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0159メモぐせをつけると、人生が変わる。

2013-01-11 22:59:56 | 日記

0159メモぐせをつけると、人生が変わる。



1.メモを取ることは、「強烈に、今にある」ことなのだ。


メモぐせをつけると、今を生きれるようになります。
メモは、今しか書けないもの。
特に、思いつきやひらめきを記録しておくメモは、今しか書けないのです。
観察であっても、その状況やその時感じたことは、一回性のものであり、唯一のものなのです。
メモを取ることは、「強烈に、今にある」ことなのです。


2.情報は「ギブ&テイク」。


情報は「ギブ&テイク」です。
まず、ギブ(発信する)です。
ギブするからこそ、テイク(受信する)ことができるのです。
しかし、ここで勘違いか生まれます。

①ギブしたら、必ずテイクが得られる。
そんなことはありません。

②ギブする情報は、価値の高いもの(極秘とかレアものとか相手に有益なもの)でなければならない。
そんなことはありません。
極秘情報は、かえって相手にプレッシャーを与えるのです。


3.「名を尋ねる前に、自分が名乗る」だけのこと。


情報をまずギブする。
これは実に簡単なことです。
「名を尋ねる前に、自分が名乗る」
ということです。
名前、年齢、仕事内容、趣味、生活スタイル。
それらをギブしていくことで、相手がこちらを認知します。
それで、相手も身の上話をしてくれる。
ギブ&テイクとは、そういうことです。
難しいことでも何でもないのです。


4.メモを取る目的は何か?


メモを取ることが目的ではないのです。
メモを取るのはあくまで手段です。
では、目的は何か?
「成長」です。
成長のためには?
・できることの幅を広げる。
・今やっていることのやり方を改善していく。
・今よりいいものを作るために、アイデアやヒントをつかむ。
そのために、メモを取るのです。


5.「映像記憶」の方が、メモという文字記憶よりも有効。


「映像記憶」の方が、メモという文字記憶よりも有効です。
というのは、頭の中でその映像をよみがえらせて、そこからたくさんの気づきを得ることができるからです。
つまり映像記憶というのは、メモの母体なのです。
映像を見ながらリアルタイムにメモを取るのが、総合的には最も多くを吸収、メモ作りできる行為でしょう。


6.セルフモニタリングで、メモが山ほど生まれる。


自分が話すこと。
自分の行動。
これらこそ、最も有益なネタです。
自己観察(セルフモニタリング)によって、膨大なメモが取れます。
自分が行動する。
観察したことをメモする。
観察する自分が感じていることをメモする。
行動した後の気づきをメモする。
「今度はこうしよう」という考察をメモする。
メモが山ほど生まれてきます。


7.メモの効能。


ある会議やセミナー。
または旅行や飲食店での食事。
そこで何らかの気づきを得るでしょう。
それをメモするのです。
そして、メモの内容を、一緒に行動した人や、戻ってきて家族や職場の人に話すのです。
すると、面白いことが起こります。
一緒に行動した人から、同じものを見ていたのに「別の感想」を聞くことができたりするのです。
「自分が見落としていた部分」を教わったりできるのです。
また、一緒にいなかった人からは、「その行動についての別の見方捉え方」を教わることができるのです。


8.インフォメーション=IN フォーメーション(形に入る)。


インフォメーション(情報)。
この言葉は、別の捉え方ができます。
「インフォメーション」=「IN FORMATION」と捉えるのです。
IN=入る。
FORMATION=形。
つまり、IN フォーメーションとは、「形に入る」ということです。
ヴィジョンに入っていくということです。
ビジョンが浮かぶような文こそ、インフォメーション(情報)であるということです。
読んで、頭の中に映像が浮かぶような文を書きましょう。


9.メモを取ることで見出し生まれ、見出しが文章を自動的に生む。


メモを取るとは、記憶の総体のあちこちに見出し付せんをペタペタ貼り付ける行為です。
見出し付せんをつけると、そこから情報がズラズラほとんど自動的に出てくるのです。
メモを取ることで見出し生まれ、見出しが文章を自動的に生むのです。


10.吸収効率の良い読書をするならば。


吸収効率の良い読書をするならば、やはりメモを取ることです。
「読む」行為だけではなく、「読みながら、メモを取る」ことです。
本の文章わきに直接書き込むのもいいでしょう。
メモを取ったり、書き込んだりすると、記憶に強くのこります。
また、記憶していなくても記録として残ります。


11.「メモを取りたい」その意欲が一番大事。


講演を聴きに行って、帰ってから本を一冊書く。
そのぐらいの意気込みで講演に臨む。
すると、手帳のリフィルが足りなくなるほどの膨大なメモが取れます。
メモの技術はなくてもいいのです。
「メモを取りたい」その意欲が一番大事なのです。
メモる技術はその次です。


12.最も「メモる力」を向上させる行いは、「本を書くこと」。


最も「メモる力」を向上させる行いは、「本を書くこと」です。
講演に行って、メモを取る。
そのメモから講演終了までにレポートを書いてまとめる。
そのレポートを講演後に講師に差し上げる。
帰宅してから、そのレポートを思い起こして本を書く。
このプロジェクトです。
このプロジェクトによって、解読力、洞察力、観察力、速記力、編集力、瞬発力、伝達力および記憶力がフルに使われ、鍛えられるのです。


13.2つの媒体を用意する。


講義室の机について、講演を聴く。
この時メモを取るのですが、メモる力をUPさせる良い方法があります。
それは「2つの媒体を用意すること」です。
例えば、①手帳と②白紙です。
あるいは、①大学ノートと②ルーズリーフです。
メインとサブを用意するのです。
そして、メインには講演の内容を箇条書きでメモします。
サブの方には、自分の「今思い浮かんだこと」と講師の「講演内容とは関係ない話」をメモします。
こうすることで、雑談と本編が入り乱れることはなくなります。
また、後で「これは講師の話か自分の主観かわからない」ということがなくなります。


14.見出し(つまりタイトル)をつけることで、メモが「文章」になる。


見出し(つまりタイトル)をつけることで、メモが「文章」になります。
メモを後で読み返す時、本文全部を読まないと何について書いたのかわからないということになると、時間が奪われてしまいます。
そこで、メモに見出しをつけるのです。
見出しがあれば、本文を読まなくても何について書いたのかが分かるからです。
見出しはしかし、初めに書く必要はありません。
最後に書くのです。


15.メモには、自分の「聞き間違いを修正する」効果もある。


メモの有益な使い方。
講演後、自分がメモした内容を、人に話すことです。
話すことで、自分自身がメモの内容を確認できます。
また、その話に対して人が「私はこう思ったよ」とか「そこはつなげ方を間違ってるよ」と教えてくれたりします。
それによって、メモが幅広くなったり、間違いを修正できたりするのです。


16.目をつけた一人にターゲットを絞ってメモる。


講演では、講師がキーマンです。
が、懇親会や会議では、誰がキーマンかわからない。
いや、キーマンは居るのですが、「その会場で初めて出てくるキーマン」もいるのです。
ですから、こういう時にメモを取るポイントは。
全員の話をまんべんなくメモしながらも、「目をつけた一人にターゲットを絞ってメモる」のです。


17.「面白い話」をメモるのではなく、「面白い人」をメモる。


「面白い話」をメモるのではなく、「面白い人」をメモるのです。
会食のテーブルでは、あちこちから面白い話が出てきます。
それらをメモるのではなく、一人の「非常にひょうきんな人」の話を徹底的にメモるのです。
これによって、その人の呼吸や発想、パターンが見えてくる。
これで、その人をより深く知ることができるのです。


18.要点だけメモする。


何もかもをメモしようとすると、ついていけなくなります。
対象がもう次の話題に入っているのに、耳はそれを聞いていても頭はさっきの話を考えていて、書いている。
そうなると、どんどん遅れていきます。
頭が対象を追いかけるよりは、頭が対象よりも早くにクリアになっている方がよい。
そのためには、「要点だけメモする」ことです。


19.その日に取ったメモは、その日のうちに編集して文章にしておく。


その日に取ったメモは、やはりその日のうちに編集して文章にしておく方が効率がいいです。
メモを読んでいると、その時の様子が映像として頭に浮かんできます。
それで、文章にもしやすい。
文章にまとめられたら、もうメモは役目を果たすのです。
数日も経ってメモを見返すと、文の意味は分かっていても、映像が出てこないのです。
映像が出てこないから、文章が出てこないのです。
出てきたとしても、論理的な文字の羅列になり、生命力がないのです。


20.「超メモ術」の著者、野口靖夫氏の教え。


「超メモ術」の著者、野口靖夫氏は、こう言われています。
「相手が一呼吸した後の発言に出てくる、最初の“キーワードらしきもの”は、まずメモの対象と考えておくことです」と。
キーワードほど、冒頭に出て来やすいのです。


21.メモを取るくせのある人は、伝言メモが上手。


メモを取るくせのある人は、伝言メモが上手です。
伝言メモは、飾る言葉が一切必要ない、生身の言葉です。
文章力がもろに現れるものなのです。
最小限の言葉で内容を分かりやすく伝えることが求められるものです。


22.「○○について」という見出しは、良くない。


メモの見出し(タイトル)つけで良くないのは、「○○について」という書き方です。
○○についてという見出しでは、内容がわからないのです。
○○についてという見出しは言わば「フォルダ名」であり、「ファイル名」とは言えないものです。
また、「○○について」という見出しから文を書き始めると、「○○について述べるけれども、最終的に何が言いたいのか分らない文章」になりやすいのです。


23.話に「が」や「しかし」が出てきたら、メモをそこで区切る。


話を聞いて、メモを取る。
その時、話に「が」や「しかし」が出てきます。
前の話が覆されるか、新しい見方が出てくることが予測されます。
ですから、メモはここでいったん「。」をつけて区切るのです。
そして「が」や「しかし」の後の話を新たにメモしていきます。
すると面白いことに、そこまでの話は「覆すために後で取ってつけたものだ」ということが見えてくるのです。


24.メモを目の前で取ると、相手に熱意を伝えることができる。


メモを目の前で取ると、相手に熱意を伝えることができます。
「なるほど、いい話ですね」
それで終わらせないで、メモを取り始める。
すると相手は、「私の話を真剣に受け止めているのだな」と感心するでしょう。
そして、相手は「私の方も真剣に話をしよう」となるのです。
「こいつは熱意ある奴だから、とっておきの話をこっそり教えてやろう」となる場合もあるでしょう。


25.メモを取った対象が、ネタ化する。


メモを取る習慣がつくと、面白いことになります。
というのは、「ネタがあってメモを取る」という行動が、逆になるのです。
「メモを取った対象が、ネタ化する」のです。
つまり、「面白い話を聞いたから、面白い話ができる」ということではなく、「なんでもないことが、面白く話せる」ようになるのです。


26.頭の中に、キーワードでメモしておく。


例えばパーティーや披露宴、式典などに出席して、いい話を聞いた時。
忘れないようにメモを取れればいいのですが、メモを取れない場合もあります。
そんな時はどうするか?
「頭の中にメモしておく」のです。
それはつまり、「話をキーワード一語に圧縮梱包しておく」ということです。
話の要点を単語や四字熟語(自分で造ったもの)にしておくのです。


おわりに~自分流の情報を発信するための、メモ取り習慣。


メモを取り続けていると、あるときから文章が書けるようになります。
文章力が至らなくても、ネタがたくさんあり、メモ取り習慣で鍛えた「視点の面白さ」や「編集力」が活かされます。
自分なりの表現ができるのです。
自分の内側から情報を発することができるようになるのです。


情報社会といっても、たくさんの情報をキャッチするだけでは面白くありません。
自分流の情報を発信してこその、情報社会です。



0159メモぐせをつけると、人生が変わる。(完)


0154「シンプルな考え方ができる人」になる39のヒント

2013-01-11 22:59:16 | 日記
0154「シンプルな考え方ができる人」になる39のヒント


はじめに~「人生は、もともとツイている」


「自分はツイている」
「自分はラッキーだ」
と考える。
すると面白いことに、実際にツイていると思えること、ラッキーな事が、起こるものです。
人生は、本当はシンプルに出来ているのです。
それを難しくしてしまっているのは、他でもない自分自身なのです。
「自分はツイている」
そう考えることに、理由や条件は、実はいらない。
現象を「出世したから→ツイている」「お金を失ったから→ツイていない」と考えていると、状況に振り回されます。
状況に振り回されると、根本のところで「自分はツイていない」となるのです。
つまり、潜在意識に「自分は元々ツイていない」とすりこんでしまうのです。
まわりの状況など、カンケーありません。
カンケーないと言うより、「自分で良い方に変えていける」のです。

①まずは「人生は、もともとツイている」と考えることです。
何の条件も必要ありません。

②そして、起こった状況を全て肯定的に捉えることです。
すると、人生の全ての状況は、「ツイてる」ものとなります。

例えば、「数ヶ月前にチケットを取り、新幹線の予約をし、ビジホの予約もした」。
「ところが、お目当ての「ミスチル福岡ドームライブが、鈴木さん(ドラム)の急性胃腸炎で延期になった」
「新幹線やビジホの当日キャンセルは違約金(ヘタすりゃ全額)を取られる」
「仕方なく、福岡へ行く」
「ああ、なんかもの凄く損した気分」という時。

不可抗力で仕方なく福岡に行くわけですが。
福岡での過ごし方は、自分でいくらでも変えられるのです。
「一蘭・一風堂・達磨と、ラーメン大御所巡り」も出来るし。
「キャナルシティ探索」とか。
「中州で遊びまくる」とか。
「こうなったら、自分が福岡ドーム前で歌う」とか。


目次


はじめに~「人生は、もともとツイている」
1.一冊の本を読んだら、それは一人との出会い。
2.「どうせ負けるよ」が負けを引き寄せる。
3.「頭が明るい人」が、成功する。
4.「そんなことしたら困る」と言う人が困るのだ。困らない人はいくらでもいる。
5.事業主の立場に立てば、「頑張ったから認めてくれ」とは言えなくなる。
6.「専門家」とは、専門知識を持ったサービスマンだ。
7.幕の内弁当を食べることは、とても恵まれていることだ。
8.極めていくことで、精神的に楽になってくる。
9.商売は、ボランティアではない。
10.真実を伝えることよりも大事なのは、上手に表現すること。
11.何であれ、自分がやっていることのプロになること。
12.覚悟は大きく。行動はシンプルに。
13.自分がしてもらって一番うれしいことを、人にもしてあげようじゃないか。
14.長く使えてこそ、「いいもの」。
15.立地が悪くても、お客さんが「この店はいい。また来たい」という快を得たならば、お客さんは増える。
16.お金で買えないものが、武器になる。
17.「自分にとって何が幸せなのか」を考える。
18.その仕事は、先人のお古か、社長の想念の産物。
19.「謙虚さ」は出世の要因ではなく、出世の結果。
20.実った人は、謙虚な姿勢を身に着けている。
21.「今日で人生が終わってしまう」と考える。
22.10年、20年という時間など、一瞬で超越できる。
23.はじめに計画ありき。
24.熱中して徹夜した人は、「徹夜で頑張った」という意識などない。
25.お金、いつもない。ならもう、お金に頼らないで楽しく過ごしてやる。
26.サンドイッチ構成が、独特のワクワク感をつくる。
27.「好きなことをはっきりさせる」、それだけのこと。
28.自分の成功は、「独創の先」に待っている。
29.お金持ちになる必要は、ほとんどない。
30.お金で幸せは買えない。
31.「勤労は美徳」の解釈は、勘違いされていた。
32.世の中を複雑に思うのは、頭の中が複雑だからだ。
33.街路樹は、私たちに成長のコツを、そっと教えてくれる
34.「一生、死なない」。
35.学んだ必勝法は試さないと、二重のマイナスになる。
36.学んで、試して、改良する。
37.好きな場所に行けば、そこに居る人たちを好きになれる。
38.「NPO」を「ノッポ」と読む。
39.笑おう。
おわりに~シンプライズ。それは断捨離ではなく、融合、熟成。


本文


1.一冊の本を読んだら、それは一人との出会い。


1年間に出版される本は、7万点にも及ぶと言われています。
そんな中で、1冊の本に出会い、それを買うことは、とてつもない出来事です。
7万点の中から1冊を選ぶというのは、「7万~5万人の中から1人を選ぶ」ということです。
ですから、これはもはや「偶然」では片づけられない現象です。
運命の巡り合わせ、とも言うべき出来事です。
「出会いがない」と言うならば。
「出会いが欲しい」と言うならば。
1冊本を買って、読んで、著者に手紙を書いてみましょう。
そうすることで、すでに1人の人と出会えたことになります。
1冊の本を読んだら、それは1人との出会いなのです。


2.「どうせ負けるよ」が負けを引き寄せる。


考え方が逆なのです。
「負け」や「苦しみ」に出会うということは、自分が「負け」や「苦しみ」に対して「さあやって来なさい」という信号を発したか、もしくはやって来たそれらを受け入れた、ということなのです。
「負け」や「苦しみ」は、一方的にやって来るわけではないし、強制的に入って来るものでもないのです。
TV番組やスマホも、ある番組やメールを受信する際、「ここです、ここ」という信号を出しています。
送信側が一方的にここに送り込んでいるのではないのです。
それと同様、「自分はどうせ負けるよ」と思っていると、負けがやって来るのです。


3.「頭が明るい人」が、成功する。


頭がいい人が成功するかというと、必ずしもそうではありません。
頭が良くても、頭が暗い人は、成功しないのです。
頭が暗いというのは、「頭の中の世界が狭い人」のことです。
「頭がいい人というのは、いろんなことを知っていて、頭の中の世界が広い人のことだろう」
と言われますが、いくら頭がいい人(知識豊富な人)でも、「否定的考えが多い」と、頭の中の世界は暗闇に閉ざされる領域が多くなり、狭くなります。
そうつまり、「物事を否定的に考える人」が、頭の良い悪いに関係なく「頭の暗い人」なのです。
世界をよく知る知識から、こう考える。
「世界はやがて食糧危機になる。」
「少子化が進んで経済はパンクする」
など。
未来が明るくなったとしても、頭の中が暗いもの(否定的)だったら、「次は悪くなる、先は悪くなる」と言って、せっかくの世界のすばらしさを満喫できないのです。
頭が明るい人は、変化に乗っていけるし、今この世界の素晴らしさに目が向いていますから、動く足も軽くなります。


4.「そんなことしたら困る」と言う人が困るのだ。困らない人はいくらでもいる。


資格がなくても困っていない、そんな人は少なくありません。
ところが一方で、「資格がないと駄目だ」という人も、少なくありません。
また、親が子供に「転職すると、年下の者にこき使われることになる。そんなことのないように、資格を取って、自分で仕事ができるようにしておきなさい。」と言うこともあります。
しかし、実際は、資格がなくても、転職しても、困らない人はいくらでもいるのです。
「そんなことをしたら困ることになる」と言っている人自身が、困るのです。
言っている本人にとっては、それは真実なのです。
ですから反論しても仕方ありません。


5.事業主の立場に立てば、「頑張ったから認めてくれ」とは言えなくなる。


会社組織の中で、その組織を最もシンプルなものと考えている人。
それはおそらく、社長と、最も現場で働いているパート、アルバイトの人でしょう。
「組織は複雑かつ矛盾だらけ」と思っているのは、主任から課長にいたるまで、その中間の人々です。
「会社のために、こんなにがんばっているのに、何で認めてくれないんだ」
若い主任さんは、このような考えを持っているものです。
しかし、そもそも会社はなぜ、人を雇うのでしょうか?
社長が、やりたいことをやっている(事業)。
あまりにも忙しいので、人に一部を任せようと思う(雇用)。
それで、「お金あげるから手伝ってくれ。私の言う通りにしてくれ」(指示)。
と言って、人を雇って働いてもらっているのです。
それが組織なのです。
そうやってシンプルに考えれば、「自分でがんばったから認めてくれ」というのはお門違いだとわかります。
忠実にこなすことの方が大事なのです。


6.「専門家」とは、専門知識を持ったサービスマンだ。


「専門家」と言うと、ある分野の専門知識を深めた人、深めることに努める人であり、難しい話をされる人です。
しかし、難しい専門用語で話されても、こちらは素人なのでわかりません。
わからないけれども、「わかりません。もっとわかりやすく教えてください」とは言えないのです。
それで、わかったふりをしているだけです。
専門家、という権威に頭を下げるだけ下げて、しかしチンプンカンプンな状態で帰っているのです。

お釈迦様は「心を科学的に分析した人」であり、「心の分野の専門家」と言えます。
そのお釈迦様はこう言われています。
「人を見て、法を説きなさい」と。
つまり、「素人に教えるときは、素人にわかるように話せ」ということです。
専門家が必要なのは、「難しい話を、わかりやすく話す」という、インターフェイスにおけるサービス精神なのです。


7.幕の内弁当を食べることは、とても恵まれていることだ。


「ああ、ついてないな」
と言いつつ、スーパーで買ってきた幕の内弁当を食べる。
その、お弁当を彩る、魚や野菜。
よく考えてみると、いやシンプルに考えてみると、これはとても恵まれていることです。
すなわち、「今ここでこうして、魚や野菜を食べることができる」ということがです。
農業を全くしたことのない人が、自由に野菜を買って食べることができる。
漁業を全くしたことのない人が、自由に魚介を買って食べることができる。
泳げない人、船酔いする人、遠海に出たことのない人が、遠方で採れたマグロを食べることができる。
この状態は、100年前、1000年前の時代の暮らしからしてみると、信じられないくらい恵まれていることです。


8.極めていくことで、精神的に楽になってくる。


仕事が楽しくて仕方ないなら、人生は極楽のようでしょう。
しかし、「楽しい」というのは、「楽チン」とは違います。
楽チンをするためには、苦労が伴います。
残業をしないでさっと帰れば、楽です。
しかし、「なんだあいつ、仕事残して帰りやがって」と、他の人に思われて、その後マイナスの物事が起こりかねないのです。
楽しく仕事をするとは、楽を選択するということではないのです。
楽しいと思える仕事を、一生懸命にやって、極めていく。
極めていくことで、精神的に楽になってくるのですが、その楽は結果なのです。


9.商売は、ボランティアではない。


商売は、ボランティアではありません。
「儲からないけど、喜んでもらえるから」とか、「身を削って行う」ことは、商売ではありません。
いえ、そのような形の商売をすべきではないのです。
商売人は、ボランティアをする人ではなく、「ボランティアの人を支援する人」なのです。
税金をたっぷり払って、福祉やボランティアの場を促進、養護する「国」を支援する、国に貢献しているということです。


10.真実を伝えることよりも大事なのは、上手に表現すること。


真実を伝えることよりも大事なのは、上手に表現することです。
真実を伝えて、人に恐怖や不快感やパニックを与えてしまったら、サービスマンとは言えません。
かといって、ウソを伝えても、サービスマンとは言えません。
だからして、上手に表現し、相手に恐怖心や不快感を与えないようにすることが大事なのです。

仏教やキリスト教など、宗教では「ウソはついてはいけない」と言われます。
ウソは、自分を苦しく小さな檻に閉じ込めてしまうことの始まりだからです。
ところが、僧侶やお寺の住職さんは、真実を伝えウソは一切言わないかと言うと、そんなことはありません。
が、表現が上手なのです。
ウソというよりも、「伝え方が上手い」のです。


11.何であれ、自分がやっていることのプロになること。


何であれ、自分がやっていることのプロになること。
プロ意識を持って取り組むこと。
それで「取り組むのが楽しくなってくる」のも事実です。
面白いからハマれるというよりも、「自分はこれのプロなんだという意識が、その物事を面白くしていく」のです。
プロ意識を持つことで、具体的なメリットが出てきます。
まず、集中できること。
余計なことを考えなくなります。
そして、謙虚にもなれます。
というのは、目指すところが高いからです。
さらに、プロというプライドが、失敗を反省させる動機になります。
「こんな失態、二度と犯さないぞ」
その失敗は、普通の人から見たらぜんぜんたいしたことではないのですが、プロ意識があると、そんなたいしたことない失敗でも反省し、改善しようとするのです。
だからこそ、結果の精度も上がり、速度も上がり、能力も上がるのです。
そして、プライドがあるからこそ、「頭を下げて教えを乞う」ことができるのです。


12.覚悟は大きく。行動はシンプルに。


先に覚悟を大きく決めて。
行動は大掛かりなものではなく、小さく分解して、シンプルに行う。
ひとつのことを着実にやっていく。
それで、結局大きなことを成すことになります。
たとえば、全社員に募られたアイデア。
すごく大きなプロジェクトアイデアを考えて、1ヵ月後、2件出す。
それよりも、「クビ覚悟」で、全社員から「会社のグチ」を聞き集め、それを元にした「具体的改善案」を1ヵ月後、100件出す。
この方が、内容が具体的なものとなり、採用されやすいのです。
そして、100件出したからといって、そのアイデアの真剣さは薄れない。
というのは、「クビ覚悟」という真剣さが、にじみ込んでいるからです。
「誰もが言いたいが、言えなかったこと」を言っている、その時点で「本気」や「覚悟」が伝わるからです。


13.自分がしてもらって一番うれしいことを、人にもしてあげようじゃないか。


ある日のこと。
帰り道に、ピンク色の革財布が落ちていました。
すぐに拾って、交番に届けようとしました。
ところが、交番が見つかりません。

そこで、近くの消防署に行って、交番の場所を尋ねました。
「この近くなら横川駅前しかない」と言われました。
楠木まで帰ってきたのに、また横川まで行くのはめんどくさいな、と思いました。
いっそ、「財布を頂いて帰ろうか」と思いました←(拾得物の横領=犯罪)。
しかし、犯罪だから、ではなく、ある考えから「それはやめとこう」と思いました。

ある考えとは?
「自分が財布を落としてしまった時、誠実な人に拾われて交番に届けられたら、それが一番うれしいな」です。

自分がしてもらって一番うれしいことを、人にもしてあげたい。
してあげようじゃないか。
そんなことを考えると、心が何か軽くなり。
さわやかな気持ちで横川の交番に行ったのでした。
交番でも書類を書かされて20分も使い、時間的に大幅なロスを被りましたが、心は晴れていました。

いいことをしたな。
いや、その財布に「いいことをさせてもらう機会を与えてもらった」のです。


14.長く使えてこそ、「いいもの」。


「畳離れ」が進んで久しい現代。
畳を作って売る会社では、備長炭入りの畳や、子供部屋用にと「デニム生地の畳」など、多様化する住宅事情に対応すべく、生産する畳の種類が増えているそうです。
畳の原料である「い草」の名産地、福山市。
その福山市産の「備後表」で作られる畳が、特に人気なのだそうです。
その理由は、強さと弾力、そして耐久性にあるとか。
いいものは長く使ってこそ、そのよさが、味わいがわかるものです。
「いいかどうか」は、今すぐこの時点ではわかりにくい、と言えるわけですね。
長く使えてこそ、「いいもの」なのです。


15.立地が悪くても、お客さんが「この店はいい。また来たい」という快を得たならば、お客さんは増える。


「客が少ないのは、立地が悪いから」
「夢はあるが、給料が安くてお金が貯まらない」
「うちの会社は、社員がいろいろといいアイデア出すけど、変わらないよ。社長がワンマンだから」
これらに共通する点があります。
それは、
①そう言っている本人にとっては、それが事実、真実である。
②しかし、周りから見れば、「単に本人の努力不足、考え違い」。
です。
人は、快を求めて生きています。
アルボムッレ・スマナサーラ長老も言われるとおり、「心は快感をもとめるマシーン」なのです。

立地が悪くても、お客さんが「この店はいい。また来たい」という快を得たならば、お客さんは増えます。
ゲームに快を見出している人は、給料がいくら安くても、ゲームにつぎこんでいます。
仕事やアイデア出しに快を見出している人は、会社、社長を悪く言うことはないでしょう。
何事も、考え方次第です。
そして、考え方を変えるには、「快を見出す」ことです。


16.お金で買えないものが、武器になる。


「自分はこれが得意だ」と言えるものを、誰しもが持っているものです。
そして、「これを仕事にして食べていけたら、人生は楽しいものになるだろう」とも考えています。
それを実現するには、何をどう段階的にやっていくべきか、それも大体見えている。
そういう人はたくさんいます。
しかし、実行する人は、少ないのです。
実行段階に来て、足がすくむのです。
足をすくませる原因は何か?
それはほとんど、外的要因ではありません。
自分自身の内なる不安、恐れ、リスク回避しようとする心の働きなのです。
だから、実行段階で第一にやるべきことは、不安や恐れを小さくすることです。
そのためにはどうするか?
・シミュレーションする。「失敗しても、こんなものか」という経験をしておくことです。
・実際にお金に変える(販売してみる)
・もっともっと能力を伸ばす。
・「余命あと1年です」と宣告される。


17.「自分にとって何が幸せなのか」を考える。


「幸せになりたい」
「豊かな気持ちで暮らしたい」
いつも思うものです。
そして、そう思うからこそ、現実の暮らしが自分の幸せからかけ離れているような気がして、朝起きるとブルーになるのです。

幸せになるには、まず、世間一般の「こういう状態が幸せである」という「描かれた形」から、離れることです。
例えば、「お金持ちで一戸建て、週末は別荘に行き、年に数回海外へ。自家用クルーザーとセスナ機で好きなところへ。高級車、保険、仕事も成功」
そのような、「描かれた形」の幸せの定義はひとまず置いておいて。
「自分にとって、どんな状態が幸せか?」
これを、考えることです。

幸せとは「状態から来る感覚」であって、「静止画に写っている形」ではないのです。
自分にとって、どんな状態が幸せか?
そのヒントは、自分自身の過去の「充実期」にあります。
その頃の自分の状態や環境ととの関わり方を思い出してみましょう。


18.その仕事は、先人のお古か、社長の想念の産物。


「やりたい仕事ができない」
「仕事がつまらない」
「消耗品扱いされてる」
と愚痴っている若い人が少なくありません。
愚痴ならまだしも、それを理由に退職する人も少なくありません。

しかし、会社組織の原理はとてもシンプルなもので、それが見えれば、上のような愚痴は出てこなくなるでしょう。
その原理とは?
「会社で与えられる仕事は、先人のお古か、社長の想念の中のものである」です。
社長が、やりたいことをどんどんやっていくうちに、仕事の種類そして単位仕事の量や必要力が多くなります。
そこで、人を雇ってその仕事をやってもらう。
任せる。
これが組織の構造です。
かつて、その仕事を任されてやっていた人がいます。
その人から仕事を受け継いでやるということは、お古をもらうということです。
また、新しい企画、アイデアという「新しい仕事を生み出す」行為は、社長の「やりたいこと」想念の中にない限り、採用されないのです。
会社というものは、とてもシンプルなのです。


19.「謙虚さ」は出世の要因ではなく、出世の結果。


自分を向上させようと努力する。
さまざまな経験や知識を得て、考察を重ねていく。
すると、見えてくるものはいつだって同じです。
「未熟だった自分」なのです。
自分は、こんなことも知らずにそれをやっていたのか!
と、自分でも驚くぐらいです。
自分の未熟さ愚かさが、明々となってくるのです。
ゆえに、経験や知識を得れば得るほどに、謙虚になっていくのです。
頭の中の世界が広い人ほど、世界と自分自身の大きさをはっきり見ることができるので、謙虚になるのです。


20.実った人は、謙虚な姿勢を身に着けている。


稲穂が実って頭を垂れるのは、穂が重いからです。
叱られてしょげているわけではありません。
「頭を垂れていると出世できるから」と、出世欲で垂れているのでもありません。

ただ、「実るほど垂れる」というところは、人も同じです。
誰よりも抜きん出ようと、謙虚なんかクソ食らえとやりたいようにやってきた。
そういう人ほど、自分を上げていく過程で自分の未熟さに痛感する機会に出会います。
そして打ちのめされ、謙虚に学ぶ姿勢を身に着けていくのです。
そう、「実った人は、謙虚な姿勢を身に着けている」のです。


21.「今日で人生が終わってしまう」と考える。


「今日で人生が終わってしまう」
そう考えると、やり残すことのないよう、やりたいことを全部やろうと考えます。
が、これまでに「やりたいことを全部やろう」と実行してこなかった人は、実は実行しないのです。
そういう人は逆に、やりたいことをやろうとせず、いややりたいことを持たずに、今日すべきこと、できることを淡々とやり、その中に充実を見るのです。

不思議なことに、やりたいことをどんどんやって来た人も、今日で人生が終わりとなると、今日一日をいつものように過ごし、行動のひとつひとつに喜びやユニークさ、世界の素晴らしさを見て、静かな気持ちでいるでしょう。
結局、同じなのです。
「今日で人生が終わると考えて、やりたいことをやれ」と言われますが、本当は「明日があるからこそ、やりたいことをやろうと思うもの」なのです。
結局、やりたいことをやってきても、やらなくても、最後はハッピーになるのです。


22.10年、20年という時間など、一瞬で超越できる。


「初めて出会ったときのシーン」を、よく覚えている。
そんな相手というのは、心の中に住んでいる、自分にとって特別な相手でしょう。
その人と離れてしまっても、いや離れたからこそ余計に、その人と初めて出会った時のシーンやともに過ごした時間が、とても美しくて充実したものであったように思えるのです。
普段、すっかり忘れていたようでも、思い出そうとすると、すぐに思い出せるものです。
10年、20年という時間など、一瞬で超越できる。
会っているとイメージが変動しますが、もう会わなくなると、10年会わないでいると、イメージが固定されますから、「ああ、いい人だったな」、いつ思い出してもそう思えるのです。


23.はじめに計画ありき。


会社で、「仕事の基本はPDC」と教わります。
PDCとはプラン(計画)・ドゥ(実行)・チェック(点検や反省)のことです。
それよりも大事な基本が、「仕事は段取り8分」と教えられます。
段取り8分と言うのは、「段取りは8分で済ませなさい」ということではなく、「仕事というものの完成率は、8割がた段取り(計画や準備)にある」ということです。
段取りを考えて、しっかり準備してから始めることによって、途中で不具合が起こりにくく順調に仕上がる、ということです。
はじめに計画ありきなのです。
しかし、だからして、「実現が難しい計画」は立てないことです。
仕事は段取り8分つまり段取り(計画)のウェイトが大きいわけですから、その計画が実現困難なものであると、実行しにくくなり、計画倒れ、いや計画も倒れるのです。


24.熱中して徹夜した人は、「徹夜で頑張った」という意識などない。


「寝る間も惜しんで頑張った」という人がいます。
その言葉には、犠牲的な心的態度がにじみ込んでいます。
好きなことや、やりたいことに熱中して徹夜した人は、そんなことは言いません。
頑張ったという意識すらありません。
映画「紅の豚」に出てきた、ポルコの戦闘艇を再設計したピッコロ社のフィオのように、「ドキドキして眠れなかった(眠ってる場合ではなかった)」と言って、「徹夜はするな」と叱られるぐらいです。


25.お金、いつもない。ならもう、お金に頼らないで楽しく過ごしてやる。


不思議なことに、不安定な状況下に心の安定があり、一見安定しているような状況下で心は不安定であったりするのです。
一見安定しているような状況とは、「収入が安定している」「大きな会社に勤めている」などです。
「公務員」もそのひとつでしょう。
また、「支払いが滞りなく、無理なく進んでいること」もそうでしょう。
物事が滞りなく安定的に進んでいる状況です。
なぜか心が退屈し、あえて不安定になることをやってみたいという気分が生まれたりするのです。
ところが、「そんなバカなことはしてはならない」というもうひとつの心が制止して、心は揺れているのです。

逆に、不安定な状況つまり「浪人、失業、失業の恐れがある、生活が不安定、災害に遭って故郷が失われた」というとき。
何とか状況を打開しようと、心は前向きに、あるいは強固になり、独創的な発想も浮かびやすくなります。
すると、心に揺れがないので、安定感が持てるのです。
「お金、いつもない。ならもう、お金に頼らないで楽しく過ごしてやる」そんな考えも生まれてきます。


26.サンドイッチ構成が、独特のワクワク感をつくる。


私が小学校の頃、まだ土曜日は「半日登校」でした。
午前中に授業がありました。
しかし、昼からは遊べるので、週のうちで最もワクワクして登校する日でした。
土曜日の時間割の2時限目は「ゆとり」の時間。
自習や散策、演劇の練習などに当てられ、普段の授業とは一味違った楽しさがありました。
社会人になって気づいたことがあります。
それは、「あの、小学校の土曜日の楽しさは、授業→ゆとり→授業→下校し自由という、サンドイッチによって作られていたのだ」です。
丸一日自由だったら、あの独特のワクワク感はなかったでしょう。
もしも3時限目もゆとりの時間だったら、もっとだらけていたでしょう。
あのサンドイッチ構成がよかったのです。


27.「好きなことをはっきりさせる」、それだけのこと。


好きなことをするには、簡単です。
「好きなことをはっきりさせる」それだけのことです。
しかし、はっきりさせるには、「私はこれが好きである」と頭の中で考えるだけではなく、実行して検証する必要があります。
やってみて、確認するのです。
それで、好きだ、好きになれそうだと思えば、本格的にやれます。
好きになれそうにない、でも気になるという時は、しばらくやりましょう。
嫌い、もうやらないとはっきりわかったら、すっきりやめられるのでこちらは心配要りません。

好きだと決めるのは、なかなか難しいことかもしれません。
しかし、好きだと決める、好きだと確認しておくことは、有益です。
行動が早くなります。
そして、迷いが少なくなるからです。
回転寿司に行って、納豆に目がない人は、すぐに納豆軍艦巻きの皿を取って食べ始めます。
「自分は何が好きなんだろ?」と考えていると、おいしそうなお寿司たちがどんどん流れて消えて行ってしまうのです。
まあ、戻ってきますけど。


28.自分の成功は、「独創の先」に待っている。


自分の成功は、自分の独創の先にある。
それが本当かどうかを問う必要はありません。
自分がそれを本当にすればよいだけなのです。
そして、自分の成功は自分の独創の先にあると考えると、人生が楽しくなってきます。
まず、「させられる」必要などないとわかります。
そして、「自分の好きなことをする」自由を、自分に与えることができます。
「成功とは、こういう形である」という定義は、あるようで、実はないのです。
ないのに探すから、見つからないのです。

独創とは「創造」であり、自分で創ることなのです。
あなたにしかできないこと、あなたにしか生み出せないアイデアです。
独創とはつまり、あなたがあなたのペースで好きに活動するということです。
自由と充実感があふれる活動です。
自分らしさを最大まで発揮できることなのです。
独創を始めれば、もう、半分は成功人生です。


29.お金持ちになる必要は、ほとんどない。


「お金持ちになると幸せで楽な人生になる」という考えは、幻想です。
実は今現在を「貧しく不自由だ」と思い込ませている元凶が、他ならぬその幻想です。
全財産を失ってみると、命があるだけ儲けもんだとわかって、心は楽になります。
実際、戦争や騙されて全財産を失い、そこから事業を立ち上げて成功した事業家はたくさんいます。

お金を一切持たずに1ヶ月過ごしてみると分かります。
「普段、何と無駄に使っていたのか」と。
今、生活上で使っているお金のほとんどは、実は使わなくてもよかったものなのです。
そして、創作活動を始めると、わかります。
「心を充実させ、静かで豊かな暮らしを続けるのに、お金はほとんど必要ない」と。
少なくとも、「お金が一番大事なものではない」と分かるのです。
幸せで楽な人生を過ごすのに、お金のあるなしはあまり関係がない、ということです。
少なくとも、「お金持ちになる必要は、ほとんどない」と言えるのです。
お金よりも大事なのは、自分の生がこの世に残す作品や思想の方です。


30.お金で幸せは買えない。


お金がたくさんあれば、確かに海外旅行に行きまくれます。
そして、大掛かりなレジャーに繰り出すこともできます。
しかし、海外旅行に行けば幸せな気持ちになれるかというと、そうとは言えないのです。
少しのお金であっても、たくさんの人に出会い、たくさんの観察をして、アイデアを出して、発想をする。
創作をすることに、お金の大小はあまり関係がないのです。
また、高級ホテルに一泊するよりも、宿坊(お寺で一泊する)で座禅を組んだ方が、心が静かに豊かになるかもしれません。
もちろん、海外旅行や高級ホテルを否定しているのではなく、要は「心次第であり、お金に重きを置くべきではない」と言いたいのです。
お金にできるのは、自分を「幸福と不幸の中間点に立たせてくれる」ところまでです。
そこから先は、自分次第です。
お金よりもむしろ、知恵や経験、心の穏やかさ、独創性の方が重要なものと気づくでしょう。


31.「勤労は美徳」の解釈は、勘違いされていた。


勤労は美徳なりと言われて育ちました。
勤勉は成功の母と言われて育ちました。
勤労は美徳という価値観は、宗教から来ている部分も大です。
しかし、勤労してみて得られるものは、「労力に見合わぬ薄給と、部品のように扱われるむなしさ、そしてナマケ者のホワイトカラーが威張り腐る不条理」だけでした。
だが、経験と自己啓発を深めていくと、「勤労は美徳」は間違っていなかった、と気づけたのです。
間違っていたのは、解釈の方だったのです。
本当は、「自分のための勤労(ライフワークに勤めること)や社会のための活動が、自他、世の中に美と徳(感動や実利)を与える」ということだったのです。
いつのまにか「勤労=給料をもらう行為」と考えてしまっていたのです。


32.世の中を複雑に思うのは、頭の中が複雑だからだ。


こんなお話があります。
ある寺院に、ナマケ者で問題児の僧侶がいました。
いつも遅刻をし、食べ物を盗み食いして謹慎に処されたりと、問題が絶えない僧侶でした。
ある日のこと。
その僧侶が、他の僧侶の金品を街で売って金にしようと、盗みを働きました。
ところが、その部屋にちょうど人が入ってきて、ばれそうになり。
その僧侶は窓から草むらに飛び出して逃げました。
ところが運悪く、草むらに毒蛇がいて、足をかまれてしまいました。
毒が回り始めて、僧侶は倒れました。
そこへ、寺院の僧侶たちがかけつけて、集まりました。
「これはいったい、どうしたことだ?」
「罰が当たったのだ」
「彼を生かすべきか、見捨てるべきか」
「彼はこの寺院にいるべきではなかったのだ」
「因果応報だ」
「このような事態、いかにすべきか?」
「まずは僧正さまに報告しよう」
僧侶たちが彼の周りで口々に意見する。

その時、僧正さまがやってきました。
「僧正さま。どうすべきでしょうか?」
と口々に言う僧侶たち。
ところが僧正さまは、そんな僧侶たちを押しのけて、すぐに毒を吸出し、包帯を巻いて、彼を担いで寺に帰っていきましたとさ。

「今やるべきことは何か?」
それはいつだって、シンプルなのです。


33.街路樹は、私たちに成長のコツを、そっと教えてくれる。


街路樹は、私たちに成長のコツを、そっと教えてくれます。
私たちは、日々の様々な問題や状況の変化によって、自分の幸せや成長が妨げられているような、どうしたら成長していけるのかが分からなくなっているようなところがあります。
どうすれば成長していけるか、幸せになっていけるか、それを街路樹が教えてくれます。
木は、人間の寿命の何倍も長生きする生きものです。
しかし、人間社会の変化によって、切り倒されたり、引っこ抜かれたり、あるいは災害で焼けたり、虫に食われたりと、寿命で死ぬことは少ないのです。
山里離れた山中に育った木が、街の大通りに移植されて、年々しっかり育っていけるのはなぜでしょうか?
それは、「成長のためのメカニズムが体内に備わっている」からです。
そう、人間は、成長について、「意識で考え過ぎ」だったのです。


34.「一生、死なない」。


「それができるなら、やりつづけられるなら、一生死にたくない」
そんな「のめりこめること」を一つ持つ。
そして、それをやりこむ。
死の瞬間までずっと。

楽しい人生を作るためには、何の準備も知識も技術も要らないのです。
やりこむだけです。
準備や知識や技術は、必要な時に入ってきて、不要になれば出て行きます。
それらは循環しているのです。
だから、それらを集めて所有する必要はありません。

自分がすべきは、「自分がすべきをやりこむこと」のみ。
そして、これが世のため人のためになるかどうかが本当に分かるのは、自分の死後です。
だから、「これが世のため人のためになるかどうか」の答えは、自分で考えても仕方がない、少なくとも真実は知りえないのです。


35.学んだ必勝法は試さないと、二重のマイナスになる。


今、書店にはあふれる程の書籍が出ています。
そして、「成功ノウハウ」ものも、山ほど出ています。
人生の成功、仕事の成功、悩みの解決、予測、上手なレスポンス、etc…。

個性豊かな著者の方々がそれぞれの哲学を持って、それぞれの成功法則を打ち出しておられます。
成功人生を歩みたいならば、いくつか読んでみましょう。
と言うまでもなく、年中読みふけっている方も少なくないでしょう。
しかし、どんな著者の成功法則でも、うのみにするのではなく、あくまで参考にすべきです。

なぜなら、「なぜ、著者の数ほど成功法則があるのか?」それを考えればすぐわかることです。
「成功法則は、独自のものだから」なのです。
つまり、たくさんの著者がそれぞれの成功法則を打ち出しているという現実は、「成功法則は、外にあるのではなく己のうちにある」という結論を示しているに他ならないということなのです。
自分の成功方法、自分にふさわしいやり方は、自分の中にあるのです。
そして、たくさんの著者の成功法則を読むことのメリットは、「自分の内にある成功法則に気づける、使える、打ち出せる」そのきっかけになるという点です。
その手始めに、読んだ通りを実践するのです。


36.学んで、試して、改良する。


成功法則を参考として知っていくことは良いことですが、ともすれば、これは2重の危険をはらんでいるのです。
①自分の中から引き出したものでない成功方法を崇め奉ること。
②成功法則を集め知ることが目的となってしまい、実行しなくなること。

自分の中から引き出した方法でなければ、失敗した時、言い訳が立ちます。
が、身になる学びは得にくいのです。
身になるとは「自分を先に推し進める」という意味です。
自分が引き出した方法での失敗ならば、方法を改良しやすいのですが、輸入した方法ならば、それができにくい、というかできないのです。
本当の失敗とは、途中で放り出してしまうことです。
とってつけた方法は、改良しにくいですから、途中でやめてしまう可能性も高いのです。

例えれば、「400ccのバイクを自分で作るか、50万円出して買うかの違い」のようなものです。
自分でバイクを組み立てれば、実は50万円以上かかりますが、故障しても全て直せます。
メカニズムと部品の構造が分かっているからです。
50万円でバイクを買ってくる方が楽ですし、すぐにツーリングにも出かけられます。
しかし、エンジンがかからないなどの故障のとき、「ガソリンがない」「バッテリーがあがってる」などの基本的な要因以外は、分からないのです。
買って来て使うことは、楽で早いのですが、「ブラックボックスを持つ」ようなものなのです。
後々が大変なのです。


37.好きな場所に行けば、そこに居る人たちを好きになれる。


自分が「行きたい」と思う場所。
「参加したい」と思う催し。
そんな思いがある場所に行くと、そこで出会う人たちも好きになりやすいです。
どんなところか分からないけど、ワクワクして行ってみたら友人ができて、楽しい時間を過ごせた、ということも少なくありません。
新しい仕事がしたい、やりやいことをやりたい、あの場所へ行ってみたい。
という時、全く知らない人と出会う機会、必要が出てきます。
新しい人と出会うのが不安だ、怖いという気持ちが強いのであれば、この、シンプルな法則を思い出しましょう。

「好きだと思う場所に行けば、そこに居る人たちも好きになれる」という法則です。

その法則をあなたは既に、実体験として知っているはずです。


38.「NPO」を「ノッポ」と読む。


「NPO団体」という言葉を存在を、恥かしながら私は、講義で黒板に書かれた時に初めて知りました。
「NPO団体とは…」の解説を教授はさらりと言い、特にそこに引っかからずに、講義は進んでいきました。
ところが、講義室の後ろの方で、後ろの方が人口密度が高いのですが、誰かがポソッと、「ノッポ団体?」と言って、クスクス笑いが起こりました。
私も笑いを堪えていました。
「うまいな」と思いました。
知らないヤツなのに、妙に親近感を感じて、実際後ろのメンツは妙な盛り上がりを見せていました。

学問の目的は、究極、「人生を豊かにすること」です。
そして、「笑い」、これも畢竟「人生を豊かにすること」の最良の手段であり。
笑いを起こすことは、素晴らしいことなのです。
TPO(トッポ(笑))にもよりますが。


39.笑おう。


学問の場、つまり教授が学生に講義をするような場では、笑いが起こるような事はあまりありません。
真面目な教授はむしろ怖い顔すらして、真剣に教えますし。
真面目な学生はむしろ怖い顔すらして、真剣にノートを取っています。

しかし一方では、真面目な講義を「面白く話す」教授もいます。
その教授の講義では、度々笑いが起こります。

面白くないものを、いかに面白く見るか。
これは、解釈の問題なのです。
この解釈の能力というか発想は、学問から来たものではありません。
「知恵」から来たものです。

知恵、知性。
それが、解釈を変えるのです。
ユーモアを生み出すのです。
知識だけでは、人生は面白味に欠けるのです。
知恵を付けることです。
そして、知恵を付けた時、「知識は要らない」なんて言うことはありません。
知恵は、知識を「いい材料」として歓迎するからです。


おわりに~シンプライズ。それは断捨離ではなく、融合、熟成。


身に付けた知識を、知恵を使って面白く編集し、笑い話にするのです。
例えば、「世界三大珍味って知ってる?」と聞かれて。
もちろん知っているのですが、面白く加工するのです。
「もちろん知ってるよ。えーと、“チョウザメのウンコ”でしょ、あと“ガチョウのウンコ”、それに、“キノコのウンコ”」
「えー!?キノコがウンコするわけないじゃない!」
「あ、間違えた。“トリュフっていう土の中に生えるキノコ、を探すブタのウンコ”」
「それ、三大珍味じゃなくて、“三大ウンコ”でしょ」
「違うよ。世界三大ウンコは、“自由の女神のウンコ”、“スフィンクスのウンコ”、“奈良の大仏のウンコ”だ。シロナガスクジラよりもでかいね」


自己啓発を真剣にやっても、人生が楽しくなるとは限りません。
しかし、知恵を持つと何でも面白くなるのです。
自己啓発すら「レジャー化」させ、笑える哲学に持って行けます。
人を笑わせるその前に、まず自分が笑えて、楽しくなります。

人生を楽に、楽しくするシンプルなコツ。
それが、「知恵を使う」ことです。
知恵を使って解釈する、表現することなのです。
ユーモアのある人生とは、知恵のある人生なのです。


「あなたにとって、人生とは何ですか?」
「人生?そりゃ、これまでに死んだじいちゃんと、これまでに死んだばあちゃんたち全員に見せる、“お笑い番組”みたいなもんです」


0154「シンプルな考え方ができる人」になる39のヒント(完)


0140「文章上手な人」になる39のヒント

2013-01-11 22:58:33 | 日記
0140「文章上手な人」になる39のヒント


はじめに~「文は口以上にものを言う」


文章には、書いた人の「感性、価値観、論理性、公平性、観察力」などが表れます。
つまり内面が表れているのです。
「この人はどんな人かな?」
と探るとき、最も簡単に相手の内面を知る手段が、「文章を書いてもらうこと」なのです。
文章が下手だと、「内面はたいしたことないな」とゲンメツされる恐れがありますが、逆に文章が上手だと、「この人、できるな」と思われやすいのです。
文章上手は得なのです。


目次


はじめに~「文は口以上にものを言う」
1.論じないで述べる。
2.文章上手はアピール上手。
3.書いた内容に責任を持つ。
4.誰に向けたものかを明確にする。
5.セルフボケ・セルフツッコミ。
6.ネタは「自分の体験」。
7.行動を促す文章にする。
8.サブタイトルこそ「具体トル」。
9.よくわかっていない事を書くと、よくわからない文章になる。
10.「ハメコミ式」文章構成法。
11.いきなり「メインディッシュを、どうぞ」戦法。
12.わき道にそれっぱなす。
13.ネタで書かずに「まま」で書く。
14.書けば書くほど書き方が分かる。
15.「論文に転いらず」。
16.企画書は、「目的」が全て。
17.社内文は結から書く。転はいらない。
18.文章にスパイスを利かせよう。
19.削った部分はネタとなる。
20.「メロスは激怒した!!」
21.「今日、ママンが死んだ」
22.「大気汚染について述べなさい」→「題:僕のオナラは超クサい」
23.主と述が離れると、わけが分からなくなる。
24.本を「DL-R(2層読み)」する。
25.漢字熟語はホドホドに。
26.声に出して読もう。
27.「重ね重ねお願い申し上げますことには…」「そんなに重ねられると、重いです」。
28.通常会話に出てこない単語は、分かりにくい。
29.比喩表現は、1対象につき2つまで。
30.「私」を入れるかどうか。
31.比喩が逆効果になる場合もある。
32.「賢明なる読者諸君には…」と言われると、何か不快。
33.ですます調は、内容によりけり。
34.倒置法は、ポイントが大事。
35.カタカナを取り入れる。
36.書き終えたら、「翌日に」読み直す。
37.PC画面では誤字を見つけにくい。
38.削ることで、文がしまる。
39.人の文章への批判は、自分の文章直しに使う。
おわりに~尊敬する偉人に、手紙を書こう。


本文


1.論じないで述べる。


文章上手というのはどういうことでしょうか?
それは、「この料理が美味しいというのはどういうことか?」という問いと一緒です。
味わってみて「美味しい」と思える料理だから、美味しい料理と言えるのです。
つまり、文章を読んでみて、「上手いな」「よく解かる」「面白い」などと、何らかの「美味しさ」を感じられる文章が、上手な文章と言えるでしょう。
そのための一つの方法が、「論じないで、素直に自分の意見を述べる」です。
高いところから問題点をあげつらうような文ではなく、自分の主観を率直に述べるのです。


2.文章上手はアピール上手。


誰でも文章が発表できます。
インターネットを使えば、世界中の不特定多数の人に自分の文章を見てもらうことが出来ます。
だからこそ、読んで面白いとおもわれるものを書きたいですね。
文章が面白い、上手い、と言われる人は、それだけで興味を持たれる可能性が高いです。
だから、自分に関心を持ってもらうためにアピールするなら、文章を書くことです。
上手な文を書くことです。


3.書いた内容に責任を持つ。


書いて見せることで、見る人に影響を与える可能性が出てきます。
気分がよくなったとか、嬉しくなったとか。
逆に、ムカついたとか、ショックを受けたなど。
だから、書いたものを見せるならば、内容に責任を持たないといけません。
責任を感じると、「どう書けばよいか」はおのずと見えてきます。
「人を誉めるときは実名を挙げる場合もあるが、非難するときは実名を出さないこと」という暗黙のルールがあることも納得がいきます。


4.誰に向けたものかを明確にする。


誰に向けて書くのか。
それを決めると、文にまとまりがでてきます。
例えば、小さな子供さんに読ませる文を書くとする。
すると、難しい単語や、解読に感性を要するような言い回しなどは使えないとわかります。
また、友人に向けて書くならば、友人が好きなこと、ものを文にハメこんで、興味をそそるような文にすることもできます。
誰に向けて書くかの「誰」は、別に実在する人物でなくてもいいでしょう。
また、実際に会ったことのない尊敬する人物に向けて書くのも面白い。
尊敬する人物に読んでもらうつもりで書くと、一生懸命になれます。


5.セルフボケ・セルフツッコミ。


文でウケを狙うときは、ボケとツッコミをセルフでやると、面白いです。
(例)
「酒がない!!なぜだ!?なんで酒ないんだぁ!!」
「あ、オレが飲んだんだ」
とか。
「…○○家には、…ロクでもない男が、いるのです(私です)」
など。
ただ、ウケを狙う気持ちが多すぎると、しまりのない嫌な感じの文章になります。
しかしかといって、全く笑うポイントのない文章では、何かつまらないですね。
たまにボケを入れると面白くなります。
そしてツッコミも自分で入れると、話がまとまってもっと面白くなります。

ちなみに、私のような、いつもボケている人間がたまに真面目なことを言うと、人は「それもボケだろ」と言います。
ボケじゃないのにです。
もう、こうなったら仕方がない。
ボケてボケて、ボケ倒してやりましょう。


6.ネタは「自分の体験」。


「自身の体験から、私はこう考える」
という話こそ、最も説得力があります。
考えてみれば、ナットクがいきます。
自分で体験して出てきた自分の考えは、自分で信じられるからです。
そして、自分で信じていることを話せば、周りの人も違和感なく聞けます。
説得力のあるものになりやすいです。
人は誰しも、自分の体験からものを言うものです。
ものを言うとき、過去の体験がネタになっているものです。
だから、いろいろな体験をしてきた人は、いろいろな考え方ができ、いろいろな話が出来るので、聞いていて面白いのです。


7.行動を促す文章にする。


「という理由から、こうしたらいいと思う」
で終わる文章は、行動につながりやすいです。
そういう文章は、理解しやすいです。
吸収しやすい。
なぜなら、行動できるからです。
行動できるから、「なるほど、こういうことだったんだ」と、納得がいきます。
納得がいくと、吸収できる。
吸収すると、自分の言葉として人に話せるようになります。

興味が尽きない書き手が書く文章。
それはたいてい、「○○しよう」という形で終わっています。
行動に結びつきやすい文です。
だから理解しやすく、興味が尽きないのです。


8.サブタイトルこそ「具体トル」。


メインのタイトルよりも、サブタイトルの方が内容を具体的に表すものになっています。
例えば、ゲームソフトの「ドラゴンクエスト3~そして伝説へ~」
古いソフトですが、このタイトルは典型です。
ドラゴンクエストというのはシリーズの名前であり、ブランド名であり、ソフトの内容を具体的には表していません。
サブタイトル「そして伝説へ」が、内容を具体的に表しているのです。
「この物語は、伝説につながるんだな」と、パッと分かります。
文章を書くときも、メインタイトルからではなく、サブタイトルから文章内容を考えましょう。


9.よくわかっていない事を書くと、よくわからない文章になる。


よくわからない文章。
それは、書いている人のレベルが普通ではないか、本人もよくわかっていないかのどちらかです。
わかっている人の文章は、シンプルでわかりやすいものです。
普通でないレベルの人の文章は、本人は普通に書いているつもりでも、普通の人にはわかりません。
私には、天才シュタイナーが書いた「シュタイナー・ノート」がさっぱりわかりませんでした。
正直、よくわからない文章を読んでも、学べません。
わかりやすい文章を読んだ方が得です。
早くに理解できて、早くに自分のものにできるからです。


10.「ハメコミ式」文章構成法。


文章の基本は、起承転結です。
ある話が始まる。
それが展開される。
「ところが、」という転が起こる。
そして締めくくり。
この四章構成です。
これを初めに組んでから、文章を書く。
すると、どんなネタを書いたとしても、まとまりのある文章になります。
「ハメコミ式」という書き方もあります。
パーツを作っておいて、後で組み合わせるという方法です。
起承転結と順に書いていくのではなく、4つの文章を単独で書いておく。
それを、後で起承転結のそれぞれにはめ込んでいくのです。

例えばこうです。
まず、4つの文章をそれぞれ書きます。

・ゲンちゃんは、優しい。
・ゲンちゃんは、犬が好き。
・ゲンちゃんには、好きな人がいる。
・ゲンちゃんは、おっちょこちょい。

この4つの文を起承転結にはめ込んでいくのですが、どこにどれをはめ込むかによって、ストーリーが大きく変わってくるのです。
「優しいゲンちゃんが、捨て犬を拾ってかわいがっていたら、好きな人が通りかかって、その人の手を噛んだ ああ、おっちょこちょいのゲンちゃん」というストーリーにもできるし。
「おっちょこちょいのゲンちゃんが、好きな人の飼い犬が赤信号で飛び出した時、命がけで助けた、ゲンちゃんは轢かれた」というストーリーにもできるのです。


11.いきなり「メインディッシュを、どうぞ」戦法。


いきなり文章のクライマックスを冒頭に持ってくるという書き方もいいですね。
「オオッ!!」と引き込まれます。
例えば映画の「ソード・フィッシュ」
いきなり、球が360度全方向へ飛び散り、男(ヒュー・ジャックマン)がすっ飛ぶシーンから始まります。
「うわ!いきなり何かすっげー!!」と思います。
話が進んでいって、このシーンはクライマックスシーンの一部だったと分かるのですが。
ここで初めて「ああ、最初のシーンはここだったのか」と、つながるのです。


12.わき道にそれっぱなす。


わき道は、結構面白そうなスポットがあったりするものです。
例えば、日本三景のひとつ、広島の「宮島」。
宮島と言えば、基本は「厳島神社」「海に立つ大鳥居」そして「表参道商店街」です。
もうちょっと付け加えるならば、「宮島水族館」および「ロープウェイで弥山(みせん)登頂へ」でしょう。
それらも十分味わい深いものです。
ですが、実は、「表参道商店街も」「厳島神社も」「素通りして」山すそに着いたところにあるお寺、「大聖院(だいしょういん)」。
これが、素晴らしいのです。
厳島神社のような、洗練された華麗なお寺では、ありません。
もっと重々しく、物々しく、生活感があり、生物の息吹があり、地蔵様と観音様と菩薩様がぎゅうぎゅうに集まった、すさまじいスポットなのです。
わき道、メインでないスポット、それこそ、実はすごいもの。

文章も、わき道が面白かったりします。
例えば、自分の体験談、「イタリア旅行記」を綴っている時。
自分の小学校時代のエピソードは本線とは関係ないものですが、それを本線に挿入すると話が膨らみます。
わき道というよりこれは、別の時空に飛んでしまうわけですが。
実はわき道の話は、本線から削除したとしても、別の作品でメインとして使えるのです。


13.ネタで書かずに「まま」で書く。


ネタを仕入れて、起承転結を組んで書いていく。
これが通常の書き方です。
ですが、ママで書く方法でもずいぶん書けるものです。
ママで書くというのは、ママでマスをかくということでは決してなく、「起承転結を組まないで、浮かんでくる文章を次々書いていく」方法です。
一つの物事をあちこち食い散らかすような方法です。
頭の中に浮かぶことを、勢いでどんどん出していくのです。
「気分で書く」という表現がぴったりです。
こういう文章も、読み手の思考の流れがスムーズに進む、スマートな文章になります。


14.書けば書くほど書き方が分かる。


「文章上手になる方法」を知ったとて、使わねば意味がありません。
忘れていくし、知ったことにもなりません。
大事なことは、文章上手になる方法を知ることよりも、どんどん書きまくることのほうです。
なぜなら、書くまくっていると、文章上手になる方法はおのずと見つかってくるからです。
また、学んだ方法を着実に身につけることができるからです。
書き続けていると、「ここはこう書いた方がいいかな?」とか、「もっと面白い表現はないかな?」など、疑問が浮かんできます。
それで「文章上手になる方法」を探りに行くと、すぐに使えるので身につきやすいのです。


15.「論文に転いらず」。


物語ならば、文の肝は「転」です。
転があることで、格段に面白くなります。
しかし、あらゆる文章に転を入れる必要はないのです。
むしろ、転を入れると逆効果の文章もあるのです。
その代表例が「論文」です。
試験論文。
「○○について」というテーマに沿って自分の意見を論理的に述べていく。
①こういう問題がある。
②このような点が原因と思われる。
この後、転を入れると、上の文①②をひっくり返すことになります。
「しかし、原因は別にある。ここが原因である」なんてやっちゃうと、文章としては面白いですが、論文としてはおかしいものになります。
「おや?こいつは自分の意見をひっくり返したぞ」
「どっちなんだ?何が言いたいんだ?」
となってしまいます。


16.企画書は、「目的」が全て。


社内報告書や企画提案書は、起承転結で書くのではなく、目理方結で書きます。
目理方結とは、「目的、理由、方法、結論」です。
目的:こういう目的のために、Aプランを企画提案いたします。
理由:現状のプランにこれこれこういう不具合があるからです。
方法:これこれこのように行います。
結論:費用(人件費、広告費、資材費)はこのくらいです。利益はこのくらいです。
このプランでは、ここがこれくらい改善されます。しかしこのような点に「損が出る可能性」があります。

このような書き方にも、転は入っていません。


17.社内文は結から書く。転はいらない。


社内文書も、転は要りません。
そしてスピード、分かりやすさが大事です。
分かりやすさというのは、文の簡潔さだけではなく、数値で表すことも含んでいます。
社内文書では、結論を先に書いた方がいい。
修飾(飾り言葉)や比ゆ表現などは不要です。
社内文書は文章上手になるためのトレーニングには最適です。
というのも、文の圧縮力、編集力、真剣さが問われるからです。
そして緊張感を伴いますから、無責任なことは書けなくなります。


18.文章にスパイスを利かせよう。


文章の「味」を良くするスパイスがあります。
それは、例えば「①普遍性」「②権威の言葉」「③友人とボケ」です。
普遍性とは、例えば体験を普遍的な観点から見るということです。
体験が「店を出るとき、店員さんが笑顔で挨拶された」ならば。
これに対する普遍性とは、「見送られるとうれしいものだ」とか、「笑顔が最高のサービスである」といった具合です。
権威の言葉とは、自分の言葉を権威の言葉に照らし合わせ正当性を誇張する、つまり「虎の威を借る狐」方式です。
「私はこう思うのである」「そして、あの偉人もこのような名言を残しているのだ」という具合。
友人とボケというのは、話に友人を出してくること、ボケをかますことです。
友人を出してくると、なにやら人間味が出てきます。
そしてボケをかますと、人間味丸出しです。
しかしスパイスですから、利かせすぎるとかえって文章全体を台無しにしてしまいます。


19.削った部分はネタとなる。


話を簡潔にまとめるため。
あるいは文字数制限によって。
書いた文章を削り落とす必要がある、という場合があります。
例えばiモードメールは全角500文字までです。
言いたいことを全部書こうとすると、文字数オーバーになります。
もちろんメールを2つ3つに分ければ全文かけるのですが、ここでそうしないで、1メールで収まるようにする。
文章を削ったり、圧縮するのです。
「せっかく書いたのに、削るのはもったいない」
と思うでしょうが、実はもったいなくはないのです。
削り落とした部分は、別のネタになるのです。
削り落とした部分から新たな文章が生まれるのです。


20.「メロスは激怒した!!」


走れメロスの冒頭です。
あまりにも有名ですね。
そして印象深い。
インパクトがすごいです。
いきなり激怒されても、何に激怒したんだろう?と思って、続きを読まずにはおれなくなります。
引き込まれるのです。
冒頭文を工夫することで、引き込まれるような面白い文章にすることができるのだと、「走れメロス」は教えてくれます。


21.「今日、ママンが死んだ」


あまりにも有名な冒頭の一行。
これは、アルベール・カミュの小説「異邦人」(1942年発刊)です。
これも、静かながらとてもインパクトがあります。
引き込まれて、続きを読まずにはいられなくなります。
というのも、「死」という、「生きている人には永遠に謎の領域でありながら、いつか必ず自分もそこに至る、命と切っても切れない存在」は、「生、生き方」と同じく、人類の永劫の普遍的テーマだからです。
「死」を扱う物語は、自然に引き込まれるものなのです。
この小説「異邦人」は、カミュが46歳の若さでノーベル文学賞に輝くきっかけとなった作品とされています。


22.「大気汚染について述べなさい」→「題:僕のオナラは超クサい」


冒頭から、「読むテンションが下がってしまうような文章」があります。
例えば、「テーマ:○○について」というタイトルに対する文章。
その冒頭が、「○○について論じよということですが…」と、オウム返しになっていることです。
なぜこれが、テンションを下げるのか?
逆に分かりやすいし、ストレートでいいではないか?
確かに、その冒頭文は、ドアを開けてそのまま道を歩き出すようにストレートに流れていきます。
しかし、当たり前すぎるのです。
引き込まれないのです。
退屈しそうな予感がするのです。
人を引き込む文章にするならば、冒頭を工夫することです。
全く別の話から始めると、面白そうに感じます。

例えば、「テーマ:大気汚染について述べよ」に対する冒頭は。

「僕のオナラは超くさい」。

あるいは、「僕のウンコは5m飛びます」。

これで読み手は、「え!?どういうこと?」と思い、先が読みたくなるのです。
逆に全く読みたくなくなるかもしれません。


23.主と述が離れると、わけが分からなくなる。


一文の中のタブー。
それは、主と述が遠く離れることです。
例えばこんな文。
「私は昨日「目が痛いから眼科へ行ってくる」と言って、雨の中を傘も持たずに出かけていって、しばらくすると戻ってきて、「しもうた。傘忘れたわい」と、ずぶ濡れの肩を揺らして笑うおじいさんを見て、笑った」
この文は結局、「私は」「おじいさんを見て笑った」ということなのですが、分かりにくいですね。
私が眼科へ出かけたのかと思ってしまいます。
主と述が離れすぎているのです。
このような文は短く切って段階的に述べた方が分かりやすいです。


24.本を「DL-R(2層読み)」する。


文章上手になるには、やはりいろんな人の文章を読んでみることです。
また、好きな文体の文章を書く作家を見つけることです。
上手だなあと思う文体を見つける。
その作家の作品を追いかけていくのです。
文章の読み方には、2層あります。
①内容(意味)
②表現(書き方)
です。
「AはBである」
という内容を、「なるほど、AはB」なのかと理解するだけでなく。
どう書いているか、表現のしかたを意識して読むのです。


25.漢字熟語はホドホドに。


「文章に漢字熟語を過度に使用すれば、文章が硬直し解読に苦心する」
という文は、カタい感じがしますね。
文章に漢字熟語をたくさん使うと、カタい感じになります。
すると、読んでも理解するのが「しんどく」なります。
わかりやすい文章は、漢字熟語があまり使われていません。
通常会話のような言葉で書かれています。


26.声に出して読もう。


書いた文を、声に出して読んでみましょう。
すると、リズム感がよく分かります。
リズムがおかしいなと思える文に気づけます。
読み進めていくと、淡々とテンポよく進んでいたのに、この文だけ異常に長いな、というのがよく分かります。
また、ですます調の文章のどこかに「~だ。」という「言い切り」を使うと、そこが締まった感じになるというのがわかります。


27.「重ね重ねお願い申し上げますことには…」「そんなに重ねられると、重いです」。


「重ねて申し上げますが」
「重ねないで下さい。重いです」
「重ね重ね、お願い申し上げますことには…」
「ああ、重。くどい。その「重ね重ね」ってつけられると、余計に重く感じます」
重ねて申し上げられると、くどいと思いますね。
その部分が重く感じます。
しかし、大事なところは重ねて言いたいのが人の心情です。
念を押して言いたいのです。
とにかく頭に入れてもらいたいですから。
しかし、同じ単語を何度も重ねるとくどくなるものです。
重ねて言いたい時には、表現を変えることです。
表現を変えて同じ意味になるように伝えると、くどくなりません。
例えば、「お宅の猫が」という時。
「お宅の猫が」を何度も言うと、くどくなり相手も嫌な気になります。
ですから、「お宅の猫が」は一度しか使わないで、別の言い方をするのです。
「お宅の、小さなお姫様が」とか。
「お宅の、お嬢様が」とか。
「お宅の、泥棒猫が」とか。
「お宅の、毛玉みたいなやつが」とか。
「お宅の、猛獣が」と。


28.通常会話に出てこない単語は、分かりにくい。


わかりやすい文章は、話しているように書かれています。
まるで、話を録音して、それを文に起こしたかのようです。
話し言葉で書かれているのです。
それがわかりやすいのは、一つは、「自分にとって意味の分からない言葉が使われていない」からです。
もう一つは、「書き手が、自分で理解していることを書いている」からです。
だから文がスムーズに進行しているのです。
文章は、伝達手段です。
よって、わかりやすいということが、最も重要な要素となります。


29.比喩表現は、1対象につき2つまで。


「カメラを向けると、その白仮面の貴族は、ポーズをとり始めた。
まるで“故ポール牧の指パッチンのように”両手を前に伸ばし。
そして、“ひょっとこのように”首をかしげたのだ。」
この文には、比ゆが2つ使われています。
でもイメージ像はさほどぼやけませんね。
比ゆは2つぐらいでいい。
これ以上だと、今度は比ゆされる元対象がぼやけてくるからです。
例えば。
「故ポール牧の指パッチンのように両手を前に伸ばし。
ひょっとこのように首をかしげ。
美川憲一のように腰をくねらせ。
小林幸子のようにまばたきをして。
太極拳をしているかのようにゆっくり動き始めた」
なんて、たくさん比ゆしてしまうと、元の像がぼやけてくるのです。
比ゆは、ほどほどに使いましょう。


30.「私」を入れるかどうか。


文章内に、「私」を入れるかどうか。
例えば社会・会社に対する批判的文章、問題提起文章。
これらならば、「私」を入れない方がいいでしょうか?
なぜなら、私を入れると、「こいつの私見か。ずいぶん偉そうなこと言うものだ」と、反感が「私」に集中するから。
実は、逆ですね。
私を入れた方が、反感を買いにくい。
私を入れないと、批判を強くしたり、高いところからものを言えるのです。
また、「~と、思われる」とか、「全体としては~」「総意としては~」といって、責任逃れができます。
一般論的な文になるのです。

「私は」を入れると、ブレーキがかかります。
批判の内容も、等身大のものになります。
「私は」を入れると、責任の所在を明らかにでき、文章に責任感が感じられるようになります。
だから説得力も上がるのです。


31.比喩が逆効果になる場合もある。


比ゆ表現の効果。
それは、対象のイメージが具体的になるというところです。
「白いマグカップ」
というところを、
「まるで真珠でできているような、白いマグカップ」
というと、マグカップが具体的になります。
光沢があって、曲線が美しいマグカップをイメージできます。
比ゆ表現は、イメージを具体的にするツールなのです。
しかし、比ゆ表現は、つなぎ方がまずいと、逆効果になります。
「青い海のような、空」
これはイメージしにくいですね。
海の青は、人によってイメージがかなり違います。
だから、「青い海のような」という比ゆを使うと、作者のイメージと食い違ってくる恐れもあります。


32.「賢明なる読者諸君には…」と言われると、何か不快。


「賢明なる読者の方々ならばお分かりだが…」
と書かれると、何だか、高いところに居るのにあえて謙虚に見せているような、不快な印象が出てきます。
「賢明なる読者」と言いながらも、なんだか「お前らバカには分かるまい」という気持ちが含まれているような感じがします。
せっかくの誉め表現が、逆効果になっているのです。
だからこのような表現は、使うならば慎重になる必要があります。
「経験豊富で見識ある役職の方々ならば、無論分かっておられるでしょうが…」
という発言も、役職者をバカにしているような印象があります。


33.ですます調は、内容によりけり。


「ですます調」の文章は、柔らかい印象になります。
そして文章をソフトに感じると、著者もソフトな人なんだろうなと思えるものです。
しかし、ですます調であっても、文章の内容によっては、そのソフトな演出が逆効果になる場合もあります。
人を批判する文章をですます調で述べると、何か余計に高慢な印象になるのです。
ですます調で書くか、であるだ調で書くか、という前に、「何を書くか、何を伝えるか」を吟味する必要があります。


34.倒置法は、ポイントが大事。


「私は、こうして、○○をしたのだ。」
これを倒置法で書くと。
「こうして、○○をしたのだ、私は」
となります。
すると、「私は」が強調されますね。
「彼は、「○○だ!」と言いました」
これも、倒置法で書くと印象が違います。
「彼はこう言いました
「○○だ!」」
彼の発言が強調されます。
通常の文の並びを、前後を入れ替えて並べる。
すると後ろに回った語句が強調される。
これが倒置法です。
語句を強調したい時に使うと効果的です。

「私は、○○ですと、声を大にして言いたいです」
これを倒置法で書くと印象が変わります。

「私は、この一言だけ、言いたい。
「○○だ!」」


35.カタカナを取り入れる。


「何、それ?」
これを、
「何ソレ?」
と書くと、印象が変わります。
それをソレにしただけで、何か目を大きくして首をかしげたようなイメージが湧いてきます。
カタカナを上手に使うと、文章が活き活きとしたものになるのです。
イメージが具体的になりやすいのです。
「上手に使う」というのは、例えばカタカナの単語ではないところをカタカナにして、よりイメージしやすくするなどです。
「ほんと?」→「ホント!?」
「まじですか?」→「マジっすか!?」
「驚いたよ」→「ビックリした!」


36.書き終えたら、「翌日に」読み直す。


文章を書き終えて。
「これでいいかな、変じゃないかな」と思うとき。
読み直すことをしますが、読み直す方法としてよいのは、「次の日に読み直す」です。
あるいは、「一週間後に読み直す」「仕事の休憩中に読み直す」など、書いた自分から離れることです。
なぜ、それがいい方法なのか?
書き終えた後はイメージや文章が頭の中に残っているので、変な部分を見つくにくいからです。
イメージが消えて初めて、「え、ここでいきなり分かりにくいね」と、変な部分が見えてきます。


37.PC画面では誤字を見つけにくい。


書いた文章を読み直しして、さらに高めていく。
読み直しをするならば、PCの画面ではなく、プリントアウトしたものの方がいいでしょう。
PCの画面上では、誤字脱字が見つけにくいのです。
WORDソフトで「文の校正」や「表記ゆれチェック」「スペルチェック」などは出来ます。
しかし、それらでは「曜日の間違い」などは引っかからないのです。
しかし、それらをクリアして、プリントアウトして読んでみて初めて分かる誤字脱字があるのです。
重要な提出文書や、印刷業者に大量プリントを依頼する文章などは、PC画面でのチェックで終わらせず、プリントアウトしてからチェックしましょう。


38.削ることで、文がしまる。


文をどんどん削っていく。
削ってはいくが、意味が変わらないようにする。
そうやって、文を圧縮していくことで、深みが出てくるのです。
「時々夜中に、風呂の中からハハハハハ。
と笑い声が上がるので、となりの住人には、ちょっと申し訳ないです」
という文。
どうして申し訳ないのかの説明が削られています。
でも、分かりますね。
夜中に、声が響くお風呂の中で声を出すと、外にも聞こえます。
という説明なのですが、そこが削られている。
しかし読み手は、どうして申し訳ないのかを読み取ることができます。
文を削っていくときは、削っても意味が不明にならないようにすることです。


39.人の文章への批判は、自分の文章直しに使う。


例えば本を読んだ時。
「何かこの文章、分かりにくいな、読みにくいな」と思うことがあるでしょう。
その時が、チャンスです。
「レビューに批判文を書くチャンス」ではありません。
「自分の文章を上達させるチャンス」なのです。
なぜ、読みにくいのか?
どこが、どう、読みにくいのか?
そこに気づいて、自分の文章に活かすのです。
「もっと、こう書いたら分かりやすいのに」
という気づきを、自分の文章に使うのです。


おわりに~尊敬する偉人に、手紙を書こう。


「尊敬する人に、手紙を書く」
これぞ、文章上手になる最有力な方法です。
というのは、緊張するからです。
へたなことは書けません。
真剣に書こうとする。
だから、推敲を重ねるのです。
しかし、硬い文章一辺倒ではなく、笑いも取りたい。
そこで、サラッと笑ってもらえる程度のギャグを盛り込む。
「でもこれで、“失礼なヤツだな”と思われたらやばいな」と思う。
だから、ギャグを盛り込むにも真剣になります。
ファンレターを書くにしても、悩みます。
「いつも応援してます。頑張ってください」
こんなレターは毎日何百通と読まれているだろうから、もっとインパクトのある文にしたいな。
なんて考えて、文を必死に練るのです。
そして、こうした「手紙を真剣に書く」行為は、いつの間にか「読む人の立場を考えて書く」姿勢を身につけさせてくれます。
読む人の立場を考えて書く。
これが大事なことなのです。


0140「文章上手な人」になる39のヒント(完)

0139ザ・カラー。

2013-01-11 22:50:35 | 日記
0139ザ・カラー。


1.牧歌的な風景を包み込む純真の「白」。
~イングランド コッツウォルズ~


イギリス人の心のふるさととも呼ばれているコッツウォルズ。
特別美観地域にも認定されている、風光明媚な丘陵地帯である。
ブナの木に降り注ぐ雪の白。
白は浄化・純粋さの象徴。
虹の7色を全部混ぜると白になることから、完全性・調和の象徴でもある。
木々や草が完全に凍りつき、大きな氷塊をまとっている完全純白の世界。
そして、空のなんと澄んでいることだろう。
冬の快晴の青は、夏のそれよりも澄んでいる。
ピンと張り詰めた風景。
音のない世界。


2.「黄金」の山水に 栄枯盛衰を思う。
~中国 桂林~


「桂林山水天下に甲たり」と称えられ、多くの山水画を生み出した桂林。
ここを流れる漓江(りこう)には、無数の奇峰がそびえ立っている。
陽が映えると、水面は黄金色に染まる。
黄金色は、富、栄光、明るさの象徴。
水面どころか、空間全体が黄金色に染まっているような、美しい写真だ。
たけのこのような形の峰々は、桂林のシンボル。
これは石灰岩が浸食されてできた山ゆえの形である。
桂林を代表に、世界中のあちこちにある、石灰岩群地帯。
それはかつての地球、大気に二酸化炭素が大量にあった原始地球の時代から生まれ始めていたと言う。
そして化学反応によって、地球大気の二酸化炭素を閉じ込めたのだ。
つまり、これら石灰岩の奇峰たちは、大気が生み出し、大気が整形した産物。
まさに「風というアーティストが、地球という岩石に刻んだ彫刻作品」なのである。


創造性を高めてくれる 「紫」のじゅうたん。
~フランス プロヴァンス~


ゴッホやゴーギャンなどの印象派の画家を魅了した南仏。
夏になるとラベンダーの紫が大地を埋め尽くす。
さながら、紫のじゅうたんである。
赤と青という正反対の色が混ざってできる紫は、それぞれの性質(赤:情熱 青:冷静)を併せ持っている。
つまり、「情熱と冷静のあいだ」を一言で言えば「紫」なのだ。
紫は直観力を高め、イマジネーションを豊かにしてくれる色でもある。


癒しをもたらす「緑」のハーモニー。
~クロアチア プリトヴィッツェ湖群国立公園~


クロアチアにある世界遺産である。
16の湖とそれを抱く深い森。
湖岸のごつごつとした岩肌も、コケや緑の木々に覆われると優しい印象になる。
緑は癒しの色、調和の色である。
そういえば、昔から緑(遠くの山)を見ると目が休まるとも言われてきた。
森林に囲まれた湖は、海や川と違いグリーンに近い水面をしている。
そんな湖に住む魚は、ものすごく大物、という気がしてくる。
湖の構成要素は、岩石と水と植物。
たったその3つの要素が、世界中のあちこちでいったいどれほどのバラエティとクオリティに富んだ芸術美観を造っていることか。
しかしそれが意図して造られたものではないとすれば?
人が「美しい」と感じる感性の方が、意図して造られたものなのだろう。
美しさを見る感性は、もっと自由でいい。
もっと自由であれ。


氷河の雪解けがつくる深遠のブルー。
~カナダ モレーン湖~


カナダのアルバータ州にあるモレーン湖。
氷河の雪解け水も流れ込んでくる湖だ。
時には「トルコ石」を彷彿とさせる美しい青色に輝くことがある。
青は心の静寂。
内面的な洞察力を高め、冷静な判断力を養う力がある。

それでふと思った。
奥に連なる山々が、「横になった女性のおっぱい」のようだ、と。
「母なる大地」と言うが、ならば高く突き出たエベレストやキリマンジャロ、アコンカグアやマッターホルンは「母のおっぱい」ではないか。
母にはおっぱいがたくさんあるのだ。
山の斜面には断層が走っている。
隆起した山か、それとも大地が少しずつ氷河に削られて山となったのか。
ギアナ高地のテーブルマウンテンに行ってみたくなった。


赤い情熱に燃える砂丘海岸。
~スペイン カダ岬~


アルメリアの砂漠地帯や海に深く入り込んでいる岬。
日没時には夕日が壮観をつくる。
赤は交感神経を刺激し、活性化させる。
赤はパワーや情熱の象徴である。

海が、空が、赤い。
だが、どこをとって見ても同じ赤はなく、それぞれが違った赤に輝く。
海は青く、雲は白いというのは一般的観念であって、それらは時として「真っ赤に輝く」のである。
太陽と地球の活動が作り出す芸術ほど、美しいものはない。
そしてそれらは、全て一回性のもので、「全く同じものをもう一度見る」ことは未来永劫かなわぬという希少さを持っているのだ。
最も古くからある太陽と地球が、今この時点でも常に「最新の景色」を作り出すという神秘。
こういった「絶対神秘」の前に立つと、宇宙を相手にした時のように、ふっとさみしく、そして自分がいかにちっぽけで薄命な存在かを思い知らされる。
しかし、だからこそ、この刹那の生に情熱を注ぎたい、そう思うのだ。


高貴なる「黒」。
~ダヴィンチ ゴードバン手帳A5~


29800円。
旧式のものは一回り小さい。
紀伊国屋にて購入。
店員さんいはく「革の取れ高によってサイズは毎年微妙に異なる」とか。
さすがハンドメイドだ。
表面の光沢と質感は革の中でも最高級である。
値段は3万弱だが、「一生使う」と思えばかなり安い。
裏表紙にはカード入れがたくさんあり、ペンリーダーもあり、システム手帳としての機能も申し分なし。
内側の革は肌色。使い込んだり日焼けしていくことで光沢が出てくる。
外側を覆うゴードバン生地は、使うほどに光沢が深くなる。
ダヴィンチには「カウスキン」「ゴードバン」と2種類の革生地で「ポケット手帳」「ポケットシステム手帳」「バイブル版」「A5版」と少なくとも4種類のサイズがある。
ゴードバンA5はダヴィンチシリーズのフラッグシップ的存在だ。
やはり毎日使うなら最高級のものがいい。
ダヴィンチのカウスキンも好きだ。柔らかくて手にしっくり来るし、使い込むほどに光沢が出る。
革の素晴らしいところ。
それは使う人の使い方によって、それぞれ独特の変化をしてるところだ。
使うほどに「個性」がにじみ出るのだ。


ハイクオリティなスタイルを演出する「銀」。
~SONYワイヤレスヘッドセット~


12000円。
デオデオ(現在はエディオン)コンプマートに1つだけ有った。
ブルートゥース対応機器。
ブルートゥース対応ケータイから音楽を飛ばせる。
なぜ買ったのか?
以前のケータイDocomoSH701iでミュージックを聴きたかった。
が、耳からイヤホンをぶら下げるのが嫌だった。
そう、というのも以前ノートPCにつないだイヤホンをして眠って、
イヤホンのコードが首に絡まってあやうく窒息死しかけたことがあるからだ。
で、「ワイヤレスに越したことはない」と思ったからだ。
ケータイをDocomoSH906に機種変。
これはブルートゥース対応機種。
で、このヘッドセットを即時購入した。
メガネのように耳の上を回って耳の穴にはまりこむ。
音もれはほとんどない。
耳の中に直接サウンドが広がる(スピーカーでは聴き取りにくい重低音(ベース音)もよく聴こえる)
まるで「頭の後ろ10cmにスピーカーを置いて聴いているような感じ」
受信機、再生装置、バッテリーは左右の耳の後ろに来る本体に入っている。
右耳のユニットの後ろについているボタンで再生、スキップ、戻り、ができる。
電源は右耳本体のボタンを5秒押しでオン/オフ。
コードがなくてとっても快適だ。
自転車走行中に耳から抜けるようなこともない。


見るだけで食欲をそそる「カレー色」。
~コスモ 直火焼きカレールウ~


8食分345円。
カレーフレーク。
アバンセ、福屋、ジュピターにしか置いていない。

カレー好きの私にとって、現時点で「最高のカレー粉」である。
美味過ぎる。
甘み、油分、バランス、辛味、全て最高だ。
ご飯がいらない(笑)
味見が止まらない(笑)
玉ねぎが溶ける。
肉は「国産牛すじ」「豚ヒレ」がベスト。
フレークなのですぐ溶ける。
奥深いコク。
そこらのカレー粉と大きく違う点は、「脂っぽくない」「香る」「濃くて深い」点である。
これを食べ浸けると、もう、レトルトカレーが「脂を食べてるような感じ」になって、食べれなくなるほどだ。


0139ザ・カラー。(完)

0137「集中力のある人」になる39のヒント

2013-01-11 22:13:46 | 日記
0137「集中力のある人」になる39のヒント


はじめに~集中した1時間は、3時間分の仕事に勝る。


集中して一気にやった仕事は速い。
後で同じことをやろうとしてやってみると、3時間ぐらいかかってしまうと言っても過言ではありません。
集中力とは、それほどすさまじいパワーとスピードを兼ねた力です。
そして、集中して物事を行った後は、充実感があるものです。
だらだら3時間やるよりも時間すら忘れて一気に仕上げた時のほうが完成も早いし充実感も大きいのだ、という体験知を持っている人は多いでしょう。
集中した1時間は、3時間分の仕事に勝るのです。
充実感は、所要時間の長さに比例しない、むしろ反比例するのです。


「集中力のある人」になる39のヒント


目次


はじめに~集中した1時間は、3時間分の仕事に勝る。
1.「早起き」が良いのは、集中しやすいからだ。
2.集中するためには、締め切りを「作らない」こと。
3.時間に追われるより追いかけることで、集中できる。
4.こもろう。
5.机の上には、今やること以外のものを一切置かない。
6.「処理能力の限界に挑戦すること」が、仕事の「裏の目的」。
7.集中力は、限界まで出しても、減らないどころか増える。
8.「時間の流れ」は一定ではない。
9.集中力は、全ての仕事に使える「万能の基礎能力」だ。
10.「追い詰められない」で集中する。
11.かつてハマッた物事に、今度は自分でハメてみる。
12.引きずり込まれよう。
13.集中する前に、安全を確保しよう。
14.TVにそっぽを向いてもらおう。
15.「下心のみ」で動く。
16.神様が手を貸してくれる瞬間がある。
17.好きなことをし続ける。
18.集中しやすい状況を整える。
19.「完成」が目に見えることをしよう。
20.「所要時間」は集中力に任せる。
21.地上に居るから宇宙に出られるのだ。
22.壁を破るには、「一点突破の集中攻撃」。
23.集中力は、感謝の念までをも引き出す。
24.「集中力を制す者、自分を制す」。
25.集中力は、「真空波動拳」だ。
26.「恐るべき集中力」を使わないで死んでしまうことの方が恐い。
27.集中力は、エゴで引き出され、エゴに抑圧される。
28.「集中力のある人」と「ない人」がいるわけではない。
29.集中力は「メテオ」であり、「ホーリー」である。
30.「これはいい!」と思ったら、速攻あるのみ。
31.「熱い本」を読もう。
32.「完成度80%で次へ移る」のも、集中力を持続させるコツ。
33.笑おう。こんな自分も、ありだ。
34.集中している人に、下手に触ると、火傷する。
35.なぜ、集中力の高い人は、いつもニコニコしているのか。
36.「中・長期的集中力」の開発。
37.「一生懸命の人」を見ると、涙が出る。
38.集中できることがある人生は、充実感あふれる人生だ。
39.「あきらめるもんか!」その思いこそ、黄金。
おわりに~集中力は、不思議な感覚をもたらしてくれる。



本文



1.「早起き」が良いのは、集中しやすいからだ。


昔から、「早起きは三文の得」と言われています。
早起きすると得をするということです。
早起きして活動することのメリットの一つは、「集中しやすい」ということです。
早朝は、訪問者もない、電話も鳴らない。
外部からの干渉がないのです。
自分だけの時間が持てるのです。
そして、時間が限られている。
それらの点から、早起きは集中して物事をやるのに最適な時間なのです。
そして、「集中して物事をやる」ことを繰り返すことで、「集中する習慣をつける」ことができるのです。
早起きして集中して物事をやる。
これを毎日繰り返す。
そして習慣にしてしまえば、早起きが苦でなくなるどころか、人生が確実に充実してきます。


2.集中するためには、締め切りを「作らない」こと。


「目標を達成するために大事なことは、締め切りを作ることだ」と、ほとんどの人が言います。
締め切りを設定することで、緊張感が生まれ、取り組もうという気持ちが緩まないので進捗が遅れないからです。
何かを集中して行う時でも、「あと1時間でこれを仕上げる」と、締め切りを設けた方が、仕上がりやすいものです。
しかし。
「集中力を習慣づける」ためには、実は締め切りを設けない方がいいのです。
なぜなら、締め切りをつくると、ペース配分や全体の進み具合を考えるからです。
ペース配分や進み具合を考えると、「今この瞬間のことに全力を投じるような自分にブレーキをかける」ことになるからです。
要するに、「無我夢中タイムから、自ら進んで離脱することになる」からです。
内なる力を解放するためには、潜在意識で動くとこです。
つまり、顕在意識を働かせないことです。
締切りの設定は顕在意識を強く働かせることになります。


3.時間に追われるより追いかけることで、集中できる。


締め切りを作ると、時間に追われます。
それで集中して一気にやって、間に合わせることができます。
締め切りを作ることも、集中力を引き出すよい方法です。
でも、「締め切りを作らないとだめ」ということはないのです。
締め切りはあくまで目安、アバウトに作っておいて、締め切りに関係なく全力でやる。
そういうやり方でも、集中力は引き出せます。
締め切りはあくまで最終防衛ラインです。
締め切りなんてほとんど意識しないで今すぐ力いっぱいやっていく。
締め切りよりも早くに仕上げてしまう。
そのような、「時間を追いかけていくやり方」でも、集中力は磨かれます。


4.こもろう。


集中力を引き出し習慣にする方法の一つとして、「こもる」があるでしょう。
どこか小さなスペースにたてこもるのです。
最近はインターネットカフェが増えてきていて、これは「こもる」には有効です。
リラックス席では、ついたてで左右の席と仕切られています。
が窮屈なスペースではなく、息が詰まるようなものではありません。
集中して何かを行うにはもってこいのスペースです。
ネットカフェに入ったからといって、パソコンでネットをしたり漫画を読んだりしなくてもいい。
集中して何かを書いたり考えたりすることに利用するのです。
すると、「お金払っているのに漫画の一冊も読まないんじゃ、もったいないよ」なんて思うどころか、「自分でも驚くほど作業が進んだ」と思うような「もうけもの」になります。
自宅の自室では、実は気が散ってしまうことが多いものです。
カフェで緊張感を持って集中して行った方が、速い。
カフェの利用料金は、「集中力習慣養育費」なのです。


5.机の上には、今やること以外のものを一切置かない。


机の上で何かを集中してやりたい。
その時のよい方法は、「机の上に、何も置かない」、です。
机の上にあるものを全部どけてしまって、今やることに必要なものだけを置くことです。
たとえば、企画書を書くのであれば、置くものは書面と資料とペンだけ。
視界にモノが入らない方が集中できます。
というか、気が散らないのです。
辞書と参考文献は、「必要になったときだけ手に取る、終わったら収める(机の上に置きっぱなさない)」方がいい。
辞書とか事典、イミダスなんて、究極の「気が散るアイテム」です。
引いた単語のとなりの単語を読んで、ハマッてしまって脱線しまくるからです。
集中するためには、気を散らさないことです。
気を散らさないためには、気が散るようなアイテムを視界からなくすことです。


6.「処理能力の限界に挑戦すること」が、仕事の「裏の目的」。


仕事や文書作成の作業において、一気にやってしまうためには集中力が必要です。
そして、その集中力を引き出すために、いい方法があります。
それは、「裏の目的をもつ」ことです。
表の目的は、「その作業を完遂すること」ですが、それとは別に、自分だけの目的、つまり「裏の目的」を持つのです。
裏の目的とは?
ひとそれぞれでしょうが、もっとも有効なのは「自分の処理速度の限界に挑戦する」です。
誰かと競うわけでもなく。
この仕事をさっさと終わらせることで、次の仕事の便宜を図るというわけでもなく。
ただ、「自分の速度の限界とはいかほどのものか」を知るためにやる。
このような裏の目的を持つと、熱くなれます。
周りの人が、「あいつ、なんか怖いぞ。キレてるんじゃないの?」なんて言い出します。
それで、「何かあったのか?」と心配の声をかけられたりします。
「別に。何も」
裏の目的のことは、人には言えません。


7.集中力は、限界まで出しても、減らないどころか増える。


「自分の処理速度を、限界まで出してみる」
そんな裏の目的で仕事をする。
すると、自分でも驚くほどの速度で仕上げてしまったりします。
そして、その後には、静かな充実感と余裕感があることに気づきます。
「ふっ、余裕じゃないか。自分は、まだまだ伸びれる」と思えて、嬉しくなります。
お金やモノは、出せば出すほど減るけれども、自分の力は、出せば出すほど「増えるのだ」という気づき。
この体験があると、機に臨んで「出したら減るから出したくない」と思うことがかなり減ります。
むしろ、新しい機会においては、「新記録に挑戦しよう」とか、「別の力を開発しよう」なんて思えてくるのです。
集中力を出した経験が、集中力を高める機会を呼び寄せてくるのです。


8.「時間の流れ」は一定ではない。


「20世紀最高の頭脳」とうたわれる、アルバート・アインシュタイン博士。
よく目にする顔写真は、ボサボサの白髪頭でアカンベーをしていて、無垢な子供のような印象を受けます。
「天才って、こんなにリラックスしているものなんだなぁ」と思います。
アインシュタインが説いた特殊相対性理論の中に、「時間の流れは、速く動くとゆっくり流れる。時間の流れはすべてのものに対して一定ではない」というものがあります。
ウラシマ効果(地球上で1年間経過しても、光速の90%で航行する宇宙船の中では0.4年しか経過しない)というやつですね。
その理論を理論的に理解するのは難しいですが、感覚的に「なるほどな」と感じることはできます。
集中して何かをやり遂げた後、時計を見ると、「あれ、まだ30分しか経ってないや」と思う時です。
集中して物事を行うと、時計がゆっくり進むのです。
ということは、「集中して物事を行うこと」は、脳にとって最高の「アンチエイジング」になるかもしれませんね。


9.集中力は、全ての仕事に使える「万能の基礎能力」だ。


「集中力」という能力は、あらゆる仕事に使える万能の能力です。
資格を取得しても、その資格を生かさなければ資格にあまり意味はありません。
しかし、資格取得のための勉強において、「集中する習慣をつけた」ことは、後々のすべてに貢献していきます。
しかも集中力は、仕事だけではなく、遊びやゲーム、生活の雑事にも応用でき、それらの物事を短時間で仕上げるだけでなく、充実感を伴わせるものとなるのです。
集中力の恩恵の極め付けがこれ。
「悩むヒマがない」ですね。
「これは難しいぞ、どうしたもんかなあ」と悩むよりは、集中して一気にやってしまうことです。
例えそれで失敗したとしても、物事は進みます。


10.「追い詰められない」で集中する。


「集中力」という大きな力を、自分のものにして使いこなしたいものです。
集中力が必要なときに、きゅっと集中できるような自分になりたいものです。
そんな自分になるためには?
たしかに、追い詰められると集中力は発揮されやすいです。
しかし、この時に発せられる集中力は、自分の意思とは無関係のようなもの。
自分がコントロールしているとは言いがたいものです。
また、追い詰められてからの集中力発揮は、「追い詰められた」というマイナスが前提にあり、それに反応して発せられたコントロールできない衝動的なパワーが正しく使われるとは限りませんから、いわば「諸刃の剣」です。
追い詰められないで集中力を発揮したいものです。


11.かつてハマッた物事に、今度は自分でハメてみる。


「追い詰められないで集中力を発揮する」ことができれば、ひとまず「集中力を自分でコントロールできている」と言えます。
そのようなコントロール力を身につけるためにはどうすればいいでしょうか?
「かつてハマッた物事。その時の自分の行動。それを客観的に捉えて、今度は自ら進んでハメていく」ことです。
つまり、「ハマる」のではなく、「ハメる」のです。
過去に、夢中になってやっていたこと。
いまでも、ついハマッてしまい他のことが見えなくなるような物事。
追い詰められて、ガムシャラになってやったこと。
そんな経験があるものです。
それを思いだし、今度は自分の意志でそれをやってみるのです。
昔はそれに「ハマッた」のですが、今度は「ハメる」。
昔ハマッた物事は、やはりハメてみると、ハマりやすいものです。
集中しやすいものです。
そして、昔と大きく違うことは「やめたい時にやめられる」、です。
コントロール、できていますね。


12.引きずり込まれよう。


「よっしゃ!!やるぞ!!集中して一気にやるぞ!!うおーりゃあぁ!!!よーい、ドンッ!!!」
と言って直後に終了してしまう場合があります。
これから集中してやると言っているのに、集中していたのはスタート時の意気込みだけだった、という時があります。
意気込み過ぎると、かえって集中しにくくなるものです。
もちろん、好きな物事であれば、準備万端、スケジュールをがっちり組んで、意気込んで取り掛かることで勢いが出て、一気にトップスピードに乗れるかもしれません。
しかし、あまり乗り気がしない物事をやるのであれば、スタートは意気込まないほうがいいのです。
あまり乗り気のしない物事に集中するよい方法は、「ちょっとずつ」「面白いものを見つけながら」「新幹線のように静かにスタートする」ことです。
さらっと始めて、面白さをたどっていく。
すると、だんだんと引き込まれていきます。
引き込まれてきたら、後は「引き返さない」だけです。


13.集中する前に、安全を確保しよう。


人間の脳は、今視界に存在しているもの、今耳に入っている音を捉えているように思えて、実は全てを捉えてはいないのです。
いやむしろ、もらし放題なのです。
脳は、情報の取捨選択を常に行っています。
「フランス旅行に行きたい」と思って初めて、通勤駅のポスターが「ヨーロッパ周遊ツアー」だったと気づくのです。
そのポスターは1年前から貼ってあったというのにです。
また、居酒屋で友人たちと熱く語ってワイワイやっていると、店内の有線BGMが全く耳に入っていないものです。
集中している状態では、脳の情報の取捨選択の範囲はとても狭くなっています。
これは、気が散らないという点では有効ですが、外の情報をキャッチしていないという点から考えれば、危険なことです。
無防備状態なのです。
幸い、人間を捕食する生物は街にはいませんが、火災、地震、事故、強盗などの危険はどこにでもあります。
ですから、集中して物事を行うつまり無防備状態になるためには、事前に安全を確保することです。
安全な場所ならば集中もしやすいです。


14.TVにそっぽを向いてもらおう。


TVが机の上にある。
もしくは、部屋の中にあり、振り向くと画面が見える。
そんな状態であると、「つい、いつの間にかTVのスイッチを入れてTVを見ていたり」します。
しかも、TVをつけた(スイッチを入れた)という意識もない。
そして気がついたら5分間、TVに見入っていた。
失われた5分間。
記憶のフィルムが5分間分なくなって、切った両端をつないだように、ワープした感覚になるのです。
「仕方ないよ。見ようと思ってないのに、TVが勝手についたんだ」
そんな言い訳は、お散歩タイムを待っている犬にも通用しません。
TVは気を散らすアイテムとして強力なものです。
TVの画面がこっちを向いていると、どうもスイッチをつけたくなるからです。
だから、集中するには、「TVにそっぽを向いてもらう」ことです。
TVの画面を向こうにむけましょう。
TVにそっぽを向いてもらうのです。
すると、TVがこう言います。
「今日のオレは機嫌が悪い。今日はお前に何も見せん」と。


15.「下心のみ」で動く。


「下心」は動機としてとてもパワフルなものです。
下心で動くと、めんどくさいことでも一気にやれます。
下心とは、文字通り「下にある心」。
「理性の下にある考え」つまり本能的欲求や野心、エロ心のことです。
下心を満足させようという力は、理性など軽く吹き飛ばしてしまうほど強力です。
しかし、通常は理性によって抑圧されていて、思念の領域にとどまっています。
「下心で動いちゃイカンよ」という理性が、下心で動く時の「集中力」発揮を阻害しているのです。
下心と理性を闘わせているから、下心の強いパワーが取り出せないのです。
下心以外、一切考えないことです。
純粋に下心だけで動くと、とても集中できます。


16.神様が手を貸してくれる瞬間がある。


純粋な思いを実現しようと、行動を始めたとき。
神様がそっと寄り添って、必要な力を貸してくれるのです。
よこしまな思いを実現しようとしても、そもそも自分の中の本心がそれに反対します。
自分の中に相反する思いが混在していると、集中できません。
エゴや下心が最も強いパワーだと分かっていても、「ではエゴや下心を実現させていいのか?」という思いが湧き上がってくるので、純粋な思いにならないのです。
神様が力を貸してくれるのは、純粋な思いに対してだけです。
神様は、暴走や迷走には力を貸してくれないのです。


17.好きなことをし続ける。


やはり、好きなことをするのが、最も集中力を発揮しやすいものです。
好きなことに年がら年中打ち込む。
すると、いつの間にか集中力はついています。
そして、集中力があるから、さらに打ち込める。
打ち込めるから、もっと好きになる。
こうして好循環していくのです。
そして、上手にやれるようにもなり、自信もついてきます。
「好きなことをしよう」というのは、刹那的な日和見主義的な安直な生き方をしようということではないのです。
「物事を、集中して長い間やり続けよう」ということなのです。
長い間集中してやり続けると、技術力、忍耐力、そして集中力が付いてきて、自信もついてきます。
つまり上手な生き方なのです。


18.集中しやすい状況を整える。


集中しようと思っていても、集中しにくい場所であると、集中しにくいものです。
集中する環境を整えることが必要です。
・外界をシャットアウトする(こもる)。
・身の安全を確保する。
・好きなことをする。
・締め切りを設けない。
・締め切りを設けても、はるか前に仕上げる。
・早起きして1時間取り組む。
・用事を済ませる。
・机の上に何も置かない。
「富む者はますます富む」と言われますが、それは「集中力が集中力発揮環境を改善していくので、ますます集中できる」、ということと同じです。


19.「完成」が目に見えることをしよう。


できれば今目の前で「完成」が分かるものに取り組みましょう。
完成つまり「ゴール」です。
その形が見えるものに取り組むと、集中しやすいです。
だんだんと集中していけます。
集中力は、完成に近づくと、加速的に上がってくるものなのです。
完成度80%ぐらいから、余計な思考や力みが取れ、一気に完成に向かいます。
が、そのころはもはや集中しきっているので、楽な気分で進んで行けます。
しんどいのはスタートから60%ぐらいのところまでなのです。


20.「所要時間」は集中力に任せる。


「さあ、1時間集中してやるぞ」と決めて行う。
しかし、1時間経つ前に集中力が途切れてしまった。
すると、「ああ、自分は集中力がないよなぁ」と思ってしまうでしょう。
だから、それよりも、どのくらいの時間集中するかは、集中力に任せましょう。
「所要時間」を集中力に任せるのです。
集中力が続く限り行って、集中力が途切れたらやめる、ということです。
こうすれば、「自分には集中力がない」なんて思うことはありません。
集中力が長ければ、長い時間行えるし、短ければ、短い時間しか行えないでしょう。
しかし、集中力の強さは、時間の長さではないのです。
集中力の強さは、文字通り「集中する力」です。
20分で1時間分の作業を行う力です。


21.地上に居るから宇宙に出られるのだ。


「宇宙に行きたい」と思ったことはありませんか?
そういえば私は、中学2年の時、英語作文(テーマは将来の夢について)で、「アストロノーツ(宇宙飛行士)になりたい」なんて書いていました。
宇宙には行っていませんが、集中しきった時の世界は、何か地上ではないような感覚があります。
「夢中空間」
まるで真空のように、音もなく、空気の流れもなく、誰もいない、何の気配もない。
ここがどこかといえば、どこでもないような。
まるで宇宙空間のようなのです。
宇宙空間の疑似体験なのです。
そう!
誰だって、地上にいながら宇宙に出られるのです。
夢中飛行士になれるのです。(笑)
私は、宇宙飛行士にはなれませんでしたが、時々、夢中飛行士になります。


22.壁を破るには、「一点突破の集中攻撃」。


人生のあらゆる時期において、突如として立ちふさがる問題。
まるで、「ここから先へは行かせないよ」と言いながら立ちふさがる、壁のようです。
壁を突破するには、やはり集中力のパワーが有効です。
問題解決のために、集中して活動するのです。
ひとつの問題について、集中して、自分の最大速度で解決案を100つ出す。
もしくは、問題解決行動に全力で取り組むのです。
集中することによって、潜在意識の領域にあった「解決方法として正解」を引っ張り出してくることができます。


23.集中力は、感謝の念までをも引き出す。

例えば。
いつもは朝6時に起きて、準備して、7時に出勤している。
それが、前の晩疲れていたためか、6時に目覚ましで起きたのに、いつの間にか二度寝していた。
はっとして飛び起きる。
時計を見ると、「6時50分」!
1分の余裕もないが、ソッコーで支度して出かければ、間に合う。
そんな体験はありませんか?
私は年に4,5回あります。
私はこれを、「神様の目覚まし」と呼んでいます。
1分の余裕もないが、必ず間に合うという時刻。
余分も不足もないタイミング。
まさに、完璧なタイミングなのです。
ここで遅刻を喫してしまうのは、自分の集中力のなさです。
集中して支度をして出かければ、必ず間に合います。
そしてその後、感謝の念が湧いてくるのです。
気づくからです。
「私は、大いなる力に、見守られている」と。


24.「集中力を制す者、自分を制す」。


追い詰められて集中力を発揮したという体験があると、こう思ったりするものです。
「では、集中力を発揮するために、自分を追い詰めようか」と。
しかし、追い詰めることはマイナスであり、マイナスに反応して発したパワーはリスクがあります。
制御不能というリスクです。
ですから、追い詰められないで集中力を発揮できた方が、いいにこしたことはありません。
そのためには、やはり普段から、物事に集中して取り組むことです。
それで習慣をつけるのです。
人生は、習慣の賜物です。
習慣を制することが、人生を制することになるのです。
また、「集中力を制す者、自分を制す」とも言えます。
集中力を制すことで、人生が自由になってきます。
気乗りしない仕事を与えられても、集中してさっと仕上げるから、犠牲に思うことがなくなります。


25.集中力は、「真空波動拳」だ。


真空波動拳とは、全身の波動エネルギーを両手のひらに集めて、手から打ち出すエネルギー砲です。
(澤山宗海師が創設した「日本拳法」には、実際に「波動拳(波動突き)」がありますが、これはエネルギー砲ではありません)
真空波動拳の原理はさっぱりわかりませんが、真空は凝縮力がものすごく強いものです。
真空パックされた袋を手でつまんで広げるのは不可能ですが、それができたら真空が作れます。
集中力は、この真空のようなものです。
すごい凝縮力、引力なのです。
意識や記憶や潜在意識から、今必要な考えやアイデアを、すごい力で引き寄せるのです。


26.「恐るべき集中力」を使わないで死んでしまうことの方が恐い。


集中力のパワーは、恐るべき強力なものです。
何かの作品をすごい集中力で一気に作ってしまう人は、やはりその作品にも圧倒的なパワーが込められていて、「この作品すごい」と言われます。
また、「この作者はすごい集中力の持ち主だろうな」と、一目置かれます。
技術巧みでなくとも、集中力で物事を仕上げることは可能です。
カベを超える人は、やはり集中力を使いこなしているものです。
そんな人を恐れるよりも、恐れるべきなのは、集中力を使わないで死んでしまうことです。
「集中力は誰にも備わっていて、教わらなくても発揮できるのに、それを使わないで人生を終わってしまうこと」の方です。


27.集中力は、エゴで引き出され、エゴに抑圧される。


集中力が働くときというのは、エゴが動機になっている場合が少なくありません。
しかも、マズローの5段階欲求でいくと、下の段の欲求ほど集中力は強くなるのです。
例えば名誉を勝ち取るためのコンテストをやることよりも。
火事場から逃げ出す時。
トイレがもれそうな時。
好きな異性を手に入れようとする時。
好きな異性に「素敵」と言われたくて行動している時。
そういう時のほうが集中力が強いのです。
しかし、エゴは集中力を抑圧するほうにも働いています。
エゴは「自分をよく見せたい、自分がおいしい思いをしたい」という欲求の裏に、今の自分は不安で不足した存在だと考える一面も持っています。
だから、「自信を持てない」のです。
すると集中力が発揮できにくくなります。
だから、エゴのあるなしが問題なのではなく、エゴをどう使うかが大事なのです。


28.「集中力のある人」と「ない人」がいるわけではない。


「集中力は、誰にもあるわけではない。ある人とない人がいる。
集中力のある人は、やはり仕事ができるし、勉強もできるし、目標を達成するスピードも速い。」
もし、そんな考えをもっているならば、それは誤解です。
集中力のある人とない人がいるわけではありません。
集中力は誰にでもあるのです。
ただ、それをコントロールして使う人と、振り回される人と、使おうとしない人がいるだけです。
集中力は、エゴから生まれることが少なくありません。
もし、集中力が発揮できないでいるならば、エゴを抑え過ぎているのかもしれません。
もっとエゴイストになった方がいい。
そして、「悔しい、もう負けたくない。こんなことで泣き寝入りしてたまるか。抵抗してやる」
という思いに正直になった方がいいのです。
負けたくないという思い、感情が集中力を引き出す強力なトリガーでもあるのですから。
そう、周りの人に「あの人は集中力がある」といわれるような人は、たいてい「負けず嫌いな人」です。


29.集中力は「メテオ」であり、「ホーリー」である。


FFⅦ(ファイナルファンタジー7)をやったことのある方ならご存知でしょうが、星を破壊するほどの強力な力を持つ「メテオ」、これは隕石を呼び寄せる魔法です。
一方、星の破壊を防ぐあるいは癒す強力な力、「ホーリー」は、星という生命体のライフエネルギーを活発にし、ライフストリームを発動する魔法です。
ところでこれが何の話かというと、「集中力は、この「メテオ」あるいは「ホーリー」のようなものだ」といいたいのです。
集中力は、使い道を誤れば、世間や身の破滅になりかねない。
逆に有益に使えば、世間や人生に成功と癒しをもたらすものだ、というわけです。
ただ、難しいのは、自分で自分のやっていることが、誤った道なのか、有益なことなのか、はっきりしないという点です。


30.「これはいい!」と思ったら、速攻あるのみ。


「即断即行こそ成功のコツだ」
と言われますが、「そんなの、じゃあ大空を自由に飛びたいなと思ったら、すぐに高層ビルの屋上からダイブすれば成功するというのか?」
などと、ひねくれた反論をする人が出てきます(私です)。
即断即行でも、「これはいいことだ」とか「これは大事なことだ」という判断を前提にすることです。
すぐに動くと勢いが生まれ一気に進めますが、ゆえに悪い方向へも加速的に進んでしまうのです。
即断即行は、集中力を使った状態のことですが、ゆえに集中力は使い道が大事なのです。
直感的に「これは大事だ!」と思って何ら否定的な考えが浮かんでこなければ、それはほとんど正しい道です。
そういう時は、一気に進みましょう。


31.「熱い本」を読もう。


「熱い本」を読みましょう。
「厚い」ではなく「熱い」本をです。
「電子レンジで3分温めた本」ではなく、「情熱的になれる内容が書いてある本」です。
熱い本とは、読み進む行為自体で熱くなってきて、読み終わって情熱的に動きたくなるような本です。
こういう本を読むと、心のギアがトップに入ったかのように思考も身体もスピーディになります。
読む行為自体、集中できますし、読んだ後からも、集中力が動き出してきます。


32.「完成度80%で次へ移る」のも、集中力を持続させるコツ。


集中して一気に仕上げてやろうという燃えている状態では、「完成したら止まろう、完成するまで止めないぞ」と思うものです。
途中で止めてしまうと、もうこの集中力が発揮できないかもしれない、それなら今のこの勢いで一気に全部やってやろう、と。
しかし、実は、完成させないで、80%ぐらいのところで「わざとに止める」ことも、次の機会に集中力を出しやすくするひとつのコツなのです。
80%で止めたものは、心に強く残ります。
いつも心にひっかかっています。
つまり、「心残り」なのです。
完成度80%であえて止めることで、人為的に「心残り」を作り出すことができるのです。


33.笑おう。こんな自分も、ありだ。


マンガにハマることがあります。
ハマるクセのある人は、何であれ、よくハマります。
ふらっと寄ったブックオフで立ち読みしたマンガにハマって、その勢いでネットカフェに入り、そのマンガを全巻読んでしまったり。
「男なんて、男なんて…」と男嫌いで噂の女性が男にドハマリしたり。
そんな時、ふと冷静になって、「こんなことしてていいのか?」と思うときがあります。
こんなことしてて、いいのです。
これもアリなのです。
集中力のなせる業なのです。


34.集中している人に、下手に触ると、火傷する。


集中して物事をやっている人には、何か話や用事があっても、しばらくそっとしておきましょう。
集中している人は、やっている物事で頭がいっぱいなのです。
その人のCPU使用率は100%で、メモリの割り当ても100%です。
ですから、何か話しかけてもたいていは無視されます。
いや、集中している本人からしてみれば、無視したわけではないのです。
CPUとメモリを全部割り当てているので、聞こえないのです。
こういうときは、話しかけるタイミングを見計らったほうがいいでしょう。
話しかけて、強引にこちらに意識を向けさせると、相手は「集中力エネルギーを奪われた」気になって、怒ることがあるからです。


35.なぜ、集中力の高い人は、いつもニコニコしているのか。


集中力をものにしている人は、いつもニコニコしています。
コンテスト決勝で負けても、オセロで負けても、パチンコで負けても、ガムをふんづけても、職場に自宅の鍵を忘れ、ネットカフェで一晩過ごすハメになっても、たいていニコニコしています。
「いやー、負けたよ、パチンコで、6万」と聞いて、こちらは最後の「6万」のところで「ええっ!? 6万も!」と叫ぶのですが、言った本人はニコニコしているのです。
心が落ち着いている印象を受けます。
心が穏やかで、豊かなのです。
なぜ、その人は心が穏やかで豊かなのか?
それは、いつも物事に集中するため、心に充実感があるからです。
パチンコを打つにしても、「一生懸命打つ」からです。
だから、勝っても負けても大きな刺激を受けていて、充実感を得ているからです。
心が穏やかな理由は、もうひとつあります。
それは、「自分のやるべきことをハッキリ持っていて、それゆえに、それ以外の物事にはこだわりがない」ことです。
目の前の物事一つ一つには集中して取り組むけれど、本来やるべきことはひとつしかなく、それ以外のことはなんとも思っていない。
だから、それ以外のことをやる時は、結果を考えないで「集中している自分を楽しむ余裕が持てる」のです。


36.「中・長期的集中力」の開発。


「目標を持ちなさい。人生の目標を。目標を持つと人生が充実する」
多くの先人も言われてることですが、では何故、目標を持つと人生が充実するのでしょうか?
そして、「別に達成したくもない、与えられた目標」を持つことでも、人生は充実するのでしょうか?
目標を立てたのが誰であれ、目標の内容が何であれ、それを達成しようと力を出すこと。
ここに充実感があるのです。
目標を立てることで、それを達成するために、行動を繰り返すようになります。
何度もアプローチしていくようになります。
すると、上達します。
上達すると、充実感が得られます。
また、繰り返すことで、その行動を好きになりやすい。
習慣にもなりやすい。
習慣になると、その行動に集中力を発揮しやすくもなります。
集中力を発揮すると、心は充実します。
つまり、目標を立ててそれに取り組むことは、
①今ここで集中する(短期的集中力の獲得と発揮)
②繰り返して上達する(中期的集中力の獲得と発揮)
③習慣になる(長期的集中力の獲得と発揮)
につながるのです。
そして、「短中長どれであれ、集中力を発揮すると心が充実する」。

結局。
「目標を持つと、集中力が発揮できる」

「集中力を発揮すると、心が充実する」

「つまり、目標を持つと、心が充実する」というわけです。


37.「一生懸命の人」を見ると、涙が出る。


無我夢中で走っている人を見ると、何故か胸が熱くなります。
思わず、「がんばれ!」と心の中で声援をあげます。
何故か、無我夢中で走っている人に「ドラマ」を観るのです。
大切な何かを守るために、自分の全てを投げ打っているような、熱いドラマを観るのです。
もしかすると、便座を降ろして座ったら、トイレットペーパーが無かったので、全力で最寄のコンビニに「紙の救い」を求めて走っていたのかも知れません。
あるいは、コンドームが破れたので、「熱が冷めないうちに何とかしなきゃ」と全力で最寄のコンビニに「うすぴた0.02」を買いに走っていたのかも知れません。
(笑)
でも、一生懸命な姿、それは胸を熱くさせてくれる、すばらしい姿ですね。
国を背負ったサッカー選手が、全力でゴールに突進する。
最後の一人を突破して、大歓声が上がる。
劇的なゴールが決まる前に、涙の準備はできています。
泥まみれのユニフォームで、うなだれて、整列する。
最後まで食らいついた、甲子園の選手たち。
勝敗を超えて、どちらのチームにも拍手をしてあげたくなります。


38.集中できることがある人生は、充実感あふれる人生だ。


集中している状態は、まるで自分の中が真空になっているかのようです。
何も無い。
何も無いが、何もかもで満たされているような。
集中できることがある人生は、充実感にあふれる人生です。
人生の多くの時間を充実させることができる人生です。
集中できる一つのことを持つことで、人生は変わってくるのです。
充実感で満たされてくる。
心が満たされてくると、不平、不満、不足感、不安感が小さくなります。
「あれが必要だ。これがないとやってられない」
なんて言うことが少なくなります。
集中できる一つのことが生み出す充実感が、ほとんどの不足感を埋め合わせてくれるのです。
だから、モノ(物質、お金)がそんなに要らなくなります。
「何は無くても幸せ」という人生は、本当にあるのです。
大切な一つのことに集中する人生です。


39.「あきらめるもんか!」その思いこそ、黄金。


どんなに負けが続いても、空白の時間を過ごしてしまっても。
必ず、「黄金の時」がやって来ます。
神様は、見捨てないのです。
一生懸命やっている人を。
悔し涙を流して、立ち上げる人を。
誰かのために涙を流している人を。
歯を食いしばって、耐えている人を。
神様の力が、あるひと時を、「黄金の時」に変えてくれます。
その時を黄金に変える神様の力。
それを引き出す魔法の言葉があります。
限界までやって、もうだめだと思った時こそ、この言葉を唱えましょう。
「あきらめるもんか!!」
黄金の時が、やって来ます。


おわりに~集中力は、不思議な感覚をもたらしてくれる。


黄金の時を経た人は、気づきます。
「あきらめるもんか!!」
その思いこそ、時を黄金に変える魔法だったのだと。
神様が力を貸してくれたと思った、あの時。
神様はおそらく、コタツに西川の羽毛布団を敷いて、みかんを口に入れたままうたた寝していたのです。
でもきっと、神様の口元には、みかんの汁がだらだら流れながらも、笑みが浮かんでいたでしょう。

集中力を発揮することの効果は、「仕事を一気に仕上げる」とか、「目標を期日までに達成する」とか、「気分が充実する」といった、自分や外部への直接作用にとどまりません。
不思議な感覚をもたらすという効果もあるのです。
普段なら、「見たか!オレの実力を!」と言うところが、何故か静かに、感謝の念が湧いてくるのです。
何か、目に見えない大きな力、サムシンググレート、ガイア、ライフストリーム、神様、宇宙の意識、そういった何かが力を貸してくれた、力が流れ込んできた、いや、「自分を通してその力が発された」、そんな感覚があるのです。
宇宙が生きているような、気がするのです。
この不思議な感覚が、面白くてたまらないのです。

集中力を身につけて出すことの、表の目的は「物事を一気に仕上げるため」。
集中力を身につけて出すことの、裏の目的は「自分の限界速度への、挑戦」。
そして。
集中力を身につけて出すことの、真の目的は「目に見えない大いなる力とつながる感覚を、楽しむため」。


0137「集中力のある人」になる39のヒント(完)