日々のスピリチュアル日記です。

親との関係の浄化

今更ながら親子関係に浄化すべきポイントがあると示唆された。

感情的に内に隠れたモヤモヤを紐解き、軽くなる必要があったらしい。

父が亡くなるまで関係は良くも悪くも無く平凡に、しかしカトリックの修行的視点に立って接していたので言いなりになれとは言わないが
「たとえ殺人者の親でも敬いを」
とされていた為に、無条件に奉仕ぎみだった。
カトリックになって以降、家族への魂の救いへの祈りは当然の日課だったし、親と同居してから家にお金を入れつつ家事は私の仕事だった。

自営の家で家事の負担が軽減された母は喜び全てを丸投げし、週末は夫婦で旅行したり友人達と遊び回る始末。年だから仕方ないとは思いながら、父の晩年に患った胃ガン後も、食事回数が増えた負担さえ母は手伝う事無く私に投げた。
女中扱いをする母に対しては、父の死後に限界値を迎え、カトリックを離れた頃私が正月に並べたお節を壁に投げつけるという形で爆発した。

常に母には不快感を抱いて育った過去もあった。子供の頃は母の様な働く女性が嫌で、専業主婦の母親を羨ましく思っていた。(私も働く女性の道を歩んでいるのだが・・)
父が亡くなり、私がカトリックを出た50代になった頃から老母への対応と仕事の両立に限界を感じ何年も苦しみ葛藤し、祈りに祈ってようやく兄夫婦に預け痴呆のケアが不可能という現実を理解させ、後に老人施設の入居となった。
ある意味私の十字架であった母と離れる事で、親への奉仕は終了したと思っていた。

しかし、十字架であった母の背後にある原因を理解する事を促され、私に対する母の粗末な扱いは、母が父から十分に愛されず大切にされなかった事が元凶であると理解しなければならなかったらしい。

時が逆行するが、私が幼稚園や小学低学年の頃は、自営会社の為に請求や集金を母が行い私の手を引いて東京に出かけ、監査が入ると過去の経理書類をあれこれ調べながら心労のあまり胃潰瘍で血を吐いたりもした。
傲慢な男の支配下で仕事を続け、しかもワンオペで子育てし、逆らう事も出来ず、積年の苦労は逃げない私に転嫁という形で向かったに過ぎなかった。
元凶は全て父。「父が悪い」
思えば幼い頃、父の傲慢さに何度か呟いた事があった。
「私だったら、お父さんと離婚する。」

話が少し外れるが・・・。
3人目の子として産まれた私は特に祝われる事もなく、東京の下町のアパート暮らしの親元、身内も近くにおらず可哀想に思った父がお赤飯をたいて会いに来たと聞いている。兄や姉は、当時カトリックの幼稚園に通っており、昔は修道服を着たシスターが職員だった様子を写真で見た。不思議なもので、通った兄姉はカトリックに興味すら無く、後年そのお鉢が私に廻って来た。

末っ子の私は、父から幼い頃十分大切にされたと記憶していたが、自身の心を探ってみると決定的な傷が残っていた。

3人目の子であった私が中学生の頃に願い事を父にした際。
「お前は、おまけで産んだ」

これは、お前に金をかけるつもりは無いという流れで言われた事だった。
そして、これは私が家族の役に立たなければ存在意義がないのだと自分に刻んだトラウマになっていたらしい。
親の顔色を伺い、存在証明の様に家族に奉仕したのはカトリックの修行だけでは無かったのかも知れない。

今私は家族との関係を卒業し「奉仕はもういらない」と宣言しているが、卒業するにしてもせめて親に残す感情はクリアにし、好悪に関わらず裏の事情も理解して手放せとの示唆だったのだと思う。

他にも考える事はあるけれど、手放しも投げ捨てでは駄目と導かれた様に思う。

丁度この日記を書き終えた夜中、天秤座満月の時間が近付いていた。
ふわりとした暖かい光がハ―トチャクラを開き胸一杯に広がって暫く滞在していた。
「少なくとも、今回の満月の課題はクリア出来た・・・・。」
そんな出来事に深い慰めを感じた。


(日記書き始めから修正等で、日付にズレがあります。)

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