かすかべみてある記

日光道中第4の宿場町・粕壁宿を忠心にクレヨンしんちゃんのまちかすかべをみてある記ます。

あのじゅん散歩が粕壁宿にやってきた!(2月14 日放送分後編)

2022-05-10 19:30:00 | テレビ番組
更新日:2022/05/08・公開日:2022/02/26
今年2月14日にテレビ朝日地上波で放送された『じゅん散歩』の後編です。
ビッグアート

表面・ネコちゃんがネズミを(5/8撮影)

裏面・ネコちゃんのしっぽ(2/14撮影)
「じゅん散歩」の散歩人・高田純次さんは、古利根川を渡り、春日部市八丁目の路地裏を歩いています。
すると、変わった看板のある八百屋さんが目にとまりました。
(2/14撮影)
(5/8撮影)本日休業
地元では知る人ぞ知るSAKAMAKI(サカマキ)坂巻青果店さんです。わが家もたまに利用しますが、とにかくお安いので助かっています。ただし、スーパーと違って野菜の形は不揃いだったりしますが。 
(5/8撮影)本日休業
じゅんさんは、お店の名前を尋ね、「サカマキさんか、それにしても面白い看板だね」と言うと、ご主人は「お向かいの会社で描いて貰った」と右手前方の建物を指差しながら答えていました。その会社こそ、地下道壁面の絵や粕壁宿のシャッターアートを描いたウォールディスプレイの会社ビッグアートさんです。
(2/14撮影)
ビックアート社

(2/14撮影)
ビッグアート入口の前で、同社の奥村昇社長がお出迎え。 

ワンちゃんのしっぽが(2/14撮影)
入口にある犬のオブジェの尻尾を握って嬉しそうに握ったりして、奥村社長の案内で建物の中へ。
じゅん散歩の告知も(2/14撮影)

今日の看板(5/8撮影)
建物の中の壁面には、いろいろなオブジェ、立体看板、そして奥の部屋には扉のトリックアートがあり、それらを見てじゅんさんは、「こんなのうちにあると面白いねぇ」などと言って楽しんでいました。
◆惣菜店
ビッグアート近くの惣菜店の看板

栗原惣菜店(2/14撮影)
この栗原惣菜店さんの看板も、もちろんビッグアートさんの施工作品です。


本日はお休み(5/8撮影)
(5/8撮影)
そして、この栗原惣菜店の店主ご夫婦は、お店の看板のように、ふくよかなお顔でそのまんまです。  
なお、毎日お昼時、そして夕方、栗原惣菜店は行列ができるお店として地元では有名。
特にコロッケは昔懐かしいあの味、個人的に、美味しさは絶品だと思います。
お隣はコンビニのセブンイレブンですが、栗原惣菜店のほうが行列ができています(ただお店が狭いだけですが)。

2月14日の放送分はここまで、じゅんさんは、翌15日、16日と東武動物公園を散歩、その後再び春日部に戻り17日、18日と歩きます。

つづく…

あの『じゅん散歩』が粕壁宿にやってきた!(2月14日放送分前編)

2022-05-06 19:30:00 | テレビ番組
更新日:2022/05/06・公開日:2022/02/24
テレビ番組『じゅん散歩/春日部編』につきましては、3回に分けて一度記事を公開しましたが、ブログを変えましたので、忘れないうちに備忘録として再エントリーします。
2月14日放送分を2回に分けて、今回はその前編。
◆じゅん散歩
テレビ朝日地上波で平日午前9時55分から放送中の“じゅんさん”こと三代目散歩人高田純次さんが街をブラ歩きする番組『じゅん散歩』が、2022年2月14日、17日、18日(放送日)に春日部にやって(放送)きました。
番組ホームページはこちら
↓↓
じゅん散歩|テレビ朝日

じゅん散歩|テレビ朝日

テレビ朝日「じゅん散歩」番組サイト

◆一歩一会
初代散歩人は『ちい散歩』の地井武男さん、二代目は『若大将のゆうゆう散歩』の若大将こと加山雄三さん、そして三代目は『じゅん散歩』のテキトー男こと高田純次さん。
番組コンセプトは「一歩歩けば、一つの出会いがある」ところから一歩一会
この手の番組に春日部や粕壁宿が登場するのは、コロナ禍前2019年12月に放送さらた、あの『モヤモヤさまぁ~ず2・埼玉県「春日部市」〜しんちゃんタウンのモヤり事情〜』以来です。
普段このじゅん散歩は観ていませんが、事前に広報がありましたので、今回は録画して観ることに。
◆スタートは
スタートは春日部駅東口から少し東京寄りの例の地下道(富士見地下道)から。

地下道入口

アートのある地下道

じゅんさんは地下道の中から話始めました。
また、地上出たじゅんさんは、かすかべの地名について、電柱の住居表示を指さしながら「春日部」と「粕壁」があることを示し、そして、散歩スタート。

春日部駅東口

駅前ロータリーにあるタバコ販売店のシャッターアート

駅前広場のモニュメント「心の橋」

じゅんさんは、これらを見て「アートの街」とつぶやいていました。まぁ彫刻など結構ありますので、、、。

しんちゃん
そして、あの人が待っていました。


「ぷらっとかすかべ」のクレヨンしんちゃん!
場所は

春日部情報発信館・ぷらっとかすかべ

春日部情報発信館(ぷらっとかすかべ)

じゅんさんは「春日部出身のびびる大木で〜す」などとボケながら中へ。
じゅんさんは、5年前(2017年)にもこちらに来館されたそうで、麦わら帽子の陳列棚をみて「5年前と変わらないね」と言っていました。そして「実物(着ぐるみ)のしんちゃんは結構デカいんだよね…」とも。

◆粕壁宿へ
それから地元のかすかべ案内人の方と一緒に、粕壁宿へ。かすかべ大通りを北に少し歩き、屋根の上に鍾馗様がある、

慶長年間創業の米穀商・長島庄兵衛商店

「慶長年間と言われてもわかんないよ」と
そして、屋根の上を見上げるとそこには、、、

屋根の上の鍾馗様
 
屋根の上に鍾馗様があるのを聞いたじゅんさんは「鍾馗様ってあれでしょ、五月人形の…」と、さらに「春日部にはいろいろありそうだねぇ」と言っていました。そう!ありますよ。
この蔵も画面に

重要有形文化財(建築物)の浜島家土蔵

そして、案内人の方と話しながら引き返し、こちらへ

蔵のある田村荒物店でご主人とお話し。

裏側の立派な蔵

立派な蔵を見て「修理しながらいくの大変でしょう、全部売ってマンションにしましょうよ」などと言っていました。当然ご主人は「ないない」と手を横に振っていました。

◆粕壁宿を後に
ここで粕壁宿を後に古利根公園橋を渡って、


山本正道作『思い出』

次は面白デスプレイの「ビッグアート」さんへ

ビッグアートさんの看板(表面)

つづく…







かすかべ花便り2022・牛島の藤(余話)

2022-05-02 19:30:00 | 藤の花
◆牛島の藤 
前回エントリーした牛島の藤について、備忘録として余話を少々。
この牛島の藤がある「藤花園」(とうかえん)は、もともとは、「蓮花院」(れんげいん)という真言宗のお寺でした。廃仏毀釈の影響などで明治7年に廃寺となり、その後、何人かの個人の方が所有、現在は所有する小島家の有限会社藤花園さんにより管理・公開されています。




なお、郷土史家の須賀芳郎氏によれば、
この藤は「野田フジ」の一種で花房は、2㍍ほどの長さになります。樹齢は1200年以上で、伝説では弘法大師のお手植えともいわれています。
昭和30年、国の特別天然記念物に指定された「藤花園」は、蓮花院跡と伝えられており、藤の所有は蓮花院(廃寺)から田中源太郎氏、藤岡氏へと移り、現在は小島すい子氏が管理しています。 
明治33年5月発行の「粕壁藤の紫し折おり」に、大和田建樹が「牛島の藤」と題し、紀行文を寄せていますが、その一節に「藤は一つの幹より枝さしひろがり、長さ18間、幅5間の棚にぞ作られたる。それより幾千幾ともなき花房氷柱の如く滝波の如くしな垂れて。下いく少女の顔に映つしあいたるさますべていふべくもあらず。桜は吉野といへど。梅は月瀬といへど藤の名所はまだ知らぬを、あにおもはんや帝都を去る十里の地にして此見ものあらんとは花房の長さ去年に劣れりといえど。なお4尺はあるべし、300 年来の木なりというも遠くはたがはじとぞ思う。」と讃美しています。
詩人三好達治の詩集の中にも「牛島古藤歌」があり、その一節にも
ゆく春のなかき花ふさ
花のいろ揺れもうごかず
古利根の水になく鳥行々子啼きやまず
メートルまりの花の丈
匂ひかがよう遅き日の  
つもりて遠き昔さへ 
何をうしじま千とせ藤  
はんなり、はんなり 
とあります。
昭和初期の長谷川零余子は、 
人の世のいさかいは知らず藤の花
人の目に藤たれて虻のうなりかな 
と牛島の藤を詠んでいます。
(引用:ふるさと春日部『かすかべの歴史余話』須賀芳郎/著 1977年~)

と書かれています。多くの詩人や俳人が訪れて詩や俳句を残しています。 

なお、現在の園長は小島喜久雄氏。

大和田建樹(おおわだ たけき)=『鉄道唱歌』『故郷の空』などで知られる明治期の詩人、作詞家、国文学者。

三好達治(みよし たつじ)=昭和期における古典派の代表な詩人、翻訳家、文芸評論家。

長谷川零余子(はせがわ れいよし)=明治から昭和初期にかけて活躍した日本の俳人。

「はんなり」とは、上品ではなやかなさまを表現する言葉。 

なお、現在の園長は小島喜久雄氏。 

◆新一万円札の顔も

下記のブログによると詩人や俳人の他、昨年2021年のNHK大河ドラマ『青天を衝け』の主人公渋沢栄一翁が今から110年前の明治45年(1912)4月28日、講演で来訪の際、牛島の藤をご覧になったそうです。

↓↓


◆野田藤


園内の案内板などにも「九尺藤」「野田藤」とあります。花のことに疎いため、てっきり野田市(千葉県)が原産なのかぁ、なんて呑気に感心していましたが、そうではなく、どうやら、
大阪市福島区野田はノダフジ(野田藤)と呼ばれる藤の名所で、牧野富太郎による命名のきっかけとなった。同区玉川の春日神社には、野田の藤跡碑がある。(wiklpedia)

牧野富太郎(まきの とみたろう)=「日本の植物学の父」と言われた著名な植物学者。

なお、この野田藤は、今でも牛島の藤(埼玉県春日部市)、春日野の藤(奈良県奈良市春日大社)と共に日本の三大名藤の一つとされています。

その一方、「野田藤」の原産地は、はっきりしないとも言われています。いずれにしても野田市(千葉県)ではないことだけは確かなようです。

最後に、

とその前に、園内には、


花壇と

躑躅

◆牛島の地名

牛島の地名について少々、郷土史家の須賀芳郎氏は、 

ウシジマはウチ(内)ジマの意とみられ、シマには「川添いの耕地」「村」などの意がある。おそらく川荒れによりおこった地名。(「埼玉県地名誌」)
また、小野文雄氏(春日部市史監修者)は自身の著書「埼玉県の歴史」の中で「國府への道(古道)は、武蔵國は東山道に属しており東山道から國府までの五駅の一つである浮島の駅(うまの地で、後に牛島と変化したのではないか」と述べています。

と書いています。興味深いですね。

なお、牛島の地名については、後日改めて。

◆ぷらっとかすかべ

春日部駅東口にある春日部市の情報発信館「ぷらっとかすかべ」にはこんなコーナーもありました。







藤は春日部市の花ですから、この時期は多くの方がお見えになります。