SAKKON BLOG

-Without A Mic-

強者どもが夢の跡

2007-11-25 21:17:03 | Weblog
3、4年ぐらい前の統廃合から使われていない
我が母校の近くでたまたま用事があって久々に寄ってみた。
校門から中を覗くと、草ボーボーでひっそりとしていて、
人がおらんとこんなに変わるもんか~と思いつつ
クルっと学校の周りを歩いてみると
偶然、府の職員らしき2人組が道端から
学校に測量の器械らしきものを向けていた。

「ここ何になるんすか?」

「まだ解らんけど公園、その下が貯水池になるかも
ん~、まだ住民に説明会もしてないし解らんけどね」

老人ホームに池に、学校のその後については色んな噂があった。
公園になったら「ここに昔何々城がありました」みたいな
棒ッキレが隅っこに立つんやろか?
何年もしたら学校があったことが遥か昔のことみたいに景色も変わるのだろう。
目の前の荒れ果てた校舎と殺風景なグラウンドを見ていると
10年以上も前のことをつい最近のことのように思い出した。

取り壊されて綺麗サッパリ跡形も無くなる前に1回来れて良かった良かった。

釣り

2007-11-11 00:11:54 | Weblog
淀川で平日の朝から釣りをしているオッサン達を
淀川大橋からふと眺めていると
後ろからチャリンコサラリーメン&ウーメン達が
必死の立ちこぎで通り過ぎていく

平日通勤時間に魚釣り…

これ以上の贅沢があるだろうか
通勤ラッシュを横目にセーヌ川のほとりで
お茶するフランス人を想像しても余りある優雅さだ

なんとうゆう気前よい1日の始まりだろう

稚魚の群れが泳いでいるのが
見えるほど淀川は澄んでいた

あまがさき

2007-11-07 21:29:15 | Weblog
「ブ~ン、ブ~ン、ブブーン」

水を切るモーター音が響く 尼崎センタープール前駅
東から眩しい太陽が暖かく照っている
午前10:30過ぎ
競艇場からおっちゃんがトボトボとはにかんだ笑顔で歩いてくる
手にはスポーツ新聞とレーススケジュールが入った
コンビニの袋をぶらぶらとぶら下げて

ふと目の前で足を止めた

「へへへ、何してるんやこんな所で?」
「仕事ですぅ」
「へへへ儲かってる?」
「いや、たいしたことないですわぁ」
「そうか~、大変やなぁ、わしこれから広島寄って
九州戻ろか思てんねん」
「そうですかぁ遠いですねぇ」
「いい時計やろ?」

開いた口から残った上の前歯一本が顔を出している
おっちゃんは、はにかんだ笑顔のまま
おもむろに左手首に付けていた時計を外した

「知ってる?これジ~ショックゆうて結構ええもんで~
買うたとき8千円もしたわ、へへへ」
「そうですかぁ、迷彩ガラでカッコイいいす~」
「これから広島のあねきに金借りて九州戻ろか思てんねん」
「そうですかぁ、おっちゃん九州のどこですかぁ?」
「わし?福岡 ばってん金が無いから広島のあねきに金かりなあかんわ
これ2千円で買えへん?ジ~ショックやで
まぁおっちゃんらより若い子らがようしてるみたいやなぁ」
「すんません、今日あんまし金無いんで辞めときますわ」
「そぅか~、残念やな~、広島まで行けたらええねけどな~
やっぱりメーカーがアカンのかなぁ?カシオやもんなぁ~?」
「そっすかね~」
「千円でもええよ…、…、…、
アカン、アカン広島まで千円では行かれへんわな、へへへ」
「そっすね~」
「兄ちゃんもがんばりや」

左手にコンビニの袋、右手にG-SHOCKをぶらぶらとぶら下げて
はにかんだ笑顔でおっちゃんは駅に消えた


おっちゃんまだ10:30やで

1Rで財布空にしちゃったんやね

広島までどないするんやろ

てゆうか今日どないするんやろ

「ブ~ン、ブ~ン、ブブーン」

穏やかな秋の空に響いた

ミャンマー紀行

2007-11-04 20:17:22 | Weblog
ヤンゴンのデモで日本人カメラマンが撃たれて1ヶ月経った。3年ぐらい前に行ったミャンマー旅行を最近よく思い出す。
初めてのミャンマーではガイドを付けないと大変だということでヤンゴン空港に日本語ペラペラの女性ガイド チョーさんが待っていてくれた。ミャンマーでは名字と下の名前の区別がなくチョーも名前の一部分で、親とも特に接点のない名前らしい。同世代で旅中ずっと我々と同行してケアし続けてくれた。
国際空港は古くてトイレは離れのほったて小屋。軍服を着た兵隊さんの目が怖い。
市内に移動する車中で1番最初にチョーさんに注意されたことはアウンサンスーチー氏(選挙で圧勝したのに現在も軟禁中)の話は絶対にしてはいけないこと、軍事施設にカメラを向けてはいけないことだった。アウンサンスーチー氏の父親はミャンマー独立の英雄的軍人さんで、お札にも載っている。
ヤンゴン市内に入ると金ピカに輝くとてつもなくデカいシェダゴンパゴダ(寺院)が見える。金閣寺がちっぽけに思えるほど長い歴史とすごい金箔の豪華さ。空港より100倍きれい。
ミャンマー国中にある寺院では熱心にお祈りをしたり、涼んだり、若者は木の皮のマリのようなボールで遊んだりしてみんなの溜まり場だ。オバチャンたちは冷たい日陰のタイルに座ってマメを食べながら談笑している。もちろん熱心に修行するお坊さんが大勢いる。 車から見た広い敷地のヤンゴン大学は10年前にあった学生デモの鎮圧閉鎖後、学生達が地方に散ったらしくひっそりとしていた。
飛行機でヤンゴンからやや北のバガンへ。
向こうの飛行機はいつも匂いつきウェットティッシュをくれる、いい匂い。バガンは昔の王朝があった場所で一面の赤茶色の砂地に数え切れない程仏塔の遺跡がある。夕日の名所で、地平線まで見える夕日に照らされたパゴダ群は心洗われるとゆうか沁みる。
さらに飛行機でインレー湖へ。
この一帯はヤンゴン、バガンより涼しく天国。水上に高床式の家を建て、さらには学校を作り、ネコに輪っかくぐりをさせるのが名物の寺まである。ここに住む人の移動手段はボートで、子供達は手漕ぎボートで学校にいく。ネコに小便をかけられたサンダルもボートに乗って洗濯。そのネコの寺で日本語を話すお爺さんに遭遇。第二次大戦中日本軍に教えられたらしいがむちゃくちゃ優しかった。写真を撮れ、撮れとゆうので一緒に腕を組んで撮った。湖の小学校にボートで立ち寄るとなぜか大歓迎をうけた。小さな子供達が集まってワイワイガヤガヤ、みんな裸足で泥だらけになってもお構いなしで元気だ。
湖に一番近い大きい街ニャウンシュエからチャリでマーケットにいくと色々な民族が入り混じって色々なものを売っている。チョーさんには彼らの着ている物の違いで何族か分かるようだ。山岳部には独立のためにミャンマー政府と戦っている民族もいるらしく、なにせたくさんの民族がいる。首なが族も観光客相手が大変らしい…バガンのマーケットにいたおばーちゃんをインレー湖畔の街のマーケットでも発見。手織りの子供用靴下を売ってたので購入した。
旅の話はまだまだ尽きないがこのくらいで…

どこに行っても元気な子供達と親切で謙虚な人達がいた。国民皆僧制度のミャンマーの人々は信仰心が厚く人に寛容で怒りをあらわにすることを嫌う。今回のデモの拡大も生活改善を求めてデモを起こしたお坊さんに軍が暴行したことに端を発するらしい。微笑みの国と呼ばれるミャンマーの人々の軍事政権に対する怒りはこれまで何度も繰り返されたデモを塗り替える規模で広がっている。
日本にも難民申請をしているミャンマーの人々が沢山いるようだ。ミャンマーで出会った人達の安否を心配しつつ、素晴らしいビルマの精神性を残した民主化が実現されることを祈る。
*写真はインレー湖の小学校、 マーケットで日本から持って行ったゼンマイのクルマに夢中な子供達