わが子が進路に迷い つまづき
小休止しているとき
親としてどうすればよいか
昨日友人からそんな話を聞きました
私自身も経験があり
息子も一時そんな時期がありました
結局
時が解決した…ような
友人には しばらく黙って見守ってみれば といいましたが
その答えがよかったかどうか
私自身がいま停滞してるから
私の場合はしばらくこのまま流れされる…と決めた
息子の場合はやりたいことがあった
けれど
私たちがそれは大学へいってもできるだろうと
大学受験をさせました
息子なりに真面目に取り組んでいましたが
結果は不合格
予備校にもいかず
家でずっと暮らしていました
結局専門学校への進学をえらび
今はやりたかった道へすすんでいます
でもやりたいことがよく解らない場合
どうすればよいのでしょう
人生どうなるかわからない というのが実感なので
今この段階で正解は1つとは限らないと思います
私の住んでいるところは
本当に田舎なので
地元に残ると就職先は本当に限られています
介護施設か 病院か
地方公務員か…
農業か
過疎高齢化の呪文にとらわれるな といわれますが
あかるい話題が少ないのは現実です
ただ
おばあちゃんたちは とても元気です
小休止しているとき
親としてどうすればよいか
昨日友人からそんな話を聞きました
私自身も経験があり
息子も一時そんな時期がありました
結局
時が解決した…ような
友人には しばらく黙って見守ってみれば といいましたが
その答えがよかったかどうか
私自身がいま停滞してるから
私の場合はしばらくこのまま流れされる…と決めた
息子の場合はやりたいことがあった
けれど
私たちがそれは大学へいってもできるだろうと
大学受験をさせました
息子なりに真面目に取り組んでいましたが
結果は不合格
予備校にもいかず
家でずっと暮らしていました
結局専門学校への進学をえらび
今はやりたかった道へすすんでいます
でもやりたいことがよく解らない場合
どうすればよいのでしょう
人生どうなるかわからない というのが実感なので
今この段階で正解は1つとは限らないと思います
私の住んでいるところは
本当に田舎なので
地元に残ると就職先は本当に限られています
介護施設か 病院か
地方公務員か…
農業か
過疎高齢化の呪文にとらわれるな といわれますが
あかるい話題が少ないのは現実です
ただ
おばあちゃんたちは とても元気です
年とってからの子だったせいか
それとも長女がかわいすぎたのか
主人は今でいう イクメンでした
気がつくと娘をつれてどこかへ出かけ
取引先の事務所
知り合いの店
知り合いの家
買い物
競馬?(笑)
とにかく
油断も隙もあったもんじゃない (こんな使い方でよいのか?)
流石に自営業とはいえ
仕事に差し支えるかと
「おむつとかこまめに変えてあげないと
むれて赤くなって痛そうでかわいそうだから…」
とかなんとかいって
なるべく連れ出せまいとしましたが
ある日
主人の車のダッシュボードをみたら
紙おむつが詰め込まれていて
そこまでして連れ歩きたいんかい!!
と なんだか涙ぐましくもあり
あまりうるさく言わないことにしました
娘の披露宴のDVD用に小さいころの写真を見たら
父の膝にだかれた写真ばかり
(息子を抱いた写真があまりなく
それはそれで少し息子がかわいそうな気もしますが)
保育園の送り迎えを頼めば
恋人を迎えに行くかのように
いそいそ出かけ
私がお風呂に入っている間に
3人でこっそり カップラーメン食べていたり
主人は主人なりに
子供たちを見守っていてくれたなぁと
今あらためて思い出します
私は子供の食べ残したご飯は食べられなかったけれど
「お前ホントに母親か…」と言いながら
全部きれいに食べてくれました
勿論 うんぴっぴのおむつ交換もOK
「娘は嫁にはやらん
披露宴で花束送られてもうけとら~~~ん!!!」
と堅く決心していましたが
娘は19歳で嫁ぎ
今では2児の母
彼を家に連れてきたとき
最後の悪あがきで
彼にとうとう会わずに帰してしまったり
そればかりか
心にもなく娘にまで
「勘当!」と叫びだし
昭和時代のような父でした
今から思えば
主人は主人なりのやり方で
私たち家族を見守っていてくれたのだなぁと
そんな感謝の言葉も伝えられなかったのが
今の私の
最大の心残り
それとも長女がかわいすぎたのか
主人は今でいう イクメンでした
気がつくと娘をつれてどこかへ出かけ
取引先の事務所
知り合いの店
知り合いの家
買い物
競馬?(笑)
とにかく
油断も隙もあったもんじゃない (こんな使い方でよいのか?)
流石に自営業とはいえ
仕事に差し支えるかと
「おむつとかこまめに変えてあげないと
むれて赤くなって痛そうでかわいそうだから…」
とかなんとかいって
なるべく連れ出せまいとしましたが
ある日
主人の車のダッシュボードをみたら
紙おむつが詰め込まれていて
そこまでして連れ歩きたいんかい!!
と なんだか涙ぐましくもあり
あまりうるさく言わないことにしました
娘の披露宴のDVD用に小さいころの写真を見たら
父の膝にだかれた写真ばかり
(息子を抱いた写真があまりなく
それはそれで少し息子がかわいそうな気もしますが)
保育園の送り迎えを頼めば
恋人を迎えに行くかのように
いそいそ出かけ
私がお風呂に入っている間に
3人でこっそり カップラーメン食べていたり
主人は主人なりに
子供たちを見守っていてくれたなぁと
今あらためて思い出します
私は子供の食べ残したご飯は食べられなかったけれど
「お前ホントに母親か…」と言いながら
全部きれいに食べてくれました
勿論 うんぴっぴのおむつ交換もOK
「娘は嫁にはやらん
披露宴で花束送られてもうけとら~~~ん!!!」
と堅く決心していましたが
娘は19歳で嫁ぎ
今では2児の母
彼を家に連れてきたとき
最後の悪あがきで
彼にとうとう会わずに帰してしまったり
そればかりか
心にもなく娘にまで
「勘当!」と叫びだし
昭和時代のような父でした
今から思えば
主人は主人なりのやり方で
私たち家族を見守っていてくれたのだなぁと
そんな感謝の言葉も伝えられなかったのが
今の私の
最大の心残り
父が今年2月に認知症であることがわかりました
変だな と思ったときは
軽い認知症 と診断されましたが
半年余りでかなり進行してしまいました
今では私もわからなくなっています
思い出す とか
考える ということができなくなっているようです
ちょうど3~4歳児と接しているような感じです
普段一緒にいる家族だけはわかっていますが
あとどのくらい覚えていられるのか
主人が急死したとき
少しでもいいから世話をしてあげたかった…と思いましたが
母を見ていると
神様は私には無理と判断したのだなと
思うようになりました
そんな風に考える私自身に
ほらね と言い聞かせています
変だな と思ったときは
軽い認知症 と診断されましたが
半年余りでかなり進行してしまいました
今では私もわからなくなっています
思い出す とか
考える ということができなくなっているようです
ちょうど3~4歳児と接しているような感じです
普段一緒にいる家族だけはわかっていますが
あとどのくらい覚えていられるのか
主人が急死したとき
少しでもいいから世話をしてあげたかった…と思いましたが
母を見ていると
神様は私には無理と判断したのだなと
思うようになりました
そんな風に考える私自身に
ほらね と言い聞かせています