店の中に大きなタブの木があった。
クスノキ科の常緑高木であるその木は
本当ならばまだまだ大きくなるのだろうが
2階建てで広いとはいえ、喫茶店の中で育っているので
その成長が阻まれているらしい。
私の席の前には、葉をつけた太い幹がにょっきりとあって
視界を遮っている。
なんとなくぶらりと立ち寄ったこの店の珈琲が
思ったよりも美味しかったものだから
文庫本を手にしたまま、私はもう30分以上も座っていた。
・・だから聞いて欲しいの。
泣きそうな女の声が近くの席から聞こえてきた。
・・ずっと言いたかったんだから。
女の声がうわずる。声のボリュームが上がる。
否応なくその声は私の耳に入ってくる。
彼女の姿は見えない。木の陰に隠れて、その顔も見えない。
・・優しくされたの初めてだったんだから。
・・アナタと一緒に居たい。ずっと居たい。好き、だから。
途切れながら女の声は続く。
・・いいって言ってよ。分かった、って言って。
・・・・ああ、分かったよ。
その声に私は凍り付く。
今朝、私に向かって「行ってくる」と言ったその声が
少しハスキーなその声が、確かに聞こえた。
・・・・ああ、分かったよ。確かにそう言った。
私に、ではなく姿の見えない女に向かって。
・・うれしい。
弾けるような女の声。
その女の顔を笑いながら見ているだろう、私の男。
気配を殺して私は席を立つ。
木の陰を伝って、そっと店を出る。
そして私は男を憎み
タブの木を憎んだ。