今日も冷え込み厳しき一日。
南国といわれる九州福岡でこれほど。全国の天気を見るに積雪○○センチ!の地域が・・・。
日本列島ってやはり長い。
12月ともなると彼方此方にクリスマスのデコレーション。おまけに最近は電飾?をふつうの民家が競うように豆電球で飾り立てていらっしゃる。
他人様の趣味嗜好に口は差し挟まないが(挟んでるか)、田舎道を走り目に入る電飾に?????
「西洋かぶれ」という言葉が最早死語となるほど、表向き西洋化した日本。
これって、やはりメディアの影響だろうなあ
先月だったか、お酒を提供する店で、着飾りおしゃれをしてお客の横に座りお喋りをする仕事(キャパクラ嬢というらしい)に就いている女性が美容院で、意に反した髪型にしてしまった権威ある美容師(西洋の言葉を借りカリスマ美容師というらしい。カリスマも安くなったものだ)と美容院の経営者に対して損害賠償として600万円を請求する訴訟を起こし26万円の損害賠償を命じる判決があったという報道があってた。
「髪は女性の命」ということの是非は保留するとして、報道に接し島田紳助さんが司会する人気番組「行列の出来る法律相談所」?という番組の中で状況説明ビデオの中での決まり文句、「訴えてやる!」という言葉を思い出した。
聞くところによると小学校で先生が子どもに注意をすると、子どもから「訴えてやる!」と言われたとか・・・・。
アメリカは訴訟社会であると聞く。従って絶対謝らない、謝ったら訴訟に負ける。という社会だそうだ・・(暮らしたことがないので、あくまで「だそうだ」)
テレビ番組で法律関係の番組が視聴率がいいとなると、おそらく映像受信装置(テレビジョンというらしい)によって日々洗脳、いや教育されている日本国民が、日常の生活の中で何かにつけて「訴えてやる!」と口走るようになったとしても何ら不思議なことではないだろうな・・・。
表向き西洋化と書いたが、ここまで行くと精神まで西洋化したと言わなければいけないのか、などと思う。
付け加えるなら島田紳助さんの司会番組で「お宝何でも鑑定団」という番組。
この番組で、何でもかんでも値段で価値を換算してしまう習性が日本人に染みついてしまった。
逆で言えば、そんな日本人に合わせた番組がヒットするのか?
どうも、島田紳助さんというタレントさんが関わる番組に私を取り巻く環境が変わっているということを教えられるようだ。
で、何が言いたかったのか??????
私は何によって育てられているのか?で、随分違った人生があるもんだ。
テレビジョンの前に座る時間の数倍何十倍の時間、阿弥陀さまの前にどっぷりと座り込みたいもの。
とりあえず、繰り言のみにて。
南国といわれる九州福岡でこれほど。全国の天気を見るに積雪○○センチ!の地域が・・・。
日本列島ってやはり長い。
12月ともなると彼方此方にクリスマスのデコレーション。おまけに最近は電飾?をふつうの民家が競うように豆電球で飾り立てていらっしゃる。
他人様の趣味嗜好に口は差し挟まないが(挟んでるか)、田舎道を走り目に入る電飾に?????
「西洋かぶれ」という言葉が最早死語となるほど、表向き西洋化した日本。
これって、やはりメディアの影響だろうなあ
先月だったか、お酒を提供する店で、着飾りおしゃれをしてお客の横に座りお喋りをする仕事(キャパクラ嬢というらしい)に就いている女性が美容院で、意に反した髪型にしてしまった権威ある美容師(西洋の言葉を借りカリスマ美容師というらしい。カリスマも安くなったものだ)と美容院の経営者に対して損害賠償として600万円を請求する訴訟を起こし26万円の損害賠償を命じる判決があったという報道があってた。
「髪は女性の命」ということの是非は保留するとして、報道に接し島田紳助さんが司会する人気番組「行列の出来る法律相談所」?という番組の中で状況説明ビデオの中での決まり文句、「訴えてやる!」という言葉を思い出した。
聞くところによると小学校で先生が子どもに注意をすると、子どもから「訴えてやる!」と言われたとか・・・・。
アメリカは訴訟社会であると聞く。従って絶対謝らない、謝ったら訴訟に負ける。という社会だそうだ・・(暮らしたことがないので、あくまで「だそうだ」)
テレビ番組で法律関係の番組が視聴率がいいとなると、おそらく映像受信装置(テレビジョンというらしい)によって日々洗脳、いや教育されている日本国民が、日常の生活の中で何かにつけて「訴えてやる!」と口走るようになったとしても何ら不思議なことではないだろうな・・・。
表向き西洋化と書いたが、ここまで行くと精神まで西洋化したと言わなければいけないのか、などと思う。
付け加えるなら島田紳助さんの司会番組で「お宝何でも鑑定団」という番組。
この番組で、何でもかんでも値段で価値を換算してしまう習性が日本人に染みついてしまった。
逆で言えば、そんな日本人に合わせた番組がヒットするのか?
どうも、島田紳助さんというタレントさんが関わる番組に私を取り巻く環境が変わっているということを教えられるようだ。
で、何が言いたかったのか??????
私は何によって育てられているのか?で、随分違った人生があるもんだ。
テレビジョンの前に座る時間の数倍何十倍の時間、阿弥陀さまの前にどっぷりと座り込みたいもの。
とりあえず、繰り言のみにて。
今回のお話は状況としてその通りだと思います。
が、その状態の傾向になってすでにひさしいとも思っています。
なぜこんな風な状態になったのか、その流れを生み出した要素はどこにあるのか、そのことに注目したいですね。
まったく私見ですが、その要因を世情の大勢が経済至上という価値観にどっぷりと浸かっていること、成果主義という計器をよほど確かなものと思いこんでいることに見ています。あるいは自己責任という言葉になって暴れ回っているようにも見えます。
経済的価値観も成果主義という論理も、自己責任という論理も、本来機械やシステム的メカニズムに適用されるべきものを人間にたいして適用していて疑問感がうすいというところにその状況の要因があるように思っています。
まるで水の状態からゆっくりとゆでられて行く蛙の話を見る思いです。
六道に例えれば、見識に溺れる人間の様相であり、おぼつかない快適さにしがみついている天上界の様相と言える気がします。
では、そこにどんな突破口を見いだしうるのか?、
それともいかんともなし得ないものなのか、じつに悩ましいことです。
様相は違っても、無始以来思うに任せぬ世界の中で生の営みをなし続けてきたのでしょうが、唯一お念仏の中においてのみ、自分で有り続けられる確かで暖かい世界を獲得してきたもののようであります。
どのような世相にも支配されない、自分のための世界を届けられていることを大切に思っています。
コメントとしては厚かましいほどの長文になってしまいました。
ごめんなさい。
tamonさんが反応してくださる一つの傾向が分かるようで楽しいです。
「様相は違っても、無始以来思うに任せぬ世界の中で生の営みをなし続けてきたのでしょうが、唯一お念仏の中においてのみ、自分で有り続けられる確かで暖かい世界」
私の言い足りないところを、言って下さり有り難うございます。