カナダに住む娘は、ボストンテリアを飼っている。愛犬っていうやつで、フィチという。
僕は子供の頃から、何だか動物が好きではなかった。何だか、何を考えているのかわからないと思い、近くにくると怖がっていた。
娘がカナダで暮らすようになって、夏休みに会いにいくと、フィチがもれなくついてくる。最初の頃は遠巻きにしていたのだが、2回目に言った時に、フィチが僕を見て、オシッコをしてしまった。娘と妻が、フィチが会うのが久しぶりでスゴイ喜んでいるよと言う。
え、気に入られたのかと、不思議に思っていたのだが、朝早くに僕のベッド脇に来て、なんだか催促するようになった。朝の散歩だ。眠い目をこすって、しょうがなくフィチと僕で、あるいは妻も一緒にカナダの街を散歩した。日本ではないので、道路幅が広く、散歩しやすい。
メープルの木並、リスが走っている。そのリスをフィチが追っかける。他の犬にすごい興味を示す。それで、その犬の飼い主と少し会話したりする。まあ英語あんまりできないけど。通学時なので、子供が寄ってくる。何だかうれしい。
途中でウンチをする。必ずぐるぐる回ってからする。たまに雑草を食べている。観察していたら、どうも胃腸の調整のように思えてくる。自然が薬になっている。人間見習った方がいいね。
いつの間にか、好きになっていて、可愛くて可愛くてしょうがない。僕の動物嫌いは何だったのだろう。きっと理解しがたい自然が苦手なだけだったのだと思う。まあ僕も都会人で、予測可能な世界に安心を覚えていたのかもしれない。当然犬には自然という側面がある。人間に買われているわけだから、都市的なものもあるだろうなどと思いつつ。
フィチはテレビもスマホもやらない。浅薄なニュースに関心を持たない。そんなことで腹を立てたりもしない。カナダにいるのだから、菅首相の動向も気にならない。カナダにいなくたって、気にならない。選挙に行かない。でも何も考えていないという気はしない。
フィチと僕の関係はどちらも主人ではない。気ままな関係だ。フィチが気になれば、僕のところにやって来て、目の奥から何か語ってくる。わかる時とわからない時がある。随分すっとぼけたような顔をしている時もあれば、苦行僧のような時もある。
コロナで2年間会えていないが、忘れられてしまっただろうか。たまに送られてくる写真や動画見ているが、彼はスマホの画面では、僕を認識できない。僕の方がフィチを気にかけているのだが、どうもフィチはフィチでフィチらしく生きている。すっとぼけた顔していたから。