美しき言尽くしてよ

義経ゆかりの寺、満福寺@腰越

今日も鎌倉へ行ってきました。
急に娘が「明日もレッスン取ったから、いける?」と言うので、急に?と思いながらも、行くことにしました。
鎌倉は行ってないところもたくさんあるし、お茶して本読んだりしててもいいし、何でも過ごせるからねと。私の自由時間です。
で、どこにしようか、先日、東慶寺から円覚寺の弁天堂が見えて、もう数年行ってないから、あそこまで上るのもいいかなぁとか考えましたが、先週の大河で、義経が足留めされた満福寺へいくことにしました。
134号線は平日じゃないとムリですからね〜。
今日はお天気も良くなかったですが、海に遊びにくる人たちも増えていました。

義経が頼朝に鎌倉入りを許されず、ここに留め置かれたという満福寺です。
なんと江ノ電が目の前を通っています。
紫陽花とのコラボでも有名な長谷の御霊神社も、すぐ前を江ノ電が走ることで有名ですが、こちらはそれ以上に接近しているかも。
渡ってすぐに階段があります。



写真がイマイチで、すごさがわかりませんが、お年寄りが転んだら大変かも。





さて、階段を上るとすぐお堂が見えてきます。





ご本尊は薬師如来様で、見えているのは秘仏の代わりの仏像で、ご本尊はお正月期間のみ公開だそうです。ならば写真を撮っても良かったかな。

本堂の中には義経、弁慶ゆかりの品が展示されていて、200円を払って中を見ることができます。
多分、大阪から越してきて割とすぐに、まだ小学生だった娘たちと来た記憶が甦りました。

腰越状





これはレプリカではなく、本物だそう。
本物といっても、下書きの本物です。
弁慶が書いたものです。
しばらく文字の手習に使われたとか、達筆なんですね、弁慶って。力だけではないんだ。
内容は、、以下コピペです。

「左衛門少尉義経、恐れながら申し上げます。私は(頼朝の)代官に選ばれ、勅命を受けた御使いとして朝敵を滅ぼし、先祖代々の弓矢の芸を世に示し、会稽の恥辱を雪ぎました。ひときわ高く賞賛されるべき所を、恐るべき讒言にあい、莫大な勲功を黙殺され、功績があっても罪はないのに、御勘気を被り、空しく血の涙にくれております。つくづく思うに、良薬は口に苦く、忠言は耳に逆らうと言われています。ここに至って讒言した者の実否を正されず、鎌倉へ入れて頂けない間、素意を述べる事も出来ず、徒に数日を送っています。こうして永くお顔を拝見出来ないままでは、血を分けた肉親の縁は既に空しくなっているようです。私の宿運が尽きたのでしょうか。はたまた前世の悪業のためでしょうか。悲しいことです。

そうはいうものの、亡き父上の霊がよみがえって下さらなければ、誰が悲嘆を申し開いて下さるでしょうか。憐れんで下さるでしょうか。今更改まって申し上げるのも愚痴になりますが、義経は身体髪膚を父母に授かりこの世に生を受けて間もなく父上である故左馬の頭殿(義朝)が御他界され、孤児となっての懐中に抱かれ、大和国宇多郡龍門の牧に赴いて以来、一日たりとも心安らぐ時がありませんでした。甲斐無き命を長らえるばかりとはいえども、京都の周辺で暮らす事も難しく、諸国を流浪し、所々に身を隠し、辺土遠国に住むために土民百姓などに召し使われました。しかしながら、機が熟して幸運はにわかに巡り、平家の一族追討のために上洛し、まず木曾義仲と合戦して打ち倒した後は、平家を攻め滅ぼすため、ある時は険しくそびえ立つ岩山で駿馬にむち打ち、敵のために命を失う事を顧みず、ある時は漫々たる大海で風波の危険を凌ぎ、身を海底に沈め、骸が鯨の餌になる事も厭いませんでした。また甲冑を枕とし、弓矢をとる本意は、亡き父上の魂を鎮めるというかねてからの願いである事の他に他意はありません。そればかりか、義経が五位の尉に任ぜられたのは当家の名誉であり、希に見る重職です。これに勝る名誉はありません。そのとおりと言えども、今や嘆きは深く切なく、仏神のお助けの外は、どうして切なる嘆きの訴えを成し遂げられるでしょうか。ここに至って、諸神諸社の牛王宝印の裏を用いて、全く野心が無い事を日本国中の神様に誓って、数通の起請文を書き送りましたが、なおも寛大なお許しを頂けません。

我が国は神国であります。神様は非礼をお受けにはなりません。他に頼る所は無く、偏に貴殿の広大な御慈悲を仰ぐのみです。便宜を図って(頼朝の)お耳に入れていただき、手立てをつくされ、私に誤りが無い事をお認めいただいて、お許しに預かれば、善行があなたの家門を栄えさせ、栄華は永く子孫へ伝えられるでしょう。それによって私も年来の心配事も無くなり、生涯の安穏が得られるでしょう。言葉は言い尽くせませんが、ここで省略させて頂きました。ご賢察くださることを願います。義経恐れ謹んで申し上げます。

元暦二年五月 日 左衛門少尉源義経

進上因幡前司殿 」

だそうです。

こんな感じで書いていたのか。



頼朝の命で平家討伐に行っているのに、頼朝の許可なく後白河院から官位をもらっては、頼朝も怒るかな。

ちょっと調子乗っちゃってましたねえ。

この腰越状は、大江広元に託され、頼朝の手には渡らなかったそうです。

そして、義経はまた京都に帰っていくのですね。中には襖絵や奉納された絵もたくさんありました。鎧もあったけど、どなたのかはわかりませんでした。






いつものように、あまり写真は撮っていないので、すみません。

ピアノがあった!

コンサートがあるのでしょうか。




お手洗いに行きたかったので、探していたら、義経公手洗の井戸がありました。




外のおトイレはその前でした。

そういえば、ここの有名猫ちゃんのべんけいちゃんには会えませんでした。

お天気も良くなかったから出てこなかったのかな。

最後に、事務所みたいなところの上から海を見てみました。




晴れていたらもっと綺麗なんでしょうけど。あと電線が目の前にあって、それが残念でした。
入らないように撮るのに必死😅

海沿いは混むので、もうそろそろ帰ります。

帰りのナビが変な道を通るので、大変でした。
和田塚駅のところとか、すれ違えないっちゅうねん。地元の方は慣れていらっしゃるので、避けて待っててくださいました。

娘をピックアップ後、ご飯をどこで食べようかねーとなり、また建長寺のカレーを食べに行きました。

点心庵さんです。

新緑のお茶室






井戸。




今日は特別、はちみつプリンもいただきました。
この粉砂糖で描いた絵は今だけらしいんですけど、これ、プリンにかけるのかなぁ、どうするんだろうと思いながら、そのままにしてしまいました。




建長寺は駐車場に停めただけで中は入らず。
すんません〜💦

ほんと鎌倉はいいところだわ。

住みたい〜!







コメント一覧

minamarisatoko13
義経が、頼朝のために頑張ったのにという無念さが伝わりますね。あの時代の感覚は現代人にはわかりませんが、この後、義経を討伐するまでしなくてもいいのに…と思ってしまいます。頼朝の本来の弱さなんでしょうか。
建長寺のカレーは美しいからつい頼んじゃいます。今はしらす丼が旬です♪
ulala
腰越状の、
>我が国は神国であります。神様は非礼をお受けにはなりません。

なんか沁み入りました。

建長寺のカレー、野菜トッピング崩すの惜しいほどですね。
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