0439 STROLL 12
12月1日
オペラ座のスタッフは、「怪人は実在する」と言っている。
「怪人“シルフィード”の力なくしては150年も流行しなかっただろう」と。
シルフィード。
空気の妖精の意味。
12月2日
時代劇や演劇やドラマ。
そこでは「正義対悪」が描かれる。
だが、現実世界の難しいところ。
それは、「正義対正義」というところだ。
解釈一つで、何が正義なのかも変わる。
12月3日
例えば?
「核兵器廃絶」を訴えてデモ行進をするのは、正義。
ところが、大国が核を手放さないのも、「正義」だからなのだ。
12月4日
なぜ、大国は核を保有することを正義と考えているのか?
・他国の不法な侵攻を「抑止」するため。
・テロリストへの流出を防ぐため。
12月5日
こんな考えもあるのだ。
「もしも大国が皆核を放棄したら?」
「テロリストが小型の核で世界を脅かすかもしれない」
「そうなったとき、太刀打ちできない」
「こうなると、核を持たない世界の方が劣勢になる」
そんな考えの根拠は。
「今あるモノや人物は管理できても、知識や技術は管理できないから」である。
12月6日
生活がどう変わっても。
旅行をしても。
トラブルにあっても。
それをネタに出来るのが、作家やブロガーの強みだ。
特に、トラブルが起きたり大事なものが破損したりすると。
たいていの人はしょげてしまうが、作家やブロガーは「ネタができた」と発奮する。
トラブルに強くなるのだ。
12月7日
物事には、裏がある。
表だけで事を成そうとするから、しんどいのだ。
裏、といっても悪いこととは限らない。
「人は正論では動かない。感情を揺り動かす必要がある」
との現実を知って、その方法を採択することでもあるのだ。
12月8日
ものすごく技術を高めている人。
その技術は、表(陽の下)にふんだんに使われている。
しかし、その技術を習得した「動機」がどこから来たのか?
それを見つければ、その技術の裏面が見えてくる。
つまり、隠された目的が。
12月9日
主な例。
ロシアが生んだ大文豪ドフトエスキー。
彼は、借金に追われて大作を書いた。
『罪と罰』、『賭博者』などは、あまりのスケジュール過密さのため、口述筆記という形をとったと言う。
ナポレオンは、遠征を繰り返したが、多くの妾をはべらせていた。
女目当てだったのでは、とも言えるほどだ。
また他に。
「孤独に耐えるためにやっていたこと」が、いつのまにか優れた芸となる場合もある。
「作品がもたらした効果」と、「作品を生み出した動機」は、たいていの場合、一致しないのだ。
12月10日
「3歩進んで2歩下がる」
それが堅実な歩みだ。
前進ばかりだと、不安になる。
後進すると、「前進したい」という意欲が強まる。
こうして、一歩一歩の歩みが堅実なものとなる。
12月11日
「2歩さがって、3歩進む」
昔書いたものを読み返す。
昔作った作品を研究する。
自分の昔を今一度見るめるのだ。
それによって、この先も進むことが出来る。
昔の作品に今の自分でもって新たなアレンジを加えることによって、新たな作品が生まれる。
12月12日
「もう少しだったのに、達成できなかった」
というときの方が、「リトライ」の意欲は強い。
あっさりすんなり達成してしまったものは、もう記憶の片隅に追いやられている。
失敗だらけだったからこそ、記憶に残るのだ。
12月13日
あっさり成功してしまうと。
もうその先、その成功までの道のりをじっくり研究することはないだろう。
もう見向きしなくなるだろう。
だから、失敗した方がいいのだ。
12月14日
静かな夜を、優雅に過ごすには。
優雅な心と。
やはりいくらかのお金は必要だ。
12月15日
「まさかそれはないだろう」
という思い込みが、事態を最悪なものにする力の生育を許してしまう。
12月16日
「無名有力」
役割で成功すると。
周りの人は、その人物と役割を一緒くたにして尊敬する。
だから、本人はその役割からおいそれと分離できなくなる。
不自由になるのだ。
12月17日
自分の夢で、有名になることだ。
夢を人に使われてはいけない。
12月18日
光が強くなれば、影も濃くなる。
影が濃いと、影の中で何かが育っていても見えないから、気づかない。
適度にクレームを受けて光を弱めた方が良いのだ。
12月19日
なぜ日本の都市は、集中豪雨に弱いのか?
街の構造が原因の一つでもある。
都市が川や海の海面に近い。
川面や海面よりも低い所もある。
谷の街も多い。
そして、ここがポイントだが、「そこで安全に暮らすために、頑丈な堤防を築いた」のだ。
堤防が頑丈なため、決壊すると甚大な被害になる。
12月20日
台風が突然収まった。
台風の目に入ったからだ。
しかし実は、台風の目にも渦が生まれる。
メソ渦だ。
これが、局地豪雨をもたらす。
12月21日
大都市での災害は。
建物や車、木材や物質が凶器になるという二次災害の危険がある。
そして、バイオハザードという三次災害の危険もある。
(バイオハザード:病原菌の蔓延)
また、人間の略奪行為という災害も。
12月22日
災害があって、堤防が壊れても。
家族の絆を壊すことはできない。
災害で、絆はますます強くなる。
12月23日
かつての伊勢湾台風で、7mの高波が発生した。
それを基に、高さ7~8mの堤防が築かれた。
しかし、それは理論値でしかない。
高知では、2004年10月に、24mの高波が発生している。
12月24日
俳句は、世界一短い「詩」である。
俳句の世界。
これは、現代の「ショートメール」「ライン」世代に通じるものがある。
12月25日
松尾芭蕉と言えば、奥の細道。
俳人として有名だ。
だが芭蕉はさまざまな職業を持っていた。
現場監督、禅僧、忍者(隠密)など。
12月26日
松尾芭蕉は、元禄時代、東京深川で生まれた。
(現在芭蕉記念館がある)
「古池や、蛙飛び込む水の音」
この詩がなぜ、時空を越えて今だ大人気なのか?
12月27日
その理由は、日本人の脳のメカニズムにあるという。
自然界の音(擬音)を左脳で処理している。
それで、擬音に言葉のような意味を感じるのだ。
「自然界の音(擬音)に、言語のような意味を感じる」脳なのだ。
自然界の音(擬音)を左脳で処理しているのは、日本人だけとされている。
「古池や 蛙飛び込む 水の音」
ポチョン。
ほら、もう映像が見えて、そこに何か意味を見出す。
そしてこの俳句は、当時の通常の詩情性を破る画期的なものであった。
当時の通常の詩情性では、蛙と来れば「鳴き声」を表現するところを、「飛び込む音」に着目させた。
そして、飛び込んだ後の、あのなんとも言えない静寂。
これをリアルに表現したのだ。
12月28日
松尾芭蕉は6人兄弟の次男。
幼少の頃は生活苦だった。
19歳のとき、伊賀で藤堂良忠の奉公人となる。
俳句をたしなんでいた良忠のお供で句会に参加する。
「うばざくら~」(21歳)で、センスの高さを絶賛される。
12月29日
良忠が25歳で亡くなり、その死を偲んでおよび藤堂家に足がつかなくなったこともあり。
俳諧人として独立する。
その後、井原西鶴など「先生」レベルが書くような優れたガイドブックを書いてアピール。
29歳。
経済の中心であった日本橋に住む。
スポンサーをつけるために、街中の人と場所を「褒めまくって歩き」、大衆の人気を集めた。
34歳。
「神田川のゴミ拾い大作戦」
これで、圧倒的な人気が集まった。
そしてついに、「万句興行(俳句の大規模な大会)」を主催。
これが成功する。
こうして芭蕉は「俳壇の名主」となる。
このとき、門下生から学び取って「医師」免許も取得していた。
12月30日
37歳。
芭蕉に大きな転機。
日本橋から深川に転居し、家族を捨てた。
その理由は。
「自分の俳句を作りたかった」
そして仏頂和尚のもとで禅を学ぶ。
俳句を芸術まで高めようとしていたのだ。
自宅に芭蕉の葉が植えられていて、彼はそれをいたく気に入る。
それで、自分の名を「芭蕉」と改名。
そして、さらに俳句を高めるべく、「奥の細道」へと旅立つ。
元禄2年、3月のことであった。
12月31日
奥の細道のルート。
深川
↓
日光
↓
仙台
↓
平泉
↓
新潟
↓
金沢
↓
東照宮に寄ったのは、別の目的があったからだ。
当時、綱吉が伊達に「東照の大改築」を命じ、伊達は嫌がっていた。
そこで綱吉が芭蕉を使って芭蕉の弟子「曾良(そら)」に隠密に東照宮を探らせたという。
現在、俳句上達のために奥の細道を歩む人は多い。
「荒波や 佐渡によこたう 天の河」
この俳句は現実の光景を基にしたものではないとされている。
芭蕉は佐渡で天の河を見ていないのだ。
だが、映像が浮かんでくる。
ドッパーンと波が打ち寄せた後、その向こうに、天の河。
この、なんという静寂。
なんという開放感。
どこからともなく、こんな声が聞こえてこないか?
「いつも未来に関心を向けていなさい」と。
0439 STROLL 12(完)
12月1日
オペラ座のスタッフは、「怪人は実在する」と言っている。
「怪人“シルフィード”の力なくしては150年も流行しなかっただろう」と。
シルフィード。
空気の妖精の意味。
12月2日
時代劇や演劇やドラマ。
そこでは「正義対悪」が描かれる。
だが、現実世界の難しいところ。
それは、「正義対正義」というところだ。
解釈一つで、何が正義なのかも変わる。
12月3日
例えば?
「核兵器廃絶」を訴えてデモ行進をするのは、正義。
ところが、大国が核を手放さないのも、「正義」だからなのだ。
12月4日
なぜ、大国は核を保有することを正義と考えているのか?
・他国の不法な侵攻を「抑止」するため。
・テロリストへの流出を防ぐため。
12月5日
こんな考えもあるのだ。
「もしも大国が皆核を放棄したら?」
「テロリストが小型の核で世界を脅かすかもしれない」
「そうなったとき、太刀打ちできない」
「こうなると、核を持たない世界の方が劣勢になる」
そんな考えの根拠は。
「今あるモノや人物は管理できても、知識や技術は管理できないから」である。
12月6日
生活がどう変わっても。
旅行をしても。
トラブルにあっても。
それをネタに出来るのが、作家やブロガーの強みだ。
特に、トラブルが起きたり大事なものが破損したりすると。
たいていの人はしょげてしまうが、作家やブロガーは「ネタができた」と発奮する。
トラブルに強くなるのだ。
12月7日
物事には、裏がある。
表だけで事を成そうとするから、しんどいのだ。
裏、といっても悪いこととは限らない。
「人は正論では動かない。感情を揺り動かす必要がある」
との現実を知って、その方法を採択することでもあるのだ。
12月8日
ものすごく技術を高めている人。
その技術は、表(陽の下)にふんだんに使われている。
しかし、その技術を習得した「動機」がどこから来たのか?
それを見つければ、その技術の裏面が見えてくる。
つまり、隠された目的が。
12月9日
主な例。
ロシアが生んだ大文豪ドフトエスキー。
彼は、借金に追われて大作を書いた。
『罪と罰』、『賭博者』などは、あまりのスケジュール過密さのため、口述筆記という形をとったと言う。
ナポレオンは、遠征を繰り返したが、多くの妾をはべらせていた。
女目当てだったのでは、とも言えるほどだ。
また他に。
「孤独に耐えるためにやっていたこと」が、いつのまにか優れた芸となる場合もある。
「作品がもたらした効果」と、「作品を生み出した動機」は、たいていの場合、一致しないのだ。
12月10日
「3歩進んで2歩下がる」
それが堅実な歩みだ。
前進ばかりだと、不安になる。
後進すると、「前進したい」という意欲が強まる。
こうして、一歩一歩の歩みが堅実なものとなる。
12月11日
「2歩さがって、3歩進む」
昔書いたものを読み返す。
昔作った作品を研究する。
自分の昔を今一度見るめるのだ。
それによって、この先も進むことが出来る。
昔の作品に今の自分でもって新たなアレンジを加えることによって、新たな作品が生まれる。
12月12日
「もう少しだったのに、達成できなかった」
というときの方が、「リトライ」の意欲は強い。
あっさりすんなり達成してしまったものは、もう記憶の片隅に追いやられている。
失敗だらけだったからこそ、記憶に残るのだ。
12月13日
あっさり成功してしまうと。
もうその先、その成功までの道のりをじっくり研究することはないだろう。
もう見向きしなくなるだろう。
だから、失敗した方がいいのだ。
12月14日
静かな夜を、優雅に過ごすには。
優雅な心と。
やはりいくらかのお金は必要だ。
12月15日
「まさかそれはないだろう」
という思い込みが、事態を最悪なものにする力の生育を許してしまう。
12月16日
「無名有力」
役割で成功すると。
周りの人は、その人物と役割を一緒くたにして尊敬する。
だから、本人はその役割からおいそれと分離できなくなる。
不自由になるのだ。
12月17日
自分の夢で、有名になることだ。
夢を人に使われてはいけない。
12月18日
光が強くなれば、影も濃くなる。
影が濃いと、影の中で何かが育っていても見えないから、気づかない。
適度にクレームを受けて光を弱めた方が良いのだ。
12月19日
なぜ日本の都市は、集中豪雨に弱いのか?
街の構造が原因の一つでもある。
都市が川や海の海面に近い。
川面や海面よりも低い所もある。
谷の街も多い。
そして、ここがポイントだが、「そこで安全に暮らすために、頑丈な堤防を築いた」のだ。
堤防が頑丈なため、決壊すると甚大な被害になる。
12月20日
台風が突然収まった。
台風の目に入ったからだ。
しかし実は、台風の目にも渦が生まれる。
メソ渦だ。
これが、局地豪雨をもたらす。
12月21日
大都市での災害は。
建物や車、木材や物質が凶器になるという二次災害の危険がある。
そして、バイオハザードという三次災害の危険もある。
(バイオハザード:病原菌の蔓延)
また、人間の略奪行為という災害も。
12月22日
災害があって、堤防が壊れても。
家族の絆を壊すことはできない。
災害で、絆はますます強くなる。
12月23日
かつての伊勢湾台風で、7mの高波が発生した。
それを基に、高さ7~8mの堤防が築かれた。
しかし、それは理論値でしかない。
高知では、2004年10月に、24mの高波が発生している。
12月24日
俳句は、世界一短い「詩」である。
俳句の世界。
これは、現代の「ショートメール」「ライン」世代に通じるものがある。
12月25日
松尾芭蕉と言えば、奥の細道。
俳人として有名だ。
だが芭蕉はさまざまな職業を持っていた。
現場監督、禅僧、忍者(隠密)など。
12月26日
松尾芭蕉は、元禄時代、東京深川で生まれた。
(現在芭蕉記念館がある)
「古池や、蛙飛び込む水の音」
この詩がなぜ、時空を越えて今だ大人気なのか?
12月27日
その理由は、日本人の脳のメカニズムにあるという。
自然界の音(擬音)を左脳で処理している。
それで、擬音に言葉のような意味を感じるのだ。
「自然界の音(擬音)に、言語のような意味を感じる」脳なのだ。
自然界の音(擬音)を左脳で処理しているのは、日本人だけとされている。
「古池や 蛙飛び込む 水の音」
ポチョン。
ほら、もう映像が見えて、そこに何か意味を見出す。
そしてこの俳句は、当時の通常の詩情性を破る画期的なものであった。
当時の通常の詩情性では、蛙と来れば「鳴き声」を表現するところを、「飛び込む音」に着目させた。
そして、飛び込んだ後の、あのなんとも言えない静寂。
これをリアルに表現したのだ。
12月28日
松尾芭蕉は6人兄弟の次男。
幼少の頃は生活苦だった。
19歳のとき、伊賀で藤堂良忠の奉公人となる。
俳句をたしなんでいた良忠のお供で句会に参加する。
「うばざくら~」(21歳)で、センスの高さを絶賛される。
12月29日
良忠が25歳で亡くなり、その死を偲んでおよび藤堂家に足がつかなくなったこともあり。
俳諧人として独立する。
その後、井原西鶴など「先生」レベルが書くような優れたガイドブックを書いてアピール。
29歳。
経済の中心であった日本橋に住む。
スポンサーをつけるために、街中の人と場所を「褒めまくって歩き」、大衆の人気を集めた。
34歳。
「神田川のゴミ拾い大作戦」
これで、圧倒的な人気が集まった。
そしてついに、「万句興行(俳句の大規模な大会)」を主催。
これが成功する。
こうして芭蕉は「俳壇の名主」となる。
このとき、門下生から学び取って「医師」免許も取得していた。
12月30日
37歳。
芭蕉に大きな転機。
日本橋から深川に転居し、家族を捨てた。
その理由は。
「自分の俳句を作りたかった」
そして仏頂和尚のもとで禅を学ぶ。
俳句を芸術まで高めようとしていたのだ。
自宅に芭蕉の葉が植えられていて、彼はそれをいたく気に入る。
それで、自分の名を「芭蕉」と改名。
そして、さらに俳句を高めるべく、「奥の細道」へと旅立つ。
元禄2年、3月のことであった。
12月31日
奥の細道のルート。
深川
↓
日光
↓
仙台
↓
平泉
↓
新潟
↓
金沢
↓
東照宮に寄ったのは、別の目的があったからだ。
当時、綱吉が伊達に「東照の大改築」を命じ、伊達は嫌がっていた。
そこで綱吉が芭蕉を使って芭蕉の弟子「曾良(そら)」に隠密に東照宮を探らせたという。
現在、俳句上達のために奥の細道を歩む人は多い。
「荒波や 佐渡によこたう 天の河」
この俳句は現実の光景を基にしたものではないとされている。
芭蕉は佐渡で天の河を見ていないのだ。
だが、映像が浮かんでくる。
ドッパーンと波が打ち寄せた後、その向こうに、天の河。
この、なんという静寂。
なんという開放感。
どこからともなく、こんな声が聞こえてこないか?
「いつも未来に関心を向けていなさい」と。
0439 STROLL 12(完)