さて、前回の続き。友人と知り合いの友人と話をしたという続き。統一協会が話題に。
友人は大学の時、原理研が記憶にあったという。医者の方は記憶にないと。そんな中で、こんなカルトに日本が支配されているのかという話。きっといま世間でよく話題になっているのだろう。ただ2人によれば、病院ではそんなに話題になっていないと。それを聞いて、本当に社会性が世間から後退しているのではないかと想像。
僕も大学の時に原理研があった記憶がある。ただ僕が通っていた頃はまだ学生運動の残滓があったので、革マルの連中にうざがられていたような気がする。革マルは共産主義だから、戦っていたのか?
僕はカルトに日本が乗っ取られているという話に対して、そもそも日本はカルト国家だという話をした。医者の方は驚いていた。
どういうことかというと、明治維新は薩長を中心とした江戸幕府(当時の政府)に対するテロじゃないかというところから始めた。佐久間象山なんかテロリストだろうと。詳しくは歴史書でも読んでいただくとして、そこから靖国神社のカルト性を指摘してみた。
せっかくなので、社会学者橋爪大三郎の映像を引用しておく。
靖国は日本古来のものではない。橋爪さんの指摘通り日本近代の発明である。
そもそも靖国神社の前身招魂社の宗教自体は日本的ではない。そこで「招魂」という考えが現れているのだが、日本にはそもそも「招魂」はなかった。あったのは鎮魂である。死者の祟りを畏れて、神として祀るという宗教性である。菅原道真の太宰府はその代表。
「招魂」はおそらく中国や韓国の民間宗教の中にあった考えで、死者の魂を集めて、神として祀るという意味である。これは鎮魂とは違う。これは確かに混同しやすい。
靖国は戦争で死んだら靖国に集うというものだが、戦争で死んだらみんな集まるという宗教儀礼は日本にはない。「招魂」では、すべての魂が集まり融合し、ひとつの魂として融合する。だから融合された(大きな)魂から、たった一人の魂を別にすることはできない。何だかそれを有難がっているわけだ。長州あたりが使い始めたのだろう(これは推測)。
とすると、靖国神社は日本伝統の宗教ではないので、カルトである。実は明治維新でテロを行った薩長たちがもたらしたということになるので、テロリストが作ったカルト宗教ってことになる。
加えて、廃仏毀釈をして国家神道などという民衆の生活から遊離した宗教を国家が制定し、強制された。とすれば江戸時代まで庶民の生活に融合していた神社は異なる性格になっていることになってしまう。とすれば、これまたカルト的ではないか。現在の神社本庁もまたカルト的なのではないか。そんな疑問がもたげる。
ということなどを話しして、江戸時代以前の緩やかな日本的な宗教、神社とお寺が当たり前のようにあり、時には神社だかお寺だか曖昧な神仏習合こそ、日本らしい宗教と思う。
そんな話もしてみた。