みぞれのブログ

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即位礼正殿の儀に際して

2019-10-23 03:02:32 | 社会
不思議なものである。もうすっかりブログを書く気は失せているとばっかり思っていたのに、昨日ハッとなったというか、昨日ある出来事が行われてこのブログを通じて伝えたい事が出来た。

そのある出来事とは「即位礼正殿の儀」である。それでちょっと気になった事があるのだ。メディアの語彙不足、表現の幼稚化が目に余るのである。

問題の一文をここに挙げる。

「天皇陛下が即位を国内外に宣言」

この文、どこがおかしいのか分かるだろうか。いや、どこもおかしくないだろ。と思う人が大半ではないだろうか。しかし、私はこの文を見た瞬間、おかしいと気づいた。どこがおかしいのか。「宣言」の所である。宣言するのは分かるが、ただの宣言ではない。選手宣誓でさえ、「宣誓」と言うではないか。あれは、選手が宣言した上で、誓う儀式みたいなものだ。ましてや、一国の君主が宣言するという事は極めて重大な意義がある。当然、宣言ともう一つ目的があってしかるべきだ……ここまで言ってもまだ分からない鈍い人達にそろそろ正解を教える事にしよう。

「宣明(せんめい)」である。天皇陛下御自身も即位の礼のお言葉の際、「ここに即位礼正殿の儀を行い、即位を内外に宣明いたします」と仰せになっているのではないか。なのに、どこのメディアも「宣明」が難しく分かりづらいとでも思ったのか、「宣言」に置き換えてしまった。これでは意味が変わってしまうので、即位の礼の儀式自体が世俗化、安っぽく感じられる。少なくともそう受け止められても仕方がない表現となっている。ただの宣言ならその辺にいる子供でもできる。あくまで神聖な儀式なのだから、わざわざ言葉の高貴な意味合いを抹殺することもないだろうに、メディアはこの愚に及んだのである。それが確信犯なのか、それとも無自覚なのか知らないが、いずれにしてもメディアの語彙の貧弱さが露呈する結果となった。

さて、宣明の意味であるが、宣言して、明らかにすることが意味となっている。何を明らかにするのか。それはもちろん、この度天皇陛下が天皇として即位した事を内外に宣言した上で、それを明らかにする。これによって正式に即位なされた、という事である。

しかし、この度の即位、喜んでばかりもいられない。次の皇太子が決まっていないのだ。一応、形式的には、秋篠宮殿下が次の皇太子という事になってはいる。しかし、半年ぐらい前に秋篠宮殿下が即位を辞退するとの趣旨の発言をされた。この発言は日本全土に大きく波紋を広げたと言っても良い。推測なのだが私はこう思っている。秋篠宮殿下はご自分が即位するのは今上天皇と年齢が近いこともあるから現実的ではないとお思いになったのは確かだろう。しかし、それだけではなく、最も自然な順序の流れとして、誰が一番次の皇太子に相応しいかはもちろん重々承知だったのだと思う。

秋篠宮殿下は皇族、それも天皇にかなり近い皇族なのだから、誰が最も皇太子に相応しいか気づいているはずである。その方は敬宮殿下(愛子内親王)に他ならない。やはり、今上天皇の御息女にあらせられるから皇位継承の順序としても最も自然な流れだ。だから、秋篠宮殿下は即位を、皇太子となることを公に拒否されたのである。

しかし、今現在日本の皇太子は空位となっている。この事態がどれだけ危機であるか、切羽詰まった状況であるか思いを馳せる人は果たしてどれだけいるのだろうか…。もはや、躊躇している場合ではないのである。一刻も早く皇室典範改正もしくは制定について話し合いをする必要があるのは明白だ。やはり、そう簡単に日本を見捨てることはできないのだな。安易にニヒリストになるのは危険だ。


最後に、眞子内親王、本日は御生誕おめでとうございます。能楽堂で私がいた席のはるか頭上から鑑賞されていた眞子内親王、秋篠宮妃殿下にお目にかかれた機会を得ることができ、これほど有難いと思った事はありません。また私のような一観客がこのような拝顔の機会を得られ、眞子内親王、秋篠宮妃殿下と同じ公演を見ることが出来たのは私には余りに過分でありますが、大変感慨深い出来事だったし、無上の喜び、無上の幸せと言っても過言ではありません。それだけ私にとって忘れられない日になりました。



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