知り合いの本である。小林正幸著『教養としての現代社会入門』(風塵社、2018年)という本で、近現代社会のプロセスを概略化した本である。なかなか上手に整理されていて、読みやすい。有名な社会学の先生が「学生が読むのに適しているだけでなく、大学で社会学を教えている先生方にも有益だ」とおっしゃっていて、「なるほど」という感じである。
https://www.amazon.co.jp/教養としての現代社会入門-小林正幸/dp/4776300761/ref=sr_1_1?ie=UTF8&qid=1537304508&sr=8-1&keywords=教養としての現代社会入門
僕たちは今現在持っているリアリティや価値観というものを当たり前のことと思っており、そんなことを疑うこともない。ところが、このリアリティや価値観が近代化のなかで作り出されてきた社会意識であることを理解させてくれる本であった。実は指摘されれば「そうだよね!」ということになるのだが、普段日常生活の中では気にかけたりはしない。たぶん社会学者という存在は日常がどうやって作られているのか、常に意識しているという職業のようである。
実は僕は今カナダにいる。もうすぐ日本に帰るけれども、日本とカナダの違いを色々な場面で意識することがある。カナダでファストフード店に入る。正直にいうと店員の態度が悪いと思ってしまう。日本ならこんな態度なら「店長を呼べ!」などとクレームを入れたくなるような感じである。しかし、カナダの人は誰もそんなこと気にも留めないだろう。
今度はレストランに入る。そうすると、店員のサービスは非常にいい。しかも堂々としていて、カッコいい。思わず日本と比べてしまう。日本だと、丁寧でありつつも肩が丸まっているような気がする。なんかビクビクしている感じさえある。まあカナダだとチップがあるから良いサービスが、そのまま生活に直結するということもあるのだろう。ただチップは大抵金額の10%程度だから、すごくいいサービスをしたといって、収入が大幅に変わるわけではないだろう。
こういう飲食店のサービスに典型的に見られる現代的な特徴のひとつに「社会の心理学化」があると本書は指摘している。労働はかつて肉体が請け負っていたけれど、現代では心や感情が請け負うようになっている。ちなみに感情労働という。別に日本に限ったことではなく、世界中でサービス業が増加しているので、世界的な趨勢である。
本書で指摘されている現代社会の特徴をカナダにおいても適応しつつ、僕自身考えていたことになる。それにしても、日本の感情労働はカナダのそれとは異なっていると思う次第である。本書では心が労働すれば、当然のこと心の健康に影響を与えることになると指摘している。ストレス社会とはいうけれども、サービスを受ける側、客の方が当然のこととして過剰な感情労働を要求すれば、自らストレスの種を作っているようなものだ。なんせ客は場面が転換すれば、サービスを提供する側になるのだから。
本書はそのようなモノの見方があちこちに散りばめられている。学術書ではあるのだろうけれど、『教養』と名付けられているだけの意義はあると思う。一読の価値ありということだけれど、本書のような見方ができていれば、世の中もう少し落ち着くのじゃないかなと、そんな感じがした。
まあちょっと行き過ぎを反省できるというかね。まあ、でもその行き過ぎこそが問題なんでしょうね。