MY LIFE AS A DOG

ワイングラスの向こうに人生が見える

ボヴァリー夫人

2009年11月06日 23時07分26秒 | 映画
先週から今週にかけて、久々に映画館を何軒かハシゴ。
アレクサンドル・ソクーロフ監督の「ボヴァリー夫人」など6本を鑑賞。

鑑賞作品は以下の通り

1.ジャーマン+雨 監督 横浜聡子
2.ウルトラ・ミラクル・ラブストーリー 監督 横浜聡子
3.アンナと過ごした4日間 監督イエジー・スコリモフスキー
4.ボヴァリー婦人 監督アレクサンドル・ソクーロフ
5.空気人形 監督是枝裕和
6.母なる証明 監督ポン・ジュノ



ボヴァリー夫人は、いうまでもなくフローベールの傑作小説である。
今までもクロード・シャブロル、ヴィンセント・ミネリ、マヌエル・ド・オリヴェイラなど、多くの監督によって映画化されている。

本作品は、ソクーロフが「日陽はしづかに発酵し・・」を撮った翌年の1989年に撮影され、当初は167分と長かったものを、フローベール没後130年にあたる今年、監督自らの手で128分に短縮され公開された。
前作「日陽はしづかに発酵し・・」に引き続いて撮られた作品であることから想像がつくように、本作も随所に実験的な試みがなされている。

たとえば、ソクーロフらしいと呼ぶに相応しい見事なショットの上に、“ブーンブーン”と低く響き渡る蝿の羽音の音声がかぶせられていたりする。
また、走行する馬車の爆音や、荒々しく閉ざされる扉の音声などの生活音がことごとく排除されていたりする。

これら音声の追加や削除によって、官能的であるはずの性交シーンが、単調機械による無機質な(臀部の)上下運動へと変換される。

映画はその冒頭、いきなり金貸しの男とボヴァリー夫人とのとりとめもないやり取りから始まるが、その後の説話的シーンや会話が(おそらく意識的に)隠されており、まるで鑑賞者を物語の中に安住させまいとしているかに見える。

このような手法は、若きソクーロフ青年の孤高の芸術性を示すと同時に、ある種の傲慢さを鑑賞者に意識させずにはおかないだろう。
その意味では、(もちろん167分版を僕は見ていないけれども)この公開にあたって約40分のシーンを削ったソクーロフの判断はある意味正しかったといえるかもしれない。

プログラムに寄稿した蓮實重彦御大も以下のようなことを書いている。
すなわち、167分版の「ボヴァリー夫人」はオリヴェイラの「アブラハム渓谷」に比べたら影が薄く、どうも受け入れがたいと。

とはいえ、いずれにせよ、ソクーロフ版の「ボヴァリー夫人」が、そこいらの文芸作品の映画化とは雲泥の差をもって優れていることはいまさら言うまでもない。


ちなみに、明日から渋谷ユーロスペースにて、ヴィターリ・カネフスキー特集が組まれるそうな。
これは、大事件である!これを見逃しては断じてならない。
万難を排して馳せ参じるべし!!
ヴィターリ・カネフスキー特集
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