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日々のスピリチュアル日記です。

神々様の御加護を頂き、創造主と宇宙に繋がる事を学ぶ道中。変化整理の為に日記として記録。

先駆者に引きずられない己

2021-08-27 20:34:54 | 日記
自分の思考位地確認には、参考になるブログは沢山あるし、その経験や語る言葉に感心もし感謝さえする時もある。

しかし、内観し行動した事に答を見つける行為を繰り返すと、自分が影響を受けた人に追従してしまう時がある。不安になると余計にそうなる。

そういう事を何度となく経験し、最近は人様のブログは参考程度にしている。

以前にも書いたが、強いリ―ダ―シップをとる人やカウンセラーは強く知能の高い人々が多い。

牽引力が強ければ強い程、意識の接点が時期的な不調期などでズレると、こちら側が受ける破壊ダメージも半端ではない。優秀だからこそ、ヘタレを許さない断言口調は自分のメンタル状態を保護できる範囲で受け止めた方がいい。

私は宇宙意識に視野が広がった際に、個人セッションや講座で人の手を借りて内観する事を願っても、金銭的に敵わなかったし、丁寧に自分の世界でこなす事を求められていたと感じている。

ブログを追う事はするが
「この人の講座を受ければ、最短で理解出来る」
そう思っても駄目だった。
多分、理解ルートが違う為に他人の手による内観指導はメンタル安定を目的問題以外に壊される為だと思う。

人それぞれの育った経過も体験も違う為もあるが、宇宙からフォーカスすべきと問われた問題以外の部分を想定外にあぶり出され、要らぬ事へとエネルギーを散らされてしまうから。

今の私の問題は、今更ながら私が過去に我慢で飲み込んだ調和を破壊する事が目の前に繰り広げられている。タロットで言えばタワー状態。

私が意図して起こった事でも無く、ここに「私の行為には調和が大事」を持ち込むと更なる混乱をもたらす。
今の面前の問題に置いては、
「調和をもたらすべきなのは対象となる人」である事を私は理解している。
逆タワーらしい。

前回、
「今の環境では内観する事はもう無い。」と書いてしまったが、とんでもない状況で必死に内観している自分が悲しい😓😓😓・・。嵐の様な変化はまだ未完で、創造主の意図する事に最短で気付きたい。

*別件
リンクするかどうか、老婆心で記しておく。かつて米国で発祥した思想的ム―ブ名残への警戒。解る人には解ると思うが、写真の女性が元祖。




人を貶す事になるが、私が最も怪しく感じている方で有名な並○良○さん。
今時の若い方は御存知ないと思うがニューエイジ思想に近いし、バックアップする団体が付いている様にも思う。
そして御本人の憑依的違和感も感じている。私見でしかないが・・・。

目に輝きを感じないし、愛も光も感じない。ドキドキ、ワクワク個人主義の典型。人から学びの思考チャンスを奪っている。
警戒すべきニューエイジとの共通点は下↓(抜粋張り付け)の様な事。
過去にニューエイジ経験者がこの利己主義によって、晩年に学びと成長の機会を失ったと呟いている。




宇宙意識の情報を探ると、多かれ少なかれニューエイジ思想がヒットする。
ニューエイジ思想は、創設経緯を突き詰めればサタンによる計画だし、↑シャ―リ―・マクレイン(米)が晩年に書いた様な結果に至る。
興味のある方は、調べて記憶の片隅に置いておいて欲しい。
サタンは精度の高い知識を授け、心地好い方向へ誘導し、奇跡的な現象や感覚を与える事も出来る。
自分の領域に捕獲した後に、友釣りをしたりして人を集めるが、愛が無い孤立を産む。狂乱したような、集団行動を誘導したりもする。

私の判断基準は、カウンセラーや指導者に
「輝きがあるか、愛があるか」
「自分のハ―トチャクラが暖かい波動を受けているかいないか」

このセンサー反応があり、課題フォ―カスによる自己の動揺以外に精神的な安定があれば、多少の脱線した一言二言は簡単にスル―できるように思う。

そして強調したいのは、
日々、神々様に助けを願い
日々、神々様の裾をしっかり掴む

それが遠回りであっても安全な道行きだと思っている。

警戒しつつも「愛」がある方に沢山出会いたい。






一息ついて

2021-08-22 23:57:46 | 日記
お盆が終わり、雑霊ザワザワ感が終息したのが18日頃だったか。

内観作業も外界とも、内心良く戦ったなと思う。
見ないふりをしていた自分の堕落ぶりも無能さも理解したし、「私が聞いて良い器か?」と思う程の人様の悲しい過去を語られもした8月だった。

偉そうにブログなどで語る私には、
「大丈夫」とか
「癒える時がくる」などと
簡単に言えない経験をもった人々が心の傷や記憶に蓋をして、目の前の生活を先行きも解らぬままに必死に生きている。

私は自分の世間知らずや傲慢な視野を反省させられたし、助け術を知らない。

しかし、遠目で見る限り親の成長段階から負の連鎖が始まっているのではないかと感じる以上、言葉では伝わる答も無く、絡まった糸は神に委ね祈るしかないと思うが、本人への何の即日解決にならない。
「一番良い道へと導いて下さるようお願い致します。」
これしか祈れない。


私の内観は現時点でMAXになり、今の環境ではこれ以上浮かび上がる課題は無いような気がする。

そして、現在が結果そのものならば・・・今世での課題は未完成で終わるのかも知れない。

私としてはあれやこれや内観して見いだした今の自分が好きだし、それで良かったと思っている。
ただ、この長い内観生活によって失った感覚というものがある。
老化現象と言われてしまうかも知れないが、なぜか後10cm先の感覚・・・五感では言い尽くせない感覚が失われてしまった気がする。

聖なる感覚(カトリック時代の感覚)の喪失。
此は、奉仕や犠牲的な精神を手放し、自我を取り戻した事によるもの。
自分の幸せを願う事は、欲も伴う。

社会的な神経感覚の喪失
仕事内容、人への警戒、職場に対する接点角度や身の置き方の読み。
過去には、精神安定剤を使ってまで働いていた時の張り詰めた感覚。

この2つの感覚は失って良かったのか振り返り考えているが、過去には帰れないものだとも思う。

あと10cm先の感覚。
これが、新しい感覚を掴めるのか、このままで終わりなのか・・・不安に感じている。

波動が下がるので、ハ―トチャクラに光✨の玉があるイメージを。
上からは光の粒々シャワーが降り注ぐイメージを。

此れだけでも、心は軽くなる。



もう少しの我慢と・・思う事。

2021-08-15 21:40:05 | 日記
コロナ禍で我慢を強いられる生活も、長くなり限界となって不和を産む昨今。

お盆で浮遊霊ゾワゾワ・・。

意地悪な性質の人が勢いづいている。

話が噛み合わない。

物事がギクシャクして収拾がつかない。


身辺を掻き回す人を良く観察し、来年のお盆時期の対策にして欲しい。
人を苦しめて喜ぶ浮遊霊や魔の媒体となるのは、心に妬み、怒り、劣等感、弱さを持つ人。

16日頃からは墓穴を掘り、荒くれて人に成した事がその人に返っていく。

もしくは、調和が戻り壊れた関係から真実が見えてきて、自分が知ってよかった経験になると思う。

魂磨きを望む人には、「良かった」結末であって欲しい。

話は飛んでしまうが・・
今、障害を持ちながら頑張っている方や御家族に思う事。

障害者は一つの動作さえ健常者の何倍かの負担や労力、思考があり苦難の連続だと思う。

そしてカトリック的な魂から言えば、障害者は生きているだけで、世の善悪のバランスを取る為にその苦難を背負って罪人の代わりに罪を償う、贖罪の魂なのだと学んだし・・・私もそう思う。

巡礼に行きその地の教会で、見知らぬ障害者と隣合ってミサに与った女性が、その障害者が自分の罪を代わりに償っている事を神から知らされ泣き崩れたと・・話を聞いた事がある。

また、「死後健常者は障害者の魂に膝まづき感謝しなければならないだろう。」という話もある。

今時は、集合意識という言葉は聞き慣れていると思うが、それと同じ事なのだと思う。
涙ながらに障害を生き抜く魂は、集合意識に働きかけるどころか、罪悪を打ち消す魂なのではないかと。

誰と限定できなくても、善悪のバランスという地球レベルの仕事に働きかける事が可能なのが、涙ながらに生き抜く障害者の魂なのだと今でも思う。
そしてその家族もまた障害者を支える事で同じ役目を果たしてくれていると。

残念ながら、その過酷な人生から闇に捕らわれてしまう例も昨今は多い。しつこい程「涙ながらに」を付けるのは、解りずらく認定されない障害が余りにも増え、長年ケアされずに、歪に捕らわれ魂を見失う人もいるから。
どんな大業であれ、魂の学びは本人にしか出来ない。

自分の死後、涙ながらに生き抜いた障害者の方々に感謝するのだと思うし、カトリックの修道的な考えではあるけれど、

涙ながらに生き抜く障害者の魂が尊い事、
そして現世の罪悪に対し最強の魂」

である事を忘れない様に生きていきたい。






吉祥天 様

2021-08-12 19:45:11 | 日記
1ヶ月前頃
「吉祥天様が探しておられましたよ。」
そんな声が聞こえた。

「あっ、ご縁が頂ける。」
と喜んだものの、私に生活の焦りや混乱から余裕が無く、仏教に無知な私は調べる事もせず放置してしまった。

今日、漸く吉祥天様について学び始めたところ、「富」に繋げようとする情報が多い中、全く違った事を私に示唆しようとなさっていた事が解り、その優しさに涙がでた。

向かい合う様々な事柄に着手はしても、私の心にある疑問がストッパーとなっている事への示唆と回答だった。

「あぁ、的確な指摘と励ましの言葉だ」

多分今回、吉祥天様に頂いた私への回答は、難題に諦めてしまいそうになる度に私を支えて下さるだろう。

*****************

人の為に祈る事は犠牲ではない。

思い通りの反応が無くても、後悔せず、見返りを求めず、傷つく事を恐ず成せば、それは後の貴方に宝となって戻ってくる。

反論や批判を恐れず、自分を表現しなさい。

*****************
(↑これは、頂いた言葉の一部。)



「嫌になっちゃったなあ〜」

「結果が見えないなぁ〜」

「何を私はしてるのかなぁ〜」

「何一つ、動かないなぁ〜」

そう心に感じる時、折れた時は、吉祥天様の真言を唱えて今回頂いた励ましを思いだしたい。





答え探し

2021-08-10 01:46:20 | 日記
この時期、やはり嫌な空気が漂う。
お盆明けまで続くであろう物事の混乱と身の回りに錯綜する噛み合わない事象のあれこれ・・・・。

メンタルは建て直しても気付かぬ内に崩され、整えたはずの思考は混乱へと落ちる。

いつもは安定的に信頼出来ていた人の話も、相手のせいでは無く接点角度が違う為に自分で負の方向に捕らえてしまう。
挙げ句の果てには
「うるさい👂💥」とさえ感じてしまう。
この時期は余程安定した人の示唆でない限り、私が毒として受け取ってしまう。

何処だ、何だ、これじゃないのか?
何に気付く事でこの事象は収まるのか?

ただ、ただ神々が気付かせたい答えを探す日々。

冷静に、そして神々に祈りに祈り、自分の心の状態をベストにした際の思考以外安易な結論は出さない・・・・。
結論はお盆が終わってから出す。

恐らくは、今試行錯誤している問題もお盆明けには
「なんだ、こんな事だったのか」
「結局はここにたどり着く為のシャッフルに過ぎなかったのか」
そう感じられる心にたどり着けると思う。

お盆が終わるまでの学びは、内観とは違う、惑わしの多い自分の思考との戦い。

多分解る人にしか伝わらないけれど、年を重ねた人なら肌身で感じ取って知っていると思う。

お盆の時期には川や海で遊ぶのは避けろとか、
お盆前後は子供が怪我をしやすいから注意しろとか、

お年寄りの経験から語られる「少し注意」と同じ事。

ナチュラルに警戒しながら、お休みを楽しめるよう・・・御自愛下さい。