木曜日に大きな問題が露呈した。
その事を考えると、気が重い。まあ僕がいいかげんだから起きた。今日になっても胃が痛い。少し弱まってきたが。どんな内容かは、書く気にもなれないので、ご容赦いただきたい。
それでも心にダメージを負うと、胃が痛くなることから、解剖学者の三木成夫先生が、内臓が心を作り上げるという説を思い出したりしていた。心の状態が胃に出たわけだ。
ところが、我が家としても大変な状況であるにもかかわらず、妻は「気にしないで」「逃げられないでしょう」などと、いつも通りである。妻は「私もついているし、カナダの娘もいるから、だいじょうぶ」と心強い。
それにしてもだ。自分自身の弱いこと、弱いこと。陰鬱な気分に取り憑かれているので、「こんなの続いたら、うつ病になるなあ」と考えたり、うつ病でも頑張っている人に想いを馳せたりしていた。うつ病ではないにしても、うつ状態ってことなのかもしれないと。
こういう想いは募っていく。「自殺でもしたら楽になるんじゃないか」とそんな事をする気もないはずなのに頭に巡らせてしまう。家族に支えられるているから、そういう事は起きないのだが、日本人の心情として、気を楽にしたいと考えたり、自殺の潔さや、日本的な美学を思い出したりする。
当然、妻のこと、家族のことを考えるだけで、そんな事は吹き飛ぶのだが、死についても考える。生まれてきたのは、僕の意志ではない。そうすると、死ぬのを僕の意志で行ってしまっては、なんだか理屈が成り立たない。
そんな自由意志では考えられないところに生命があるなどという話は、理屈で十分知っていた事である。今回同じ事が繰り返されたような気がする。永遠回帰。
それにしても中国人はタフだ。妻は中国人なので。それにしても怒りもしない。僕はある映画やドラマを思い出していたが、妻はそれらを超えている。その内容について、次に書こうかと思う。
これを読んでいる皆さん。今回はどうも自分の中にある呪いを、このブログに叩きつけて、自分の心を昇華させようとしているのかもしれません。ご容赦を。