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西風~年がら年中真っ黒け~!

1082/~ウィンドウが繋がってた・・・(Evening edition)

※(注)能書き長いから端折って下さい。画だけ見てノスタルジーに浸って下されば超嬉しいです~( ◠‿◠ )

お疲れ様です。今回も「2007年03月16日 」にUpしたブログを再校正して此の過去ログを復活させますね~うへへ~(´艸`*)

『  旧タイトル➡「昭和30年代~ウィンドウが繋いでいた車がありました。」

※GooglePhoto参照 初代トヨペットクラウンRS

昭和30年(1955年)発売の「トヨペット・クラウンRS」~・・この車はよく覚えています。
当時のTV番組、ヒーロー物の月光仮面や七色仮面のシーンにもパトカーとして頻繁に出てきてた。

※トヨペットクラウンパトカー。映画のワンシーンのようです。

➡てなもんや三度笠 (1962) 高度成長期のTV番組

※左から美空ひばりの実弟 "かとう哲也" "藤田まこと" "白木みのる"

➡トヨペット(トヨタ)初代「クラウン」誕生秘話 約2分

 ※YouTube参照

初代クラウン。当時はガラスの一枚加工技術がまだ未熟だった為、フロントガラスを二枚繋ぎ合わせたり、リアガラスも三枚を繋ぎ合わせていました。
 
 ※1/45scale

それに「観音開き」のドアも特徴的で、ウィンカーがセンターピラーからピョコ!と、出のが印象的で、確か"アポロウィンカー"と呼んでた記憶があります。
市場での評判は良好で、鳩山内閣閣僚(54~56年)や官庁関係が続々乗り換えたそうです。

 ※戦後も総理専用車を始めとする政府公用車はアメリカ車の使用が続いた。しかし、政府の自動車産業育成政策により、国産車に切り替えられるようになった。 第57代岸信介内閣の時、日産がライセンス生産していたオースチンA50ケンブリッジを導入した。 1960年代初頭、第61代佐藤栄作内閣の時代からは日本車(トヨタ「クラウンエイト」や日産「プレジデント」など)が使用されるようになった。


※クラウン・エイト(CROWN EIGHT)は、トヨタ自動車が1964年(昭和39年)から1967年(昭和42年)まで生産していた大型の高級乗用車。トヨタセンチュリーの前身ですね。


 ※1/45scale

当時の車はメッキ部品を多用してる乗用車は多く、61年の初代「日産セドリック」や63年の「プリンスグロリア」もそうですね。多分、当時の米国車が手本になってたと思います。

それが~半世紀たった今では世界一の「トヨタ」です。この躍進を当時の人たちは、誰が想像していたでしょうか?改めて日本の技術には驚かされますね。 』


※2018年に登場した現行型クラウンは"15代目"。これ初代と比べるとまるで宇宙船ですね~(* ´艸`)   

     ちゃんちゃん~♪

と、言う事で皆さん お疲れ様でした。
 きょうは金曜日~どなた様も充実の週末を
  お過ごし下さいね~♪
   それではまた!
     See you again~♪
     
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