かすかべみてある記

日光道中第4の宿場町・粕壁宿を忠心にクレヨンしんちゃんのまちかすかべをみてある記ます。

日光道中粕壁宿・渡るには渡銭が必要だった「十文橋」(前編)

2023-01-20 19:30:00 | 地域発信情報

公開日:2019/03/18・更新日:2829/01/20

◆古道と古橋

 かすかべには、古くから、日光道中をはじめ、岩槻道関宿道などの古道が通っていました。これらの古道は、いずれも当地と各地を結ぶ政治・文化・産業面で重要な役割を果たしてきました。 

 そして、これらの道は、地域内で古利根川や古隅田川その他多くの用水排水路に交差しているため、渡河のためには、水嵩が少ない時期以外には、何らかの渡河の手段が必要でした。往古は、簡易な丸木橋が架けられ、その後、時代とともにより堅固な橋に架け替えられてきました。

と言うことで、

◆十文橋

 今回のかすかべ古橋物語は「十文橋」この橋にもいろいろ歴史がありました。

f:id:takejiisan:20190318130636j:image

橋名のプレート

 正しくは、橋名板(きょうめいばん)と言うそうです。下記に詳しく。

f:id:takejiisan:20190318130653j:image

ひらがな表記

この橋も(じゅうもんばし)ではなく(じゅうもんはし)です。橋の名はみんなこう読むのかな、良く分かりません。

 と言うことで、早速、調べてみました。図書館で調べましたが、わかりませんでしたので、止むなく、Wikipediaの力を借りました。

橋名板 

橋名板(きょうめいばん)とは、橋梁の名称などを示すために設置される板のことで、橋の起点側・終点側、橋に向かって左側・右側、合計4箇所に、それぞれ橋名板が設置される。なお、これは国土交通省の道路橋示方書に基準が示されているものではなく、各自治体が発注する場合の仕様書などに示されている場合が多い。

記載事項の設置一覧

多くの橋名板での、記載事項の位置は、次のようになっている。

  • 道路起点から見て左側に「漢字表記の橋名」
  • 道路起点から見て右側に「交差する河川(鉄道)などの地物名」
  • 道路終点側から見て左側に「ひらがな表記の橋名」
  • 道路終点側から見て右側に「竣工年月」 

「橋」の読み

橋名のひらがな表記については河川台帳等にある正式の読みとは関わりなく、「○○橋→○○はし」のように濁点を抜いて記載すると、規定している例がある。

河川の読み

同様に、正式には○○川(○○がわ)であっても、橋名板上では、濁点を抜いて「○○かわ」のように記される例がある。これは「水が濁らないように」との願いから慣習的に行なわれきたものである。

なるほど、初めて知りました。

 早速「古利根公園橋」や「新町橋」などを調べてみると、いずれも上記のように表記されていました。ただし、橋の起点は古利根公園橋も新町橋も共に、粕壁宿の対岸の八丁目、小渕側が起点でした。やはり、埼玉県も慣習的に、この様に決めているようです。今後は他の橋を見る時にも忘れずに確認したいと思います。

 それにしても、ブログを書くことはいろいろ勉強になります。

f:id:takejiisan:20190318132504j:image

道路起点から見て右側に河川名( 漢字表記)

f:id:takejiisan:20190318180959j:image

道路終点から見て右側に竣工年月

f:id:takejiisan:20190318181136j:image

「十文橋」の全景

この橋の道路起点は、左側の粕壁宿になります。 

f:id:takejiisan:20190318131005j:image

ここは古隅田川と古利根川の合流点

f:id:takejiisan:20190318180440j:image

一級河川「古隅田川」の標識(埼玉県)。ほとんど文字が消えかかっています。

◆古隅田川

 この橋が架かる古隅田川は、『新編武蔵風土記稿』によると、もとは大河でした。かっては、利根川の本流で、武蔵国太田庄と下総国新方庄を隔てていた国境の時代もありました。

 往古、川の流れは、今と逆で、利根川が小淵付近で大きく湾曲して、西の方へ流れ、元荒川に合流していたそうです。今は想像もつきませんが。  

後編に続く…


参考文献:

  • 春日部市史 第六巻 通史編Ⅰ
  • 『かすかべの歴史余話』須賀芳郎著 1977年〜