猫が浜のカヌー 2013-05-09 04:51:30 | 日記 猫が浜の猫は、半減しました。今年の厳しい冬を乗り切れなかったようです。 一般に、飼い猫15年、野良猫5年の寿命といわれています。 #イベントニュース « 旅立ち | トップ | 猫が浜の猫は半減しました。 »
7 コメント(10/1 コメント投稿終了予定) コメント日が 古い順 | 新しい順 今週のお散歩 ((灰色ねずみ)) 2013-05-09 05:06:24 市川中山の法華経寺に行ってきました。きっかけは、奥さんがカラオケ仲間から聞いて、「いいところだ」というので、行ってみたくなったようです。法華寺というのが奈良県にありますが、これは745年の設立なので、日蓮宗の大本山、市川中山の法華経寺(1260年)に比べてもはるかに古い寺で、特に関係はないようです。日蓮宗のお寺というのは、関東だけで500寺もあって、新島にも、三宅島にもあります。jまあ、宗教界のユニクロのようなものでしょう。で、場所ですが、千葉街道(14号)を本八幡から進むこと20分で、法華経寺入り口という大看板が、3メートルぐらいの高さで、赤枠で建っているのですぐにわかりますが、車で左折すると、すぐに大鳥居、そして仲見世どうりのようなお土産、飲食店街が広がります。車で走れるので、そこそこ広い道です。5分ほど走って、参道入り口があって、ここから歩きですが、右にゆっくりカーブすると、さらに車で3分で、境内入り口があって、ここの門から、お寺のど真ん中に入れます。目の前に5重の塔がある500坪ほどの広い境内の20メートルの大杉、ケヤキの下で何台か駐車しているので、ここで降りると、そのまま、広い境内を散歩できます。http://www.hokekyoji.com/index-new2.htmとにかく広いです。アップダウンがあって、いろいろな施設があり、解説されていますが、蒋介石の胸像まであるようです。太陽がぎらぎらと照らす中、緑の木々が光をさえぎって気持ちいいです。奥さんは、森林浴に凝っています。ぺトンチットが体にいいらしいのです。小一時間各施設を見た後、賽銭箱に小銭を投じて、こんどは徒歩で、境内を駅のほうまで戻り、お団子屋、食事どころを散歩して、まったりと昼食をとり、京成電車が通り過ぎるのを眺めながら、帰ってきました。お寺というのは、建物の説明はあるのですが、教義の説明はないなぁと思いながら歩いていました。せっかくありがたい教えがあるのなら、説明の建て看板にその内容を書いて、かいつまんで説明してくれるとありがたいのですが、そんなお寺は見たことありません。そういえば、お経を聞いていても、変形サンスクリット語の当て字で読むので、教義の内容も聞き手には伝わりません。代わりにあるのが、墓地売出し中の旗、これは最近どこのお寺でも、大量売出しをやっています。「200万円からいいお墓がありますよ、だんな」なんて感じです。都内でも、お寺の脇を通ると、かならずこの大売出しの看板が目に付く時代となりました。まあ、お寺の三井不動産化が進んでいるともいえましょう。次回は、日蓮宗の教義の中身について書かせていただきたいと思います。 返信する お仲間 ?? ( (浦安のくろちゃん) ) 2013-05-10 19:24:12 韓国大統領がアメリカを訪問し、日本の5倍のロビー活動費を使って、米国会で演説する推薦状を得て、日本の「従軍慰安婦」問題で、日本の悪口を言いまくったが、その背後に常に寄り添っていた主席報道官(男)が、前夜ワシントンの酒的慰安所で、韓国系のアメリカ人女子大生に性的ハラスメをやりまくって、警察に訴えられ、逮捕状が出たところで、急遽帰国してしまった。(本日のTV報道) 返信する 白土 三平と 平田弘史 ((適当放送)) 2013-05-15 07:21:55 白土 三平(1932年生まれ)こがらし剣士(1957年) 甲賀武芸帳(1957年-1958年) 忍者旋風シリーズ(1959年-1966年) ※風魔忍風伝・真田剣流・風魔 忍者武芸帳 影丸伝(1959年-1962年平田弘史(1937生まれ)◎四十万石の執念1960年(昭和35年)「魔像別冊・平田弘史特集」 平田弘史にとって記念すべき最初の長編単行本である。デビュー後間もない平田作品の人気に驚いた日の丸文庫が全国の貸本屋の強い要望に押され企画したもので、以降この「別冊・平田弘史特集」は、同社のドル箱となっていった。本書は、会津四十万石を棒にふった主君加藤明成と、諫言し脱藩した家老・堀主水の確執を描いたもので、主君のなりふりかまわぬ狂気ぶりが読む者をゾッとさせる。平田弘史が好んで取り上げたテーマ=怒りがストレートに発揮された作品だ。 ◎復讐つんではくずし1961年(昭和36年)「魔像別冊・平田弘史特集」 平田弘史24歳の時の作品であり、平田劇画を語る時に欠かすことのできない最も突出した傑作である。復讐することの恐ろしさと無意味さ、そして愚かしさをダイナミックな画面と爪の先までを描き分けたペンタッチが見る者を驚愕させ、そして腹の底にズシンとくるものを与える時代劇画の頂点の一つである。後に昭和44年、題名を『大地獄城』として少年週刊誌でリメイクされたのだが、残念なことにこの『大地獄城』は、原稿が人手に渡り、気がついた時には紛失してしまった。今では当時の雑誌上でしか見ることができない。同様に平田弘史の作品群の中で、貸本屋向けの単行本の原稿はほとんどが1ページも現存せず、また雑誌に連載された作品も相当数が行方知れずになっている。◎我が剣の握れる迄1961年(昭和36年)「魔像別冊・平田弘史特集」作品の予告が出てから刊行されるまで実に長い間、我々は待たされた記憶がある。予告で何月頃と告知され、幾度も貸本屋のおばちゃんに催促するのだが、まだ刊行されていないとのことだった。今考えてみると、作者が締切りを守れず、ズルズルと出版が遅れたにちがいないのだが、その頃の我々はただただ刊行されるのを首を長くして待っていた。◎刀匠1964年(昭和39年)「魔像・士魂物語10」小林正樹監督作品「切腹」に感動した平田弘史が映画のモチーフを自分流に作り変えた作品だ。仲代達矢扮する浪人が切腹の場で自分の思いをとげる映画と、平田が描いた作品を比べてみるのも面白い。武士としての生き方の矜持は、平田弘史の永遠のテーマなのだ。◎侍1964年(昭和39年)「魔像・士魂物語12」『刀匠』のすぐ後に描かれた作品だ。貸本屋向けの漫画単行本がいよいよ行き詰まり、刊行数が激減して先行きに不安を感じていた時代、青林堂から『ガロ』が創刊され、雑誌の世界へ劇画が移動を始めていた時代である。平田弘史の士魂物語は、この後5冊刊行され、その幕を閉じる。 〈解説・戸田利吉郎〉 平田弘史は、昭和35年に22歳で、長編デビューし昭和40年代を過ぎて低迷してきたが、白土 三平は昭和32年に28歳で、木枯らし剣士、昭和34年に『忍者武芸帳』を発表し、39年、白土の新作『カムイ伝』のための雑誌として青林堂より『ガロ』が創刊されている。『ガロ』が昭和40年--50年に日本の漫画史に与えた影響は計り知れない。 返信する 橋下市長が慰安婦問題を語る ((遅れてきた男)) 2013-05-17 23:18:18 橋下市長が慰安婦問題について、私見を述べてから、あちこち大騒ぎになってきた。女性の人権の保護者となって、自分を聖者化し、正義の味方としての自己に陶酔したい人々にとっては、絶好のチャンスが到来し、大阪市役所に抗議文をもって押し寄せている。しかし、昭和16年当時20歳の人間でも、今は92歳になっており、生き残っている人の中で慰安婦の実態を体験的に知っている人間なんて、ほとんどいない中で、空論が踊っている感じだ。この問題は、昭和16年から実際に中国大陸で5年間戦い、慰安所の経験もしたある日本人から聞いた話と河野談話と大きく違うので、チューブを調べたら、小野田少尉の話が、私が聞いた話とほぼ同じなので、ここで紹介します。http://www.youtube.com/watch?v=dnJEBlCS1NQ従軍慰安婦の真実 http://www.youtube.com/watch?v=_Lw2imEyYxU 返信する オランダ人が、韓国人慰安婦を利用している姿 (安) 2013-05-17 23:19:41 朝鮮戦争が昭和26年に始まると、連合国20カ国は朝鮮で北と戦った。1951年の韓国で、オランダ軍も戦闘に参加したが、ここに韓国人慰安婦と慰安所の姿が映像化されている。ワーナー映画で、世界に配信された映画だが、オランダ人が、韓国人慰安婦を利用している姿が実話に基づいて描かれている。韓国政府から、オランダに対する抗議はない。いろいろなケースがあるようだが、まぁ、とりあえず映画を観てください。1951年の韓流 「38度線」 1 (白い服編-1/2) http://www.youtube.com/watch?v=CbeW2mF5RtI 返信する あさひのあたる家 ((白服)) 2013-05-18 23:30:09 1951年の韓流 「38度線」 1 (白い服編-2/2) http://www.youtube.com/watch?v=8VVmXH7r_PYhttp://blogs.yahoo.co.jp/kuretakenoyo/36268037.html アメリカは、もともと売春宿をベースとした国。西部劇では、酒場と、2階で客を取る女たちが、1階に下りてきて、客の気をひく。ニューオリンズの女郎屋「あさひのあたる家」は世界的に有名です。ボブ ディラン/ House Of The Risin' Sun/ 訳詩付 http://www.youtube.com/watch?v=qJeXWacb4Poただ、橋下氏の場合、沖縄の将校に「風俗」を勧めたのがいけなかった。彼らは、平和な日本では家族ずれで軍務についているから、基地内の奥さんと子供の目が厳しく、慰安所の話なんかしたら、「凍り付いてしまった(橋下氏の言)」のも無理はない。 返信する 韓国売春禁止法 (Unknown) 2013-05-18 23:50:42 http://blogs.yahoo.co.jp/kuretakenoyo/36268037.html 返信する 規約違反等の連絡 コメントを投稿 サービス終了に伴い、10月1日にコメント投稿機能を終了させていただく予定です。 goo blogにログインしてコメントを投稿すると、コメントに対する返信があった場合に通知が届きます。 ※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます 名前 タイトル URL ※名前とURLを記憶する コメント ※絵文字はJavaScriptが有効な環境でのみご利用いただけます。 ▼ 絵文字を表示 携帯絵文字 リスト1 リスト2 リスト3 リスト4 リスト5 ユーザー作品 ▲ 閉じる コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。 コメント利用規約に同意する 数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。 コメントを投稿する
きっかけは、奥さんがカラオケ仲間から聞いて、「いいところだ」というので、行ってみたくなったようです。
法華寺というのが奈良県にありますが、これは745年の設立なので、日蓮宗の大本山、市川中山の法華経寺(1260年)に比べてもはるかに古い寺で、特に関係はないようです。
日蓮宗のお寺というのは、関東だけで500寺もあって、新島にも、三宅島にもあります。jまあ、宗教界のユニクロのようなものでしょう。
で、場所ですが、千葉街道(14号)を本八幡から進むこと20分で、法華経寺入り口という大看板が、3メートルぐらいの高さで、赤枠で建っているのですぐにわかりますが、車で左折すると、すぐに大鳥居、そして仲見世どうりのようなお土産、飲食店街が広がります。
車で走れるので、そこそこ広い道です。5分ほど走って、参道入り口があって、ここから歩きですが、右にゆっくりカーブすると、さらに車で3分で、境内入り口があって、ここの門から、お寺のど真ん中に入れます。
目の前に5重の塔がある500坪ほどの広い境内の20メートルの大杉、ケヤキの下で何台か駐車しているので、ここで降りると、そのまま、広い境内を散歩できます。
http://www.hokekyoji.com/index-new2.htm
とにかく広いです。
アップダウンがあって、いろいろな施設があり、解説されていますが、蒋介石の胸像まであるようです。
太陽がぎらぎらと照らす中、緑の木々が光をさえぎって気持ちいいです。
奥さんは、森林浴に凝っています。
ぺトンチットが体にいいらしいのです。
小一時間各施設を見た後、賽銭箱に小銭を投じて、こんどは徒歩で、境内を駅のほうまで戻り、お団子屋、食事どころを散歩して、まったりと昼食をとり、京成電車が通り過ぎるのを眺めながら、帰ってきました。
お寺というのは、建物の説明はあるのですが、教義の説明はないなぁと思いながら歩いていました。
せっかくありがたい教えがあるのなら、説明の建て看板にその内容を書いて、かいつまんで説明してくれるとありがたいのですが、そんなお寺は見たことありません。
そういえば、お経を聞いていても、変形サンスクリット語の当て字で読むので、教義の内容も聞き手には伝わりません。
代わりにあるのが、墓地売出し中の旗、これは最近どこのお寺でも、大量売出しをやっています。
「200万円からいいお墓がありますよ、だんな」なんて感じです。
都内でも、お寺の脇を通ると、かならずこの大売出しの看板が目に付く時代となりました。
まあ、お寺の三井不動産化が進んでいるともいえましょう。
次回は、日蓮宗の教義の中身について書かせていただきたいと思います。
こがらし剣士(1957年)
甲賀武芸帳(1957年-1958年)
忍者旋風シリーズ(1959年-1966年)
※風魔忍風伝・真田剣流・風魔
忍者武芸帳 影丸伝(1959年-1962年
平田弘史(1937生まれ)
◎四十万石の執念
1960年(昭和35年)「魔像別冊・平田弘史特集」
平田弘史にとって記念すべき最初の長編単行本である。デビュー後間もない平田作品の人気に驚いた日の丸文庫が全国の貸本屋の強い要望に押され企画したもので、以降この「別冊・平田弘史特集」は、同社のドル箱となっていった。
本書は、会津四十万石を棒にふった主君加藤明成と、諫言し脱藩した家老・堀主水の確執を描いたもので、主君のなりふりかまわぬ狂気ぶりが読む者をゾッとさせる。平田弘史が好んで取り上げたテーマ=怒りがストレートに発揮された作品だ。
◎復讐つんではくずし
1961年(昭和36年)「魔像別冊・平田弘史特集」
平田弘史24歳の時の作品であり、平田劇画を語る時に欠かすことのできない最も突出した傑作である。復讐することの恐ろしさと無意味さ、そして愚かしさをダイナミックな画面と爪の先までを描き分けたペンタッチが見る者を驚愕させ、そして腹の底にズシンとくるものを与える時代劇画の頂点の一つである。後に昭和44年、題名を『大地獄城』として少年週刊誌でリメイクされたのだが、残念なことにこの『大地獄城』は、原稿が人手に渡り、気がついた時には紛失してしまった。今では当時の雑誌上でしか見ることができない。同様に平田弘史の作品群の中で、貸本屋向けの単行本の原稿はほとんどが1ページも現存せず、また雑誌に連載された作品も相当数が行方知れずになっている。
◎我が剣の握れる迄
1961年(昭和36年)「魔像別冊・平田弘史特集」
作品の予告が出てから刊行されるまで実に長い間、我々は待たされた記憶がある。予告で何月頃と告知され、幾度も貸本屋のおばちゃんに催促するのだが、まだ刊行されていないとのことだった。今考えてみると、作者が締切りを守れず、ズルズルと出版が遅れたにちがいないのだが、その頃の我々はただただ刊行されるのを首を長くして待っていた。
◎刀匠
1964年(昭和39年)「魔像・士魂物語10」
小林正樹監督作品「切腹」に感動した平田弘史が映画のモチーフを自分流に作り変えた作品だ。仲代達矢扮する浪人が切腹の場で自分の思いをとげる映画と、平田が描いた作品を比べてみるのも面白い。武士としての生き方の矜持は、平田弘史の永遠のテーマなのだ。
◎侍
1964年(昭和39年)「魔像・士魂物語12」
『刀匠』のすぐ後に描かれた作品だ。貸本屋向けの漫画単行本がいよいよ行き詰まり、刊行数が激減して先行きに不安を感じていた時代、青林堂から『ガロ』が創刊され、雑誌の世界へ劇画が移動を始めていた時代である。平田弘史の士魂物語は、この後5冊刊行され、その幕を閉じる。
〈解説・戸田利吉郎〉
平田弘史は、昭和35年に22歳で、長編デビューし昭和40年代を過ぎて低迷してきたが、白土 三平は昭和32年に28歳で、木枯らし剣士、昭和34年に『忍者武芸帳』を発表し、39年、白土の新作『カムイ伝』のための雑誌として青林堂より『ガロ』が創刊されている。
『ガロ』が昭和40年--50年に日本の漫画史に与えた影響は計り知れない。
女性の人権の保護者となって、自分を聖者化し、正義の味方としての自己に陶酔したい人々にとっては、絶好のチャンスが到来し、大阪市役所に抗議文をもって押し寄せている。
しかし、昭和16年当時20歳の人間でも、今は92歳になっており、生き残っている人の中で慰安婦の実態を体験的に知っている人間なんて、ほとんどいない中で、空論が踊っている感じだ。
この問題は、昭和16年から実際に中国大陸で5年間戦い、慰安所の経験もしたある日本人から聞いた話と河野談話と大きく違うので、チューブを調べたら、小野田少尉の話が、私が聞いた話とほぼ同じなので、ここで紹介します。
http://www.youtube.com/watch?v=dnJEBlCS1NQ
従軍慰安婦の真実
http://www.youtube.com/watch?v=_Lw2imEyYxU
で北と戦った。
1951年の韓国で、オランダ軍も戦闘に参加したが、
ここに韓国人慰安婦と慰安所の姿が映像化されている。
ワーナー映画で、世界に配信された映画だが、オランダ人が、韓国人慰安婦を利用している姿が実話に基づいて描かれている。
韓国政府から、オランダに対する抗議はない。
いろいろなケースがあるようだが、まぁ、とりあえず映画を観てください。
1951年の韓流 「38度線」 1 (白い服編-1/2)
http://www.youtube.com/watch?v=CbeW2mF5RtI
http://www.youtube.com/watch?v=8VVmXH7r_PY
http://blogs.yahoo.co.jp/kuretakenoyo/36268037.html
アメリカは、もともと売春宿をベースとした国。
西部劇では、酒場と、2階で客を取る女たちが、1階に下りてきて、客の気をひく。
ニューオリンズの女郎屋「あさひのあたる家」は世界的に有名です。
ボブ ディラン/ House Of The Risin' Sun/ 訳詩付
http://www.youtube.com/watch?v=qJeXWacb4Po
ただ、橋下氏の場合、沖縄の将校に「風俗」を勧めたのがいけなかった。
彼らは、平和な日本では家族ずれで軍務についているから、基地内の奥さんと子供の目が厳しく、慰安所の話なんかしたら、「凍り付いてしまった(橋下氏の言)」
のも無理はない。