どうでもいい四百字 第二中間貯蔵施設

どうでもいい四百字 3634

事実は一つ、解釈は無限である。過去の問題で色々と揉めがちなのは、そこら辺を混同するからである。純粋な事実の直接的な認知は現実的には不可能で、必ず言語が介入しなければならない。その時点で解像度や視点の異なる解釈が生じてしまうのは、仕方ない所である。普通の人からすれば単なる石ころとしか解釈出来ない物が、タモリさんには粘板岩だったり閃緑岩だったり玄武岩だったりするのである。しかし「それってあなたの解釈ですよね?」と言い出す人の解釈をいちいち認めていると収拾がつかなくなるし、契約に基づく社会が成立しなくなるので、暗黙的で曖昧な共通認識を抽象化したものを便宜上「事実」と扱うしかない(周囲の全員を殴り倒して社会を成立させる方法は有る)。故に個々が正しいと信じる事実は、構造的に差異を包含すると諦めるしかない。さいたまの最低気温が氷点下を観測してすっごいさっぶいのだが、それって私の解釈に過ぎないのである。

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