牡鹿半島

2011年04月07日 | 日記
まだまだ津波の傷痕がヒドイ…


1ヶ月もたとうと言うのに…



小さな集落を中心に物資を届けていますっ!



牡鹿半島へ行って来ました。
捕鯨が有名な町で、
支倉常長(伊達政宗の家来が当時、
ヨーロッパまでいったのだ)ヨーロッパに行った時の港がある町です。
そして、海と一緒に生きてきた町。



震災から3週間(約1ヶ月)もかかるのに、やはり手つかづだったのが現実でした。


集会所や民家に少人数で避難生活をしています。


自衛隊が物資を配っている、まだまだ、ガレキが沢山あって、
道も片側通行だったり、自衛隊が治した道を走る。



海沿いの集落は、全て津波で消えていた。



今日は、近江屋さん、つくば・ブルーベリー・ピクニックさま
つくば市民大学 藤田千夏さんの近所の子供会の皆様、
川場スキー場 フルマークス(ホグロフス) ねこじゃらし さま
大勢の皆さんから、頂いた支援物資 を、配らせて頂きました。



女性下着、男性下着、ポンチョ、サランラップ、アルミホイル、髪どめ、
ヘアーブラシ、子供用の古着、粉ミルク、哺乳瓶、おしりふきナップ、
オムツ、カセットコンロのガス、乾電池、スキーウエア、フリース、帽子、
沢山、沢山、沢山、物資を頂きありがとうございましたっ!!!!!




今日回った避難所の数、9箇所


午後からのスタートで夜(22時)に帰宅しました。
昨晩 12時30分につくばを出発し、到着したのは、朝6時。
んん~さすがに疲れましたぁ~。



避難所で、
一緒にお話したり、子供と一緒に遊んだり、
どんな物があったら、生活が楽になるか??
などなど、聞いてきました。



小さな避難所では、自分達で作った お風呂 があるっ!
本当に、スゴイっ!



大きな避難所は、自衛隊が作ったお風呂!
やっぱり、日本人は、お風呂が大切だね~!!!



電気はまだな地域が多いから、発電機を回りして明かりを燈し、
情報を得る為、テレビをみる。


洗濯は、沢から水をくみたるの中で、女達の手で洗濯する。



1ヶ月も経とうと言うのに、復興のキザシは難しい・・・。
だけど、浜の人たちは、皆元気っ!!


「しかたねーべっ!!!」

「やるっちゃ~!!!」

「だけど、放射線の影響で漁ができなくなったら、どうやって食べるべ???」

「どうやって生きていくんだ???」


現実は、厳しいかもしれないけど、

浜は元気っ!

ここからだねっ!!!!




明日も牡鹿半島へ、ニーズにあった物資を届けます!!




そして、なんと~!

大ニュース!!!!!!




スキー ハーフパイプ がっ!!!!




オリンピック競技になったぜぃ!!!!
やったーっ!!!!!






やるしかねーべっ!!!


復興してやるっ!!!
絶対に復興してやるっ!!!!


私も絶対にやってやる!!
復興した宮城を日本を見せてやりたい!!!



津波から、立ち上がってやる!!!!!
負けるもんかっ!!!
負けてたまるかっ!!!!




難しい事もあるけれど、



一度しかない人生、
自分の進む道を行ってやる!!!!






今 

自分にできる事・・・





精一杯っ

生きてやるっ!!!!!




コメント (1)
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