難波宮って? 古代史のんびり散歩

時間だけは、タップリある定年団塊世代が、ズート気になっていた
古代日本史を素人の感性でゆっくり探訪します。

歴史好きの、コロナ嫌い

2020年06月22日 | 社会
開始 令和2年4月21日

 コロナ騒動のため、古代史探索が出来ず、地元の探索を
 始めています。

4月21日
 原油の先物価格 5月分
 1バレル -30ドルを割り込む。
 これって、原油を1バレル買うと、30ドル払うんじゃなくて、)
 30ドル付いてくるってこと ? (*_*)

 大恐慌の、予兆が見えてきた。 

 使っているガソリン代が、1㍑ 30円ほど下がった。 (^o^)
 些事(小さいこと)ですみません。 m(__)m

4月23日
 岡江久美子さん コロナのため死亡
 乳がん治療中、抵抗力が下がっていたため。
 男性に、一番好かれる明るいタイプの人と思っていた、
 いいタレントが。 (;_;)

4月25日28日
 老後の小遣い稼ぎの、アルバイト激減、時間あり余り、
家に居ると、女房に邪魔者扱いされるので、時間つぶしと、
体力維持のため、地元の名所を歩き回っています。

4月25日
 何故此処に、こんな立派な 満願寺 拝観。

 以前から、一度訪れたいと思っていました、満願寺散策。
地元 阪急川西駅近くに(歩いて10分)出来た、ショッピング
タウンに車を止め、(駐車代が無料ですから。)
グーグルマップの徒歩ナビで、ゆっくり出発。
坂道の連続、1時間余り(かなり余り。) (-.-;)
運動不足の定年組には、かなりキツカッタ。


 住所:兵庫県川西市満願寺町7
  宝塚市の中に、川西市の飛び地に成っていました。
 阪急 宝塚線 川西駅より徒歩3km余り、坂道が続きます。


 8世紀の奈良時代に開創、神秀山満願寺、
 真言宗寺院
 信者すべての願いは必ず聞き届ける; 満願寺
 (聞き届ける ≠ 叶える)
 968年 源満仲が、この地の摂津国多田に館を構えて以来、
 源氏一門の祈願所に。

<脇道> コロナの為、外出見合わせ要望の所為で、拝観者は
 とても少なっかたです。 参道の土産物屋さんも、お休み所も
 店仕舞して、少し寂しかったです。



 流石に、真言宗のお寺、とても立派な、弘法大師(空海)様の
像が、ありました。


 坂田金時の墓がありました。
 多田源氏の源頼光の家臣で、頼光四天王の一人ですから、
此処にお墓が有るのは、納得できるのですが、坂田金時の
事を余り理解していないことに気づきました。
「皆さんはどうですか?」
一度、Wikipediaで検索してみて下さい、
熊にまたがり、相撲の稽古 はっけよいよい ♫ 〜 だけでは無い、
ことが沢山書かれています。??


4月28日
 何故ここに有るの? ナイチンゲール像を探してきました。

 偶然ですが、キー入力している今日 5月12日は
フローレンス・ナイチンゲールの誕生日にちなみ、
ナイチンゲールの日で、「国際看護師の日」に定められています。


 住所:兵庫県川西市花屋敷1丁目6-21
 阪急川西駅より、徒歩10分
 駐車場は在りませんでした。健康のため、徒歩で。
 (途中に案内板などは無く、探すのに手間取ります。)


 案内板に、1936年(昭和11年)にロンドンにある
ナイチンゲール像を、原型に制作されたと記されていました。
 (日本赤十字)


 像の台座には、「救苦観世音」(苦しさから救ってくれる観音様)
と命名されていました。


 この像のイキサツが書かれていました。
 説明板には、この像の建立は、宗教法人福田海運の創立者
中山通幽という人で、ものを知らない私は、全く聞き及びが
在りませんでしたので、ネットで検索して初めて、知ること
ばかりでした。 一度皆様も、検索してみて下さい。

 検索してみて驚いたのは、この像もそうですが、日本各地の、
古寺や、石像などの、人から見放され、寂れていた宗教物を
改修や復活に尽力されていたことです。只々頭が下がる
思いです。
「そのお金は、どうされたんだろう?」 
すみません、私( 関西人 )の悪い習性です。

 今回の、コロナ病の終息を心よりお祈りしました。
 治療に洗練され感染の不安の中、治療に、従事されて
おられる、医療関係者様全てに、頭が下がる思いで、
お礼を申し上げてきました。



 ナイチンゲール像の同じ敷地に、隠れるように入り口が在り、
 その中に、看護婦慰霊塔が在りました。
 扉に鍵はかかっておらず、扉を開けて中で、拝めことが
 出来そうでした。


5月6日
 満願寺をお参りさせて頂いた時に、川西市の
観光パンフレットの中に、満願寺から多田の多田神社に至る、
ハイキングコースが紹介されており、「へー歩いて行けるんだ。」
と知り、一度行ってみなくてはと軽く思い、グーグルマップや、
ヤフーマップで、コースを探ってみたのですが、川西市の
ハイキングマップに書かれている、コースが出てこないのです。
市役所が出しているネットの地図ですから、間違いは無い
だろうと、勝手に軽く思い込みました。
今回は、満願寺まで、阪急川西口から、阪急バスで行き、
満願寺から、ハイキングマップを見ながら、きっと、坂田金時も
きっとこの道を辿ったのだと、勝手に想像し、満願寺から、
多田神社までの、探検を強行しました。

 満願寺正面より西隣にある、愛宕原ゴルフ倶楽部の入口まで
行き、駐車場の西北沿いにある道を、ゴルフ場のフェンス沿いに
ズート ズート歩いてゆくと、ゴルフをしている人の不審者を見る
「ナンヤこいつ?」の目は無視し、歩いて行き、(只々、川西市の
ブログ地図を信じ) ゴルフコースの先端に行き着きました。
 その先端が、ハイキングコースの山道の入り口と、軽く案内
されていました。だけどそこは、山木と山木の僅かな隙間で、
辛うじて人が一人通れる、道 ✘ 隙間でした。
コロナ騒動のせいで、ハイカーも少なく(この日、山道で出会った
のは、一組だけでした。)手入れなどまるでされていない、
放ったらかしの山道で、私一人がやっと通れるだけの、
狭い道幅の場所が幾つも在り、本当にこの道で良いん
だろうか ? と不安になりながら、上り坂下り坂の
狭い道幅に、大きな石ころだらけの道を、辿ってゆきました。
途中で、木の脇に立てかけてある小枝を見つけ、杖代わりに
して、転びそうな所を、バランスを保ちながら、コワゴワ歩いて
ゆきました。
歩きながら気が付いたのですが、山道に入って、多分
モトクロスバイクの、タイヤ痕を何本か見つけたのですが、
石ころ道の途中から、見えなくなりました。(多分諦めたな!)
 アッ、こんなこと書いて、粋人の挑戦心に火をつけて、
事故を起こされ、このブログのせいにされたら大変だ。
「満願寺から、若宮 経由 多田神社までの、川西市の
決めた、ハイキングコースは、険しすぎると思いますので、
モトクロスでは、絶対に無理ですよ!!」

 途中で何箇所も、岩が崩れていたり、木が倒れていて、
這い登るような所も在りました。
 両脇も、前後も、崖と木立に遮られ、先が見通せず自分が
何処歩いているか、まるで理解できず、グーグルマップを
見ても、現在位置の矢印が、スマホの画面上を飛び回って、
マップシステムも、確認できないようで、この道の存在が
地図上に認識されていない為のようです。
多分、携帯電波が弱いせいかもしれません。
「私は今何処に居るんだ??」
面白すぎて、少し苦笑いしながら、小道を辿って行きました。
道は狭くて、木がボウボウなのですが、少し上り下りが無くなり
やっと、前から、今日はじめてのすれ違い人に、出会いました。
4人家族で、子供二人は、小学生ぐらいの明るい家族でした。
「コンニチハ。」「この先県道に出れますよね。」
「ハイ出れますよ。」
「来られた方へ行けば、満願寺に行けるんですよね?」

「ハイ行けますよ。」
「道が少し険しかったですから、気を付けてくださいね。」

 別れて少ししてから、低学年の子供大丈夫かな?
少し心配になりました。両親が居るから大丈夫だよな。
 4人家族と別れてから、10分ほど歩いてやっと、
県道に出ました。
 県道に出る手前に、お地蔵様の祠が在りましたので、
無事に出口に辿り着けたお礼と、コロナの収束を心より
お願いさせて頂きました。
 使わせてもらった、小枝の杖を、祠の横に、お返ししました。
そこからは、三田方面に行く時に使っている県道ですから、
ゆっくり歩いて、小一時間で、多田神社に辿り着けました。


 神社の側に、「勝 コロナに負けない町 多田」
 看板が在りました。


 清和源氏ゆかりの、多田神社です。



 正門に吊るされた、提灯には、徳川家と同じ葵の家紋が
 ついていました。
 徳川家と繋がりがあるのでしょうか?


 源頼光が行った、大江山の鬼退治(地区の山賊、酒呑童子)
 の唄。




 切り取った、鬼の首を洗った池。






 大相撲の、横綱 貴乃花 横綱 曙の記念碑が在りました。
 イキサツはよく分かりません?


 コロナ収束を、深く頭を下げ願ってきました。


令和2年5月24日
 関西地区が非常事態宣言の解除に成りました。
 善かったですね。 
「もしや私のお願いを、聞いて頂けたから?」
   m(__)m 言った者勝ち


令和2年5月27日
○ 多田銀山跡に行ってきました。
 以前から時々チラホラと、耳に入り、何だろうと、氣には
 為っていたのですが、それほど興味はなく、やり過ごして
 いました。
  コレラ騒動のせいで、幼い時(中学生の時)から、暇な時や、
 寂しい時、マイナス気持ち発散の為に、一人でブラブラ
 梅田(大阪市北区繁華街)の散策や、ラジオ組み立て好きで
 部品探しに、日本橋(大阪市南区電気街)をウロウロする
 放浪グセが、染み付いているのですが、流石にこの情勢
 女房さまから「絶対にだめ」と、強く言いつけられて
 いるものですから、繁華街放浪癖を、一旦取りやめ(悲しい、
 寂しい)、代わりに地元の、神社仏閣や旧跡探索を始めました。
 (ブログ参照下さい。)
 地元の神様仏様に、コレラ収束をお願いして廻り、
 ありがたいことに、5月24日に、地元の関西地区を
 非常事態宣言の解除にして頂けました。
 「もしや私のお願いを、聞いて頂けたから?」
   m(__)m 言った者勝ち

 猪名川市役所のホームページで、場所を確認しいざ。


 多田銀山記念公園 悠久の広場で、車を止めさせてもらい
 徒歩で、探索(彷徨)を開始しました。


 無念! コロナ騒動のため、現地資料館の「悠久の館」は
 6月2日まで臨時休館。 無念! コロナの為に。

6月2日 再館日
  えへっへ! 再挑戦しました。
 展示品を拝見させて頂き、大きなショックに襲われました。
 今まで過ごしてきた、私の人生には無かった部屋のライトを
 点けてしまった思いでした。
 田舎の銀山という特異な地区の、探索と上から目線で思って
 いたのですが、展示されていた、鉱山跡、鉱脈の地図を見て、
 これからの地図の見方が変わってしまう程の、ショックに
 襲われた思いでした。
 「何を大層に騒いでいるの?」
 見てしまった地図には、関西の北摂地区が展示されており、
 この多田銀山地区を中心に、銀山、銅山、亜鉛、砂鉄の鉱脈や、
 その採掘場跡の印がされており、驚くほど沢山の印がされて
 いたのです。
 しかも、私の家のホン近くにも、銀山の印が在りました。
 「えっ、昭和40年代の、バブル期に造成された、
 私が住んでいる住宅地に、その昔、銀山跡が在ったとは?!
  裏庭を掘ったら、銀鉱石ガーーー??

 はかなく可愛い妄想は、さておき、以前から、裏日本側{北九州
 (炭鉱など)、山陰地区(砂鉄 銀山など)、北陸(銀山 恐竜化石
 翡翠(ひすい)など)、東北日本海側(金山 油田)}に、偏って
 いると不思議に思っていました。
 高校時代、「先生、日本海側に、鉱山が多いのは何故ですか?」
 「日本海側に、鉱脈が連なっているから、なんだろうな。」
 どうして、日本海側に、鉱脈が連なっているのか? という
 答えは貰えなかったのです。

 その答えが、この展示場の片隅に、何気なく展示されて
 いました。
 それは、皆さんも地学の時間に習った、日本列島が形成
 されていく経過図でした。
 アジア大陸(ユーラシア大陸)の東端に陸続きだった、地域が、
 どんどん太平洋に、押し出されるように、東に移動し、
 その間に日本海ができ、今の大陸と離れて、単独の列島に
 なったと、教わりましたよね。
  でもなぜ、どの様にして東に、日本列島だけが、
 「アジア大陸さん、さようなら」と、移動したのかは、先生から、
 教えてもらっていませんよね。
 教科書に描かれていた経過地図は、グーグルマップの
 衛星写真で、上から見た日本列島が、移動していました。
 でも、この資料館に、展示されていたイラストマップには、何か
 黒い塊が、上に乗っている土地を押しのけるように、東に東に
 移動しているのです。下部の黒い塊に押されている上部の
 土地は、その前にある土地を、押し上げるように、ぶつかり
 合い、日本中央構造線の、高い日本アルプス連峰が造られ
 ていきます。
  そのうち、黒い塊が、前にある土地が邪魔になりだし、
 黒い塊自身も、上に持ち上がてきたのです。
 黒い塊は、地球表面形成時代に、金属成分をお多く含んだ、
 層だったのです。
 その黒い層を、何というのか、読み取れませんでした。
 地層学に詳しいお方、ご教授下さい。
  でもこれで、学生時代に、持っていた、疑問
 鉱山が日本海側に多い謎が溶けました。


 「銀山橋」


 多田銀山を取り締まる、「代官所」の跡がありました。
 治安は大事ですよね、何時の時代も、金目のものに、
 目のない奴は居たでしょうね。



















 銀山跡を流れる小川の水は、とても透明なのですが、
 川底の岩の表面は、錆色がこびり付いているようでした。
 やっぱり元鉱山のせいでしょうか?


 多田銀山の坑道後の探索が出来るときいいていたのですが、
コロナ騒動のため、入道が中止になており、今年に開道は無理
と言われ、 「コロナめっ!!」
 来年、開道された時、じっくり散策したいと思います。

 大阪府下から、昭和の好況時に、大阪府下から、今の
新興住宅地に30年以上前に、住み着いていたのですが、自分が
住んでいる、地区の名所旧跡、史跡、神社仏閣の知識が乏しい、
☓、皆目無いことに、コロナ騒動の所為で目覚めさせられました。
 古代史探索が出来るまで、暫くは、地元散策!

 「コロナ撲滅、地元散策。」は次のブログを立ち上げます。
 こうご期待!!

ー追記ー
 故郷から離れ、新しい町で過ごされている、 ’アナタ’!
自分の町を、知り尽くしていますか? 近所にある、お地蔵さんの
笑顔は見ておられますか?
この、コロナ騒動を機会に、自分の物にしてしまいましょうよ。
 是非ブログをお立ち上げ下さい。
そして、お知らせ下さい。楽しみにしています。

 地元散策、続きます。
 コロナ撲滅、地元散策




◎ 古代史 のんびり散歩 
  スタートページ です。
    (新作順表示)

◎ 目次ページ
     (創作順表示)
◎ 「難波宮ッテ?」   古代史感のすれ違い    
  メイン ブログです。





 すみません。私は、理系出身で物を知らないド素人の定年組みです。記載内容に、非常識な内容、不快な表現等があるかと思いますが、何卒ご容赦いただきますようお願い申し上げます。ご指摘頂けましたなら、早急に訂正変更いたしますので、ご指摘、ご指導お願いします。 記載内容に多少の大袈裟や、特に会話記載に省略や脚色を加えております。老人の戯言と、ご容赦下さいね。


 


 



コメントを投稿