保護犬チワワのソイは最近になって家の中の物にマーキング(尿をかける)をするようになりました。クッションや家のコーナー、大好きな娘の衣類などなど。娘の衣類にマーキングしたときには、笑顔で娘に知らせに来たと聞きました。
そこで犬がマーキングをする理由を調べてみると、「自分のにおいをつけて存在をアピールすることで、縄張りを守ろうとしている」とありました。また、赤ちゃんができたり、新しい子犬、子猫を迎えたり、家族構成が変化すると、犬はとても寂しく感じるもので、そんな時にもマーキングをするそうです。
4つ足動物の中でソイは一番のお兄さんです。次にミルキー、ウニ&シッポナですが、新しい仲間が来た時には特に変わりなく過ごし、みんなを受け入れてくれていたと思っていたのですが、娘によると、「最近猫が可愛くてムギューッと抱きしめてる。その時、ふと見るとソイが寂しそうに見てる…」とのことでした。
人間も愛の減少感を感じるように、動物も人間の心の状態が伝わっているのだと思いました。「自分は愛されていない」「自分は必要ない存在なんだ」そんな風に感じていたのかもしれません。どの子が一番と思ったことは無くても、他の動物を可愛がっていれば寂しくなるのは良く分かります。
それからというもの、私たちはソイにスキンシップをとって「大切に思っていること、愛していること」を伝えていますが、それが功を奏してか?今のところマーキングはしていません。
さて誰もが一度や二度、いえいえ沢山…「嫉妬」や「寂しさ」、「愛の減少感」を体験したことがあると思います。愛情不足で育つと非行に走るといわたり、依存傾向や独占欲が強く、ひねくれた言動をすると聞いたこともあります。
しかし虐待やネグレクトをする人は自分もその体験者であることが多く、その世代間連鎖がおこる割合は、研究によって結果が多少異なりますが、30~50%程度であるといわれています。30~50%というのはとても多い数字だと思いますが、こうした連鎖を断ち切るためには、「自分が愛されている」ということを感じることがとても重要なのだと思いました。
とはいえ「愛された」という経験が無かったり、少なかったりするから虐待やネグレクトという世代間連鎖が起きるわけで、自己愛に向かう人に利他愛を求めても難しいのだと思います。
では、連鎖の被害にあっている人は「誰からも愛されていないのか?」「必要とされていないのか?」と言えば、そうではないのです。自分が今、こうして存在し生きていること、そのものが愛の証なのです。誰もが掛け替えのない存在として愛されているのです。シルバーバーチはその深淵な事実をこう述べています。(*1)
「宇宙に存在を与えたのは神の愛です。宇宙が存在し続けるのも神の愛があればこそです。全宇宙を経綸し全存在を支配しているのも神の愛です。その愛の波長に触れた者が自分の愛する者だけでなく血縁によって結ばれていない赤の他人へも手を差しのべんとする同胞愛に燃えます。愛は自分より不幸な者へ向けて自然に手を差しのべさせるものです。全生命の極致であり、全生命の基本であり、全生命の根源であるところの愛は、よりいっそうの表現を求めて人間の一人ひとりを通して地上に流れ込みます。そして、いつの日か、全宇宙が神の愛によって温かく包まれることになるでしょう」 シルバーバーチの霊訓1 P142
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「神とは非人間的存在でありながら同時に人間性のすべてを表現する存在です。これはあなた方には理解できないでしょう。神はすべての生命の中に宿っています。その生命が人間という形で個別性をもつことによって、神は神羅万象を支配する法則としてだけでなく、個性をもつ存在として顕現したことになります。
ですから、神を一個の存在としてではなく、無限の知性と叡智と真理を具えた存在そのもの、人間に想像しうるかぎりの神性の総合的統一体と考えてください。それは男性でもなく女性でもなく、しかも男性でもあり女性でもあり、個性というものを超越しながら同時にあらゆる個性の中に内在しているものです。神は万物の内側にも外側にも存在しています。
神から離れで誰一人存在できません。神から切り離されるということがありえないのです。あなたの中にも存在しますし、雨にも太陽にも花にも野菜にも動物にも、その他いかに小さいものでも、存在を有するかぎりはすべてのものに宿っているのです。私が大霊と呼んでいるこの神の概念を伝えるのは至難のわざです。あらゆるものを支配し、あらゆるものから離れず、存在する全てに内在している崇高な力です」 シルバーバーチの霊訓11 P108-109
宇宙に存在するものは神の愛によって創造されたのであり、すべての生命の中に宿っているのであり、人間の親に愛される以前にすべての人は神によって愛されています。その神はこの全宇宙を創造し経綸し、法則によって支配し常に私たちに愛を届けてくれているということです。誰もが神に愛され必要とされていればこそ、今存在しているということを知ってほしいと思いますし、自分の心にも刻みたいと思います。
決して誰からも愛されずに必要とされずにいる人は、一人もいないのです。肉の親に愛されるよりも、もっと大きな存在、愛と叡智の存在である霊の親、神に愛されていることを思い、どんな逆境も決して切れることはない神との絆があることを忘れずに乗り越えてほしいと思います。
さて私は、上記のシルバーバーチの言葉の中の「愛が自分を通して地上に流れ込むようになっている」という言葉に心を奪われました。こんな小さな未熟な自分を通して神の愛が流れ込むと聞いて、こんなに凄く尊いことはない!と思ったのです。
それは私だけではありません。地球に住むすべての人が愛の通過体としての役目があるのです。しかし、その愛は利己的なものではなく同胞に向いてこそ役目を果たすことができます。
私たち人間一人ひとりに大きな役目を果たすために地上に存在させている神とは、なんと偉大であるかと思います。必要のない人は一人もいないのです。ただ愛の表現形態の段階がそこに及んでいないというだけです。
いつの日か人類が神の愛に気づいたなら、全宇宙が神の愛によって温かく包まれることになるのですから、先ずは自分の日頃の生き方を律して愛の通過体となれるように努めていこうと思います。
また「神から離れで誰一人存在できません。神から切り離されるということがありえないのです。あなたの中にも存在しますし、雨にも太陽にも花にも野菜にも動物にも、その他いかに小さいものでも、存在を有するかぎりはすべてのものに宿っているのです」とあるように、宇宙の全てのものは神の愛によって存在を維持しているとは驚くべきことです。
それは私たちが目にする自然界の山や川、海や空、植物も動物も人間も…神の愛によって存在を与えられているのです。私たちが自然の景色や美しい花や木々に感動したり、動物たちに癒されるのも、四季の巡りや、太陽の暖かい日差し、夜空を彩る月や星たちに神秘を感じられるのも神の愛があってこそです。
そして自然界だけでなく、存在する物的な物も、そのすべては神の愛の表現です。朝食のご飯やみそ汁にも、それを調理するナベやフライパンも、すべてが神の愛によって存在を得ているのです。
自分が住んでいる家も着ている服も靴も、行きかう車やバスも道路も建造物にも、道に転がる小石にも…すべてに神が存在しているとなれば、私たちは常に神の愛に包まれ、守られ、導かれ生きているということだと思います。
その神との絆から切り離される人は誰一人いないのですから、どんな時にも神という偉大な存在に意識を向けて、その愛の中で生きていることを忘れずにいたいと思います。(*2)
(*2) 「関東シルバーバーチの会」という、「シルバーバーチの霊訓」を学ぶ読書会のメンバーが「あいのしんこと舎」を設立し、自費出版にてスピリチュアリズムの知識を分かりやすく絵本にしました。
その中の「コトとシンのうちゅういちたのしいおはなし」と「コトとシンのうちゅういちふじぎなおはなし」には、自分とはどういう存在かについてが、 「コトとシンの10のどうして?」には、地上に生まれてきた意味についてが分かりやすく描かれています。
また 「コトとシンのうちゅういちたいせつなおはなし」 と 「コトとシンのうちゅういちすてきなおはなし」の中には、至る所にいる神とその愛についてが描かれています。地上人生を生きる上で力になる絵本です。
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