October November(フォーク村)

タイトルと内容に関連はないが、このタイトルで昔の友人が尋ねてくることを願って・・・。

町○茂樹

2006年01月31日 | 1985年から1988年の新潟大学フォーク村のこと
まあ、別に悪口を書くわけでもないので、
実名でいいだろう。

ということで、これ以降、シリーズでサークル内の人物像
を書くことにした。

さて、トップバッターは町田茂樹
読み間違える人はいないと思うが、

まちだしげき

と読む。

器用貧乏という言葉があるが、まさしくそれ!
いろんなことをそつなくこなす。

私自身もこれといった特技よりは、
いろんな事をそつなくこなすタイプの方だが、
町田は、私よりもいろんなことが上手だ。


私よりも「少し器用貧乏」ということになるが、
私より貧乏してるかどうかは分からない。


私事で恐縮だが、妻に、「私は器用貧乏だ。」と告白したら、
少し考えて、
「口でごまかして、器用に見せているんじゃない?」
といっていた。

「まあね。」と言っておいたが、
後で考えれば、非常に痛烈な批判であることが判明した。


さて、町田はいろんな楽器を器用に弾く。
しかし、天は二物を与えず、
町田は、あまり歌が上手くない。

一度、町田と斉藤と松原と私で、
みんな1曲づつ持ち寄って、ワンセッションをやった。

その練習の場面。確か斉藤のアパートでの出来事だ。

「なんか、ハモりが変だな。」と私
「うーーん。」と町田

「何が変だと思う?」と、たまたま来ていた後輩の大橋に聞いた。

大橋は、黙って、しかもすまなさそうにして
町田を指さした。

町田は我々の中でも、サークルの部長=村長を務めたほどの男であり、
後輩からは、一目も二目も置かれるような存在。

大橋は、なかなか勇気のある奴だ。


さて、町田を筆頭に4人で結成したグループは
「フリーハンダース」という名前だったような気がする。
違うような気もする。

全4曲
1曲目は、斉藤真理が大貫妙子の「新しいシャツ」を歌った。
2曲目は、松原亜矢子が自作のオリジナルを歌った。
たしか、「ハーフムーン」というタイトルだったと思う。
3曲目は私で「ノーベンバーレイン(11月の雨)」というタイトルの曲、
4曲目は町田で、季節柄クリスマスの歌だった。
タイトルは忘れた。

まあ、私と町田も各々作ったオリジナル曲をやった。

さて、この録音テープを毎晩聞いているという女の子が現れた。

「えーーー、本当??!!」
無論、町田も私もびっくりして喜んだ。

しかも、聞いていると言ってくれたのは、
サークル内でも可愛いと評判のアイドル二宮理恵ときたもんだ。


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ちょっと、筆が乗ってきた。
実名が過ぎると思った方は、コメントをください。
なおします。
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「へーー毎晩、聞いてるんだ。」

はっきりいって、私も町田も色めき立っている。

「しかも、寝る前に、毎晩・・・。」

「でも、毎晩、4曲全部聞いて、寝ているという訳でもないよね・・・。」

ここいらから、ちょっと意地悪な会話になる。


「で、4曲のうちどれが一番気に入ってる???」
と、ストレートには聞かない。
私も町田もウイットにとんだ会話を心がけている。

酒を飲むとなおさら、ウイットなる。
(・・・つまらない。)

二宮は後輩である。4人の先輩がそれぞれ歌う曲に
「順番を付けろ。」といっても無理というものだ。
しかし、気になる。


「なあ、二宮、頭から聞いてるの、それとも途中から?」

まあ、このあたりになると、
斉藤か松原あたりが、「困ってるからそのへんで止めたら。」
ということで、会話が終わる。



二宮の実名を書いたのはマズかったろうか?

まあ、二宮ももう結婚してるだろうし、
名字も変わっているだろう。

こんな辺鄙なブログにたどり着くこともあるまい。


そうそう、たまに当ブログに登場する篠ちゃんは、
確か、二宮が大変気になる存在であった御仁だ。


いやー、未だに二宮の話題は盛り上がるナー。


(私は、この時点でタイトルの「町田茂樹」
 を完全に忘れていました。)



by mino

(東京での話題提供になれば・・・。)

「みんな!飲んでるかい!!!」
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ビジョン

2006年01月25日 | ちょっとした話
「大きくなったら何になりたい?」

親なら、必ず1度は子どもに問い掛ける質問だと思う。

前に、イチローの作文を当ブログ内で紹介した。
小学校の頃から、野球に対する明確なビジョンを持っていた。


「体操の選手になりたい。」
6才になる次男の答え。

「体操の選手になってオリンピックにでも出たいの?」

違うらしい。

体操選手になって、引退して、芸能界に入って、
芸能人スポーツバトルだか何だかに出たいのだそうだ。

「モンスターボックスを飛ぶんだ。」

といっては、日々、踏み台を何段か重ねて飛んでいる。

(わりと、上手いな・・・。)

モンスターボックスとは跳び箱のことらしい。


なお、この踏み台は、
女房側の実家のおかあさんが作ってくれたもので、
牛乳パックを再利用したもの。
何個もあるが、結構、重宝している。
目方のある私が乗っても大丈夫。

六角形をしていて、アニメの布で覆われているので、
子ども達にも好評のようである。

もし、作り方を知りたい方がいれば、
教えても良い。
が、私は知らない。


さて、次男の将来設計は、
イチローほどではないが、

(わりと、明快なビジョンだな・・・。)

と、親バカは思ったりする。

(芸能界か・・・。)

長男は野球選手で、次男は芸能界、
長女は国際的ジャーナリストっていうのもいいな・・・。


傍らで、長男が、
「俺も、プロ野球選手を引退したら、芸能界に入る。」

(んーーー。これも明快なビジョンかなア?)

次男が言った。
「お父さんも、仕事をやめたら、芸能界に入る?」

(えっ?)

考えたこともなかった。



子どもの成長は、宝くじの発表までの間だと
感覚がよく似ている。

「当たったら、どうしようかな?」の感覚だ。

何れ、何らかの社会人となるまでの、
親が子どもの将来に夢を見る時期
とも言えるのではないか。

と、女房に言ったら。

「普通のサラリーマンになったら、ハズレってこと?」
「私は、子どもをそういう目で見ていません。」

と、きっぱり言われた。

(スミマセン。)

(でも、貴方だって、なんか期待してるくせに・・・。)


by mino
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ブログ(3)

2006年01月19日 | ちょっとした話
前作の「風呂場の鏡」というタイトルが
災いしたのであろうか・・・?



青森市内の少年野球チームがブログを立ち上げている。
監督かコーチらしい。

我が息子の所属するチームの対戦相手=ライバル
であることから、よく見るようにしている。
試合結果なども書かれている。

ブログ記事を見ていたら、
トラックバックにエッチなタイトルの記事が多数・・・。
健全な少年野球のブログにHなトラックバック。
「こまった。」と書いてあった。

消すのに苦労したとのこと。


(ふーーーん。Hなトラックバックね。)


さて、当ブログもいたって健全な内容である。
その手のブログとは縁もゆかりもない。


左側を見て頂きたい。
トラックバックのところに、

ブログ初挑戦☆(初めての日記どうかなぁ?)

というのがあるが、これがまた・・・。

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削除すべきとのご助言を頂き、
早速、TBは削除しました。
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「風呂場の鏡」へのトラックバックだ。
確かに、タイトルは誤解すれば、誤解できる。


(ふーーーむ。)


「カチッ!」

(ん?)


篠ちゃん!
今、クリックした音が聞こえたよ!!!


もう少し、消さずに、とっとこっと。


by mino
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風呂場の鏡

2006年01月17日 | ちょっとした話
私の子どもに対する教育は風呂場の鏡でやる。
風呂場でしかやらない。

「教育?」

少々、大げさな言い回しであるが、
とどのつまりは、曇った鏡に
あーでもない、こーでもない、
と、指で書いて教える。


読売新聞に教育ルネッサンスという特集記事が続いている。
現代の様々な教育に関わる課題を
シリーズで取り上げている。
長く続いているところを見ると
好評なのだろう。


時計の短針と長針は1日に何回重なるか?


記事の中で紹介されていた。
算数の時間に取り上げられた問題だそうだ。

「1日は24時間。1時間に1回重なるから・・・。」
「答えは24回。」
小学生の答えだ。

小学2年生の我が息子にも出したら、
同じ答えが返ってきた。

(なかなか、よろしい。)
(小学2年生のわりには・・・。)

しかし、正解は違う。

ここで、答えを考えたい方のために、
少々、行間をあけておく。
分かった人は、下方向へスクロールすべし。






























答えは22回。

記事には、22回になると記載されているだけで、
何故、22回になるのかは書いていなかった。

(なぬ!22回???)

実は、私も24回だと思っていた。

頭の中の時計を0時にセットして、
グルグルと針を回してみた。

(なるほど。)

1時間に必ず1回は重なると思っていたのは、勘違い。
0時と1時の間は、長針と短針は重ならないではないか。




何の問題でもそうだが、理解するというのは、
非常に嬉しいことだ。

嬉しいし、必ず、人に教えたくなるのが人情。


そこで、再度、風呂場。

曇った鏡にグルット円を書いて・・・。

「さっきの問題だけど、実は24回は、正解じゃないんだ。」
「時計を書いたから、頭の中で、針を回してごらん。」
「0時と1時の間がポイントだよ。」

ここまで言い終わるか否か・・・。

「22回でしょ!」
子どもは言った。

「さっき、おかあさんに聞いたモン。」

(にゃにおーーー。)

実は、先だって、妻にも問題を出していて、
答えも教えていた。

しかも、その時は、「ふーーーん。」くらいで、
全く興味もない様子だった。
「0時をカウントするかどうかが問題ね。」

と、分かったような、分からないような
セリフを言っていた。

「答えは22回だよ。」と言ったら、再度、

「ふーーーん。」

相手にしないことにした。

しかし、そんな態度をしておいて、子どもに教えるとは
ふとどき千万。
しかも、答えだけ教えて「なぜ」というところを
教えていない。

風呂上がりに、文句を言ってやったら、
「じゃあ、「どうして・・・」の部分だけ、貴方から教えてあげれば良かったじゃない。」

(むっ!)

人の気持ちというものがわかっちゃない。



私「ねえ、ねえ、これ知ってる?」
妻「知らない。」
私「知りたい?」
妻「別に。」
私「えー、知りたいなら教えてあげるんだけれど。」
妻「話したいの、話したくないの?」
私「教えて欲しいなら、話してあげるんだけど。」
妻「だから、別にどうでもいいっていってるでしょ。」
 「早く話したら。」
 「こっちは忙しいんだから。」


私「もういいです。」

こんな会話がよくある。
(少しくらい、興味を示してもいいと思うのだが。)

要は、冷めている。



さて、風呂場の鏡には時計らしき
丸い図形が書かれている。

「ねえ、お父さん!」
「今日はどんな問題がでるの?」

(だから、さっきの時計の問題を・・・。)

私は、ちょっとして、
「今日は、黙って風呂に入る日に決めた。」
といって、ムスッとしてやった。

「えーーー。」

「恨むなら、貴方を産んだ親を恨みなさい。」

子どもはポカーンとしていた。



津軽弁では、私のような人間のことを
「しゃべたがり」
「しかへたがり」  というらしい。


次の日も鏡には、○の跡が残っていた。

by mino
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8月12日

2006年01月12日 | ちょっとした話
昭和60年8月12日
この日は夕方に新潟を出発、群馬の峠を越え、
千葉の松戸を目指していた。
積荷は新潟の名物、亀田製菓の柿の種だったと記憶している。
(あるいは、スイカだったかもしれない。)

柿の種といってもバカにすることなかれ、
一斗缶にズバッっと入って、10tトラックの荷台に満載となっている。

中越運送というところで、長距離トラックの助手席に同乗し、
積荷の上げ下ろしをするアルバイトをしていた。


この日は、そう、空前の航空機事故
日航ジャンボ機が墜落した日である。

深夜、県境を越え群馬側に入ると、
消防関係らしき車両と何台かすれ違った。
真夜中に山中を走る長距離トラックではあまりない経験。

後で知ったが、その時間帯には墜落現場が
未だ特定されていなかったとのこと。

結局、墜落現場は御巣鷹山ということであるが、
毎年、お盆の頃にこの事故に関連したニュースが流れる度に
現場付近(?)を通っていたのかなア・・・と思い出す。

亡くなった方々の中に坂本九さんがいた。

そして、生存者の4名の中に、
小さな可愛い女の子もいた。

ヘリコプターで救助員に抱かれ、
ロープで吊り上げられるシーンは未だに
記憶に残っている。



阪神淡路大震災の際に小さな記事を見た。

あの、小さな女の子は看護婦になっていた。
ボランティアとして現地に駆けつけたという。


がんばって生きてきたろうなあ。
親きょうだいを亡くしてからは、寂しかったろうなあ。

でも、立派な大人になったんだな。
きっと、震災の様子を見て、
いてもたってもいられなかったんだろうなあ。


こんな事を考えていたら、涙がうっすらと浮かんだ。


間接的な思い出し方かもしれないが、
阪神・淡路大震災の日には、決まって
このことを思い出す。

もうすぐ、1月17日
私の中では、日航機事故と阪神淡路大震災は
心の中で、セットになっているようだ。

そんな想いで、ネットを見ていたら、
昨年は、日航機墜落事故から20年
阪神淡路大震災から10年の節目の年に当たっていたらしい。

そうか、そういう関係だったのか。

そうして、もう一つ、
看護婦となって震災に駆けつけた少女は
結婚して、幸せに暮らしているとの
ブログ記事を発見した。


寒い日が続く北国だが、
ちょっと、心、暖まるお話し。


by mino
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花札

2006年01月06日 | ちょっとした話
結構、教えれば、覚えるものだ。

我が家には、男の子どもが2人いる。
ちなみに、2才になる娘もいる。

私と長男(小学2年生)、次男(年長)は、
3人で、よく花札をする。
きちんと点数も数えるし。点数表も付ける。

夏休みの事だが、次男に、
「自分の点数は自分で数えるように。」
と話した。

次男が、自分の点数をきちんと申告するまで、
次の回には進まないことにした。

最初は、なかなか計算ができない。
数え方はこれまでも何度か教えた。


長男は、ジレジレしている。
弟の点数をすぐ教えたがるが、それは厳禁。

しまいには、怒り出す。

何度か繰り返しているうちに、
次男はキチンと申告できるようになった。

つまり2桁の足し算、引き算、
マイナスの考え方も自然に覚えたことになる。
加えて、花札には「倍場」というのがあるから、
×2の計算も覚えた。

んーーと、5点が2枚、10点が4枚だから、
全部で50点、80点から50を引いて30点

倍場?

じゃあマイナス60点か。
あーーあ、今日はツイテナイ。
倍場になると負けるんだもん。

夏休み後半にはこんな具合になっていた。

夏休み前半は、点数も分からず
勝っているのか、負けているのかさえも分からず、
ただ絵合わせをしていただけだから、
格段の進歩だ。


さて、冬休み。

あいかわらず、思いつくと
「花札をやろう。」
と兄弟2人が、私の所に来る。

弟は、弱い。
いつも負ける。

一度は、勝負を途中で投げ出した。

「やめた!」と言い放ち、
ソファーにゴロンとなってしまった。

私は、かなりきつく叱った。
長男も怒った。

自分が負けているからといって、投げ出すな。
みんなで遊んでいるんじゃないか。
お前が一人抜けただけで、
花札はもうやれなくなる。
見ろ!お兄ちゃんの顔を!

長男は「もう、終わってしまうのか・・・。」
といった無念の表情を浮かべ、
目には涙がうっすらと浮かんでいる。

負けて止めるのなら、2度とやらない。
自分の事だけじゃなく、回りの事も少し考えろ。
くらいの事も言ったと思う。

次男はシブシブ、場に戻った。

場がしらけつつも
最後までやりきった。

終わった後、次男は、
長男に、「さっきはごめんね!」
と謝っていた。


考えてみれば、昔は、いろんな遊びの中で
算数も覚え、ルールも覚え、マナーも学んでいた。

男ばかりの3人兄弟の末っ子である私は、
自分の小さかった頃を思い出し、
次男も少し分かってくれたな、
と、父親としての満足感に浸っていた。


次男が私の所へやってきた。

「お父さん、勝ってるからって、
 あんなに怒ることはないんじゃない。」

ちがう!お父さんは自分が勝ってたから
怒ったんじゃない。

と言ったが、最後まで聞いてくれなかった。


(全く分かっちゃない。)
(俺を何だと思ってるんだ。)
(俺は、父親としてだな・・・。)


「友達ぐらいにしか、思ってないんじゃないの。」

傍らで、妻が言った。

(にゃにーー!、あなたには聞いてないツーの。)



でも、その後、2度と負けを理由に
投げ出すことは無くなった次男であった。


(やっぱ、分かってくれてたんだなア、うん。)



by mino

数少ない、当ブログの読者の皆さん
本年もよろしくご愛顧のほどを・・・。
コメントなどを頂くと、至福の喜びです。


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