えんおりの縁(えん)

読んで頂いた方とささやかな「縁」を結んでいければと、広く自由にあれこれ思いや感情を発信する町工場のブログです!

ウクライナの避難民受け入れで思った事

2022年03月09日 | 思い
 前回の書き込みからかなり時が経ってしまいましたが、皆様如何お過ごしでしょうか。 弊社も新型コロナの影響をまともに受けている業界なので、正に現在”どん底”状態ですww(もう笑うしかない) ケセラセラってか!?


 話は飛びますが、ウクライナの避難民の方々を日本政府が人道的観点から積極的に受け入れるという方針である事を、岸田総理が表明してから数日。 いよいよ受け入れが実際に始まって私としては嬉しく思っています。 来られる皆さんが一日も早くウクライナへ笑顔で帰国出来る事を願わずにはいられません。


 ただ、国内では習慣の違いや治安等に対する不安から異論があるのも事実です。 そんな中思ったのですが、避難民の受け入れって日本は初めてではなく、そういやぁ昔ベトナム戦争の時にもベトナム避難民の方々を受け入れた事があったなと、自分の経験を思い出したんです。


 あれは自分が小学校3年生の頃かな(1976年位?)  当時私の家の斜め向かいに住んでいた民生委員の方が来られて、「ベトナムから避難してきた子がウチに来ているので会ってみない?」という話だったの。 後から分かったのですが、私の住んでいる浜松市には当時避難民を受け入れるキャンプ施設があって積極的な活動をされていたそうなんです。



 まだ外国の人と話をした事の無い自分には興味津々の話でして、即答OKして近所の友人数人と民生委員の方の家へ行きました。


 そこにいらっしゃったのは自分より2~3歳年上位の姉弟さん。 常に笑みを絶やさず応対してくれた事ははっきりと覚えています(^^♪  通訳の方を通して話をしてみると、自分と全然変わらない普通の人達。 とにかく優しい。 髪が黒々と光っていてとても綺麗。 箸の扱いが自分より上手いww   その場には「戦争」という言葉やイメージが存在する余地など有り得ず、限られた時間でお互いの事を少しでも知ろうと、ただそれだけでした。 プチ国際交流大成功♪


 帰り際に皆で記念写真を撮る事になり、ポーズは皆Vサイン(^^)vでと決めたのですが、弟さんが相手に手の甲を向けるVだったのが印象的でした。  この経験は自分にとっては忘れられない暖かい思い出として記憶の片隅に残っています。


 そういった経緯もあって、現在私の住んでいる町内にはベトナム避難民の二世の方々とか、更には産業的経緯から出稼ぎに来られたブラジルやペルーの方々とか、ご近所さんが様々な国の出身でして、「民族のモザイク コーカサス」って感じでしょうかw  浜松には「来る者拒まず」って気質があると個人的には思っているので、そういう環境も良い方に活かされているのかも?


 やはり各国々の人達にはそれぞれの生活スタイル・流儀ってものがあるので、生活していく上でそれがぶつかってしまうのは当然です。 私の住んでる町内でも、町内会活動やゴミ出し等、ちょくちょくトラブルが発生します。 でも自分を含めて皆さん何とか仲良く気持ちよく暮らしていきたいという想いは同じですから、共通理解、妥協点を見つけようともがきながら力強くたくましく生活しています。 ズッコケながらも地域共同体として立派に成り立っています。


 これから続々と必死の思いで避難されてくるであろうウクライナの方々と一緒に生活していく中で、必ずトラブルは発生すると思いますが、そういう事一つ一つをおろそかにせず、お互い相手の生活習慣や考え方を知ろうと積極的に関われば、必ず解決の道は開けてくると思います。 実際自分が多様性町内で生活してきて実感する事です。 将来自分達がウクライナの方々と同じ立場になる事だって有り得る訳で、自分の問題として気持ちを共有する事が今とても大切だと思います。 こんな事を思っていたここ1,2日でした、それではまた!


 


追記:  話が戻りますが、浜松に於けるベトナム避難民救済活動の事で調べていたら、白波瀬達也先生という社会学者の方が、当時の事について関係者の方に取材してまとめた記事があったので、此度の参考になればと思いましてリンクを貼らせて頂きます。

     
     「やっぱり愛していたからね」ベトナム難民の定住を支え続けた一人の女性の半生|白波瀬達也|ニッポン複雑紀行

      

         


         

     

       

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