最初に断っておく。
今回の投稿は、旧八女郡における南北朝時代の史跡巡りである。
南北朝の史跡に関しては、折りにつけ、これまで随分と訪ねてきた。
それでもまだ、行けてない場所が山ほどある。
今回は、その中の幾つかを巡りたい。
ただしである。
どこもかしこも、歴史の片隅に置き忘れられたような場所ばかり。
南北朝フリークでもないカタギの人間には、退屈極まりない投稿になると断言しておく。
またしても前置きが長くなった。
とっとと、自分だけの為のブログを始める。
最初の目的地はここ。
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国道沿いにすっくと立つ巨木。
八女市山内のチシャの木だ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/01/03/1dac33d9223a997ade09117a3b3b5623.jpg)
真っ直ぐ奥に進むと、素戔嗚神社に突き当たる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2b/6e/ead376b4b4d421665379f7c4a07940c0.jpg)
征西将軍懐良親王が肥後に向かう途中、ここで宴を催した。
その陣屋跡に芽を出したのがこの木で、地元では「宮チシャ」と呼ばれ・・・云々。
そんな旨が書いてある。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/24/ee/fa9b54cab4a265d4a1940025a93cac0e.jpg)
県の天然記念物。
移動
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/79/74/fedee88898d9829044ce1b056f3fe4a1.jpg)
黒木町 旧隈本家住宅
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係の人がやって来た。
「いらっしゃいませ。」
「あ、どうも。」
「どうぞこちらに。」
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「この床の間の木をご覧下さい。これは柿渋が作った模様でして、先日、『なんでも鑑定団』で・・・」
材木一本で、数十万円は下らないと言う、価値あるものらしい。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/73/72/a33d66a27f357ed20f35ca597d72f86e.jpg)
「これなんか、良くお分かりになると思います。」
「ははあ、ほんとですね。」
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/52/f0/2cabb5e1bc0ee25b8850765cf13e4955.jpg)
身分差を表す踏み石。
最奥部が、上段の間から庭に降りる際の、2段になった踏み石。
中段の間からは一段。
1番手前の下段には、踏み石すら無い。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/68/33/3c2a9fc0f04533c98ea95fbeb0afc3ba.jpg)
一枚板の縁側。
全長は10m近くある。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/31/43/4fa824df2c6bff15d427c214428f44ea.jpg)
納戸を開けると、何故か隠し階段があったりする。
二階に上ってみた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2e/b2/ef049469f3dd853cf71b4305d0caa8c4.jpg)
2階は資料展示室となっていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0e/6a/ff3c04d2ce60a5ea523be7fb46682cc0.jpg)
ここを訪ねた目的は、実は隈本家住宅ではない。
隈本家住宅に隣接する、南北朝関連の文化財を集めた収蔵室にある。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/35/92/3c82d7afb196d88abc5257835dff5326.jpg)
中でも見たかったのが、この『天授塔』である。
猫尾城合戦の戦死者を弔らう為の宝篋印塔の一部。
『禅徹禅門 天授二年 妙覚』の文字が見える。
天授とは南朝方の年号である。
移動
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/40/fb/951a509b4bf32d53b08623144ff859d5.jpg)
矢部村 老松天満宮。
二つに分断された境内それぞれに、イチョウの巨木が立つ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1f/da/c788f34e5c57698b8e7cb1094e1e33a7.jpg)
『後醍醐天皇が後征西将軍良成親王の守り神として、忠臣高藤九郎がご神体を奉じ、九州に下り・・・』
と、由来にある。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/66/51/4c2b9af1d6b494eb0ebc830049e0e0f1.jpg)
移動
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0b/ac/c1b823909da21ca9fb32812b375bcc84.jpg)
星野村 小野神社
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/15/b7/922b76b098b9e18cd72ab9410206a0e1.jpg)
向かって右は、阿吽の阿形。
実はこれは狛犬ではなく、獅子なんだそうな。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/32/2b/d5a38665e93fc30705602831d191303f.jpg)
こちらは口を閉じた吽形。
こちらを狛犬と言うらしい。
因みに、角がある狛犬が登場したのは古く、平安時代から。
その後江戸時代には、狛犬から角は無くなったそうだ。
小野神社の創建が鎌倉時代である事を考えれば、もしかしたら創建時からのものかも。
いずれにせよ、相当古いのは確かである。
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懐良親王はその晩年、この境内に御在所を置いた。
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砲弾をモチーフとした慰霊碑。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/69/01/cdcea43a56ec4aceda01a954ed778610.jpg)
ここにも銀杏の巨樹が。
懐良親王のお手植えと伝えられる。
ここまで読んで頂いた方には、
「欠伸をしながらも、最後まで読んで頂き、まことに有り難うございました」
そう感謝申し上げたい。