今まで通りに生活できるか、自分を実験的にながめてみました。
このブログにも、約1年前に書きました。「まずは新聞のデジタル化」
1年辛抱して、結論。もちろん、生活はできます。しかし、
ひと言で言うと、失うものが多いことを知りました。
で、3.11大震災から3年の前後1週間をお試し期間にして、一応考え、完全に新聞を配達してもらう生活に復帰。
紙媒体の素晴らしさに感動しました。
やっぱり、私の守備範囲からすると、新聞そのものの代わりはデジタルでは無理なのでした。
今もセットでデジタル契約をしているので、スクラップや検索は変わらずデジタルを活用しようと頑張る所存です。←決意!
(新聞をそこいらじゅうに溜めないためにデジタル併用が理想、ということですけどね。どうなるかな)
さて、この1年、失うものが多かった、という話。
どうも、新聞に触れて、目を通すという習慣こそが、私の情報収集能力や、思考や、書く力を支えていたらしいということがわかりました。
新聞を紙面ビューアーで眺めて、必要なものを中心にディスプレイで読んでいても、私の脳はその表面を撫でる程度にしか働かいてくれないようでした。
うまく言えてないけれど、それが実感。
つまり、現象への共感度が低くなる、言葉が脳にしみこまない、理解が浅い、多角的なモノの見方ができない、深堀りのしつこい思考ができない、それゆえかつまらない、やがて本の楽しさも遠ざかる、読めなくなる、書けなくなるというワタシのできあがり。おそろしい・・
もう一つ、どこかから聞こえてきそうな類似の話。
忙しいんだったら、朝にウォーキングやジョギング(ラジオ体操もね・・笑)をしている場合じゃないでしょ。
というお小言が、あります。
実行している人は気づいていると思いますが、そういう時間を作ることで、かえって身体とアタマがちゃんと動いて、一日が効率よく動き出すんですね。
思考も非常に前向きになる。
悩む、考え込むよりも、まずは動く。そういうワタシになっていきます。
(どうしても運動量が減ってしまう冬は、大きな課題として残っていますけれども・・)
紙の新聞を読むことが、かなり重要だと再認識してじぶんインフラに気づく。
このたび再整備して、ちょっと快適になってきました。
新聞代は、脳の栄養源・生命維持=食費か。そんな感じです。おおげさだけど。
朝に、ストレッチなどちょっとでも身体を動かすのも、じぶんインフラ。
これは工夫すればほぼ無料ですね。
一時消滅していた、電車内紙媒体Loveな人たちが一定数いる風景も増えてきたかも。
仲間が戻ってきた喜びを味わう(勝手に)。
電車内ゲーム人口が増殖していることも知っていますけれどもね。
みなさま、よき春をお迎えください。そして、よいスタートを!
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