MEMOONO

Experiment Evolution

生きてた頃

2017-02-15 21:20:08 | Weblog
今は台湾にいて、作品や本を持って色々廻った。
収穫が沢山あって、やっぱり来てみると何か起きるなと考えた。
なぜ台湾か?と沢山聞かれたけれど、好きだからしか答えはなかった。
椰子の木みたいな街路は、生まれ育った房総を思い出すし、
うっかり迷い込むと鳥の啼き声が沢山聞こえる。

20歳の頃、写真学生だった私にはあまりに商業的広告や、もしくは形骸化したスタイルの純、写真作品は
どうも魅力的に映らなかった。

失敗したかな、と進路を思った時、道をひらいたのが中平卓馬だった。
2013年の夏に、勝手に逢いたくなって、横浜美術館の展示の時本人が走り書きした住所のメモを頼りに車を走らせたけど、そこは野原と隣り合わせの空き地だった。

後日判明したのは、嘘をついたのではなくて、近年再開発された古い番地をGoogleマップが、把握していなかっただけだった。

その後、故人となってしまったけれど、台北でもう一度逢えた。逢いに行ったのだ。
パリ、そしてカラー。殺伐としながら、対話して写真の父のように感じた。




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