SAKKON BLOG

-Without A Mic-

ミャンマー紀行

2007-11-04 20:17:22 | Weblog
ヤンゴンのデモで日本人カメラマンが撃たれて1ヶ月経った。3年ぐらい前に行ったミャンマー旅行を最近よく思い出す。
初めてのミャンマーではガイドを付けないと大変だということでヤンゴン空港に日本語ペラペラの女性ガイド チョーさんが待っていてくれた。ミャンマーでは名字と下の名前の区別がなくチョーも名前の一部分で、親とも特に接点のない名前らしい。同世代で旅中ずっと我々と同行してケアし続けてくれた。
国際空港は古くてトイレは離れのほったて小屋。軍服を着た兵隊さんの目が怖い。
市内に移動する車中で1番最初にチョーさんに注意されたことはアウンサンスーチー氏(選挙で圧勝したのに現在も軟禁中)の話は絶対にしてはいけないこと、軍事施設にカメラを向けてはいけないことだった。アウンサンスーチー氏の父親はミャンマー独立の英雄的軍人さんで、お札にも載っている。
ヤンゴン市内に入ると金ピカに輝くとてつもなくデカいシェダゴンパゴダ(寺院)が見える。金閣寺がちっぽけに思えるほど長い歴史とすごい金箔の豪華さ。空港より100倍きれい。
ミャンマー国中にある寺院では熱心にお祈りをしたり、涼んだり、若者は木の皮のマリのようなボールで遊んだりしてみんなの溜まり場だ。オバチャンたちは冷たい日陰のタイルに座ってマメを食べながら談笑している。もちろん熱心に修行するお坊さんが大勢いる。 車から見た広い敷地のヤンゴン大学は10年前にあった学生デモの鎮圧閉鎖後、学生達が地方に散ったらしくひっそりとしていた。
飛行機でヤンゴンからやや北のバガンへ。
向こうの飛行機はいつも匂いつきウェットティッシュをくれる、いい匂い。バガンは昔の王朝があった場所で一面の赤茶色の砂地に数え切れない程仏塔の遺跡がある。夕日の名所で、地平線まで見える夕日に照らされたパゴダ群は心洗われるとゆうか沁みる。
さらに飛行機でインレー湖へ。
この一帯はヤンゴン、バガンより涼しく天国。水上に高床式の家を建て、さらには学校を作り、ネコに輪っかくぐりをさせるのが名物の寺まである。ここに住む人の移動手段はボートで、子供達は手漕ぎボートで学校にいく。ネコに小便をかけられたサンダルもボートに乗って洗濯。そのネコの寺で日本語を話すお爺さんに遭遇。第二次大戦中日本軍に教えられたらしいがむちゃくちゃ優しかった。写真を撮れ、撮れとゆうので一緒に腕を組んで撮った。湖の小学校にボートで立ち寄るとなぜか大歓迎をうけた。小さな子供達が集まってワイワイガヤガヤ、みんな裸足で泥だらけになってもお構いなしで元気だ。
湖に一番近い大きい街ニャウンシュエからチャリでマーケットにいくと色々な民族が入り混じって色々なものを売っている。チョーさんには彼らの着ている物の違いで何族か分かるようだ。山岳部には独立のためにミャンマー政府と戦っている民族もいるらしく、なにせたくさんの民族がいる。首なが族も観光客相手が大変らしい…バガンのマーケットにいたおばーちゃんをインレー湖畔の街のマーケットでも発見。手織りの子供用靴下を売ってたので購入した。
旅の話はまだまだ尽きないがこのくらいで…

どこに行っても元気な子供達と親切で謙虚な人達がいた。国民皆僧制度のミャンマーの人々は信仰心が厚く人に寛容で怒りをあらわにすることを嫌う。今回のデモの拡大も生活改善を求めてデモを起こしたお坊さんに軍が暴行したことに端を発するらしい。微笑みの国と呼ばれるミャンマーの人々の軍事政権に対する怒りはこれまで何度も繰り返されたデモを塗り替える規模で広がっている。
日本にも難民申請をしているミャンマーの人々が沢山いるようだ。ミャンマーで出会った人達の安否を心配しつつ、素晴らしいビルマの精神性を残した民主化が実現されることを祈る。
*写真はインレー湖の小学校、 マーケットで日本から持って行ったゼンマイのクルマに夢中な子供達