昨日、「自分は結婚しない方がいい」ということを書いたが、かといって「結婚願望がない」と言うと嘘になる・・・かもしれない。
こんな風に育った人間だし、色々なことを経験しろと言いつつその「色々なこと」には含まれないような、普通は経験しない方がいい、他人にはあまり話したくないような重く暗い経験も、普通の人より多くしてきたと自分では思っている。だからこそ反動でとても明るい部分もあるのだが、その振れ幅が大きすぎる。「人間誰にでも明るい部分と暗い部分がある」と言って人に裏表があることを肯定する意見はあるだろうし、自分もそう思うが、裏表が肯定されるのは「ただし、ある程度の振れ幅に収まっている場合に限る」という条件付きの話ではないだろうか。私の場合は、極端に暗い部分と極端に明るい部分があって、その条件には当てはまらない。大体そんな感じのわけがあって、素の自分を見せることがとにかく怖いというか、素の自分なんて見せてしまったら、そう人間関係が上手くいくことはないだろうと思っている。だから、仲の良い年上の人には全然素を見せられていない。学校の先生になるには相応しくないくらい、明るい部分も暗い部分も変だから、きっと生徒に思う存分素を見せることもできない。
一応、素の自分を見せることができている相手は何人もいる。仲の良い友達の前なら自然体でいられるし、心を開いてくれたバイト先の生徒の前でもかなり自然体でいる。自分の最も暗い部分の、何年経ってもなかなか乗り越えることができない事件についての話だって、何人かにはちゃんと事情を話して、理解してもらえている。
ただその中には、お互いを恋愛対象と見ることのできる相手がいない。恋愛したいと思うなら、素の自分を見せることのできる相手を新たに作らなければならない。これが厳しい。
こんなに極端に明るかったり暗かったりする素を見せて、それを受け入れてくれる相手を求めるのは、結構ハードルが高い。
よく芸能人が結婚を発表する時に「一緒にいて落ち着く」「この人の前でならありのままの自分でいられる」「ありのままの自分を受け止めてくれる」などと言うが、それを求めてしまうことが既に、自分の場合、ハードルが高いのだ。
なかなか恋愛が上手くいかなかったり、相手が見つからなかったりする人に「ハードルが高すぎるんじゃない?」というアドバイスが与えられることがある気がする。でも、その時に「高い」とされている「ハードル」っていうのは、恐らく「一緒にいて落ち着く人がいい」という希望ではないと思う。また、世間から切り離されている。
そもそも恋愛って少しずつ素の部分が見えたりして動いていくものでしょう、と言われるかもしれない。でも、やっぱりそれは「ある程度」の話だと思う。自分の素は、どんなに細かく切って少しずつ見せていったとしても、相手からすれば「え・・・?」と思うようなことだと思う。
私は自他ともに認める寂しがり屋だ。一人では生きていけない。一緒にいて落ち着く人が必要だ。でも難しい。
とはいえ、本当に恋愛したいなら当たって砕けろよ、何ぐだぐだ言い訳してんだ、という話。文字にすることで自分の考えを客観視できるのは良いことかもしれないけど、それでこの結論はまー何とも面白くない。まあ、結局これって言い訳だよなあ、と分かりつつ書き始めていた気もしなくもないけど。で、案外共感してくれる人も多いような気もしたりして。
結局は、幸せそうな友人たちの姿を見て嫉妬しているだけの、くだらない話なのでした。・・・見てないと思うけど、ごめんよ友人たち。これからも仲良く・・・はわがまますぎるか。さーせん。