OTOKOホームスチール・エターナル

「OTOKOエンドラン」管理人 ロンリーROMのいくつめかのひっそりblog

ぼろぼろの野球人生

2006-06-22 12:38:15 | まじゃれ人同盟
第3回の まじゃれ人同盟。 お題は「私と野球」。
サイト的にいずれはお題にするだろうという予想にお応え(?)して、
この旬な時期にやってしまおうと。

早速本題。

自分で野球サイトを運営しておきながら、野球経験は小学校時代のみ。
しかも、6年生でようやっとセンター・8番。
「ライパチ」って言葉がありますが、ほぼそれに匹敵してました。
あんま前向きにやってたわけじゃないんですが、当時小学校の部活
は男子=野球、女子=バスケ しか無かったんで、ほぼ強制的に
やってたという感じです。

チーム的にはそんなに弱くなく、町の大会では決勝戦まで進出。
その決勝戦でのこと。
相手の打った打球がセンター前に転がってきました。
私は腰を充分に落として捕球体勢。
と、目の前でイレギュラーし、顔近くまでボールが跳ね上がり、
思わず顔をよけるとそのままボールは後方へ転々と。
結局、センター前ヒットのはずがランニングホームランに。。。
これが決勝点というわけでも無かったんですが、カナーリ凹んでました。

その町の大会では準優勝で、郡大会に駒を進めました。
郡大会の試合前、バント練習をしていた時、誤って親指にボールを
ぶつけてしまい突き指。かなり痛くてしょうがない。
大して活躍もしてない私は半分試合に出たくなくて痛さを監督にアピール。
でも、最後の大会のせいか試合に出されてしまいました。
試合中も痛さをアピールし、ベンチに戻れば指を冷やしてましたが、
そのまま続行。
試合も終盤にさしかかり、私の打順。
滅多にヒットなんか打ったことが無かったのに、突き指で力が抜けてた
ためか、きれいにレフト前にヒット。
これを最後に5年生の控え選手と交替しました。
私の公式戦もこれが最後でした。

ほとんどいい思い出のない野球人生(?)でしたが、試合のあとに
食べる「やぎめし」はウマーだった記憶が。。。


それからしばらくは野球から遠ざかっていたんですが、結婚した頃から
子供は男の子が欲しくて、一緒にキャッチボールするのが夢でした。
その思い通りに男の子が生まれ、キャッチボールも叶えられました。
・・・今じゃ、こっちの手が痛くなるんでキャッチボールできませんが。

次の夢は、息子達と野球談義をしながら一献交わすことかな。
コメント (6)
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