資料6

2010-09-04 | 日記

警察化した民衆は暴走する

 では、こういう「安全・安心まちづくり」にはどういう問題点があるのか。
「生活安全条例」の問題点を、いくつか項目を絞って指摘します。当然、プライバシー権とか肖像権の侵害を、カメラがあちこちに付けば助長するわけです。そして、上乗せ規制・横出し規制についてコメントすると、例えばいま自治体がとんでもない条例をいろいろと作っているんですけれども、軽犯罪法で例えば人の大小便は1万円未満の科料、あるいは30日未満の拘留ですけれども、杉並区の「生活安全条例」では、動物の糞の放置が5万円以下の罰金なんですね。人の大小便より犬の糞の放置のほうが重たい。人より犬が偉いという発想があるかもしれませんが。
 刑事罰より行政罰のほうがいいという発想もありますね。例えば当事者が了解すれば行政罰で済ませるというのは、交通違反の場合がそうですけれども、反則金と点数制度によって対処する。軽微な違反については刑事罰を科さない。そういう発想の中で、条例で刑事罰を科すのは酷だから、行政罰で対応しようという発想があるんですけれども、本当にそれがいいのかどうかですね。
 やはり行政罰を活用した方が取り締まりがしやすい。なぜかというと、刑事罰を科す場合には客観的な証拠に基づいて、第三者である裁判官が判断しないといけない。だから取り締まりにも慎重になるんです。行政罰の場合には現場で、例えば千代田区の「生活安全条例」では路上喫煙を見つけたら、当事者がその場で認めたらそこで過料が取れるんですね。こういう取り締まりはおかしいんじゃないかとか、周知徹底していないとか、反論ができる人だったらいいんですが、おとなしい人はすぐその場で払うので、取り締まりがしやすい。そういう取り締まりの仕方がいいのかという問題があります。
 実は千代田区の「生活安全条例」の取り締まりをする職員に渡しているマニュアルを読むと、いちばん大事なのは瞬時にしてその人を判断すること、「○○風」と判断しなさいと書いてあるんですね。「ヤクザ風」とか、「おとなしいサラリーマン風」とか、そういうふうに見極めろということらしいんですけれども、ヤクザ風はやっかいになるから声かけは慎重に、サラリーマン風には厳しくと、そういうつもりかどうかは分かりませんけれども。
 あと怖いのは、自主防犯活動が盛んになると、「民衆の警察化」になる。オウムの時の事例がいい事例なんですけれども、地域住民が自警団的なものを作って、いろんな活動をしました。警察はいちおう法律によって縛られていますから、できることとできないことがはっきりしていますけれども、地域住民は法律の知識がないから暴走しちゃうんですね。検問をオウム信者に対してやったりとか、荷物検査をやったりとか、さらには撒き菱を撒いて車をパンクさせたりとか、武装した住民がオウム信者を襲撃したりとか、警察ができないことを各地でやっているんですね。
 いまの自主防犯活動が怖いのは、エスカレートしていることです。取り組みに熱心な人達が怖いのは、一生懸命にやっているからです。実際に栃木では無線などを積んだ独自のパトカーのような車と制服を用意して活動したりとか。さっき言ったような民間交番をはじめ、普通の市民がどんどん警察化しているんです。
 昔の経験では関東大震災のときの自警団による朝鮮人の虐殺がありますけれども、行き過ぎがあればああいう現象が起きる。あと怖いのは、オウムを始めとして過激派とか暴力団、「テロリスト」に人権はないとういう発想で対応する可能性がある。おまえは犯罪者だからとか「不審者」だからとか、例えば名前を聞いて答えられないのは「不審者」だからだとか、そういうことを平気で口にする。警察官であれば警察官職務執行法などによって法の縛りがあるし、教育も受けています。市民はそういう縛りがないから、非常に危ない、暴走する可能性がある。そういう意味で私自身は、市民が警察的な活動をすることには批判的です。


「国家による自由」?

 これはちょっと専門的な話で恐縮ですが、こういう活動が拡大されると、行政警察が拡大していくんですね。戦前の内務省がいろんな問題に介入できた、行政警察の典型ですけれども、それを反省して戦後は内務省を解体し、警察を地方分権化して行政警察を縮小したわけです。しかしその縮小したはずの行政警察が、80年代に着々と復活してきている。戦後の警察で中でやはり強かったのは公安警察なんですけれども、いま警察の中で強いのは生活安全警察ですね。
 いま治安が悪化しているということで、警察の内部の配置換えをしているんですけれども、じつは警備・公安部門は人が減らされているんですね。それに対してその他の交通とか生活安全とか刑事その他は人が増やされています。だからいま警察の中でも公安は力を落としているんですけれども、そういうことに関して公安警察の中で焦りがあって、ビラ弾圧事件とかを一生懸命やっているんだと思いますけれども。
 これが怖いのは、1980年代末からこれまでの警察権の限界と言われていたものを緩めようという議論が、『警察学論集』なんかに出てきます。これまでの警察権の限界とは何かというと、まずは警察消極目的の原則。警察の活動は事件・事故が起きたときに初めてやるのが原則であって、積極的に活動してはいけない。あるいは警察責任の原則。警察権を発動する対象は発動責任を有する者に対してだけであると。犯罪をしたという人間に対してしかできない、犯罪をしていない人には発動してはいけない。あるいは警察公共の原則は、いわゆる民事不介入です。警察比例の原則は、犯罪と見合った形で警察権を行使するという原則ですけれども、こういうものを警察の内部で批判し、緩めようという議論が出ています。
 とくに生活安全警察・行政警察では、警察消極目的の原則や警察公共の原則を緩めると言い始めていますね。あるいは「国民の権利・自由の擁護者」論が登場してきていまして、これは警察というのは国民の権利・自由を守る護民官なのだというものです。だから人権侵害に遭っている国民がいる場合には積極的に介入すべきだという議論で、それを受けて出てきたのが「三面関係」論という議論です。従来、国家対警察権限行使対象者という人間関係で、二面関係で警察法体系を組み立ててきた。警察権限を強めると警察権限行使対象者の人権侵害につながる可能性があるから、憲法とか警察法で警察権限行使に歯止めをかけていたわけです。最近の議論は、プラス警察権限行使で利益を受ける者、という存在を設定している。

 要するにこれは私人間の争い、ある人がある人に対して人権侵害した場合に、それに対して警察が積極的に介入してもいいんだという考え方が出てきた。第三者である警察の介入で「利益を受ける者」を想定することで、三面関係で物事を考える。私人間で人権侵害があった場合には、従来は警察公共の原則から、警察はなるべく介入してはいけない。被害者が声を上げれば介入できますけれども、介入してはいけないという立場だったんですけれども、これからはどんどん積極的に私人間の問題でも、民事の問題でも介入しなさい、という議論が、90年代から出ています。
 学者の中にもこういう警察の介入を助長しかねない議論がいま出ています。従来ドイツで議論されてきた「基本権保護義務論」という考え方があります。ドイツでは「基本的人権」という言い方ではなくて「基本権」という言い方をするんですけれども、国民が持っている基本権に対して、国民=私人が私人の基本権を侵害した場合に、国家が積極的に介入して、その国民の基本権を保護しなければいけない、さらにはそういう基本権を保護する義務があるんだという考え方がドイツでは盛んです。それを日本でも導入すべきだという議論が、憲法学界でも最近出ています。この考え方は先ほど言った、三面関係論にフィットする議論です。警察の中から出てきている三面関係論や権利・自由擁護者論を助長しかねない議論が、学界の中で出てきているわけですね。
 似たような議論としては、「国家による自由」論があります。これはどういう考え方かというと、民法の学者が最近言っているんですけれども、仮に基本権を「国家からの自由」に限定するならば、「国家からの自由」というのは、国家が国民の自由を侵害してはいけない、だから基本的人権は自由がまず大事だという議論ですけれども、これに限定すると殺人や窃盗、強盗、強姦など、個人の権利が他の個人によって侵害を受けても、国家はそれを傍観して良いことになってしまう。だからそれを傍観しないために、「国家による自由」が必要だと。国家がどんどん介入して国民の安全を守りなさいという議論が、民法学者から出ています。
 こういう発想に近い最近の立法は、ストーカー規制法とかDV防止法などです。従来警察が私人間の問題に慎重であったのに対して、最近はこういう法律によって警察が積極的に介入し始めているという問題があります。国家の介入に対しては慎重でなければいけないし、こういう議論を慎重に見ないと、すべての領域で国家の私的領域への介入を認めますよという批判的な議論があります。水島朝穂さん、岡本篤尚さん、芦部信喜さん、西原博史さんなどがそういう批判をしています。
 また、権力による価値の注入の問題もあります。これはフランスのミシェル・フーコーが議論したことですけれども、彼の議論はいまの監視社会でも使えるんじゃないかと私は考えています。カメラや防犯活動による「視線」や、条例違反への「処罰」や、防犯活動への参加や条例遵守について、防犯活動に参加するか否か、条例を守るか否かという「試験」を通じて、規律訓練が行われていく。
 ミシェル・フーコーが議論の題材としたのは、19世紀にベンサムが発明した「パノプティコン」という、一箇所で囚人を監視する監獄ですね。その監獄で、囚人からは看守が自分たちを見ているか分からない構造にすることによって、常に見られているかもしれない「不可視のまなざし」を囚人に内在化させることによって、囚人たちは脱獄等をあきらめてしまい、規律訓練が可能になってしまう。そういう議論を彼はするわけです。

 しかし19世紀のパノプティコンでは、これはまだ生身の人間、看守という人間が監視するわけですから、24時間常に監視できるかというと、そうではない。しかしいま20世紀以降は、カメラの登場によって、カメラがデジタル化、常態化することによって、可能性としてのパノプティコンというものが、現実性として常に監視ができるという状況に代わってきた。そこでミシェル・フーコーが議論していたパノプティコンをさらに一歩進めて、いまのこの監視・管理のさまを「超(スーパー)パノプティコン」だという議論が、例えばウィリアム・ボガードという人が論じています。
 そしてこういう社会においては、権力者が何が正常・普通で何が異常かという決定をする。すなわちいまのような社会であれば犯罪をしない人々と不審者という区分けをするんですね。人々は自分が犯罪者とか不審者というレッテルを張られたくないから、率先して地域では自主防犯活動にかかわる。あるいは事業者等が率先して防犯活動にかかわる。他人から不審者というレッテルを張られたくないという意識から、積極的にかかわる。
 こういう中で規範化、規格化ということが進みます。あるいは千代田区の条例などがそうなんですけれども、従来の権力というのは、その人を殺せる、死に関する権限を持っていたんですけれども、いまや公権力は人々をどういうふうに生かすか、生命を管理する権力となっています。その中で「快適」とか「健全」を追求するわけですけれども。その典型的な事例として挙げられるのはナチス・ドイツです。ナチスはタバコ規制とか肉食規制など、健全さを求めていくわけですけれども、「生活安全条例」の中では快適な環境とか規範意識を植え付けるとか、「健全な青少年の育成」、そういうことまでも口出しをし始めています。
 実はそれは似たようなものとしては、少子化対策基本法で結婚して子供を産むことを国民の責務にしたり、健康増進法によってタバコをやめていくことを国民の責務にしたり、あるいは先の国会で成立した食育基本法によって学校とか家庭その他で健全な食生活に務めることを国民の責務にするということが進んでいる。そういう流れの中で「生活安全条例」を考えていく必要があるんじゃないかというふうに思います。


210107 18:48







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201230 12:00
210107 14:16


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