続・シーガイア100倍!!

旧国鉄佐賀線跡を巡る⑤西鉄柳川駅へ。

昇開橋、福岡県側脇ににこんなものが展示してありました。


デ・レーケ導流堤。


大川市観光ナビより・・・

若津港導流堤(筑後川導流堤、デ・レ-ケ堤)は、明治政府がオランダ人技師ヨハニス・デ・レ-ケを招き、築いたものです。設計者の名前から「デレーケ導流堤」とも呼ばれています。
有明海は干満の差が約6mと大きく、潟土が堆積しやすく、明治時代の重要な輸送手段である船舶輸送を妨げる事が多かったため、筑後川左岸側の土砂が溜まるのを防ぎ航路を確保するため、1883年(明治16年)に筑後川の調査が行われ、1890年(明治23年)に完成しました。
若津港導流堤は、引き潮の時だけ姿を現わします。この導流堤のおかけで、川の流れを速め、堆積する土砂を遠浅の河口に押し流すことで、航路を維持することが可能になりました。導流堤の完成から100年以上経った現在も、その役割を果たしています。
若津港導流堤の見学は、河口から5kmほど上流にある「新田大橋」上から美しく見ることができます。
若津港導流堤は、社団法人土木学会の平成20(2008)年度「選奨土木遺産」に認定されました。


ということで建築に興味ある方はわざわざ見に来られるそうですよ。


大川市。渋いなぁ~


福岡県大川市側から佐賀県側を見る。



橋を渡りきると筑後若津駅跡地があります。


左の写真は大きな船が通過していくところですね!


大川市側の案内版


ここでUターンして佐賀県側に戻りました。



再び佐賀県側です。

昭和32年まで渡し舟があったそうですよ。



筑後川下流の近代化案内。先程のデ・レーケ導流堤や九州最大の積出港となった経緯などが書かれてあります。


改めて少し横から見て見ました。


少し上がってまた下がる(機械不調か?)様子をご覧ください。


橋の下に来てみました。


この土台は建設当時のものと思われます。コンクリートに沢山の石がはいっているので、、、今は使えないやつですね。




あぁ。この辺りで時間になってしまいました。
名残惜しいですが行きましょうか。


車で県境を越え福岡県へ!


昇開橋!さようなら!!


柳川市に入ります。


途中、築堤がちらっと見えて運転手のIさんが「あれ?線路あとじゃないかな?」と
Iさんもいままで気づかなかったそうです。

この橋は間違いないね。と2人で頷いたのでした。


築堤が見事に残っていました。


しかも踏切の土台も残っていました。


今タクシーが止まっているところが線路になるのです。


橋梁は無いですが川の向こうにも築堤が見えていました。筑後柳川(河)駅跡ですね。


そして、この公園が筑後柳川駅跡・・・


この案内板がなければ全く分からないくらい跡形がありませんでした。


Iさんと話が盛り上がるうち西鉄の線路が・・・


そして、、、


13:35 西鉄柳川駅に到着したのでした。


10:53に出発して約2時間40分。本当に、、、楽しかったです。


Iさん!ありがとうございました!!



JR佐賀駅から西鉄柳川駅までこのようなルートで走行していただきました。


佐賀線は「瀬高駅」まで行っていましたがこの先は殆ど何も残っていないそうです。

料金ですが今回のルートで8000円程度です。

レンタカーじゃなくタクシー選んで大正解でした!!

ガイド、お土産付きでしたもんね。


佐賀タクシーさん。ありがとうございました!!
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