鳥と犬と猫と、ときどき雀

ー鳥2羽と保護犬2匹と捨て猫2匹との生活を綴ったブログですー

犬のしつけから思うこと

2022-04-15 | 犬のこと

4年前に「保健所の成犬・猫の譲渡を推進する会」から譲渡を受けた、チワワのソイ8歳ですが、4年たった今も男の人嫌いは治りません。

夫や息子が立ち上がったり、リビングから出ようとドアに向かう後ろ姿を狙って脛を噛みついてきます。(結構痛いと言っています)
いろいろと方法を探して試しましたが全く治る気配がありません。
ドッグトレーナーに預けて、しつけをしてもらう話も度々出てきます。
 
ソイは50数頭の多頭飼育の崩壊で保護されたチワワですが、飼い主は母と娘の女性で男の人に会うのが初めてで怯えてしまい攻撃的な行動になってしまうのだろうとの話でした。
でも夫が座っていると側によってきて、撫でてもらうことも良くあるのです。
ソイの気持ちが分かったならいいなぁーと、いつも思います。
 
普段はとても大人しく静かな子なのです。
 
一方、猫2匹は幼いころに保護し一緒に住んでいますから、犬より懐いています。
ソファーで寝転んでいるとすぐに体に上ってきて「ニャ~」と甘えた声を出します。
そしてゴロゴロ、フミフミをします。
やっぱり幼いころの環境は性格形成にとても関係が深く重要だと感じます。
 
日本の諺に「三つ子の魂百まで」というのがありますが、その意味は、"幼時に表れた性質は、いくつになっても変わらない。
教育を受け、大人になって経験を積んでも、幼い頃の性癖や思いは根強く残る”というように、犬も小さい頃の体験や経験はとても大事なのだと思います。
 
 
それが人間ならば、なお一層大切なことだと思います。
そこでシルバーバーチの言葉から、教育の大切さが書かれた箇所を抜粋してみたいと思います。(*1)
 

「今日の子どもは明日の大人であるという、ごく当たり前の考え方でその問題と取り組んでみましょう。

当然それは学校教育を終えた後の社会生活において、その社会の重要な責務を担う上での備えとなるべきものでなければなりません。

意義ある社会の一員として、いかなる事態においても、社会のため人類のために貢献できる人物に育てるための知識を授けることが教育の根本義なのです。

それには何よりもまず宇宙の摂理がいかなるものであるかを説いてやらねばなりません。

人間が有する偉大な可能性をおしえ、それを自分自身の生活と、自分の住む地域社会に役立てるために開発するように指導してやらねばなりません。

子どもは感受性が強いものです。

知能的にも、教えられたことが果たして真理であるかどうかを自分で判断することができません。

とても従順ですから、教えられたことは何もかも本当のことと信じて、そのまま吞み込んでしまうのです。

このように、子どもを教育することは、実に貴重でしかもデリケートな原料を扱ってりうことになります。

教え込んだことがそのまま子どもの性格のタテ糸となりヨコ糸となって織り込まれていくのですから、教育者はまず教育というものの責任の重大さを自覚しなくてはなりません。」

シルバーバーチの霊訓4 P217-218

 
シルバーバーチのこの言葉は、二人の子どもを育てた母親として耳が痛いです。
果たして、私はシルバーバーチの言葉のように子どもを育てられただろうか?と振り返ると、そうではありません。
私が「シルバーバーチの霊訓」にであったのは、上の子が4年生下の子が1年生ですから、三つ子の魂はすでに過ぎていました。
 
もっと早く、シルバーバーチと出合いたかった!!と思います。
 
そしてシルバーバーチの言葉から、幼いころに受けた教育や愛や環境が、その後の性格に強く影響を及ぼすならば、親や教育者、社会の大人たちは子どもへの接し方や環境をより良くするためにもっと深く考えていかなくてはいけないのだと思います。
 
世界には様々な国がありますが、その国には独自の文化があり慣習があり宗教があるので、大人や親、教育者の考えも違いがありますが、識字率の高い国では概ね何を大切に考えているかの違いは大差ないと思います。
それは、良い学校に行くこと、よい会社に勤めること、お金を稼ぐこと、地位を得ること、権力を握ること…、ではないでしょうか。
実際に私も、シルバーバーチの霊訓に出合う前までは、いい高校、いい大学、安定した会社に入り、お金の苦労のない幸せな家庭を築いてほしいと切望していました。
 
でも人間にとって大切なことは物的なものを得ることではないと、今では心の底から思っています。
学歴や財産、地位、権力は地上限りのものであり、死んで持っていけるのはどれだけ人に尽くしたが、社会のために役に立ったか…という心の豊かさなのだと思います。
シルバーバーチの言葉の通り、教育とは社会の重要な責務を担う上での備えとなるべきものでなければなりません。
 
しかしそのためには、この宇宙の摂理の理解が必要であり、人間の有する偉大な可能性を知り、自分自身の生活と、自分の住む地域社会に役立てるために開発できるようになることですが、それは私たち大人の責任なのだと思います。(*2)
 
大人は、子ども一人ひとりに正しい教育と愛と環境が得られる尊厳性があることを知らなくていけないのだと思います。
それは全ての人が神という存在に創造され、一人ひとりが神から賦与された資質を等しく持ち、それを開発するために生きているということ、子は親の所有物ではなく地上への誕生には大きな意味があることを知ることではないでしょうか。
 
誰もがそう認識したならば、貧富の格差や教育の格差、肌色の違いや宗教の違いも克服して、互助の精神がいきわたると思います。
いつの日か誰もがこうした知識のもとで教育を受け、それを生活に活かすことが出来たなら社会のため人類のために貢献できる人物になるはずです。
 
幼いことから大人の勝手な思想や教育を受けて、憎しみを学んだり人を蹴落とすことを教えられた子どもたちは不憫です。
これからを担う子ども達が、自由にのびのびと互いに助け合える世界で暮らせることを願ってやみません。
 
そして私自身も社会の一員として、一人の大人として、子ども達にそう接していけるように努力したいと思います。
 
 
 
(*1)「シルバーバーチの霊訓」シリーズは、現在スピリチュアリズム普及会で復刻・出版されています。
 
(*2)  「関東シルバーバーチの会」という、「シルバーバーチの霊訓」を学ぶ読書会のメンバーが「あいのしんこと舎」を設立し、自費出版にてスピリチュアリズムの知識を分かりやすく絵本にしました。

その中の「コトとシンのうちゅういちたのしいおはなし」には「人間は死後どうなるのか?」が、 「コトとシンの10のどうして?」には「なぜここに生まれたのか?理不尽に思えることはなぜ起きるのか?」、

  「コトとシンのうちゅういちたいせつなおはなし」には「神様はいるの?いないの?」が、「コトとシンのうちゅういちすてきなおはなし」には「いたるところに神様がいるよ!」が描かれています。

また「コトとシンのうちゅういちふじぎなおはなし」が完成まじかですが、そこには「みーんな死後も生つづけるんだよ!」が描かれています。

学校教育では得られない、素敵な知識が満載です。
 
   
 

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