついには
神輿に担がれる

こんな人は
世界で一番の徳人だと言えるのではないか
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魂のいんねん

2018年06月15日 | 日記
魂のいんねん
と言えば
何か選ばれた人の印象が強い

こふき14年和歌体本
そこに登場する話を思い浮かべてしまう

最近だが、そうではない事が分かってきた

魂のいんねんを示す姿
確かに存在する

生まれつき備わった「性」
その人にしかない「性」
マネの出来ない「性」
その人物だけが放つ「光」

こんな事を感じるようになってきた

魂のいんねんの本当の意味
それが分かってきたように思う^^
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理想の結婚相手

2018年06月08日 | 日記
講社祭
いつものメンバー
そこに、孫娘が参加
20代である

直会の席での話
理想の男性は?と質問する

決して妻に逆らわない(笑)
料理をやる
掃除もやる
運転もしてくれる
荷物を持ってくれる
顔を合わす時間が少ない職業の人
その方が喧嘩をしなくても済むと言う^^
給料だけは確りと稼いでくれる
文句は言わない
男女平等
妻も仕事を続けられる
……

今どきの女性の生の意見である

ご参考まで…^^
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まこと

2018年06月08日 | 日記
海を航海する
絶対に必要なもの
それは、羅針盤である

教会
航海する船に例えてみる
確かな羅針盤を搭載しているのか?

どうも
心もとない

何が正しくて
何が間違っているのか
この航路で良いのか
この航路は誤っているのか

分からない
不安だ

では、どうすれば良いのか

結論は
どうもこうもない
ただ、進むだけの道である
たとえ間違っていても
「まこと」でさえあれば
神様が受け取って下さる筈である
ほんとうに「まこと」であるかどうか
それだけが問題なのだ

その事だけを信じて
前進あるのみである

後退は一歩も許されない^^



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カタストロフィー

2018年06月02日 | 日記
先日、某葬儀に参列する
故人…満49歳の出直しである

喪主は故人の妻
子供は三歳児から中学生までの5人
故人の両親も参列していた

若くして夫を亡くした妻
父を亡くした小さな子供達
子供に先立たれた老夫婦

喪主挨拶は嗚咽で終わった
そして出棺
棺に寄り添う老夫婦
最愛の息子を亡くした深い悲しみの涙
例える言葉もない
直視することなどとても出来ない
子供達も皆泣いていた

霊柩車がお決まりのクラクションを鳴らす
参列者全員が合掌
故人との最後のお別れである

高齢者の出直しなら
天寿を全うして…とか
御寿命だったんですね…とか
誰もが受け入れる事が出来るものだ

だが、
今回の出直しは
逆に誰もが受け入れ難いものだったと思う

なぜこんな事になってしまったのか
誰ひとり…
知る由もない!

私の脳裏に浮かぶ事は
カタストロフィーの一言だけである
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動かぬ心

2018年05月31日 | 日記
講社祭
鯛が献饌された
以前は安物の開きだった
野菜も新鮮な物ばかりだ
セールの安物は一つも無い

直会にお茶が出された
色合いも良く
風味のある新茶だ
以前は色も味もない白湯同然のお茶であった

嫁いだ長女
子宮全摘の診断が下されたと言う

この講社祭宅の主人も身上である

妊娠している末の娘
高齢出産なので心配だと言う

内孫の成長が遅すぎる
心配である

喉元過ぎれば熱さ忘れる
身上事情が解決する
あっと言う間に元の心に戻ってしまう
誰でもそうだと思う
そして何度も神様に仕込まれる

順調に行っている時こそ
シッカリと神様の御用をさせて頂かねばならん

大事な事は「動かぬ心」である






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月次祭の理

2018年05月22日 | 日記
二十六日というは、始めた理と治まりた理と、理は一つである


 このお言葉は本部月次祭がなぜ二十六日に執り行われるのかという意味を教えられたものです。「始めた理」というのは天保九年十月二十六日の立教を指し、「治まりた理」とは明治二十年一月二十六日、教祖が定命を二十五年縮めて身を隠された事を意味しています。つまり、教祖が「月日のやしろとなられた理」と教祖が「身を隠された理」は同じだという意味です。では、何が同じかと言うならば、「世界一列の子共を一日も早く救けあげたい」という親神様の止むにやまれぬ思いなのであります。世界中の人間をひとり残らず助け上げたい。それが立教の元一日であり、教祖が二十五年定命を縮めて身を隠されたのも、同じ思いからなのであります。これは秋の大祭の意義であり、春の大祭の意義でもあります。そして毎月二十六日にご本部で祭典が執り行われるのは、この「二十六日の理」が託されて執り行われているのだという事が理解されると思います。

 さて、全国の教会では毎月、月次祭が執り行われます。それはご本部で執り行われる「二十六日の理」を受け、その理を頂いて国々所々で勤められる祭典なのであります。ですから親神様の世界たすけの上では最も大事な勤めだと言う事をシッカリと心に治めておかなければなりません。簡単に言えば、月次祭を外してはどんな勤めも意味を持たないという事になります。いんねんを納消し、運命を変えて頂く為には絶対に欠かす事の出来ない勤めなのであります。

 私達の教会では毎月十五日が月次祭の日と決められています。これは勝手に決めたのではなく、おぢばで存命の教祖からお許しを頂いた日であります。つまり「二十六日の理」が我が教会では「十五日」の祭典に託されているわけです。親神様の世界たすけへの熱い思いを形に現す日、それが「十五日」の祭典日として許されているのであります。我が教会のすべての行事や勤めが「十五日」を軸に決定されるのも、その為です。十五日は会社を休んでも月次祭を勤めよ、と言っているのも、これが信仰の要だからなのです。

 月次祭を決して欠かしてはいけないと良く言いますが、それは立教の元一日と教祖御存命の理の元一日の理が託されているからなのです。どうか「十五日の理」を軽くする事無く、シッカリと勤めさせて頂きましょう。
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教祖140年祭

2018年05月17日 | 日記
年祭は10年ごとに執り行われる
つまり
次の年祭は8年後の
2026年である

元号も変わり
世の中も変わっていると思う

昔は
日進月歩と言ったのだが
今は
秒進分歩
新しい事が
あっという間に忘れ去られてしまう

お笑いも一年と持たない
youtubeにアップされたら最後だ

だが
どんなに時代が変遷しようとも
変わらなぬもの

教祖140年祭はそれが問われる年祭だと思う
一刻も早く
時代の着ぐるみを脱ぎ捨て
教えのエキスだけを身に付ける

悪しき勘違い
悪しき伝統

いつまでも同じ着ぐるみを着ていては
時代に取り残されてしまう

歴史の遺物と化してしまってはならない^^

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水の結晶

2018年05月13日 | 日記


「水からの伝言」という本がある
水の結晶写真集である

水に音楽を聞かせる
音楽によって
結晶の形が違ってくる
水にも音の影響がある事が分かる

呪いや憎しみの言葉を掛ける
とても結晶とは言えない汚い画像だ

愛と感謝の言葉を掛ける
とっても美しい結晶
見事な結晶を作る

不思議な事であるが
掲載された125点の結晶画像
それが事実である事を教えている

人間の体の70パーセントは水
感謝・慎み・助け合い
そんな心で毎日とおるならば
体の水の結晶はとても美しい結晶となるに違いない

健康な体の秘密がそこにあるのかもしれない






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