我が家のネコたちとパートナーと過ごした26年間の話し

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仕事のパートナーの最期の直近 今から思えば前兆があったのだ

2021-03-29 19:35:50 | 日記
仕事のパートナーが亡くなった。
午前中に仕事をし、補助つきではあったが自力でタクシーにのり、外来で病院へ向かった。
その病院で倒れて、翌朝亡くなった。

彼の亡くなる前一週間くらいについて記す。

会話のピンポンが途切れる。
私からの質問にどもったり、途中で話が終わる。
表情が乏しい。
聴こえてないのかな、と感じる。

そんな状態は、かなり前からあった。

でも、自分の仕事はちゃんとこなせていた。

年だから、若干認知症があるのかなー?って私は思っていた。

いつまでもは、続けられないだろうなーと感じていた。
そして昨年、コロナ禍の影響で仕事が減ったこと、彼の作業能力が落ちてきていたことを考え、仕事を終わりにするを真剣に提案していた。

彼は、税金滞納があり、また自己都合で事業所の賃貸契約の解約をすると半年分の家賃が発生する。

だから辞められない。と言っていた。

彼が仕事を辞めたなら、私も失業するけど、
なんとなく、この先、そんなに続かない。将来はないだろう。
そんな不安を私も抱えていた。私の行動もおかしくなっていた。
時には転職を試みたり、別なときにはyou tubeに仕事の関連動画をあげて、新規お客様を開拓を試みたり、
私も仕事を辞めるのか、続けるのか不鮮明な行動をとっていた。

そんな日々の中。彼の行動がますますスローになり、歩くスピードも歩幅は10センチもないんじゃないだろうか?と感じるようになってきた。

私は何度か病院で検査することを勧めたが、その度に拒否されていた。

病気が分かったとしても、仕事を続けなければいけない。税金滞納を、返済しなきゃいけない。

彼は、そう、答えてきた。死ぬまで働かなきゃいけないのだと。

しかし、彼が病院へ向かった一週間前。
私が、いつものように病院へいくことを勧めたとき。
彼は了承したのだ!

私は驚きつつも、次の週の、金曜日に行くから心の準備とか、用意してね。と約束した。

仕事は急ぎの作業が、多くて。私は同伴できない。
そのため私の娘に有給をとって貰い。彼に付き添うよう頼んだ。

病院へ行くことを了承してから、実際に病院へ、行くまで1週間。
この1週間が、実はとても長く感じた。
私は、彼がそのまま長期入院になるだろう。と予測した。私の仕事的立場も終わるのだろう。
その気持ちの整理をしなければならなかったから。

この1週間の間に彼は日に日に弱ってきた。
スローな行動はますますスローになり、
今までは自分の担当の作業が出来てたのに、それも出来なくなってしまった。
私は彼の仕事をサポートするため、帰宅時間が日に日に遅くなってきていた。

ずいぶん前に歯槽膿漏で全ての歯が抜けていたが、とにかく、食べることを諦めることはなかった。
しかしもう食べることには意識がない様子に、不安は大きくなるばかり。
私は毎朝。おにぎりや、スープを持参して彼にエネルギー補給を、促してみた。
食べ物を渡すと、
ありがとう!助かるよ!

と、受け取っていたのだが

翌朝出社しても、そのまま残られていたから。
じゃあ。違うもの。

ゼリーならどうだ!
プリンは?

私は、どうすればよいのか?
毎日、考えていた。

1日1日が。とても、長く感じ始めた。

そして、病院へ行く約束の3日前。
彼は遅い時間に仕事の場所にきて、肌寒い日だったが、暖房もつけずにイスに座った。
寒さも感じていない様子だった。

目の焦点が合わなくてパソコン操作が出来ない。
彼は、急に視力が落ちた、と言ってきた。

(彼がパソコン操作ができなくなり、私は2倍の仕事をしなければならなかった。)

飲み過ぎたせいかな。と彼は言う。

仕事を一人でやらなければならない不安。
彼の体調の不安。
精神的に辛く、落ち着かない1日を過ごさなければならなかった。
私は予定より早く、彼を病院へ連れていくことを失念していたのだ。私は既に正常な状態ではなかったのかもしれない。パニックを起こしていたのかもしれない。

そして、遂に、病院へ行く前日になった。

まだ、彼は生きている!
仕事は、もうほとんど出来ないけれど。
間に合った!

ところが、
彼は保険証が切れてた。と話してきた。
彼の持っていた保険証の期限は平成26年。

今は平成28年くらい?と尋ねられた。
もう、令和だよ。と教えた。

彼に委任状を、書いて貰い
私は保険証の再発行をするために役所へ行ってきた
病院へいく日になった。
保険証を娘に渡して。彼と娘がタクシーに乗って病院へ向かった。

検査が終わったら美味しいものを食べよう!と、約束して見送った。

外来で
目が見えにくい
物を食べるのに飲み込み辛い
歩くことが難しい

彼は訴えた。
まずは血液検査をした。
そして眼科へ向かう。

眼科で内出血があることが分かった。
その時点で糖尿病の疑いが濃くなった。

レントゲン室へ向かう。
娘はレントゲン室には入らず外で待っていた。
どうやら、レントゲン撮影のために着替える最中、転んだらしい。

しかし、病院の検査着を着た彼はレントゲン室から自力で出てきた。

次の検査の予約をしてる間に血液検査の結果が出て来て内科に呼ばれる。

糖尿病
肝臓
腎臓
数値はとても悪かった。
そして、電解質のバランスがとても乱れていた。
ナトリウムの数値がとても低く、そのためにふらつきが出てるのだろう。と指摘された。

これから、治療を頑張りましょう!とドクターに言われて、彼はホッとした表情になったと娘が教えてくれた。

次回の検査予約をしている間に、娘から電話を受けて様子を教えて貰った。
これから事業所に戻ると聞いて、私もホッとした。

その10分後、再び娘から電話がきた。
タクシーが、捕まらないのかな?なんて思いながら応答した。

すると、彼が倒れた。
後ろ向きに倒れて意識がない。

娘の言葉が、理解できなかった。

思考停止状態だった。
とにかく、病院にきて。といわれたので
急いで病院へ向かった。
彼が倒れたのは午後2時過ぎ。

そして亡くなったのは翌朝5時過ぎ。

あっという間で、何かを考えてる時間はなかった。



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