近況はこんな感情

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ビートを刻む-考える楽しみ3

2015年07月04日 05時24分41秒 | 枕電子計算機
その1   その2

▽前回、前々回の記事で「自分にとって本とは」「自分にとって笑いとは」をつらつら書いたが、常にそのようなことを考えているわけではない。

(只今ブログ開始後初の試みとして連載物の投稿に挑戦しています。この記事自体は単体で読んでも大丈夫なように書いていますが前回の記事が読みたい方は冒頭の「その1」をクリックしてください)

「笑い」について常に考えながら暮らす、人と話す、そんな息苦しい生活はこちらとしても送りたいとは思わない。

時折ふと考える「瞬間」があり、その「瞬間」の連続がある程度まとまったものがこれまでに書いてきたものである。

と、前置きを入れておいて、今回はブログについて書こうと思う。


▽ブログというものを書き始めてから早いものでもう8年が経とうとしている。

あと三か月で丸8年。

総記事数は「その1」を書いた段階で1270。なかなかの数だ。

千二百七十。漢字にするともっとすごい。

ブログの記事の単位ってなんだ。1270記事か。1270ページか。

とにかくそれだけ長短さまざまな記事を書いてきたので、お気に入りの記事もあればあまり好きじゃない記事もある。

下書きまでした文章もあれば10分もかからず適当に書いた文章もある。


▽自分の中でブログの記事の種類を三種類に分けてみた。

スルメタイプ
噛めば噛むほど味が出るスルメの様に、何回読み返してもこれはいい記事を書いたと思えるもの。このタイプの記事が書けた直後は2~3日の間で自分の書いた記事を5~6回は読む。もっと読むこともある。友達に感想を聞く。

ベビースタータイプ
書いた瞬間は達成感もありなかなかのものができたとは思うが、繰り返し読むほどではないもの。僕にとってのベビースターは一袋食べたら十分なお菓子という認識から来ている。しかしこのテのお菓子はふと懐かしくなって再び手に取ることがままあることも事実である。

PEPSIコーラSHISOタイプ
なんで書いたのかわからないし自分でも何を書いたのかよくわからない記事。数は多くない。投稿前に消すから。しかし稀に何を血迷ったのか投稿してしまう。そして読み返して後悔する。


▽また、1270に上る記事を書いてきたので八年間で自分の文章のリズムというものが形作られてきた。

このブログは自分を読者対象とした記事がほとんどだ。

もちろん、他人が読むことを想定して書いてはいる。

前回の記事にも関連しているが、辛いことがあった時にその内容を書かないのはわざわざ愚痴を読むためにブログを開く人などいないであろうという思いもある。

誰か特定の人に向けた個人的メッセージも書かない。

そんなことブログに書いたってその誰かが読むかはわからないし、その誰か以外の人が読んでも面白いと感じることは少ないだろう。

「笑いは知識」と言ったように、自分は少数派の人間ながらできるだけ多くの人の笑いにつながればと思ってこのブログを書くのである。

しかし読者として想定しているのはあくまで自分である。

だから他の人にとってはどうでもいいというような内容を書くし、

だからこそスルメタイプ以外の記事も投稿する。



▽自分を読者とした時に一番大切だと思っているのは前述した言葉のリズムだ。

句読点の位置や改行の場所などは自分で読みやすいかどうかが基準である。

逆を言うとそれしか基準はない。

だから記事によって敬体であり、常体である。文語体であり口語体であるわけだ。

それが自分の書きたい記事について自分にとって一番読みやすい形であるから。

「笑いは知識」であるのと同じように、「文章はリズム」だと思っている。

日本人に一番合った文章は七五調のリズムらしく、町のポスターや標語はほとんど七五調だ。

だから、目につく、記憶に残るそういった標語のようなものは大概七五調であったりする。

twitterでつぶやいた言葉が気づくと五・七・五で区切れてしまう、ということも僕にはある。

「笑いは共通認識」は12文字だけど「笑いは知識」は7文字である。

あえてその七五調のリズムを崩して、頭に残る標語だったり言葉だったりを掲げている人もいる。

しかし単語自身のパワーを実感として受け取っていないとなかなか使いこなせない。

なんか歯切れの悪い言葉だ、と思うのは言葉の持つリズムを掴みきれていない人だ、と思っている。


▽思い出したのでついでに書く。

先日読んだ本のあとがきに「読書は音楽」だとの言葉があった。

結末、答えを求めているのではなく、盛り上がったり静かになったりするその過程を楽しむものである、と。

なるほど、その通りだと思う。

また、その言葉に自分の「文章はリズム」もなんとなく肯定されている気がして嬉しくなった。

文章が本を作るように、リズムが曲をつくっていく基となるものだ。

そういえば兄の友人が高校三年の時に「人生はレコードのようなもの」ということを言ったらしい。

その友人本人が思いついたのかどこかから引用してきたのかはわからないが、

「人生はレコードのようなものだ。人は歳を重ねるごとに一年が短くなっているように感じる。ちょうどレコードの針が外側から内側に進んでいくように。同じ一周のはずなのにそこを進むスピードはどんどん速くなっていく。そしてそのレコードが終わるまでに『自分』という名のメロディを奏でる。」

というような内容である。

高三で思いついたのだとしたらずいぶん達観しているなぁとの感を持つ。

無論、人生も音楽と同じように過程を楽しむものだと思う。

過程だけがよければよいかと言われれば人生も音楽も読書も決してそんなことはないかもしれないが。

ブログを書くのも書き上げた達成感より文章を考える過程の方が面白かったりするのかもしれない。

ここで笑ってもらえるといいな、いい言い回しができたぞ、とか。


そういうわけで世間ではブログが廃れつつある中にあっても、僕は過程を楽しみながらブログを書き続けるのである。

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