どうなのか…、いったいどんなリハをする人なんだろう…と、期待にワクワクしながら、会場の楽屋口。
お友達の出演者とそのお弟子さんと待ち合わせして、いざ会場へ。
若い人、ベテランな人、混在のオーケストラ。テレビで見かける方もいらっしゃいました。また、トランペットにはLAフィルから、ティンパニーにはフィラデルフィア管からゲストが来ていました。
リハ時間きっかりにチューニングが始まり、合唱もスタンバイ。
コンサートとまったく同じように、チューニングの後、しばしの静寂、そしてソリスト4人に続いて、真紅のセーターを着たRMが悠々と入場。あまりのオーラの強さに、びっくりしました。
ソリストを入れての初めてのリハとのこと。
前から10列目ぐらいのところで見学していたので、RMの指示などが聞けました。
そのなかで、とても印象的だったのは、
「歌うように楽器を響かせよ、決して音を押し出すのではなく、響かせるのである」
「pのなかにある、響きに深さを」
「ブレンド(協調)アンサンブル!」
「リズム、発音(特に合唱に注文)があまい」
「”音楽をする”とは、その情景や時代やすべて目に見えるものやみえずとも感じる雰囲気などすべての要素を、”音”で表現し再現・表現するものである。音色、発音、アーティキュレイション・・・すべてに注意を払いなさい」
気に入らない音が飛び出てくると、容赦なく指揮をばったりと止め、なぜ自分が指揮をとめたのか、的確に指示を出します。
みんな、緊張した面持ちですが、真剣にその真意を読みとろうと必死なのが伺えます。
しかし、ここは、プロオケではないのか???
時折とんでもなく初歩的に思える(びっくりするような)箇所を、RMにわざわざ指摘され、恥ずかしさではっとする演奏家たち・・・。
決して妥協を許さず、しかしリハの時間内に(むしろ早めに)さっさと多くのことをこなして進めるその過程を、見ていると、なんとも、すごい以外に言葉が出ない。
的確な、説明と、バトンさばきで、オケの音がどんどん変わっていく。
自分の、音楽に迷いがなく、もうそこに向けて走っていくだけなのである。
一番びっくりしたのは、この曲のなかでの「大音量の部分」ではなく、音を絞っていったときにあった。ただか細くなるのではなく、深さを要求され、またそのPのなかでのダイナミックレンジもあり、そして広いのだ。そして、決して、単純に、クレッシェンド、デュミニエンドといったりきたりするのではなく、非常に緻密に計算しつくされていた。
また、音楽つくりに、神々しさを感じた。
そう、この曲の詩は、聖母マリアが、愛する子イエスキリストとの間にあった数々の悲しみと愛を歌ったものなのである。
詩の意味を、ほんとうに宗教観からも理解していれば、オケのメンバーは、あんな音は出さないんではないかな??と感じたりする部分も、残念ながら正直あった。
決して技術的にまずいわけではない、ただ、薄っぺらい感じがしたのだ。
わたしとて、クリスチャンではない。でも、音の先に潜む、その深さを、プロだったら表現していかなくてはいけないんではないかな、と、強く感じた。
ただ、音符ずらが演奏できるだけでは、人の心に本当の感動を呼び込めるわけがない。
そして、たとえクリスチャンでなくとも、こころの奥底に通じる「人間として、愛を思うとき、神々しいものを純粋に感じるとき」とか、国をこえ、文化を超えても通じるものはすべての人間に絶対あると思ったとき、それらすべてを表現することが可能な、「音楽」という手段に、非常に感動する。
と、同時に、音楽に携われる事のできた自分の身の上を、非常に幸いとおもった。
そう、RMは、リハで恐ろしいかどうか??
そうね、恐ろしいと思います。でも、魂がぶつかりあうものを製作・創造している現場で、ただ楽しいだけでいいのか?それらの葛藤やぶつかり合いが、やがて協調と理解と結束となり、精神の創造物を完成させる。
恐ろしいという表現は、ただ単に「怖い」というのではなく、もっと深い意味があったのでした。
そんなRMも、時にはJOKEも言ったりして、リハ中には笑いも出る場面もありましたよ。
タイトルの、「脳ミソがジーーーン」の意味は・・・たとえば、曲の途中や最後に、和音が終結して、その後のPAUSE(音が消えた時)に、その音がいつまでも耳の中と脳ミソのなかで響きこだましてる状況です。
それは、耳が痛いくらいの純度の高さで、おーーっ!これってもしかして、いわゆる「音楽の快感」ってやつだと、久々、そんな経験を味わいました。
フィラデルフィアにいたときは、毎週味わっていたんです、実は。
日本に帰国して、なかなかそういう機会がないことに、びっくりし、嘆いたものです。あのころは恵まれていたんです。
幸せでドロンドロンになりながら、いつも、帰りは先生の車に乗っけてもらって、もしくは電車に乗って帰宅したものです。毎日が充実してました。
すばらしい音楽は、その人の人生や、気持ちの向きようを変えます。
このシーズンは、ずっと重い花粉症で、毎日頭痛と鼻づまりで、私のどんよりの気持ちが、とても前向きになった。すばらしい音楽とは、そういうヴァイタル(エネルギー)を与えてくれるのだと思うとき、私もそんな演奏家になりたいと、精進しなくてはと思いました。
しばらく、この感動で生きていけそうです。花粉症も乗り越えられそう?爆笑
この機会を与えてくださった、お友達に感謝!
それと、業務連絡@お礼に明日、巨人戦にお連れしますから(笑)>Aiへ
お友達の出演者とそのお弟子さんと待ち合わせして、いざ会場へ。
若い人、ベテランな人、混在のオーケストラ。テレビで見かける方もいらっしゃいました。また、トランペットにはLAフィルから、ティンパニーにはフィラデルフィア管からゲストが来ていました。
リハ時間きっかりにチューニングが始まり、合唱もスタンバイ。
コンサートとまったく同じように、チューニングの後、しばしの静寂、そしてソリスト4人に続いて、真紅のセーターを着たRMが悠々と入場。あまりのオーラの強さに、びっくりしました。
ソリストを入れての初めてのリハとのこと。
前から10列目ぐらいのところで見学していたので、RMの指示などが聞けました。
そのなかで、とても印象的だったのは、
「歌うように楽器を響かせよ、決して音を押し出すのではなく、響かせるのである」
「pのなかにある、響きに深さを」
「ブレンド(協調)アンサンブル!」
「リズム、発音(特に合唱に注文)があまい」
「”音楽をする”とは、その情景や時代やすべて目に見えるものやみえずとも感じる雰囲気などすべての要素を、”音”で表現し再現・表現するものである。音色、発音、アーティキュレイション・・・すべてに注意を払いなさい」
気に入らない音が飛び出てくると、容赦なく指揮をばったりと止め、なぜ自分が指揮をとめたのか、的確に指示を出します。
みんな、緊張した面持ちですが、真剣にその真意を読みとろうと必死なのが伺えます。
しかし、ここは、プロオケではないのか???
時折とんでもなく初歩的に思える(びっくりするような)箇所を、RMにわざわざ指摘され、恥ずかしさではっとする演奏家たち・・・。
決して妥協を許さず、しかしリハの時間内に(むしろ早めに)さっさと多くのことをこなして進めるその過程を、見ていると、なんとも、すごい以外に言葉が出ない。
的確な、説明と、バトンさばきで、オケの音がどんどん変わっていく。
自分の、音楽に迷いがなく、もうそこに向けて走っていくだけなのである。
一番びっくりしたのは、この曲のなかでの「大音量の部分」ではなく、音を絞っていったときにあった。ただか細くなるのではなく、深さを要求され、またそのPのなかでのダイナミックレンジもあり、そして広いのだ。そして、決して、単純に、クレッシェンド、デュミニエンドといったりきたりするのではなく、非常に緻密に計算しつくされていた。
また、音楽つくりに、神々しさを感じた。
そう、この曲の詩は、聖母マリアが、愛する子イエスキリストとの間にあった数々の悲しみと愛を歌ったものなのである。
詩の意味を、ほんとうに宗教観からも理解していれば、オケのメンバーは、あんな音は出さないんではないかな??と感じたりする部分も、残念ながら正直あった。
決して技術的にまずいわけではない、ただ、薄っぺらい感じがしたのだ。
わたしとて、クリスチャンではない。でも、音の先に潜む、その深さを、プロだったら表現していかなくてはいけないんではないかな、と、強く感じた。
ただ、音符ずらが演奏できるだけでは、人の心に本当の感動を呼び込めるわけがない。
そして、たとえクリスチャンでなくとも、こころの奥底に通じる「人間として、愛を思うとき、神々しいものを純粋に感じるとき」とか、国をこえ、文化を超えても通じるものはすべての人間に絶対あると思ったとき、それらすべてを表現することが可能な、「音楽」という手段に、非常に感動する。
と、同時に、音楽に携われる事のできた自分の身の上を、非常に幸いとおもった。
そう、RMは、リハで恐ろしいかどうか??
そうね、恐ろしいと思います。でも、魂がぶつかりあうものを製作・創造している現場で、ただ楽しいだけでいいのか?それらの葛藤やぶつかり合いが、やがて協調と理解と結束となり、精神の創造物を完成させる。
恐ろしいという表現は、ただ単に「怖い」というのではなく、もっと深い意味があったのでした。
そんなRMも、時にはJOKEも言ったりして、リハ中には笑いも出る場面もありましたよ。
タイトルの、「脳ミソがジーーーン」の意味は・・・たとえば、曲の途中や最後に、和音が終結して、その後のPAUSE(音が消えた時)に、その音がいつまでも耳の中と脳ミソのなかで響きこだましてる状況です。
それは、耳が痛いくらいの純度の高さで、おーーっ!これってもしかして、いわゆる「音楽の快感」ってやつだと、久々、そんな経験を味わいました。
フィラデルフィアにいたときは、毎週味わっていたんです、実は。
日本に帰国して、なかなかそういう機会がないことに、びっくりし、嘆いたものです。あのころは恵まれていたんです。
幸せでドロンドロンになりながら、いつも、帰りは先生の車に乗っけてもらって、もしくは電車に乗って帰宅したものです。毎日が充実してました。
すばらしい音楽は、その人の人生や、気持ちの向きようを変えます。
このシーズンは、ずっと重い花粉症で、毎日頭痛と鼻づまりで、私のどんよりの気持ちが、とても前向きになった。すばらしい音楽とは、そういうヴァイタル(エネルギー)を与えてくれるのだと思うとき、私もそんな演奏家になりたいと、精進しなくてはと思いました。
しばらく、この感動で生きていけそうです。花粉症も乗り越えられそう?爆笑
この機会を与えてくださった、お友達に感謝!
それと、業務連絡@お礼に明日、巨人戦にお連れしますから(笑)>Aiへ
私も感動しました。
久々に先生の演奏も見れて満足です。
巨人戦楽しんで来て下さい。
よろしくお願いします!
フフフ